天使の慟哭は無力と知れ

 独特の呼吸法を使う善逸の目からは諦めない意志が見てとれた。私も、待ってるだけじゃ駄目だ。だけど善逸を一人こんなところに置いていくことなんて出来ない。つまり、これしかない。

「うっわっ、……」

 あまりの重さにびっくりしたけれど、多分単に翼に慣れていないだけだ。善逸を抱えてたった数m浮いたとき、ちょうかたどったような女性が前方を阻んだ。

「あらあら、まだ彼を天国へ連れて逝かないで下さい、天使さん……って、名前! その翼……いえ、とにかく彼を下へ」

 この世界に来て、初めて自分を知っている人に出会えた。けど私はこの人を知らない。詳しく聞かなきゃとか、貴女は誰だとか、何もーーもう何も考えられなかった。善逸を助けてーーただそれだけが願いだった。そう、まずは下ろさなければ。

「善逸、」

 地上に降下しながら顔を覗き込んで、脂汗あぶらあせを流し苦しそうに歪んだ彼の表情に私の方がいつもの善逸みたいに泣き喚きたくなった。蝶の女の人は無駄の無い所作しょさで注射器を用意し、一瞬の躊躇いも無くそれを善逸に打ち込んだ。

「大丈夫、恐らく彼には後遺症は残らないでしょう」

 そう言って彼女は私にその注射器と薬を託し、他の鬼を倒しに行ってしまった。それから私は何度も善逸を気にしつつ、毒に侵された隊士に注射を打って回った。見える範囲では粗方あらかた対処し終えた頃、隊服を纏い覆面をした集団が現れたのだった。


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 満月が西へと沈み、反対の方角から太陽が登ってくる。戦いの終わりを告げる朝がきた。そしてぐるぐる巻きにされた俺の隣に、何故か天使が居る。朝日を浴びて真っ白に輝く翼、慈愛に満ちた優しげな表情、それらはまさしく天使のものだった。ああそうか、天使って居たのか。

「はぁ…善逸、…善逸」

 俺の意識が浮上していることに気付かない天使……もとい名前は綺麗に畳まれた俺の羽織りを抱き締め、まるで恋人同士みたいにぴとりと寄り添って俺に負担が無い程度に顔を擦り付けた。え、……ええええええーーー!? なにこれなにこの子。くそ可愛いんですけどー! 身動みうごき出来る状態なら抱き締めてるんですけどーー! ぃいやあああーーー誰かやめさせてぇーーー! 無理無理無理ぃいーーーっ!!

「っ、善逸…!」
「名前…大丈夫?」
「っ…、バカ! 善逸が! 死ぬとこだったの!! 分かる!? あんなに無茶してほんっとに馬鹿野郎だよ。……本当に本当に怖かったんだからぁ」

 善逸が死んじゃったら私生きていけない、という細い声の呟きもしっかり俺の耳に届いた。

「ごめんな。でも名前が無事で安心した」
「ん…善逸も。生きててくれてありがとう。痛かったよね。苦しかったよね。よく頑張ったねぇ。それから、守ってくれてありがとう。あのね善逸、凄く…かっこ良かったよ」

 顔を真っ赤に染めて泣きながらも必死に言葉を紡いでいた名前は心底安心したように笑って、朝日に照らされたその笑顔は紛れもなく天使だった。

 隠の人達にどこかに運ばれる間も、名前は俺から一時も離れようとしなかった。炭治郎と伊之助も大怪我だが生きているらしい、良かった。でも俺は天使に見つめられてずっと居心地が悪かった。
 どうやら翼の仕舞い方が分からないらしい名前は、道中すれ違う人達に「ただの作り物です」と取り繕っていた。少し……いやかなり無理があると思う。だって日の光を吸収するようにあれだけ光り輝いてしまっているのだから。当然、うずくまり拝み出す人も居て、隠の人達から迷惑そうな"音"が漏れ出していた。


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 鬼殺隊の医療施設でもあるらしい蝶屋敷という場所に着いて、善逸をここまで運んでくれた隠の人達と一緒にお邪魔した。

「「「名前さん!」」」
「え?」

 まただ。知らない人に名前を呼ばれた。しかも三人同時に。三つ子かな……? そう言えば蝶のような女の人も私のことを知ってそうだった。

「名前!? 帰ってこないから心配したのよ! 一体今までどこで何してたの!? っていうかその翼はどういうこと!?」

 奥からパタパタと出て来た青い目の女の子が私につかみかからんばかりの勢いで責め立てる。

「ちょっと聞いてるの!?」
「えっと…、どなたですか?」

 嫌な沈黙が流れ、彼女の体がゆっくりと脱力していく様を眺めていると、私が善逸を心配そうにチラチラ見る仕草に気付いたのか中へ通してくれた。

「中へ」
「え、はい…善逸をお願いします」
「こちらです」

 出迎えてくれた三つ子が若干私を気にしつつも善逸をおぶっている隠の人を誘導してくれた。

「やっと帰ってきたと思ったら記憶喪失。一体どれだけ心配かければ気が済むのよあんたは」

 青い目の女の子はそう捨て台詞を吐いてからきびすを返して行ってしまった。



 その後部屋で落ち着きなく待機していると治療を終えた善逸と伊之助が運ばれてきた。

「善逸っ、伊之助も、良かったぁ…」

 先程の青い目の女の子ーーアオイちゃんという子が善逸に薬の服用について説明すれば嫌々と駄々をこねる彼にアオイちゃんが何度も叱りつける。なるほど学級委員長タイプかこの子は。善逸は苦手な女の子みたいだけど、私にはお似合いのカップルのように見えてしまうのは末期なのだろうか。
 騒がしくなってきたところで、炭治郎も戻ってきた。だけど生傷そのままな状態が丸分かりで私は眉をひそめた。早く治療してあげて欲しい。そう思っていたら「名前、ありがとうな」と嬉しそうにお礼を言ってきた。本当にこの人は。
 柱合会議で禰豆子の身の安全は保証されたそうだ。しかし禰豆子が一向に目を覚まさないのが心配だ。炭治郎の話によれば、致命傷を負いすぎたらしい。致命傷といってもあくまで人間基準だが。禰豆子は睡眠で体力を回復するから、普通の鬼よりも時間がかかるそうだ。そう話す炭治郎から、禰豆子をそそのかすように傷付けた柱の人への怒りがひしひしと伝わってきた。

 その日、私はアオイちゃんとの相部屋で、翼を畳み込んでうずくまるようにして眠った。昨夜までは、襖一枚隔てた隣の部屋に男の子三人が居たのに、今は完全に女の子と二人きりで変な感じだった。

「ねえ、アオイ…ちゃん、」
「…本当に覚えてないのね。ちゃん付けはやめてくれる」
「えと…、でも」

 だって、貴女にとっての苗字名前は私じゃないんでしょう?

「…」
「…お休みなさい」

 明日ちゃんと話せたらいいな、と思いながら眠りに付いた。



「まず深呼吸。太陽の光を取り込むようなイメージで息を吐きながら翼を折り畳んでみましょう」

 次の日、胡蝶しのぶと名乗ったあの蝶のような女性が、まず目下の問題である『出したものを仕舞うこと』に対する助言をして下さって、ようやく翼を背中に仕舞えた。どうやら私は特異体質というやつらしい。体から翼を生やすのを、そんな言葉一つで片付けていいものか些か疑問である。我ながら、どういう身体の造りなのか不安にもなる。が、特に言及げんきゅうしてくる者はいない。この世界では何でも有りなのだろうか。まあ人が鬼に成る時点で色々とおかしいのかもしれないが。
 それにしても。さっきから何か、何かひっかかる。何か思い出せそうなんだけどなあ、なんだかなあ。

「太陽や月の光を吸収して翼が出現するようです。恐らく新月や三日月の夜は出ません。今後は出し戻しを制御出来るように努力して下さいね」

 そうだこの蝶の髪飾り、どこかで見覚えがあるような……、はっ!

「っあーーーーーっ!!」

 思い出した!! 胡蝶先輩だ!! 学園三大美少女の一人の!!

「……どうかされました?」
「……いえ、何でもありません」

 叫んでしまってから咄嗟に自らの口を塞ぐが既に後の祭りで。

「その耳は飾りなんでしょうか? 先程から上の空のようですが、貴女の話をしているんですよ」
「はい……」

 恐い恐い恐い恐い! すこぶるこわい。笑顔なのに額の血管が浮き出ている。今にもブチッという血管が切れる音が聞こえてきそうである。

「さて。それでは次に頭の方ですが……、アオイから記憶喪失と伺いました」
「それは……、」
「知ってることを全て話して下さい」

 胡蝶先輩とは一度も会話したことはないけれど、胡蝶さんは会話で相手より優位に立つのが上手い方なんだな。それが悪いこととは言わないけれど、少し苦手なタイプだ。

「……なるほど、神隠しですか。しかも別世界の貴女とこの世界の貴女が入れ替わったと…?」
「そうじゃないかと思っています。この世界に来たとき私は覚えの無い着物を着ていたので、記憶や意識だけがこちらに来たかと」

 胡蝶さんは頭が良い。まず同一人物が違う人生を歩んでいることから時代のタイムスリップもしくは別世界と捉えたこと、次にその条件と状況を説明すれば、しっかり意をみ取ってくれるという状況把握能力の高さ。高スペック過ぎない?

「……、分かりました。それでは、入れ替わる以前のこちらの名前の生活についてご説明しましょう」
「助かります」

 そうして、私はとりあえずこの世界の苗字名前として生活してみることにした。同じ空間に居たアオイは最後まで黙って聞いていた。そしてアオイに指導・鞭撻されながら慣れない仕事を覚えていった。


+++


 ここまで四六時中一緒に過ごしていた名前は、屋敷の仕事で忙しいのか一日にたった数回しか顔を見せに来なくなった。それも包帯を替えたり水を取り替えにくるために。なんだか少し寂しい。ずっと俺のそばに居て欲しいなんて我儘わがままだろうか。
 名前は別の世界もしくは未来から来た。この世界に来て初めて会ったのは恐らく俺だと思う。あの時は名前を知られていたから驚いたな。世界を移動なんてとんでもない話だけど嘘の音はしなかった。というか今考えてみると、あっちの世界の俺は名前とよろしくやっていたってことか? なんだそれ、羨ましいなちくしょう。でもだからこそ名前はそっちの世界の俺のものっていう認識が拭えなくて。名前がちゃんと俺のことを想ってくれてるのは"音"で分かるけど、やっぱりいつか帰るかもしれないだろ? その時俺の存在って邪魔でしかなくないか? 自分でも、違う世界の自分に遠慮するなんて気持ち悪いと思うけど、世界飛び越えてきちゃってるからねあの子、とんでもない名前だよ、ほんと。俺なんかには手に負えないんだよ、きっと。それに君がこれからこの屋敷で過ごすなら、もう俺が守る必要はないから。いや、那田蜘蛛山でも守った覚えは無いんだけどもね。ただ、たまに君の笑顔が見れればいいと、それだけ夜空に願う。
 窓から見上げた月は右側が僅かに欠けている。静かな夜なのに、いつも子守歌のようになっていた名前の眠っている"音"が全く聞こえなくて、ひたすらに違和感を抱いていた。

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