君が私を忘れても、私は君を嫌いになれない

 私のことを「名前ちゃん」と呼んだ彼。善逸と同じ、だけどやっぱりどこか違う気もするその人と見つめ合うこと数分。これは現実だと理解するまでの時間。肌を撫でる風の温度が低い。季節が変わっているんだろう。

「久しぶり」
「え…ええええっ!? ……本当に名前ちゃんなのぉっ!? もうすっごい心配したんだよぉぉおお!?」

 心配してくれたんだ。そうよね。善逸くんは優しいもの。

「そっかあ……。心配かけちゃって、ごめんね」

 どうして私こんなに怯えてるの。ーーだって善逸くんをまた好きになるかもって。いや、まだ好きだけど。善逸よりも善逸くんを選んじゃうかもって。善逸と約束したじゃない、必ず答えを掴み取るんだ。覚悟を決めろ。

「あのね、善逸くん。私、ある約束をして此処こっちに来たの」
「約束?」
「その人に胸を張って『好きです』って言う為に戻ってきたの」
「……そうなんだ」

 善逸くんはどういう感情か読み取れない顔で言った。ああどうしてなの。あんなに大好きだった善逸くんなのに。私は、今こうしている時も善逸に会いたがっているんだ。会えるなら、今にもかけ出してしまいたいほどに。長い間水やりをしなかったから枯れてしまったのだろうか、善逸くんへの恋の花。

「そういえばその格好は?」

 今は昼休みらしい。屋上に現れた私を偶然か必然か居合わせた善逸くんが手を引くままに着いて歩いている。

「え? ……ああ、」

 そういえばこれはあっちの服装だから、こっちでは目立つかもしれない。でも着替えなんて持っていない。まあそれは後で考えよう。なんて考え事をしていたら善逸くんに引っ張られて彼の胸に衝突した。

「……え、」

 急に高鳴り出す心臓をこらえて彼を見上げれば、廊下の先を睨んでいる。どうやら騒いでいた男子生徒達にぶつからないように避けさせてくれたらしい。それが分かったからといってこの高鳴りが治まるわけではな……ん、治まった。おかしいな。いつもならしばらくドキドキしているのに。ましてや未だに身体は密着しているのに。急で驚いたけど、善逸くんの優しさには何度も勘違いさせられていたから慣れたのだろうか。それとももしかして、善逸ではないから、なのか……?

「あのっ…名前ちゃん、近いよ…!」
「え? ああ、ごめんね?」

 無意識に至近距離で善逸くんを睨みつけながら考えていたようだ。やっぱりこういうのは心臓に悪いなあと思う反面、善逸ではないことに残念な顔をする私がいた。
 悶々と考えながら、騒がしい廊下から閑静な渡り廊下を通って空き教室を開けた。よく風紀委員集会が行われる教室だ。しかしそこにはドッペルゲンガーがいた。

「「きゃあああっ!!」」

 善逸くんが咄嗟に顔を歪めて自身の耳を塞いだ。ごめんなさい。至近距離で同じ声と同じ感情でこれだけ叫ばれたら波の干渉も相俟って耳の良い彼のことだからそりゃあ耳が痛いだろう。でも自分と同じ顔の人間が目の前に居るのって結構なホラーなのだ。叫ばずにはいられない。そのドッペルゲンガーは私そっくりで、私と入れ替わりこっちの世界に来てしまった、あちらの世界の私だと頭では理解出来るのだけれど。やはり奇妙この上ない、というかはっきり言って気味が悪い。

「我妻くん、」

 "我妻くん"かあ。私も最初の頃はそう呼んでたなあ。懐かしく思ってもう一人の私を眺める。でも、善逸くんが「名前ちゃん」と私を呼ぶ度に、何だろう、もう一人の私が辛そうな顔をするのが引っかかる。

「苗字さん」
「えっ」
「どうしたの? 名前ちゃん」
「う、ううん、何でも、ないよ」

 善逸くんも私と同じように、呼び方を変えてくれていたんだね。でも苗字で呼び合うこの二人、なんだかよそよそしいような。善逸くんそれこそ最初から私のこと「名前ちゃん」って呼んでいたのにどうして。それに善逸くんが私のことを呼ぶ度に辛そうな顔をするもう一人の私。ねえ、どうしてそんな顔するの。善逸くんも気付いてるんでしょう? どうして"聞こえないフリ"なんかしてるの……。

 不可解な二人の様子に頭を巡らせながらも、日が暮れたので下校時間だ。互いの情報交換は済んだ。私はまだこっちに要る必要があることを説明すると、もう一人の私と自宅に帰ることになった。今更生き別れた双子の設定は苦しいので、私は事務の鱗滝さんに借りたお面をつけたのだった。
 夕食時、もう一人の私には部屋で待機して貰い、私は久方ぶりの家族団欒を味わった。夕食が終わった後、怪しまれながらも夜食だと言い張ってよそったご飯をもう一人の私のために2階へ運ぶ。一人部屋で良かったな。まるで親に隠れて子犬をかくまっているようだ。

 それからは上手いことやっていると思う。何枚かある制服を着て登校し、洗濯はこっそりしたりクリーニングに出したり。それだけ長く過ごせば、善逸くんともう一人の私の両片想いに気づくのは簡単だった。
 そっか。もう一人の私は善逸くんのことを好きになったんだ。だから私のことを名前で呼ぶ善逸くんを見て辛そうな顔をしたんだ。本当は名前で呼んで欲しいんだね。分かるよ。流石はもう一人の私だ。私は善逸が好き。目の前の私は善逸くんを好き。そう思えばなんだか愛おしく感じられるかもしれない。

「…?」

 あちらは未だに顔を歪めているけれど。きっと私に嫉妬しているんだろうなあ。お門違いなのに。

「私ね、貴女がいた世界に行って、その世界に居る我妻善逸を好きになったの。同じ顔だけど、違う人を好きになったんだよ」
「ほんと…!?」
「でも苗字名前は二人とも、我妻善逸を好きになったなんて、すごく運命感じるね」

 ようやく「そうだね」と微笑んでくれた。私ってこんな可愛いっけ?



 その夜、今度は私が部屋でかくまわれて待機する番だった。夜空を眺めて思い浮かべるのは善逸のこと。

「善逸に、会いたいなあ…」

 家族に会えたのは嬉しいし、この家も懐かしい。それでもやっぱり心が満たされないのは、ぽっかり穴が空いているのは、善逸がいないから。私って、こんなに善逸が好きだったんだなあ。それなのにあんなに素直じゃなかった自分が信じられない。もう充分じゃないか。私は善逸くんの代わりなんかじゃなくて、ちゃんと善逸自身を好きになっていて、善逸じゃなきゃ駄目なんだって分かったから。帰れたら、素直になるから。善逸に好きっていっぱい伝えるから。

「善逸に会いたいよぉ…」

 いくら涙を流しても意味は無い。でもこんなに溢れそうな想いを、聞いて欲しい人がそばに居ないからパンクしそうだよ。どうすれば帰れるの……?



 もう一人の私も悩んでいた。空き教室で話を聞けば、善逸くんを好きになっていいのか分からないと言い出す始末。もう苦笑いを禁じ得ない。

「あのね、悩む以前にもう既に好きになってるから!! ぞっこんじゃん!! 認めなさいよ!! それと、人を好きになるのは自由だし、むしろあの善逸くんが告白されて嫌な顔するわけないじゃん!! はい、悩むだけ無駄! 分かった?」

 同族嫌悪とはまさにこのことだろう。むしろ似過ぎていて悪寒がするレベルだ。うじうじうじうじと。伊之助があんなこと言う気持ちが分かったわ。

「でも、我妻くんは禰豆子ちゃんが好きみたいだし、」
「だから何? 関係無いじゃん」

 どの口が言えたものか、ここぞとばかりに昔の自分を虐げていた。

「でも私のこと苗字で呼ぶし…」

 そう。問題は善逸くんなのだ。見ていれば分かる。善逸くんだってもう一人の私が好きなはずなのに、善逸のように告白やら求婚しないのは何故だろう。もしかして私に遠慮していたりする?
 ふと、何か違和感を感じて、直感を信じた私は適当に理由をつけてもう一人の私を部屋から追い出した。

「で? 何で隠れてるの善逸くん?」

 離れた机の下には黄色い蒲公英が隠れていた。どうしてこんな人を好きになったのだろうかと溜め息を吐いてしまうくらいにはマヌケだ。

「あ、あは…。その、つい…」
「……よく我慢したね」
「……ねえちょっと、その目! なんかやだ! どういう感情?」
「感心と軽蔑かな」
「複雑!!」

 だって本当にもう一人の私のこと好きなら、あそこで飛び出してもいいんじゃないのって思っちゃったからさ。

「名前ちゃん、何か変わったよね。吹っ切れた感じっていうか、逞しくなったっていうか…」

 そうかもしれない。実際、あっちの世界に行ってから化けの皮が剥がれたというか、猫なんて被れるような平和な世界じゃなかったから。でもとりあえずポジティブに受け取っておこう。

「ねえ、名前だけでも呼んであげてくれない?」
「名前?」
「あの子気にしてるからさ」

 あれ、なんで私、こいつらの恋愛相談なんてのってるんだろう。元はといえば自分の恋路のためにやってきたはずなのに。へんなの。

「俺、ほんとに苗字さ…、名前が好きなんだ」

 ドキ。

「し、知ってる!」

 何よドキって!! 私がときめいてちゃ駄目じゃないか!! いやでも不可抗力っ! だって善逸と同じ人だしっ……! いやいやしっかりしろ、私! 初恋にけりをつけるために戻ってきたんでしょう。

「私じゃなくて本人に言うの!」
「わ、分かってるけどさぁっ…!」
「善逸くん。善逸はね、私が何度突っぱねても、何度でも『結婚して』って言ってくれたんだよ」
「けけけ結婚っ!?」
「私からもキスしたり思わせぶりなことしたせいもあるかもしれないけど、全っ然諦めないんだよ。善逸の必死さったらないの。もう笑っちゃうよほんと。見せてあげたいくらいしつこいんだから」
「……ほんとに好きなんだね」

 その時私がどんな顔をしていたのか分からないけれど、善逸くんが言っているのは"善逸が私を"ではなく"私が善逸を"の方なのだと悟ったので、曖昧に笑ってごまかした。だって恥ずかしいから。
 善逸はある意味、私よりも一途の秘訣を知っていたのかもしれない。諦めないっていう一番大事なことを。だから私も諦めない。必ず帰るよ。

「名前ちゃんは、本当にまた行っちゃうの?」

 私は王子様の唇を無理矢理奪った人魚姫。人魚には戻れない。この世界では生きられない。だから、鬼が蔓延はびこる世界に帰って翼の生えた変な女の子として生きるの。だって、唇を奪ったからには責任を取らないと、あの人が泣いちゃうでしょう。


+++


 無限城から帰ったら、名前がいなかった。アオイちゃんも皆も知らないという。元の世界へ帰ったのかもしれない。一方的に約束を告げた、直後だったから。

「我妻、良い男になったな」

 村田さんが言う。名前が居ないんじゃ、そんなの意味無いのに。がむしゃらに任務をこなして気付けば裏腹に俺の力量は磨き上げられていく。自分でも分かる。以前より格段に強くなっている。

「名前、帰ってきてよ…」

 でも、君がいなきゃ、俺は駄目になりそうだよ。


+++



 一段落したところで、帰る方法を探していた。こちらにきた時の条件を整理してみようと思う。真っ昼間、太陽が真上にきた時分、快晴、日向ぼっこ?、翼……。

「翼!」

 そこで私はようやく思い出した。こちらの世界に戻ってきてから翼を仕舞った記憶がないことを。そして翼を出そうとした。けれど。

「嘘…」

 翼がなくなっている。いや、なくなったのとは少し違う。出なくなっている? ならこちらの世界でもう一度翼を解放する必要があるということ? でもどうやって?
 あっちの世界で翼が出たのは満月の夜。つまり……。



 満月の夜に家を抜け出して学校の校庭で月光浴をしてみるけれど効果無し。条件が足りないのかもしれない。満月の他には……、鬼……? いや、鬼は流石に。……善逸、くん? あの夜そばに善逸が居た。試してみよう、善逸くんには悪いけれど。

 そして、次の満月。

「ええええっ!? 名前ちゃんそれっ…、翼じゃない! どこから出したの!?」

 よし。あとは、きっと待つだけだ。あちらの世界の正午とこちらの世界が噛み合うその瞬間を。その時に太陽の下に居ればいい。女のカンはきっと当たるし、戻れる予感がしてすぐに戻ってこれたんだから、その日も必ず分かるはず。
 そういえば、セーラー服って翼で破けても隠れるから便利かもしれない。うん、あっちに戻ったらセーラー服を参考に自分の服を……、

「ねえ無視はいやだよぉおおおっ!!」

 あらら、ごめんね。ああやっぱりお別れってなると寂しいなあ。泣いてすがりつく善逸くんの手を取って、「帰ろう」と笑いかけた。もうすぐ帰るからね、善逸、待ってて。



 そうしてようやく待ちに待ったその時がきた。

「今日だ」

 あれから念の為毎日善逸くんを付き合わせて昼休みに屋上で翼を広げて待機してきた。もう一人の私が嫉妬するだろうことは私が一番分かっているので、三人で。

 自らの羽根をむしって善逸くんへと差し出した。首を傾げた彼の手を取ってそれを握らせて、私は後悔しないように言葉を残す。

「帰るために協力してくれてありがとう、善逸くん」
「"帰る"、か…。もう会えないの?」
「待ってくれてるかは分かんないけど、必ず帰るって約束したから」
「…俺ならきっと待つよ」
「、…ありがとう。大好きでした、善逸くん。貴方の未来に私は居ないけど、私との思い出は忘れないでくれたら嬉しいな…。私も忘れないよ、初恋だったから」
「っえ!? はつこ…!?」

 もう一人の私が驚いた顔をした後睨んできたので苦笑い。我ながら嫉妬深いなあ。こっちの禰豆子ちゃんは苦労するかもしれない。いや、苦労するのは善逸くんの方か。でもね、昔の私の本気の全力の恋だったのは間違いないの。確かに恋だったの。だからね、終わりにするための告白なの。
 ちょうど真上に登った太陽が私を照りつければ条件は整った。羽ばたいた翼は光り輝き、あまりの熱に私は意識を失うという段取りだ。

「名前ちゃんっ!! 俺もっ…、俺も好きだったんだ!! 君のこと…!! 名前ちゃ……!!」

 意識を手放す直前、必死な善逸くんの顔は幻覚かもしれない。聞こえた善逸くんの声は幻聴かもしれない。それでもいい。私の初恋は実らなかったけれど、少なくとも幸せな初恋だったのだから。貴方を好きになって良かった。善逸くん、ありがとう。ありがとう。
 さあ、善逸の元へ、帰らなければ。帰る場所は無いかもしれない。善逸と禰豆子は既に結婚しているかもしれない。それでも約束したから。私は、後悔しない。善逸が生きる世界に居られるのなら、私は身を削ってでもあそこに帰る。


+++


 気が付くと、右手に白い羽根を握っていた。何の羽根だろうか。白鳥にしてもあまりに純白のそれを、俺は訳も分からず抱き締めた。

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