心がきみの形になる
あのあと、俺は任務に向かう彼女を無言で見送ったけれど、彼女の望みはすぐに叶うこととなった。
初めて名前と共にする任務、その夜の静寂の中。かすかに響く名前の音は不思議なものだった。多分、炭治郎なら「名前は不思議な匂いがする」って言うだろう。人間なのは間違いないけれど、漠然と誰とも一線を画している雰囲気がある。
「善逸様と過ごせる初めての夜ですね」
今から鬼の首を切りに向かうというのに、俺に向かって呑気にそう語りかける名前は意外なことに鬼殺隊内でモテるらしかった。多人数編成の調査隊で行う任務で鬼の捜索の為に二人一組で行動することになり、他の男共の誘いを断って俺と無理矢理ペアを組んできた名前が隣で少し欠けた月に照らされながら俺に語りかけた。その横顔は美しく、確かに容姿だけ言えば禰豆子ちゃんに並ぶ別嬪さんだ。周りの男達が羨ましそうに俺を睨んでいるのが視界の端に入った。だがお前達よく聞け、容姿だけで言えばモテる要素となり得るだろうけれど、彼女は変態でストーカーだぞ。
「ほんと緊張感無いな! 最悪な夜になりそうな予感しかしないよこっちは!! 最後くらいもっとなんかさ、なにかしら良いことあってもバチあたらんでしょうよっ」
「最後?」
「先に言っとくけど、俺弱いからな!! 多分今夜死ぬ! 女の子だし守ってあげたいけど、俺は君より弱い! だから頼むよ俺を守ってくれぇ〜〜〜」
「いいえ、わたくしは恐らく善逸様より弱いです」
「それに」と続ける名前の顔を見るが自分の涙で視界が悪く、よく見えない。
「鬼はわたくしに近づきたがらないので、わたくしは実践経験が殆ど無いのです。でも貴方はお強いですからご心配は無用かと」
「意味分かんないよ!! ねえ!? 俺弱いって言ってるじゃんか!!」
叫んだ直後、鬼の音が聞こえて体が硬直した。
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月の綺麗な素敵な宵だった。こんな日に善逸様と二人きりだとは、なんというご褒美だろうと感動していたのに。まさか鬼が現れるとは思いもしなかったのだ。鬼狩りに来たことには間違いないのだが、鬼が自ら私に近づいてくるなど、双子の卵黄が当たる程の稀有だと踏んでいたから。
「…君、藤の花の匂いがするね。忌ま忌ましい。しかも鬼殺隊か。俺はつくづく運が無いな」
「あらまあ…。わたくしがいるのに、鬼が出てくるなんて。よっぽどお腹を空かせているか、よっぽど運が無いんですね善逸様は」
「いいやあああああああ゛!!! どうすんの!? どうすんのこれぇえええ!? 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ーぬーよぉおおお!! 絶対死んだよ、これ死んだって、ィイヤァアアアア゛」
いつも私にだけは触れようとしない彼が急に怯えながらなりふり構わず抱き付いてくるものだから、思わずキュン、としてしまったのは恋する乙女には仕方がないことだ。
「っ、……ぜ、善逸様、少し落ち着いて下さい」
「何言ってんの何言ってんの!? 落ち着けるわけないじゃんんん!? いやだいやだいやだ死にたくないいぃい。助けてくれぇええっ」
「はい。わたくしが鬼を倒しますから安心なさって下さい」
「へ……」
例えここで死に絶えても構わない。せめて想い人に格好良い背中を見せたい。それだけのために精一杯強がって刀を抜いた。
これでも鬼を葬ったことがある。私が斬った首はかつては人であったものだ。忘れてはならない業を増やしていく仕事。何より、初めて鬼を切った日から、ずっと赤いのだ。何度拭っても、打ち直してもらっても、刀身がどうしてか血に染まって見えるから。私はその業を忘れてはならない。それでも、手の届く場所にある大切な命を守るためならば進んで業を積み重ねよう。
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月に照らされた名前があまりに儚げに微笑むから、思わず見とれてしまった。なんでこれほど月と並べると絵になるのか不思議だった。変態なのに。
俺には分かる。名前はそんなに強いわけじゃない。勇んで鬼へ立ち向かう姿はただの恐いもの知らずだ。おまけに彼女は。
「雷の呼吸 肆の型 聚蚊成雷…っ…ぶべっ、」
「……」
壊滅的にドジだ。鬼を前にして信じられないドジをやらかす彼女を助けんと、震える足を叱咤してなんとか立ち上がる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っーー!」
だけど出来たのはそこまでで。次の瞬間には俺の視界が彼女の血で染まった。
そして遂に、俺は情けないことに意識を飛ばしたのだ。
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油断したわけではなかった。もともと私の力などたかが知れていた。それでもまさか鬼を前にしてまで、何もない所で躓くようなへまをやらかすとは、そこまで自分が能無しだとは思ってもみなかった。地面に伏した私を鬼が捕まえていたぶるのはさぞ簡単だろう。その証拠にとても楽しそうな顔で私を地面や木の幹に叩きつけている。
ああ、とうとう大好きな人の何の力にもなれずに息絶えるのだろうか。なんて、なんて脆い存在だろう。終わりを覚悟して一滴の涙を流したとき、稲妻が辺りを照らし、雷鳴が響いた。
その一連の動作の美しさに見惚れてしまった。刀に手をかけ姿勢を低くして構える彼の姿をぼうっと眺めながら思った。嗚呼、この人は。全てを投げ打って、誰かを守ろうとする人だ。私はこの人の為に何が出来るだろう。
それは息をのむよりも短い時間。こんな見事な霹靂一閃を今まで見たことがなかった。
あっという間に鬼は消滅し、そうさせた張本人は気絶したまま目を覚まさない。私は彼の頭を自身の膝に乗せ、介抱した。
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目を覚ますと、名前の体が淡い藤色に光り輝いていた。見間違いか、それともここは既に天国なのかもしれない。名前の音はいつも以上に植物みたいな音がしていた。
「名前が鬼を倒したの?」
「善逸様ったら…。もう、これ以上好きにさせないで下さいな」
「え?」
彼女曰わく、俺が鬼を倒したという。頭でも打ったのだろうか。それともどこからか他の鬼殺隊員が現れて、そう言えと言われたのだろうか。しかし有り得ないドジをやらかした名前が鬼の首を切ったとはお世辞にも考えられなかった。俺がいうのもなんだがあんなに弱くて鬼殺隊が務まるのだろうか。
「名前はどうして鬼殺隊に入ったの?」
聞いた直後、そういえばと、気を失う直前に見た視界いっぱいの血の色を思い出してガバッと起き上がって名前を観察した。しかしどこも怪我をしていなかった。
「…あ…れ…?」
名前は何を考えているか分からない表情でただ俺を見つめて、やがて重い口を開いた。
「…あるところに、藤の花が咲いており、いつからかその大木には精霊…所謂、木霊が宿っておりました」
そして何やら物語らしきものが始まったようだった。俺は静かに耳を傾けた。
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その木霊はある日、人間の男の子に恋をしました。
その男の子は鬼殺隊の剣士になるために修行をしていました。鬼から人間を守るのが私達藤の精の役目ならば、鬼を殺すのが鬼殺隊ーー男の子が担おうとしている役目でした。男の子は人間の女の子がとても好きなようだったので、木霊は人間の女の子になりたいと願いました。すると木霊は次の日、人間の女の子になっていたのです。そして男の子と同じ鬼殺隊を目指しました。
「それって、…名前の話?」
私は藤の花の木の精だった。人間ではない私が人間の男の子ーーつまり善逸様に恋をしたのが、私の命の始まりだ。
それを私がおとぎ話風に話して聞かせると、彼は私を見つめたまま固まってしまった。戸惑うのも当然だろう、摩訶不思議な話なんて信じられないし、信じるに足る証拠もない。私の怪我も大した傷では無かったと言われてしまえば不自然というわけでもない。私の能力などその程度なのだから。太陽光の蓄積と光合成を利用して細胞の修復を少し速める、それだけなのだから。しかし、それでも私は確かに藤の花の精だった、それは事実なのだ。
「好いた方と同じ場所に立ちたくて、刀を取りましたわ」
重々しい空気を飛ばそうと、「なんて言ったら信じますか?」とおちゃらけてみせるが、善逸様は真面目な顔をして私を見ていた。
「不思議な話だけど、俺は信じるよ。名前が無事なら、それでいい」
「善逸様…」
善逸様はいつも誰かを守ろうとする。「怖い怖い」と言いつつ、一切の躊躇なく自分を犠牲にする。大切な人を守れるように強くなろうとしている。
ずっと近くで見てきた。今でこそ私が誰よりもこの人の近くにいるはずなのに、たとえ天地がひっくり返ろうとも、決して、私のものにはならない。そのように簡単に理解してしまえるくらいには。私は彼を知っているし、彼の視線の先に嫉妬してきたし、彼を許している。つまるところ、愛しているのだ。それでも、いや、だからこそ、彼に相応しくなるための努力を止められない。彼に相応しい自分になりたいと、どうしようもなく願っている。彼を欲しいと思うよりも、もっと強く。それが、私が私である証。私が人間ではなかったからこその願い。そしてその願いで私は今立っていられる。
その後、藤の花の家紋の屋敷で体を休めることになった。
「同室で!」
「別室! 絶対絶対別室だってば!」
「同室の方が屋敷の方々にお手間も取らせませんわ!」
「同室だと色々と勘ぐられて気を使わせちゃうでしょーが!」
「色々とは、わたくしと善逸様があんなことやこんなことをすると…?」
「そっ……、そうだよ! だからダメなの! 絶対ダメ!」
「善逸様がわたくしのことを押し倒して、体中を愛撫してわたくしの裸体を陵辱するのですね!?」
「ちょっ…! こんなとこでそんなはしたないこと言わないで! あと勿論そんなことしないから! ……し、しないから…」
同室か別室かで一悶着あった後、結局私達は現在同室で床についていた。私の努力と計算と演出となりゆきの結果である。
布団を抱き締めて眠る善逸様の鼾だけが室内に響き渡る。どさくさに紛れ、その体を私の分の布団で覆うようにして同衾してみる。善逸様は気付かない。自分の中の悪戯心が疼くも、此処は我慢である。
「わたくしは死にません」
常人より優れた聴覚を持つ耳朶にそっと囁いた。
「例え力尽きようとも、何度でも願います。そしてまた貴方に会いに来ますわ、わたくし。きっと」
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