雷音とスピカの先で待ち合わせた約束覚えてますか?
男をその気にさせるのは簡単だ。最初に目が合ってからはちらちらと、段々と熱っぽく、見つめればいい。それでいて自分は高嶺の花を気取っていれば、大抵の男は話しかけてくる。
「ねぇ君、可愛いね。良かったら今から俺とどこか行かない? 君と色々話したいんだ」
「うーーん…」
ただし、この方法で釣れる男は大抵ろくでもない。しかも今回の奴は自分のことを男前と思ってる自己陶酔の類だ。苦手というか一番嫌いなタイプ。出来れば今すぐその面を張り倒したい。だけどまあどっちにしろついて行く気は無いし、あの人の任務は今朝方終わったと鎹鴉から知らせがあったから、多分もうすぐ来るはずだ。私はひたすら時間を稼げば良いだけ。
「ちょぉおおー………っと待ったあああああ!!」
お、来た来た。騒がしさが近付いてくる気配に思わず口角が上がってしまう。今回も色々振り乱して駆けつけてくれるその様に何より感動を覚える。凄まじい圧迫感と扉の開く小気味良い音と同時に姿を現したのは私の恋人……ではなく、意中の人である。
「この子は俺のことが好きなの!! つまりあんたとどーこーなることはないから!! 触らないでもらっていいですかーーー!? ってか触んなっ!!」
光のような速さの洗練された動きで男から庇うように私を抱き締め、必死になってその男を追い払おうとする黄色い人、もとい我妻善逸。ああ、何から何までこの人の全てが好きだ。
私と善逸は恋人関係ではない。彼はお日様に愛されたような蒲公英髪で、思春期の男の子なのに情けなく泣き喚く、でも日だまりみたいに優しく笑う、私とは別の光の世界に生きる逞しい男の子。私は善逸のことが大好き。しかし、善逸が恋する相手は私ではなかった。更に私の性根がねじ曲がっているばっかりに、私達の関係は少々歪だ。
「ねえ名前、もうこれやめない? ちょっと目を離すとすぐ自暴自棄みたいに見境なく男に色目使ってさ…、こんなことされたら俺も見過ごせないよ? けどさ俺、君の気持ちには応えられないんだ。頼むから一刻も早くいい人見つけてよ」
それは、もう私に貴方を好きでいるなということ? 大好きな声でなんという残酷を紡ぐのだろうこの人は。炭治郎とかどうなの? なんて勧めてくるこの人は。なんて酷い人なんだろう。
「私だって……っ、炭治郎を好きになれば良かった!!」
何故かズキズキと痛む胸をわし掴んで痛みに任せて叫べば、滲んだ視界の中で黄色い瞳も歪んだ気がした。たまらなくなってその場から走り去るけれど、善逸は追いかけて来てはくれない。当然だ。当然なのに、それにさえまた勝手に傷つく私がいた。女の子なら誰でも良いと思っていた。手当たり次第に会った女の子にデレデレしていたから。けれど、彼はもうあの子じゃないと駄目になってしまったらしい。流した涙をかき集めればちょっとした湖が出来るかもしれないほどに、私は善逸を思って幾度も泣いてきた。『いつまでこんなことを続けるの』なんて心の中の私が問い掛けては溜め息を吐く。ああ、なんていつも通り。
「炭治郎ってさ、実はめちゃくちゃかっこいいよね」
いつも通り、私の涙を炭治郎が優しく拭った。どこまでも優しい炭治郎だけど、私に対しては殊更だった。
「……名前、俺は…」
「死ぬほど優しくて、強くてかっこ良くてさ、すっっごい良い男だしさ、私炭治郎のこと好きになれば良かったかもね」
「それは…どこまで本気で言ってるんだ?」
「炭治郎?」
「俺は名前のこと、ずっと女の子として見てたんだぞ」
「冗談でしょ?」
「本当だよ。名前が善逸を好きなことも、善逸に構って貰いたくてわざとこういう思わせぶりなことするのも、知ってる。でも、とうとう俺を当て馬にしようとしてるなら、そのつもりはないから覚悟してくれ」
真剣そのものな顔が近づいてきて、思わず俯けば肩を掴まれた。
「ちょっ、やだ炭治郎、やだってば!」
ーーパシンッ
とうとうひっぱたいてしまった。血の気を失ったように頭が冷静になっていく。
「ご、ごめ、」
「どうして善逸なんだ…」
苦しげにそう絞り出した炭治郎の声に、何も返せない。優しい顔が辛そうに歪むのが簡単に目に浮かんで、私の胸も苦しくなった。私なんかが、炭治郎にそんな表情をさせて良いのだろうか。炭治郎はどうして私なんかを好きになってしまったんだろう。私はどうして炭治郎を好きにならなかったんだろう。報われない恋の連鎖が蔓延って、幸せの風が吹くのをどれだけ待ったろう。私達はそろそろ、報われても良いんじゃないだろうか。
こんな気まずい三角関係な私達だけど、低い階級の分際で我儘が罷り通るわけもなく、今日は禰豆子ちゃんを含めて伊之助を除いた四人での討伐任務。むしろこの四人、三角関係などではなくひたすら一方通行なのでは? しかし案外そういうわけでもないようだと私は思い知ることになる。
「禰豆子ちゃんっ!」
彼女の危機に私が叫べば、眠った善逸が禰豆子を庇った。
ーーズキッ
ああ、無意識下なのにその子のためならそんな格好良いことしちゃうんだね、貴方は。
鬼を倒した後、お礼を伝えようとする禰豆子と目を覚ましてデレデレする善逸のイチャイチャを見せ付けられて、心此処にあらずな状態の自分の顔なんて見たくもない。炭治郎だって見たくなかったろう。だけど私の周りの世界はどうにも悪魔あたりが支配しているらしい。
「吐きそう」
小さな吐露。自分の思ったよりふてぶてしい声音が聞こえて、反射的に周りを確認すれば、私の声を拾ったのは黄色い奴ではなく炭治郎だった。底抜けの優しさの化身である彼に汚れた言葉を聞かせてしまったことを苛んだ。でも違うの。善逸と禰豆子が仲良しで私も良かったのは本当。だけど、自分の制御の及ばないところで黒い感情が増殖していって、それは紛れもなく私の一部で、そのことに吐きそうになるの。善逸も禰豆子も笑顔いっぱいのこんなにも楽しげで微笑ましい光景がそうさせるなんておかしいでしょう。狂ってるのは私だけなの。私だけが異質なの。
一体どんな匂いを嗅ぎ取ったのか、炭治郎がそっと手を握ってくれた。『俺がいるよ』、優しい目でそう語りかけてくる炭治郎を一瞥して、また再び善逸達を眺めた。炭治郎の手はとても暖かいのに。炭治郎の目は底抜けに優しいのに。その目に宿っている熱は私の中のそれとは調和し得ないのだ。ああ、終わらない。黄色い彼へ焦がす恋が、終わらない。どうしてだろうね。でも、どうしようもないの。だから、、
「ごめん。…ごめんね炭治郎。ごめんね」
「……いつか、その目が俺に向けられるんじゃないかって期待してた」
「…」
「でも、俺じゃ駄目なんだな? 俺じゃ名前を幸せに出来ないのか?」
涙が止まらないし、こんな良い男にここまで口説かれても私はあの残酷な黄色から目が離せない。酷い女だね、今までたくさん傷つけてきたね、ごめん炭治郎。
「私、炭治郎となら幸せになれると思う。あなたはとっても優しい人だから共に年老いていく想像さえ出来るよ。でも…ごめん。私は…幸せになれなくてもいいから、ずっと地獄でも構わないから、善逸のそばに居たいの」
せめてあなたを最悪な恋から解放してあげなくちゃ、いい加減自己嫌悪でどうにかなりそうだもの。
「名前…」
ようやく動かせた視界の隅に、傷付いた顔をした炭治郎が映った。世界一優しい男の子を傷つけた罪も、私が背負うよ。償えないほどの罪にまみれても、私の想いは汚されずにいるはずだ。そう信じて、すう、といつもより多く息を吸う。
「私は、私の人生をかけて我妻善逸を愛しぬきます!」
当然その言葉を拾った善逸は驚いたように振り向いた。なんだか今日始めてまともに目を合わせた気がする。
長い沈黙を破ったのは炭治郎で、禰豆子を連れて先に帰路へと足を踏み出してくれる。その際、私と炭治郎はしっかりと目で意思疎通をした。炭治郎。……炭治郎。ありがとう。炭治郎のこと、大好きだよ。
禰豆子を連れ去られた善逸は「禰豆子ちゃあん……」と見るからに名残惜しそうに手を伸ばしていて、私はまた勝手に傷ついてしまう。こんなにも私の心を傷だらけに出来るのは善逸だけ。私の心はもうボロボロだった。勝手に恋して勝手に傷ついて、まるで馬鹿みたいだけれど、きっとこれこそが私の人生なんだと誇りを持って言えるんだ。不思議だね、ただ善逸が好きってことが、訳もなく誇らしいの私。
「善逸、私はこの恋の終わらせ方を知らない。だから優しい善逸を辛くさせるかもしれない。私も善逸を見る度にボロボロになってくかも。…それでも、私は貴方を見ていたい。出来るだけ近くで。善逸だけを」
ああ、待って。泣かないように我慢しているのだから、どうか俯かないで。
「…炭治郎は、」
「炭治郎は良い男だよ」
「…!」
「でも私は! 私は…善逸じゃないと駄目だよ。だけど善逸は私じゃ駄目なんでしょ?」
ああ、もう泣いていいですか? こんなに弱い私だから、善逸を振り向かせられないんだろうな。
「だからせめて、善逸は善逸らしく生きてよ。それが、私の恋の唯一の生きる道だから。私はね、私の恋を殺さないように、誰にも触れさせないように、これからもずっと善逸だけを見てるよ。……善逸がすき」
「炭治郎は良いやつだよ。俺より強いし、名前に相応しいんじゃない?」
「…そうかもしれない。でも私は善逸がいいの」
「…名前、」
「分かってる。ちゃんと分かってるから! だから早く、」
ちゃんとはっきり断ってよ。
「お願い」
伸ばしたこの手は貴方の視界に入らない。苦しくて堪らないから、何度もこの恋の息の根を止めようとして。死にかけては失敗してこの目が貴方を捉えてしまう。そうすればもう私には止められない。制御出来なくなっていく貴方への想いが私に夢を見せるけれど、同じ夢を貴方は見てくれないでしょう。ねぇ、聞こえてる? 日に日に膨張していく破裂しそうなこの"音"。
「お願い」
みんな私を美しいと目で追う。けれど貴方が振り向いてくれなければ美貌なんて意味が無い。夜空に輝く星より長い命も、永遠の美しさも望まないのに。貴方だけがどうしても手に入らない。例え一国のお姫様になれたとしても、例え世界を思い通りにすることが出来たとしても。貴方がいなくちゃ何も無いのと同じ。私はどうやったって満たされっこない。貴方さえ居ればそれでいいのに。それが私のたった一つの望みなのに。
「ごめんね、名前。俺、禰豆子ちゃんが好きだよ」
ねぇ。
「…うん、」
どうすれば、貴方も私を想ってくれるの?
それからみっともない笑顔を取り繕っていた私は、善逸の聴力の及ばないところで麓の鳥達が一斉に飛び立つほどの大泣きをした。
「ねえ炭治郎、私、諦め悪いんだ」
「ああ、俺もだよ」
炭治郎。どうか今だけは私に優しくしないでほしい。フられた女のボロボロな心につけ込むなんてちょっと狡いんじゃないの、炭治郎? あなたにドロドロに優しく癒やされてしまったら、さすがの私だって今だけは心揺れてしまいそうだから。私の恋心がすり替わってしまいそうだから。こんな目に遭っても私は、善逸を好きでいたいんだもの。馬鹿だよね。どうかそう笑って欲しい。
「炭治郎」
「ん」
「あのね、」
今、世界がちょっとだけ私に笑いかけたんだよ。
fin.
一部、Never Enough/Loren Allredをイメージ曲にして書きました。
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