欲望を飼い殺す

 私はなかなかに大きな悩みを抱えていた。アオイが心を開いてくれない。そっけない。冷たい。そもそも性格なのか、アオイは誰にでもああいう態度だけれど、私はもっと仲良くなりたいのに。もっと……彼女の世界に入りたい、と思う。

 毎日、善逸の容体ようだいを確認する目的を隠すように、水差しを入れ替えたりシーツを替えに彼等の部屋へ訪れる。

「えっ、まだ飲んでなかったの善逸!?」

 苦い薬を飲むのを嫌がり躊躇ためらい続けて、遂に次の薬の時間まで持ち越してしまったらしい。私に助けを求めるように目を潤ませてチワワのごとく見つめてきた。

「ねえ名前、薬飲む間手ぇ握っててくれない? 手を握ってくれるだけでいいからさァ!! ねえ!?」

 涙だけでなく鼻水まで垂れているというのに、そのフェロモン的な尊いそれは私の庇護欲的な琴線に触れたらしい。咄嗟に自らの鼻を抑えながら鼻声で精一杯毅然として断る。別に興奮したわけじゃなくて、断じて変態じゃないけど、何かとにかく可愛い過ぎて辛いです。何なの本当この男の子は。あざと過ぎる、わざとやってるでしょ、絶対。負けるな、私!!

「っ……ごめんね善逸。他にも回らないといけない部屋があるから」

 私の挙動不審も気にならない程大きいらしいショックを受けた様子の善逸に悲しくなりながらも、叫んで駄々をこね始めて面倒くさくなる前にといそいそと退室しようとした……が、失敗。いや失敗というかこれはもう十中八九、惚れた弱味というやつで。
 私は溜め息を吐きながらも内心はドキドキしながら好きな男の子の手を取った。すると自分から言い出したというのに、途端に顔を赤く染めてしまうこの男の子が愛おしくて苦しくなってくる。ああダメだよ、これ以上溺れさせないでよ。(嘘、いっそ貴方のことしか考えられなくなればいい。)だって、こんな甘い呼吸困難の治し方は知らないもの。恋につける薬は無いってよく云うでしょう。ああそうか、私、"恋"してるんだなぁ。

「名前のこの音、俺好きだよ」

 ぎゅ、と握る力が強められたと同時に与えられた言葉は刹那、私の思考を停止させる。見つめていたその、私の大好きな双眼が優しくなる瞬間を目撃した。あーあ、伏し目がちにそんな嬉しそうな顔されたらこっちはたまらないというのに。にやけそうになる表情筋に無意識にストップをかけていたことで乙女にあるまじき顔になっているのかもしれないと気づいたのは、善逸が我慢出来ないといった風に吹き出したからで。

「ちょっ…!! 女の子の顔見て吹き出すなんて信じられない!!」
「だってだって!! 顔真っ赤でタコみたいな顔してたんだもん……ぷくくーっ」

 むきーーっと怒った風にじゃれあいながら、この感じを懐かしく感じていた。実際、以前ほど彼や彼らと時間を共有することが出来なくなったのも、もう一つの悩みだ。別に喧嘩とかしているわけじゃない。私は容量が悪いため慣れない仕事に時間がかかっていた。でも、私に与えられた、こんな私にでも出来ること、役立てることならやりたいから。

「ねぇ、」

 一頻ひとしきり笑った後。おもむろに空気を替え、言いづらそうに善逸が声をかけてきた。「なあに」と返事をすれば、「何か悩んでるの? 昨日からずっとうわそらだよね?」と問う。アオイとのことを打ち明けようかしまいか逡巡していると、何を勘違いしたのか善逸が勝手に騒ぎ出した。

「まさか俺のことかな!? やっぱり!? 名前もようやく自分の気持ちに素直になったんだねー!!」

 今日も変わらず善逸の頭はお花畑のようで何よりだ。

「……名前、今何考えてる?」
「え、善逸の頭が相変わらず……前向きだなあって」
「言い換えても無駄だから!! 失礼なこと思ってるのバレバレだし今の言葉でなんとなく察しちゃったからね!!」
「落ち着いてよ。頭にお花畑があるのは善逸の長所でもあるから」
「ちょっとおおぉォオ!? せっかくさっきオブラートに包んだのに俺の心をナイフでぶっ刺してきたよこの子!! しかも無自覚かよ!! これだから天然は嫌だ!!」

 喚き散らして興奮状態のまま「ア゛ァアアアアア」と無意味に叫び出す善逸をなんとかなだめめて、アオイについての相談事をしようと口を開いた刹那。

「みなさん、薬のお時間です。善逸さんもちゃんと飲んで下さいね」

 アオイが薬の時間を知らせにやってきた。もうそんな時間か。ってゆーか善逸結局さっきの分飲んでないけど、二回分ちゃんと飲むのかな……。

「飲みますよぉ、そりゃ飲みますけども!! この苦いの何とかならないわけ!?」
「何度も何度も同じことを。いい加減、…ちょっと、さっきの分飲まなかったんですか!? ちゃんと薬を飲まないと治らないって言ってるでしょう!!」

 やっぱり私には仲良しに見えてしまう二人の攻防戦を眺めながら、私は妙案を思い付いて口にした。

「ねぇ……オブラートに包めば?」
「……名前、今何て?」

 え、だって善逸がさっき言ったじゃん。ということはこの世界にもオブラートはあるんだよね。じゃあオブラートの有効な使い方をすればいいじゃないか。それとも高級だったりするのだろうか。

「もしかして、高級で手に入らないとか?」
「いいえ、それ程高いものじゃないわ。でもその発想はなかった……。さすが名前ね」

 『さすが名前ね』、『さすが名前ね』、『さすが名前ね』……何度も脳内でリピートされ、事実と判断されれば私は有頂天になりここ最近の悩みは忽然こつぜんと吹っ飛んだ。ここだけの話、我ながらチョロい奴だなと思った。



「ではそろそろ機能回復訓練に入りましょうか」

 蝶屋敷での生活も慣れてきた頃、しのぶさん直々に三人を問診した。美人すぎるしのぶさんをガン見しながら顔を赤らめる善逸に部屋の隅で頬を膨らませる私。部屋を出ようとしてそれに気付いた伊之助が慰めるように私の頭をなでなでしたので、驚きながらも素直に甘えさせて貰うことにした私が伊之助と共に部屋を出ようとしたことに反応したのは勿論彼で。

「あ゛!! おいこら伊之助!! 名前から離れろぉおーーっ!」

 善逸は私と伊之助を力ずくで引き離した。嫉妬の悲しみを抱えたまま睨み上げればビクッと怯む善逸に、また勝手に独りで傷付いて私は憤慨している伊之助の手をひいた。しのぶさんに一応退室を断ってから部屋を出た。

「あらあら、そういうことですか。…名前には訓練の補助をしてもらいますが、我妻くんはもうしばらく一人で療養に専念して下さいね」
「は、はい…」

 翌日持ち直した私が何事も無かったように振る舞えば、善逸は特に何も聞いてこなかった。そうして遂に善逸も訓練に参加する日がやってきた。



 しんしんと。それはまるで雪が降り積もるように、桜の花びらが散ってピンクの絨毯を彩るように、時間の流れが極自然とそれを育てていく。自分では気付かない程少しずつ、少しずつ、成長して膨らんでいく。昨日より今日、今日より明日、気付かない間にこんなに好きになっていたと、毎日驚かされる。それでいて、どうしてこんな女誑おんなたらしを好きになってしまったのだろうという悔恨かいこんも生まれる度に、彼を睨んでしまう。いや、女好きなのは"善逸くん"もだったから分かってはいた。だからどうしてこう毎回毎回それを垣間見る度に傷つく自分がいるのか、信じられない。理解ある妻を演じるわけではないけれど、私はそういうところも含めて全部好きなんだと認めていたのに。いや、落ち着け私。また"善逸くん"と"善逸"がごっちゃになっている。本質は同じであれ、女の子に執着する度合いとかそういうのはどういう過去を辿ってどういう思慮に至ったかで変わってくるはずだ。少なくとも、"善逸くん"はここまでではなかったはず……と思うのだ。多分。

「女の子一人につきおっぱい二つお尻二つ太もも二つついてんだよ! すれ違えばいい匂いがするし見てるだけでも楽しいじゃろがい!!」

 ちょっとこれは……。と呆れ果ててしまう。格好良いときと優しいとき、情けないときとだらしないときの善逸たちが頭の中をぐるぐるする。うん、やっぱり全部ひっくるめて"善逸"だよね。そう。例え周りの女の子達が軽蔑した目で見るような人でも、私が好きになってしまったのだから……うん、嫌だけど仕方無い。出来れば善逸のいいところや魅力を知って欲しいなと思うのだけれど、そうなったらそうなったで善逸のことを好きになるのではと気が気でなくなってしまうのだろうな。だから、これはこれで……うん。善逸の素敵な部分は私だけが知っていればいいか。そんな自己完結をしてもやもやを我ながら器用に消化させたところではた、と気付くのは私の善逸への評価や好意が変動していないという事実。これだけ男らしくない一面を垣間見ても尚、というよりむしろ彼の新しい一面を知れたことに喜びさえ抱いていることにも気付いてしまい、一人赤面した顔を隠すように俯いたのだった。

 やがて男の子三人が戻ってきて訓練は始まった。

「名前は本当に善逸が好きなんだな」

 善逸がカナヲちゃんに薬湯をぶっかけられてるとき、炭治郎が私にしみじみと呟いた。心の臓が飛び出るかと思ったわ。本当に、細心の注意を持って気をつけて欲しい、善逸は恐るべき耳の良さなのよ。

「ちょっ……なーんのことかな炭治郎?」

 鼻の効く炭治郎相手にとぼけても無駄なことは分かっているがこうするしか術はないのごめん炭治郎。

「……。他の女の子達は善逸を軽蔑している匂いがするのに、名前だけは善逸を見る目が優しいから。その…さっきのあれ、聞いただろう?」

 私を呆れた表情で見つめた後、そう話す炭治郎。

「私だって、好きであんな女好きなんか…っ、」
「名前…」
「おい、炭治郎の番だぞ。なに名前と和んでんだよ!」
「っ善逸、」

 え、嘘。聞かれた? 聞かれたの? 耳が良い善逸だし、聞かれてないわけないよね。え、どこから? どうしよう。え、どうしよう!!

「名前っ、顔が林檎みたいに真っ赤だぞ! 大丈夫か!?」

 炭治郎、今そういう天然発言要らない! と心中で八つ当たりしていると、徐ろに善逸がにやけ出したので嫌な予感しかしない。

「名前は俺のこと好きで好きでたまらないんだよ、な!? な!? 名前〜」
「っ……」

ーーボカッ

「えっ、名前!」

 羞恥心に耐えきれなくなったのと、無駄に自信を持った言い回しと態度への苛立ちとで思わず手が出てしまった。炭治郎は狼狽したように私と善逸を交互に見ている。

「調子乗らないでよね! 私、女好きの男とか論外なんだから!」
「ええええ〜〜、そんなぁ…」

 実は最近が出てきている。善逸があまりに自由で恥晒しだから。善逸くんの前ではなるべく猫を被っていたのに、善逸といると内面がさらけ出されてしまう。今更取り繕ったって仕方がない。既に"音"で気持ちなんて筒抜けなんてことは承知の上だ。感情が高ぶった状態でもそうでなくても、心臓の音や血の巡る音を制御する術なんて持ち合わせていない。もう私は開き直っているのだ。「貴方のこと好きですが何か?」といった態度を徹底しつつ、決して想いは打ち明けない。それは、この私がその恋を認めていないからだ。いや、既に認めざるを得ない程にそれは成長してしまっているのだけれど、私の中で未だ整理がついていないのだ。これだけ分かりやすくしておいてお前、と思われるかもしれないが、一途な恋心を二つ飼い殺しにするのはどう足掻いても矛盾に違いなくて私が許せないのだ。

 私に拒絶された善逸はなほちゃんきよちゃんすみちゃん達に癒やして貰おうとしてアオイに「真面目に取り組まないと貴方だけ体をほぐしませんからね」と怒られてべそをかいていた。そんな様子を見て、優しい眼差ししか向けられない私はおかしいのだろうか。私はどうしてこんな情けない男の子を好きになってしまったんだろうか。誰か、ねえ善逸くん、教えて下さい。
 こっそり零した涙を炭治郎だけは見ていたようで、そっと優しい掌で頭を撫でてくれた。分かってるよ。苦しくてたまらない一番の理由は、私が私の恋を認められずにいることだ。だから素直になれない。だからこんなに苦しいんだ。それで彼へさえ八つ当たりをしてしまって自己嫌悪の悪循環。このまま私の恋心は悲鳴をあげては疲れはて、また悲鳴をあげることを繰り返していくのだろうか。

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