ドウタヌキ?


追っかけさんは赤い服


―それは流行り病に似ていた、そして潜伏期間は死ぬまでだ。



駅からスタジオに向かう途中の本屋の前、その片隅にひっそりと自動証明写真撮影機がある。
こんな時代でも需要はあるのか撤去されることなくそこにあるが、少なくとも恒人はそれを誰かが使用しているところを見たことがない。
新陳代謝が激しいこの東京で、それはまるで忘れ去られたようであり、時が止まっているようでもあった。
恒人の目から見ても最新機種には見えない、それ自体が古びている。
その時そちらに目をやってしまったのは珍しくそれが使用されていたからだ。カーテンが閉まっていて、使用者の足が見える。
さらにまじまじと見てしまったのは覗いていた足がワインレッドのパンツスーツに赤いピンヒールだったからだ。
証明写真を撮るにしては斬新なファッションである。
しかしだからどうというわけでもない、どんな格好で誰がいつ証明写真を撮ろうが構うことではない。
だから足は止めることなく横目でそれを見ながら進んでいく、そして一旦前方を見て、また何気なく写真撮影機の方を見た時、さすがに足が止まった。
カーテンは閉まっていた。
しかし、足が見えない。
写真撮影機の構造上それはイコール中に誰もいないことを示している。
「・・・んなアホな」
そう独りごちて改めて写真撮影機を見てもやはり誰もいない。
自分が目を逸らした2、3秒の間に出て行ったというのか、御丁重にカーテンを閉めて?ワインレッドのパンツスーツなどという派手な格好の人間を自分は見落としたというのか?
「・・・・・・」
他にその異常を見た人間はいないらしく、恒人だけが立ちつくしている。
どうでもいいか、と恒人は思う。
だからなんだと言うんだという話だ。
せいぜい多少脚色して英蔵にでも聞かせ、驚かせて遊ぶ程度の経験だ。
恒人はまた歩き出した。
ふと、嫌な感覚がする。
恒人は早足になりながら思う。
この感覚に覚えがある、いつか、どこかで、こんな感覚になった。
ああ、あれだ、あそこへ、リジーの部屋へ二回目に行った時、こんな感覚になった。
でも・・・だからどうした?
それでもなんとなく、このことは誰にも話さずにおこうとそう思った。
リジーの部屋から脱出してから数ヶ月、水の香りを抱いた雲が空を覆う季節になっていた。
すっかり暑くなっていた。
あの頃より怪談がお似合いの季節になっていた。


去年の12月、今となっては少々馬鹿馬鹿しい事態に巻き込まれた。
『都市伝説』を体感した。
リジーの部屋と呼ばれる空間に夢で迷い込み、出られなくなった。
巻き込まれたのは13名。
リジーの部屋のルールに従い13人。
偶然なのか何かの意図があったのか同業者であった。
Dのメンバー5人、浅葱と、涙沙と、英蔵と、恒人と、大城。
ムックのメンバー4人、逹瑯と、ミヤと、ユッケと、サトチ。
シドのメンバー4人、マオと、しんぢと、明希と、ゆうや。
さして親しかったわけではなく(ムックとシドは交流があったが)、当初は戸惑うばかりであったのだけれど、自虐亭と名乗る専門家の知恵を借り、リジーの部屋を文字通りルールごと破壊し、脱出した。
そしてリジーの部屋は消滅したのだ。
13人全員、なにか特殊な力を持っていたわけではない、ただその人格をもって、生きざまを持って目の前の不条理を破壊しただけの・・・お話だ。




地下活動中は一番生活が不規則になる。その日も帰路につけたのは日付が変わってからだった。
夕食はまだだが、こんな時間に外食も望めず、また疲れていたので身体には悪いがコンビニ弁当で済ませるかと家へ急ぐ。
途中またあの写真撮影機の前を通った、カーテンは開いていて人の気配はない。なんとなく歩く速度を速めながら思う。
リジーの部屋のことがあるまで恒人は幽霊の存在をさほど信じていなかった。
とはいっても徹底的な否定派ではなく、「見た!」という人間がいるならばその話を頷いて聞けるレベルのものだった。
正直、どちらでもよかったのだ。
さほど怖がりなわけでもないし、信じようと信じまいと自分が被害を受けるわけでもない。
ただ、と恒人は思う。
Dのメンバーの中では涙沙がその範疇に入っているか、恒人の子供時代は『学校の怪談』ブームだった。
小学校の頃、トイレに花子さんが出るとかで女子達が本気で怖がっていたことをよく覚えている。
人体模型が動くだとか、ベートーベンが肖像画から出てきてピアノを弾いているだとか、そんな何処にでもある怪談話を浴びて育った世代だ。
半ば刷り込みのようにそれが心の内に残っていて、徹底的な否定にいたらなかったのではないかとそう思う。
ならば・・・
都市伝説が実在するのであれば、小学校時代のあの薄暗いじめっとしたトイレには本当に花子さんがいたのだろうか。
(無論、恒人はれっきとした男子であるため、花子さんが出るという女子トイレに入ったことはないが)
怯えながら忘れ物を取りに行った夜の黒々とした校舎の中を人体模型が歩き回り、ベートーベンがピアノを弾いていたのだろうか。
そんなことを思うと、恐ろしいような楽しいような不思議な心持になるのだった。
「ああ!ツンデレ君!」
後ろから響いたのほほんとした声に振り返れば、シドのベーシスト、明希がへにゃへにゃ笑って立っていた。
酔っているのか目が据わっていて、顔が赤い。
後方に目をやれば明希の同業の友人だろう、恒人も顔を知っている何人かが固まっていた。
「こんばんは、明希さん」
「ツンデレ君もおいでよ!呑もうよ〜!!」
やはり酔っているらしくテンションが高い。
「すいません、今日はちょっと・・・」
「そっかあ、残念。今度さ、暇な時に一緒に飲もうよ、なんなら辛子高菜さんも一緒で!」
おそらく英蔵のことだろうが、なんだか博多ラーメンに入れたら美味しそうなものにされてしまっている。
英蔵の名前を覚える気がなく、どうでもいいのだろうかとも思ったが、ここであえて英蔵を上げるあたり、親しみを持っているらしい。
ならば名前を覚えないのは愛情表現か。
何故あの人はそんな歪んだ愛情表現ばかり受けるのかと内心で突っ込んでから、一番歪んだ愛情表現をしているのは自分だと重ねて突っ込んだ。
「そうですね、そのうちまた一緒に」
「あああ、そういえばツンデレ君さ!」
「恒人です」
自分の名前にはきっちりと訂正を入れる恒人に明希はふにゃふにゃと笑って言う。
「あのさ、俺さ、今日ねぇ。すごいの見たのよ」
「すごいの、ですか?」
「赤いセリカ。ほらあのけっこう有名で派手な車がウチのマンションの前に止まってたの。すげえなと思って、でも遅刻するって慌ててたからさ、びゃーっと背を向けてったらこう・・・そのセリカが爆音と共に俺の横を走り抜けてくわけよ、運転手の顔は見えなかったけど長い黒髪の女の人だった!」
「・・・はあ」
さすがの恒人もリアクションに困る、それほどすごい経験とは思えないのだが。車好きの英蔵や大城なら喜びそうな話だけれど。
「ああ、違うの、えっとね!」
明希はよたつきながら頭を押さえる、酔っ払った頭で思考をまとめているらしい、そしてどうやらこちらに伝えたいことはまだ伝えてないらしい。
「うん、こーなの、これで毎回マオ君に明希しこの国語力は小学生並み!って怒られんの!あのさ、俺・・・その車を見た時にね、なんていうか変な感じがしたんだよ、怖いっていうか・・・丁度ほら、あのリジーの部屋のことがあった時みたいなぁ〜〜〜!」
後ろの集団が明希を呼んでいる、明希もかなり酔っ払っているのか据わった目で恒人を見ている。
「え、えっと・・・今度お話しましょう、今は人を待たせているようですし」
年上相手に言い聞かせるような口調になってしまったが、明希は気にすることなく「そだね」と頷いて、集団の方へ戻って行った。
その集団が雑踏に消えるのを見送ってから恒人も歩き出す。

赤い服
赤い車

それで連想できるなにかがあるはずなのに、思い出せない。
思い出せないのは気持ち悪い。
消化できない思いを抱えたまま家に帰った。コンビニで食料を調達するのを忘れていた。かといってまた出かける気にもなれない。
腹の底で重たいものがとぐろを巻いているようだ。
「言われるほど・・・前向きでもないんだよな、俺って」
そんな独り言を呟きながら台所を漁る。
以前、英蔵が「これ絶対美味いんだよ!超オススメだから買ってみろって」と、こちらの表情を窺いながらも勝手にカゴに放り込んできたカップラーメンを見つけた。あまり身体には優しくないが気分的には悪くないのでそれで夕食をすませることにした。
英蔵が言った通り美味しかったそれを食べ終え、さっさと寝る準備をしてベッドに入る頃には赤い女のことは忘れていた。
それよりも明日弾かねばならないフレーズのことが頭を占めていた。
無意識のうちに動いていた指に苦笑して本格的に眠ろうとした時、携帯電話が鳴った。
手探りで取って開いてみれば『逹瑯さん』という着信表示。
たしかにあれ以降、多少の交流は持っているので電話がきてもおかしくない、そして生活習慣を考えれば目茶苦茶非常識な時間というわけでもないので恒人は通話ボタンを押す。
『ああツンデレちゃん!もっしーー!!オレオレオレオレ!』
「こんばんは、逹瑯さん」
ボーカリストらしく良く通るテンションの高い声が受話器から響く。
『ええ!?オレオレ詐欺か!って突っ込みはぁ!?』
「携帯電話だから名前表示されてますよ〜」
『あ、そっか失敗失敗』
うざいうざいと言われてはいるが、この無邪気さがどことなく憎めないのだろうなと恒人は思う。
憎めないどころか、むしろ全く良いことをしていなくても好感を持ってしまうような不思議な魅力が逹瑯にはある。
「どうしたんっすか、逹瑯お兄ちゃん」
『ちょ!いきなりお兄ちゃん呼びは反則だっての!あんさー!ちょっと気になることがあってさ、あの時のみんなに言おうと思ってんだけど、なんちゅーかほれ!』
「話しやすい人から電話をかけてるんですね?」
『がちょん!!なんで分かったの!?まあそうなんだけどさぁ!!』
「ちなみにミヤさんは何番目ですか?」
『・・・・・・最後』
予想以上のその回答に恒人は思わず笑ってしまう。
『いや、ミヤ君電話だと怖さ倍増だべ!!でツンデレちゃんには二番目なんだけどね』
「んん?俺が二番目っすか?」
『ああ、ユッケとヤスは昼間会ったからもう話したの。で!明希に一番に電話したけど繋がらねぇんだよ』
メンバーを除いて明希の次に話しやすいのかと恒人は苦笑する。
「明希さんならさっき見かけましたよ、集団で呑んでいるようでした」
『あちゃ、じゃあダメじゃん!今日は繋がらねぇわ!』
逹瑯が電話越しにけらけらと笑うので恒人も笑った。
『ああ、そんでね、今日変なことがあったんだよ』
そこからは真面目な話なのか逹瑯の声が普通に戻る、そして「変なこと」というキーワードに反応した恒人も笑いを引っ込めて耳を傾けた。
『俺、今日はスタジオまで電車で行ったんだけど、電車に乗った時にね、さほど混んでなかったけど、座れるほどでもなくて俺、ドアのところに立ってたんだけどさ、ドアの向こうに女が背を向けて立ってんだよ。赤いパンツスーツ着た黒くて長い髪の女なんだけど・・・普通さ、これから発車する電車のドアのまん前で背中向けて立つ奴いねぇだろ・・・それで、それを見た時変な感じがしたんだ、怖いちゅーか・・・あのリジーの部屋みたいな』
「・・・・・・」
なんだこれは。
まるきり繋がってるじゃないか。
逹瑯が「あの時のみんな」と言った時からそっち系の話かとは予想していたけれど・・・繋がっている。
『そんでね、まさかと思ってみんなに聞こうと思って、ユッケとヤスは特になんもなかったらしいんだけど、ツンデレちゃんは?』
「あ、あの、ですね・・・」
少し混乱していたが、なんとか自分が体験したことと明希から聞いたことを逹瑯に伝えた。
『ね、ツンデレちゃん、いつ時間ある?』
もう会うのが決定事項とばかりに言う逹瑯に恒人は少し困って言った。
「逹瑯さん、なにもそんな・・・慌てるようなことでは・・・」
『慌てるよ!すげえ慌てるね、俺は!だってさ、赤い服に赤いセリカの女って

口裂け女

じゃん』
その言葉に全身が怖気立った。
「くちさけ・・・おんな」
赤い服、赤い車、確かに口裂け女の特徴だ。
『そうだよ、口裂け女だべ!』
Dの中では涙沙がその範疇に入っている・・・ならば涙沙と同い年の逹瑯、いやムックの面々もまた『学校の怪談』ブームを生きてきたはずだ、そしてそれより年下の明希も同様のはず。
『学校の怪談』ブームと共に口裂け女は第一次ほどではないにしても流行った。
『そうそう!おもしれぇんだけどね、俺らんとこじゃ鎌持ってるって噂だったのにミヤ君とユッケは鉈持ってたって言うんだべ?そりゃ石岡は田舎だから鉈持ってても大丈夫だわな・・・って恒人君?どうかしたんか?』
優しげな声で言われて恒人は我に帰る。
「あ、すいません、ちょっと・・・」
『ああごめんなぁこんな時間にさ、でも明日にでも都合良い日程メールしてよ。なんかさ、ほら・・・ちょっと怖いじゃん』
「そうですね、怖い・・・です」
『な?話し合うだけでもなんか違うべ。じゃ、また』
「ええ、おやすみなさい」
電話を切って、既に電気を落として暗くなった天井を見上げる。
なんだ?
怖い?
・・・口裂け女が怖い。
ただそう思った。
まるで意識的に蓋をしていた部分がこじ開けられたような感覚。
「俺は・・・口裂け女が怖い?」
この歳になって?
くちさけおんな。
確か、自分が聞いたものは、鋏を持っていて、それでじゃきじゃきと口を切られてしまうという話だった。
怖い。
今度は素直にそう思う。
あそこに、あの時、あの写真撮影機の中にいたのが・・・口裂け女なら?
以前ならば一笑に付したであろう、しかしもう知ってしまった、そういう世界が実在することを知ってしまった。
今更ながらにそれがどれほど恐ろしいことかと思い知った。



逹瑯は既に通話を切った携帯電話を気遣わしげに見ていた。
仮に電波で繋がれたとて機械は機械、意味がないことは分かっている。
でも、浅い付き合いだ、言えるほどのことはなにもない、けれど・・・
「口裂け女」という単語を出した瞬間から恒人の雰囲気が変わった気がする。
気がするだけだ、確証はない。
それでも、あのリジーの部屋で、夢の中で、偶然恒人と二人きりになってから思っていたことがあった。
もっと肩の力抜けばいいのに、なんでいつもいつも張りつめているんだろうと。
その態度が逆に世話を焼きたくなってしまって、後半はちょっかいをかけまくっていたのだけれど。
お調子者に見えるが故に気づかれないが、逹瑯はかなり世話焼きなタチだ、だから見るからに危なっかしくて可愛がりたくなってしまうような明希なんぞは後輩としては最高だと思っている。
「俺ってつくづく猫科に弱いよなぁ」
寝こけている愛猫を見ながらそんなことを呟いた。
人懐っこく頭をすり寄せてくる猫が明希なら、恒人はさしずめ塀の上や植え込みの陰からじっとこちらを見ている猫といったところか。
どちらも首輪付きなので過剰の手出しは厳禁だろうけれど。
「ってそれどころじゃねぇか」
今は口裂け女だ。
いや、唄録りも近づいているので口裂け女どころでもないのだが。
ミヤが無表情で浮かれながらマイク選びまで1ミリレベルのこだわりで鬼と化している姿が目に浮かぶ。
口裂け女よりミヤのほうがはるかに怖い。
前門に本気で怒っているミヤが立っていて、後門に鉈を持った口裂け女が立っていたら迷いなく後門を突破することを選ぶだろう。
ミヤより怖いものがあるとするならば・・・喪失で消失だ。
変わることは怖くないけれど、失うことはとても怖い。
そこでふと、あることに気づいた、逹瑯にとってムックは「初めてのバンド」と言える。
なんだかんだでメンバーは同郷の、昔馴染みだ。
でも明希や、特に恒人はそうではないのだな、と。
だからなにというわけではないけれど、なんとなくそう思った。




夕暮れの細い路地。
逢魔が時、黄昏時、誰そ彼時。
そこにいるのが誰なのか分からない時間帯。
肩に食い込むランドセルがカタカタ鳴る。
電柱の陰が伸びている。
急げ、急げ、道には誰もいない。
夕餉の匂い、太陽はもう陰り始めている。
誰そ彼時、相手の顔は見えない。
急げ、急げ、急がなければならない。
逢魔が時に呑みこまれたら、帰れなくなる、あの子のように。
あの子?
あの子って誰?
電柱の陰に人が立っている。
ああ、いけない、こういうのは無視しないと。
そう教えられている、最近は特にきつく言われている。
ランドセルがカタカタ鳴る。
ポケットの中の手を握り締めて足早に通り過ぎる。
もうすぐ家だ。
電柱の陰に赤い服の女が立っている。
あれは、
あれは、

くちさけおんな

跳び起きると自分の部屋だった。
拍子にずれた薄い夏蒲団が床に滑り落ちる。
カーテンの隙間から差す淡い光と鳥の声で今が明け方なのだと分かった。
まだ起きるには早い。
睡眠はしっかりとらなければ、体調管理も仕事のうちだ。
しかし喉が渇いた。
水でも飲もうと恒人はベッドを下りる。
「・・・口裂け女、か。どんなんだっけな」
過去の記憶を探るまでもなく、ちょっと真剣になればまるで基礎知識のごとく思い出した。
赤い服を着ていて、顔には大きなマスク。
「わたしキレイ?」と質問してきて「キレイ」と答えると「これでも?」マスクを外す。マスクを取ると口が耳まで裂けている。
そして裁縫鋏で口を切られて殺されてしまう。
対処法は口裂け女の嫌いな「べっこう飴」を投げる、「ポマード」と唱える、また・・・建物の二階より上には行けない。
「じゃあ此処は大丈夫なわけか・・・」
但し、二階までの高さならばヤモリのように這ってきて窓の隙間から入ってくるなんていう噂もあったけれど。
大人になって怖がるような話とも思えない。
実在するとしても、だ。
だとしたら、何を自分はこんなに怖がっているのか。
ミネラルウォーターを一口飲んでからベッドに戻る。
自分が見たものが口裂け女だったとして、明日やるべきことが変更になるわけでもない、やはり無意識に指を動かしながら目を閉じる。
頑張らないと、とそう思いながら。



翌日、やはり日付が変わる頃、明希は都内某居酒屋の暖簾をくぐった。
最近流行りのモダン和風な居酒屋は席ごとに仕切られていて個室のようになっている。
その一室に入ると既に到着していた逹瑯が手を振り、恒人が丁重に頭を下げた。
「明希様なんか食べる?あ、酒は話がすんでからな」
「分かってますよ〜」
逹瑯の向かい、恒人の隣に腰をおろして、煙草を取り出しかけ、手を止める。
そういえば逹瑯は喉が弱かったなと思い煙草を出すのはやめておいた。
恒人も吸わなかったはずだ。
「恒人君、昨日はごめんねぇ。俺、酔ってたみたいでさ」
「いえ、別にかまいませんよ」
すました風に言う恒人に明希は苦笑する、彼なりにこの面子で集まることに緊張しているのかもしれない。
「なんだったら紅生姜さんも一緒で良かったのに〜」
「・・・博多ラーメン食べたいんですか?」
「おお!なんで分かったの!?恒人君エスパー!?」
「鞄には入れませんよ、見ての通り貧相な身体はしてますが、硬いんで」
「硬いの?バリカタ?ハリガネ?」
「いやあ、確かに見た目極細ストレート麺っぽいですが、残念ながら人間なのでそういうランク付けはできませんね」
「阿呆なこと言ってねぇでさっさとドリンク注文しろ!」
見れば隣で店員が困った顔で笑いながら立っていた。
「泡盛あります?」
「酒は後にしろって言ったよね!明希様!!」
「む〜!ウーロン茶お願いします」


「まあ都市伝説で口裂け女っていったらベタっていうか、イコール口裂け女ぐらいの感覚だよなぁ」
ホットゆず茶を飲みながら逹瑯が言う、やはり喉を労わりたい時期らしい。
「やはり・・・さして急ぐ事態とも思えませんよ、確かに俺らの経験、変といえば変ですけれど・・・別に実害があったわけでもありませんし」
恒人はノンアルコールカクテルの甘ったるそうなものを飲んでいた。
やはりどこかすましたような顔。
「恒人君はさ、メンバーに聞いてみた?」
「ええ、それとなく探りは入れてみましたけど、みんな特になにもないみたいでしたよ」
「それとなくなの?ストレートに聞けばいいじゃない」
「余計な心配かけたくないじゃないですか」
「白ごまさんにも?」
「・・・そんなに博多ラーメン食べたいんですか?」
この冷静な突っ込みはマオを思い出すなと明希はにんまりとした。
ところで・・・あの人の名前はなんだったっけ?と本気で分からなくもなったが。
「明希様明希様、ツンデレ君にも色々あんだろうて、ほらツンデレだからさぁ」
「・・・逹瑯さんは、メンバーの皆さんにもこのこと話したんですか?」
恒人の黒目がちな目で見つめられ、逹瑯は少したじろいだ様子だった。
「いや、ユッケはビビりだしさ、録音モードのミヤ君になんか言っても、まあ悪いし。それより明希様、忙しいだろ?」
話を逸らした逹瑯に恒人も乗る。
「そういえばそうですよね、なんだかすごいことになってるじゃないですか!」
「ん、まあ環境はぐわっと変わっちゃったね、街で声かけられることも増えたしびっくりする。もう超頑張らなきゃって!ん〜でも今はその話じゃなくてですよぅ!!」
「そうでした、口裂け女の話でしたよね」
恒人はそう言って前髪を弄る、地下活動中のせいか表に出る時は鮮やかな夕焼け色の髪も色落ちして鳶色になっていた。
「あれも地方差があるようですが、俺達はみんな関東圏なのでさほど差異はないでしょう・・・問題はあれが口裂け女だとして、どうして俺達が目撃したか、ですよ」
「偶然じゃねぇの?」
「逹瑯さん、1秒でもいいから考えましょうよ〜」
明希の言葉に逹瑯は「うっせ」とだけ返して恒人を見た。
どうやら頭脳労働は恒人に任せる方針らしい。
「えっと、明希さんが来る前に少し話したんですけど、俺が写真機で目撃した時間と逹瑯さんが電車で目撃した時間、15分ぐらいしか差がないんですよね・・・同一人物であるなら不可能な話です、さらに明希さんが赤いセリカを見た時間も加えたら、瞬間移動してますよ」
「同じだろうよ、いくら東京だからって赤いパンツスーツにピンヒールの女なんぞそうそういるかっての」
「いえ、逹瑯さん。俺達はそれぞれ目撃した部位が違いますよ、俺は脚だけ、逹瑯さんは背中、明希さんは車と後頭部です、同一人物でない可能性も充分あります」
「かもしんねぇけど・・・でもお前らも感じたんだろ?あのイヤ〜な感じだよ」
逹瑯は少しムキになっているようだったが、恒人は涼しげな表情を崩さない。
「俺達は『赤い服を着た口裂け女』という事前知識を持っているんですよ。単純に赤から口裂け女を無意識に連想して怖くなっただけかもしれないじゃないですか」
「でも、だぜ?百歩・・・いや五十歩譲って俺らが見たのを只の奇抜な人間にするとしても・・・恒人君が見たのだけは、理屈上ありえないだろうが」
「・・・それは、そうですけど」
「そんで?さらに俺と明希様が似たようなモンをほぼ同時に見てんだぜ!只の人間なわけねぇだろ」
「・・・そう、ですね、すいません」
恒人にあやまられ、ムキになっていたはずの逹瑯が一気に狼狽する。
「いやいや、あやまんなよ。お前はお前の意見言っただけだろ〜」
「そだよ、くぎゅう君、自分の意見言うのはだいじだよ!」
「明希様、『くぎゅう』がツンデレを指すってこと一般人は知らねぇから」
逹瑯が明希にチョップを入れるとようやく恒人は表情を崩した。
ふと明希は思う。あの時、リジーの部屋で見せた13人の連帯感はやはりあの状況があってこそだったのだなと。
こうして見ると恒人はずいぶん人見知りのようだ、それこそマオを連想してしまうぐらいの。
まあそれでも仲良くなるからいいけどね、と人見知りのない明希は思うのだけれど。
「そういえばだけどさ、そっちの、えっと・・・大城さんが言ってたじゃない、こーいうことって一回巻き込まれるとまた巻き込まれそうな気がするってそれが理由じゃないの?」
明希の問いに恒人は薄い唇を撫でる。
火村助教授かと内心突っ込もうとしたら逹瑯が
「ツンデレ君、火村準教授みたい!」
と先に突っ込んだ。
「・・・わざわざ助教授でなく準教授と言うところに逹瑯さんの内面の真面目さが表れてますね」
さらっと言う恒人に逹瑯は目を点にした。
「ツンデレ君ってやっぱ浅葱君とこの小狐だね、その言い回し・・・」
「本心を言ったまでですよ」
「そこを指摘してんだよ!」
くわっと口を開く逹瑯をなだめるように手をかざしながら恒人は言う。
「まあ認識の問題なんだと思いますよそれって」
「認識の問題?」
うにゅっとのぞきこむ明希に恒人は苦笑する。
「少なくともリジーの部屋のことがなければ、こんなの普通に流してたでしょう」
「あ、そっか・・・」
明希もその言葉に納得する、以前ならば口裂け女を見たなんて馬鹿馬鹿しくて笑って済ませていただろう。
でも今は知っている。
リジーの部屋があったのだから口裂け女だっているだろうと自然に思っている。
「ってことはさ、やっぱ、あの・・・自虐亭さんに相談すべき?」
「アドレスはユッケとミヤ君しか知らねぇぞ」
なぜ知らないということをふんぞり返って言うのか、逹瑯はにんまり笑っていた。
「・・・自虐亭さん、確実に一つ嘘をついていますよね」
「ん、どこどこ?」
「『不特定多数の人間に名を知られている人間が呼ばれやすい』って部分ですよ。俺達が会った綾瀬さんはまず当てはまってませんよね、話した感じ10代の女の子でしたし、綾瀬代理恵なんて人物俺は知りませんよ。そもそも、不特定多数に知られている人間ならば仮に記憶を継承したとしても中身は変わっているんですからその不特定多数がオカシイと思うでしょう?」
「そりゃまあ・・・だわな」
逹瑯はふんぞり返ったまま腕組みをして続きを促すように顎をしゃくった。
「それに妙な物言いじゃないですか、『会社の上役だとか作家のように』って・・・普通その流れなら『芸能人』じゃないっすか?そこで『作家』が出てくるって妙ですよ、まだ『評論家』とかのほうがしっくりくる、不特定多数から悪意を受けやすいって言うならやはりまとめて『芸能人』あるいは『有名人』と言ったほうが自然です・・・これは完全に俺の予測というか当て推量ですけど、自虐亭はメールをしてきたのがユッケさんだって分かってたんじゃないですか?」
「ええ?そこまでいっちゃう!?」
明希にべちゃりとくっつかれ、恒人は驚いた顔をする。
「あ、明希様は人に貼りつくのが癖だから気にせず続けて」
逹瑯に言われ、恒人は頷いて続けた。
「もしもあの時、『芸能人』『有名人』という単語を出したらユッケさんは警戒して『YES』と言わなかったんじゃないですかね。だからカマをかけた、あえて一番遠い『作家』って言い回しを使った。そもそもユッケさんはその前にブログでリジーの部屋の話題を出してますよね、自虐亭を紹介したメールも自虐亭の知り合いである可能性だって高いじゃないですか」
「まあ言われてみりゃそうか、リジーの部屋の時だって、基本放任だったし・・・いきなり頼れる相手とは思わない方がいいかもな」
逹瑯はそのままぐてっと後ろの壁にもたれる、目を閉じて何かを考え込んでいるようだった。
明希は恒人にへばりついたまま上目使いにその顔をうかがう。
「違ってたらごめんだけど・・・恒人君、なんか怖がってる?」
恒人はぎょっとした顔で明希を見下ろし、それから苦笑した。
「まいりましたね・・・これでもポーカーフェイスには自信があるほうなんですが」
「ウチ、ゆうや以外は顔に感情出ないからねぇ・・・その辺の精度は自信あるよ!」
「逆に俺のところは顔に出る人が多いんですけど・・・ええ、ちょっと怖いんです」
「そっか、大丈夫だよ!俺がついてるから!」
唖然とこちらを見る恒人に明希はへにゃっと笑ってみせた。
「逹瑯先輩が可愛い後輩のためなら盾になるって言ってるし!」
「言ってねぇよ!!お前が俺を盾にする気満々じゃねぇか!」
「いえ、俺も男子です、自分の身は自分で守ります」
「真面目に答えてんじゃねぇよ、なんでツンデレ君は最年少なのに無駄に古風なんだよ!」
壁にもたれたまま吠える逹瑯に明希はへにゃへにゃと笑う。
「恒人君とこみんな真面目で大人だよね、逹瑯さん達みたいに『う●こ!』で盛り上がったりしないんだろうねぇ」
「俺らがガキだと言いたいのか!否定できる要素が一個もねぇから返す言葉もないわっ!」
「ウチみたくケータリングに高級食材!やった!マオ君来る前に全部食べちゃえ!とかしないんだろうなぁ〜」
「シドの共通点って全員ナチュラルゴーイングマイウェイなとこだよなぁ」
「ああ、ウチは食べ物の好みが被らないのでそういったことはあまり・・・」
「お前らはつくづく真面目だよなっ!!」

その後はそれぞれが知ってる口裂け女の情報や近況を報告し合った。
もちろん馬鹿話もした。
「バニラアイス食べたいっす」
「いいよ、注文し!今日は俺が奢っちゃる!」
「え、それは悪いですよ、割り勘にしましょう」
「いいんだよ、奢らせろよ後輩!なんならそっちのパフェ食え!リーダーと違ってパフェ食う姿似合いそうだよな、明希様も似合いそうだけど明希様はバニラアイス食べる?」
「暗黒空間にバラまいてやる!!」
「ダメだこいつ会話不能。で、恒人君パフェじゃなくて良いの?」
「はい、バニラアイスで良いです」
「わ た し に D I O 様 の『姿』を 破 壊 さ せ た な ァ あ あ ー ー ッ!」
「恒人君バニラアイス好きなんだ」
「はい、アイスは全般好きですねぇ」
「それでその体型ってすげぇよなぁ、じゃあバニラアイス頼むね〜」
「エンジン音だけを聞いてブルドーザーだと認識できるようにわかった!」
「うるせぇんだよ!なに頑なにジョジョネタ貫こうとしてんだよ!嫌な酔っ払い方してんじゃねぇよ!馬鹿明希!!」
「明希さん、最後の台詞はヴァニラ・アイスではなく花京院ですよ」
「れろれろれろあられあえら・・・」
「レロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ」
「恒人君すごい!」
「明希様が滑舌悪いだけだろうが・・・っていうかなんでそこまでジョジョネタをやりたいんだよ・・・」
男子の馬鹿話なんぞこのレベルである。


またなにかあったらすぐに連絡することを約束して店を出た。
夜はとっぷりと暮れ、人工の明かりが順繰りに空へと突き抜けて星空ではなくピンボケ写真のような味のない夜空を演出していた。
さすがにもう人影はない、大通りに出てタクシーを拾おうかと明希が足を進めていると、前方に人が立った。
唐突に、まるでショートカットしたかのようにそこにいる。
ワインレッドのスーツ、赤いピンヒール、黒く長い髪は艶がなくぱさぱさしながら風に揺れている。
顔半分を覆うような大きなマスク。
手には巨大な鎌。
明希は息を飲んでその場に立ちつくした。
さっきまで散々話した、「口裂け女」のことを。実在するのだと思っていた、それなのに・・・この現実が受け入れられない。
目の前に口裂け女が立っているということを脳が受け付けない。
「わたし、キレイ?」
口裂け女は、口裂け女らしくそう言った。
くぐもった声で言った。ああマスクをしてるもんなと何故かそこだけは冷静に思った。
それでも、視覚も聴覚も正常なのに他が追いついてこない、舌がもつれる、何も言えない、言えるわけもない。
こんな非現実に対応できない。
口裂け女はマスクを外した。
口裂け女らしく口は耳まで裂けてぱっくりと赤い内部を見せつけている。
やや尖った白い歯がびっしりと生えていた。
「わたし、キレイ?」
口裂け女はもう一度そう聞いてきた。
そりゃ口裂け女だもんなと明希はほとんど死滅した思考で思った。
鎌がゆっくりと振りあげられる、ああ逃げなきゃ、100メートル6秒で走るんだっけ、逃げ切れるかな、それ以前に足が動かない、縫いつけられたように動かない。
「明希っ!!」
不意に背後から周囲の空気を震わせるような大声が響き、肩を引っ張られた。同時に別の手が口裂け女目がけてなにやら小さくて丸いものを数個まとめて投げつける。
口裂け女は獣のような声を上げて、100メートル6秒の噂に相応しいスピードで駆け抜けていき、すぐに見えなくなった。
「おい明希!大丈夫だったか!?」
やはり逹瑯だったかと明希は視線を上げる。
明希の肩を掴んだまま逹瑯が心配そうにのぞき込んでいた。
「・・・あ、はい」
隣では恒人が投球した形のまま顔面蒼白で固まっていた。
「恒人君も大丈夫!?」
逹瑯に言われ我に返ったのか恒人も姿勢を戻し、しかし顔は青いまま頷く。
「・・・何を投げたんですか?」
「べっこう飴だよ・・・近所に売ってるとこがあってさ、大量に買い込んどいたんだよ。そんでお前らに渡そうと思ったのに忘れてて、で・・・恒人君はまだ一緒だったから渡して、明希にも渡そうと思ったら・・・」
逹瑯も混乱しているのか乱れた口調でそう言った。
「マジで、正真正銘・・・くちさけおんな、なんですね・・・」
恒人がそう呟いてその場にしゃがみこんだ。
「ああ、残念ながらドッキリ企画でもなきゃ夢でもねぇみたいだ」
逹瑯は舌打ちして髪をかき乱し、口裂け女が駆け抜けて行った路地の向こうを見つめた。



あの後、すぐに明希は持ち直し、いつもの調子に戻っていた。
そのメンタル面の強さに恒人は感服するしかない。
逹瑯の提案で、皆で同じタクシーに乗って帰った。大回りになってしまうが仕方ない、あの直後に一人で帰るなど酔狂を通り越して狂っている。
最初に一番近い恒人のマンションに着いた。
部屋の前まで送るという逹瑯の申し出を断り、べっこう飴を握り締めたままほとんど駆けこむようにエレベーターに乗り込んだ。
閉まった扉にもたれかかるようにして息を吐く。
ゆっくり上昇するエレベーターはドアの窓から外が見えるようになっていた。
一階が遠ざかり二階の床が見えた、同時にドアの前に立つ赤いピンヒールを履いた足が見えた。
反射的にドアから離れる、勢いよく離れたため後ろで身体を打ってしまった。衝撃で止まってしまうんじゃないかと思うほどエレベーターが揺れる。
二階を通過する窓から見えたのは、あの口裂け女だった。
ワインレッドのスーツで手には巨大な鋏。
マスクはしたままじっとりとした視線がこちらを追って上を向き、すぐに見えなくなった。
三階、恒人の部屋がある階でエレベーターは止まり、扉が開く。
誰もいない暗い廊下が見える。
迷ったのは一瞬だった、べっこう飴を強く握りしめて、一気に自分の部屋まで走り、カギを開け、中へ飛び込むようにしてはいるとカギをかけ直した、チェーンをかけるのは手が震えているせいか苦労した。
部屋の電気をつけるより先に恒人は携帯電話を取り出し、逹瑯へコールする。
どちらにしても部屋に着いたら連絡するよう言われていたせいか逹瑯はすぐに出た。
「もしもし?無事部屋についた?」
上がっていた心拍数が一気に落ち着いて、自分でも驚くほど冷静な声が出せた。
「一応無事ですが・・・ただ、俺達は本格的に口裂け女さんに好かれてしまったようです」
今見たことをそのまま伝えると、さすがの逹瑯もうろたえた様子で唸っていた。
とにかく互いになにかあればすぐに連絡することを約束して電話を切る。
既に氷のように冷えた頭がこれからすべきことや考えなければいけないことを弾き出してくれる。
自虐亭はあまり信用できない人物だが、都市伝説の専門であることは事実だろう。
彼の言うとおりであるなら都市伝説は噂に左右され、人の意志に左右される。
ならば「口裂け女は二階より上には行けない」ということは、かなり強力なガードになる。
少なくとも恒人の部屋は三階であるし、明希は五階だと言っていた、逹瑯の部屋は以前行ったので覚えている、12階だ。
つまり三人とも自宅は安全圏。
なによりもまず、此処を揺らがせていはいけない、「口裂け女は二階より上に行けない」ということをまず自分達が徹底しなければならない。
相手は噂で繁栄し、こちらの意志を反映させるのだから。
自室の電気をつけ、ソファーに倒れこみながら考える。
逹瑯がどうやら「考える」方面はこちらに任せているようだったから、ならばそれは自分がすべきだと、恒人は思う。
望まれたことには応えなくてはいけない。
相手は口裂け女だ、幸い弱点は多い。
冷静でさえあれば切りぬけることは容易だ。
すぐに持ち直した明希も大丈夫だろうし、逹瑯もまた大丈夫だろうと思う。
観察眼は自負している。
おそらく逹瑯は追い風を受けるとどこまでも強くなり、逆風に弱いがその逆風が一定量を超えると乗り越えて強くなってしまうタイプだと、そう読んでいる。加えて「守るもの」があると強くなるタイプであることも。
(この見解をミヤに聞かせれば細い目をかっぴらいて称賛の拍手を送っただろう)
しかし、と恒人は唇を噛む。
口裂け女を撃退する方法はいくらでもあるが、口裂け女を倒す方法はないのだ。
なにせあの直後に恒人のマンションに現れるほどだ、追っ払ったぐらいではすぐにまたやってくるというところだろう。
時計を見れば午前二時半、明日のためにそろそろ眠らなくてはいけない。
「・・・ったく妖怪が丑三つ時に出てきてんじゃねぇよ、柳田國男センセーが草葉の陰で泣いてんぞ!」
思わずそう悪態をついた。
用法は間違っていたが。
そして現代に柳田國男がいてもなんの役にもたたないだろうが。


どぅどぅと雨の音が響いている。
なんだかまた嫌な夢を見た気がすると恒人は目を開き天井を見た。
豪雨と言って良いほどの雨は窓を濡らし、滝のように水が流れ落ちていく。
腹に響く雷の音に本格的に目が覚めた。
雷の音を聞くと大城を思い出す、雷が鳴るといつも「東京の雷(らい)様はあんま落ちないからいいよなぁ」と楽しそうに言うのだ。
そんなに群馬は雷が落ちるのかとハマっ子の恒人は最初に聞いた時はかなり驚いた。
そんなことを思い出していると悪夢の残滓も消えていく。
ただ不安は澱のように残っていた。
口裂け女が怖い。
その感情は単に相手が人間でないからだとか、凶器を持って襲いかかってくるからだとかとは違う気がする。
もっと根底的で、深いものだ。
蜘蛛恐怖症の人間が蜘蛛を怖がるような刷り込まれた恐怖だ。
実のところ逹瑯達と話していても「口裂け女」という単語が出る度に心臓が跳ねていたのだ、ならば今自分がしていることは蜘蛛恐怖症の人間が昆虫図鑑の蜘蛛の頁をじっくり見ているようなものだろう。
なんでこんなにも口裂け女が怖いのか。
花子さんは怖くないのに。
幾つかの都市伝説を思い浮かべてみる、人面犬やカシマレイコさんの話を頭に描いてみても別段怖いとは思わない。
人面犬なんぞいっそ会ってみたいと思えるほどだ。
メリーさんは恒人自身がハマっ子であるため都市伝説という捉え方はしていない、さすがに見たことはないけれど。そして『メリーさんの電話』バージョンも知ってはいるけれど。

くちさけおんながこわい。

頭の奥がずきずきとする。
携帯電話が鳴った、逹瑯か明希になにかあったのかと慌てて携帯電話を開くと『英蔵さん』の文字、ほっとして電話に出る。
「もしもし?」
『ああ、ツネ。雨ひどいだろ〜?』
窓の外に視線をやると相変わらずの豪雨と雷。
「そうっすね、土砂降りです、土砂降りって漢字で書くとなんか雨っぽくないですよね」
『んん!?あ〜〜〜!確かに、あれってなんだろ、当て字なのかな?』
「確かに今の雨を文字にするなら《どしゃどしゃ〜!》って感じですねぇ」
『なんか響きが可愛いな・・・って!そうじゃなくてさ、雨酷いから車でそっちまでまわってくよ、乗ってけ』
「いや、大丈夫っすよ。もうすぐ止むでしょうし」
『いやいや、乗ってけって。今日は一日雨だって天気予報で言ってたし、こんな日に電車じゃ大変だろ?あと30分したら行けると思うから準備しといて』
「・・・わかりました、ありがとうございます」
『そん代わり昼飯付き合えよ〜』
「は〜い!」
通話を切ると同時に再び携帯電話が着信を告げた、明希からだ。
ほんわかした気分が一気に吹き飛んで、少し震える指で通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもしもっも!!』
「はい!?」
『マンションの下に口裂け女がいるよ〜〜〜』
いまいち緊迫感にかける声だったが、内容は緊迫させるに充分だった。
「え・・・マジっすか?」
『マージ・マジ・マジカ!!』
テンパっているのか、ギャグを言う余裕があるのか。
ドキリ・ワクワク・ラジカル・フォースと返すべきかと一瞬迷うが、よく考えれば、いや考えなくてもそれどころではない。
「マンションの下にいるだけ、ですか?」
『うん、窓から見える。超こっち見てる!窓から見たら追っかけのファンの子がって経験する前に、窓から見たら口裂け女が!って経験しちゃったよ、なんだろう、激しく損した気がする!!ねぇそう思わない?』
どうやら余裕らしい。
余裕の明希様だった。
いや、これが明希のテンパりかたなのかもしれないが。
「あの、明希さん・・・それで、大丈夫そうなんですか?」
『ってか今、俺・・・車待ちなんだけど。俺は二階より上にいるから大丈夫だけど、もうすぐ事務所のバンが迎えに来てくれるんだけど・・・そっちは大丈夫なのかな?』
これには答えられない、あの口裂け女は「自分達」が遭遇したものではあるけれど、他の人間にはどういう対応を取るのか。
『・・・あ』と電話の向こうで明希が小さく声を上げた後、沈黙が訪れた。
「・・・明希さん?」
耐えきれずに恒人が声をかけると明希が困惑した様子で言う。
『車、来たよ・・・口裂け女は消えちゃったみたい・・・』
「消えた?」
『うん、いなくなっちゃった。もう大丈夫っぽい。じゃあお迎え来たし俺行くね』
「はい、あ、一応後で安全確認のメールだけしてもらってもいいですか?」
『らじゃーりょうかい。恒人君!ドキリ・ワクワク・ラジカル・フォース!』
「・・・なんだか明希さんを敬い讃えたくなりました」
何がすごいってその精神力がすごい。
『いえい!では自分の時代から外れた戦隊モノEDの2番を歌えることに絶望しながら行ってきます!』
「同意しつつ、行ってらっしゃいませ!」
『ちなみに踊れるよ!』
「あ、俺も踊れます・・・」
『じゃあ今度一緒に踊ろうね〜〜〜!』
「それはお断りします」
『恒人君はマジイエローね!』
「一番難易度高いじゃないですか・・・」

明希との内容の割に緊張感のない電話を終え、恒人自身も出かける準備をしつつ、考える。
口裂け女は出る時間を選ばないということ。
それこそまがりなりにも妖怪ならば柳田國男先生の言う通り、黄昏時だけに出てくれればいいのに、そうはいかないらしい。
しかし、人前で襲ってくる気はなさそうだ、ということ。
そこで恒人はある仮説に辿りついた。
逹瑯は恒人の経験を「理屈上ありえない」と言ったが、もっとありえないのは逹瑯の経験のほうじゃないかと。
いかに日本の電車が時刻に細かいとはいえ、まさに発車せんとする電車の前に背を向けて立っている人間がいたら・・・電車は動かないだろう。
おそらく慌てて駅員が止めに来る。
走り出した電車など凶器だ、そんな位置に立っていたら巻き込まれて大怪我をする可能性が高い。
ならば、自分と逹瑯と明希以外に口裂け女の姿は見えていなかったのではないか。
写真撮影機の異常に恒人だけが気づいたのではなく、恒人以外には見えていなかったのではないか。
だとするならば、この三人に口裂け女と関わる理由があるはずだ。
しかし共通点がない。
外見にも中身にも共通するものがない。
恒人と明希が同じベーシストであることが逆に収まり悪く感じるほど共通点がない。
「・・・分からない、なぁ」
つい笑みが自嘲を含んでしまう。
自分は探偵役にはなれないな、とそんなことを思った。



恒人からの丁重なメールと、明希から「え?暗号?立て読み?」と思うようなメールが届いた時、逹瑯は既にスタジオにいた。
スタジオが2階であることに若干ビビっていたが、恒人の言う「口裂け女は人前では襲ってこない、もしくは自分達にしか見えていない」という説に納得し、安心した。
ちなみに明希のメールには『今度会う時までに呪文降臨~マジカル・フォースを踊れるようにしておいてくださいね、逹瑯さんはマジグリーンです』と書いてあったが無視していいだろう。いや、新手の魔除けか、新種の兎歩なんだろうかと一瞬真剣に思ってしまった。
そこで隣にいるサトチに聞いてみることにした。
「なあヤス。お前『呪文降臨〜マジカル・フォース』とかいうの踊れるか?」
「踊れるべ!っていうかみんな踊れるって!」
「そうなんかっ!?」
「なんだたつお、お前踊れないのか!?あれは日本人みんな踊れるぞ!茨城県民体操ぐらい有名だべっ!」
得意げにいうサトチに逹瑯は自分が遅れているのかと少し焦るが、そこにユッケの冷静な声が割って入った。
「さとー、茨城県民体操はそんな有名じゃないって・・・」
「嘘だあ!?」
「そういやそうじゃねぇか!適当こいてんじゃねぇよ!」
ペットボトルでユッケの頭をどついてから逹瑯は椅子にもたれかかった。
「あ、あれ?なんで俺が叩かれるの!?」
と叫んでいるユッケは無視だ。
どうしたもんかな、と天井を見る。
自分と、明希と、恒人の共通点を逹瑯も考える。
逹瑯は基本的に直感と感性の人間であるため、思考を巡らせるというより思い浮かんだことをパズルのようにいじくりまわしながら考える。
明希はあの愛くるしい外見に反して恐ろしくタフな人間だ、物怖じしない人間だ。他のシドメンバーの繊細さをカバーするかのように打たれ強い。
相手が誰であれ臆することなく裏表なく向かっていくから誰からも好かれ、愛される。
それが子供っぽく見える点でもあるが、最大の強みだ。
加えてあのへにゃ顔で話しかけられて悪い気がするヤツはいまい。
可愛がられ、頼られ、信用される。
恒人は・・・タフに見えるがそうではないだろう、あれは我慢強い部類の人間だ。苦境を、逆境を、耐え忍びながら乗り越えていくタイプだ。
涼しげな顔のままでやってのけてしまう人間だ。
認められる努力をして、愛される努力をする・・・人間だ。
なるほどなぁと逹瑯はひっそり笑う。
英蔵が「出来の良い弟を持った気分を味わえる」などと言った時、一緒にいて劣等感を持ってしまうのかと思ったけれど違うらしい。
年下があの性格ではかまいたくもなろう。
「う〜〜〜〜〜ん」
隣にいるサトチの頭をべちべち叩きながら逹瑯は唸る。
なにも浮かびそうにない。
ミヤならばなにか的確なアドバイスをくれそうでもあるけれど。
今はまだそこまでではない、できることならばちゃちゃと解決して唄録りに集中したい。
そういえば、恒人はメンバーに話していない様子だったなと逹瑯は思う。
「う〜〜〜〜あ〜〜〜〜ぼ〜〜〜い!!」
世話焼きな逹瑯は思う。
メンバーに話すきっかけを作ってやろうと、にんまりと笑う。


雨は降り続いていた、豪雨というほどでもなくなったが、確かに電車で移動するには面倒な降りだったので、恒人は改めて車に乗せてくれた英蔵に感謝した。
雨であるためいつもより真剣な顔でハンドルを握っている英蔵の横顔を見つめて言う。
「なにか感謝の言葉をかけようとしたんですが、どうも言葉では言い尽くせないようなので、なにも言いません」
「・・・いや、そんないきなり名言っぽいことを吐かれても困るんだけど、なんかあったの?」
「いえいえ、こう毎度英蔵さんに迎えにきてもらうのも悪い気がするので、俺もいいかげん運転免許を取ろうかなと思ったんですよ」
「え?いいじゃん、ツネは俺の車乗ってれば」
車内に沈黙が降りた。
気温は氷点下だ。
「・・・あ、あの、あのな、変な意味じゃねぇぞ、ただ、なんかあったら迎えに行くし、必要なら車出すってそーいう」
変な意味でないのは当たり前だとばかりに冷やかな視線を送って恒人は言う。
「・・・いえ、俺が取ろうかと言ったのは自家用操縦士の運転免許ですよ」
「え〜ツネが運転する小型飛行機とか怖くて乗れねぇよ!」
「突っ込むとこそこっすか!?」
「だいたいジェットコースターも乗れないヤツが飛行機なんて操縦できるわけねぇだろ〜」
「そして頑なにそこに突っ込むんですか!?」
可笑しそうに笑う恒人に英蔵も笑う、徹底的な安全運転派であるため前を向いたままであったが、どちらも互いが笑ったのを空気で察した。
「英蔵さん、俺ね・・・口裂け女が怖いんです・・・」
「は?」
「幽霊とかあんま怖くないんです、でも口裂け女だけはなんか・・・怖いんですよ」
子供じみた言い方をするならば「生きている人間のほうがよほど怖い」。
でも口裂け女だけは違う。
心底恐怖している。
昨日のことを思い出した。
ぱっくりと耳まで裂けた口、剥き出しの歯。
しかしそういった造形ではなく、「口裂け女」そのものが怖い。
「へぇ・・・ツネにも怖いものってあるんだ」
「失礼な、人をなんだと思ってるんですか」
「いやいや、ツネってさ、その辺の処理って言うか、自分の中で折り合いつけるのは上手いじゃん。不思議と要領は悪いけど、やっぱ頭良いのかな〜。答えを出すのは得意だろ」
褒められているのか貶されているのかよく分からない内容だが、英蔵は人を貶すような人間ではないのでおそらくありのままを述べているのだろう。
「ツネの歳だと・・・口裂け女流行ったのって何歳ぐらいの時?」
「えっと、小学校二年生の時ですね、第二次ブーム的な・・・」
「そっか、そんな小さい頃のことなんてよく覚えてないかもしれないけどさ、なにかあったんじゃないの?口裂け女を怖がっちゃうようななにかが、さ。でもなんで急にそんなこと思ったんだよ?」
「この前、街でワインレッドのスーツを着た女性を見かけましてね、それでふと思い出したんですよ、で・・・思い出してみたら怖かったんです」
上手く嘘をつくコツは9割真実を告げて隠したい部分だけぼかすことだということを恒人は知っていたのでそう答えた。
まあ英蔵相手にそんな小細工をしなくとも英蔵は恒人が「信じて欲しい」と言えば信じた態度をとるだろうが、今回は徹底的に隠さなければならないので保険だ。
「ワインレッドのスーツってなかなかすごいファッションだな・・・」
「ま、きっとスタンド使いの方だったと思いますけど」
「スタンド使いなんて存在しねぇよ」
意外と現実的に突っ込まれた。
「いえ、俺もスタンド使いですから、引かれ合うものがあったんでしょう」
「使えるのかよ!?」
「ヘブンズ・ドアーを使えます、ちなみに第三期です」
「しれっと一番エグイ能力セレクトするなよなぁ・・・」
「じゃあ英蔵さんはなにがいいんですか?」
「ハーヴェストだろ、そりゃ」
「・・・小者」
「小声ですげぇ暴言吐いてんじゃねぇよ」
「浅葱さんの家のベランダに猫草がいるんですよ」
「本当かもしれない嘘をつくなっての!」
馬鹿話をしたおかげで頭の回転がよくなり仮説が恒人の中で補強された。
口裂け女は絶対に自分達の前にしか現れない。
あの目立つ姿に大きなマスク、誰が見たって、本物だと思わなくったって「口裂け女」を連想する、ならば・・・
もしその姿で、白昼で、衆人環視の中で昨晩のように凶器を持って出現したらそれはもう「事件」だ。
通報されるレベルのものだ。
都市伝説は事件を起こさない。
タイミング良く携帯電話がメールの着信を告げた。逹瑯からだ。
そのメールを読んで恒人は本格的に困ってしまう。
『浅葱君ってもしかして口裂け女の第一次ブーム世代じゃない?話聞いてみて』
そうメールには書かれていた。



スタジオに着いてから恒人は雑談を装って浅葱に聞いてみたが、どうやら浅葱は口裂け女ブームから若干外れていたらしい。
「なんでそんなこと聞くの?」と勘の良い浅葱に不審がられてしまったので早々に切りあげ、廊下に出て携帯電話を開く。
仕事中であろうこの時間に迷惑かとも思ったが言ってやりたいことがあったので逹瑯にメールではなく電話をする。
『もっし?どうだったツンデレ君』
いつも通り不遜で尊大で、そして恒人が電話をしてくるのを分かっているような声だった。
「・・・浅葱さんは知らないみたいでした」
『ふーん。あっそ・・・で?』
「逹瑯さん、俺がこのことをメンバーに話していないことにご不満でも?」
恒人にしては珍しく、それも先輩相手に喧嘩を売るような口調になってしまったが、逹瑯は気にすることなく、むしろ感嘆したように言った。
『分かった?やっぱすげぇなお前、でもちゃんと聞いちゃうとこは真面目だな』
「この状況でそれが褒め言葉でないことぐらい分かりますけど?」
『そーだよ、褒めてねぇ。でも喧嘩したいわけでもないけど』
「じゃあ・・・なんなんですか?逹瑯さんだって今回のことメンバーには話してないじゃないっすか」
逹瑯は鼻で笑う、ふんぞり返っている姿が目に見えるようだ。
『当たり前だろ、話す必要ねぇし、関係ねぇし』
「関係ない?」
『関係ないね。俺が口裂け女に追っかけられようが、ユッケが三本脚のリカちゃん人形に取り憑かれようが、ヤスがメリーさんの電話受けようが、ミヤ君の家にカシマレイコさんが来ようが俺には関係ねぇよ・・・だってアイツら自分でどうにかしちゃうんだもん』
それこそ、と逹瑯は冗談っぽい口調になる。
『茨城ヤンキーなめんなって話しだべ』
「じゃあ、なんで俺にあんな・・・」
『俺ね〜!警戒心強い猫見ると捕まえてうりうりしたくなっちゃうのね!』
「・・・は?」
自分が「警戒心強い猫」に喩えられていることは分かるが言いたいことがさっぱり分からない。
『だって恒人君、本当のところはメンバーに相談したいんだろ?』
「・・・それは、でも」
『大きなお世話ってことかね〜!まぁする気がねぇなら無理強いはしねぇけどよ、恒人君』
「なんっすか?」
『観察力は認めるけど、俺如きに観察してるってことがバレるようじゃ、お子ちゃまだべ』
愉快そうにそう言って、通話は一方的に切られた。
「・・・なんだよ」
さすがに温厚な恒人も不快感を覚え、携帯電話を見つめる。
「だ〜れだ!」
いきなり背後から目隠しをされた、それもベタな台詞と共に。
「・・・・・・」
声で大城だというのは分かるが、そのあんまりな行動にリアクションに困る。
というより生きていて実際にこれをやられる経験をするとは思いもよらなかった。
「ツネちゃん、こんな怖い話を知ってるか?マナコさんっていうお化けの話だ、こうやって目隠しをしてきて自分の名前を当てさせるんだ、で当てられないと目玉を取られる」
「目を取るから『マナコさん』ですよね」
「んんんん?」
「目は『マナコ』とも読みますよね・・・」
「なっ!すげ〜!!!初めて気づいた!!ツネちゃんすげ〜〜!!!」
「そんな大城さんが大好きですから、そろそろ手を話してもらえませんか?」
「あ、めんご、めんご!」
とようやく視界が解放されたので恒人は振り返って大城を見る。
「しかしなんで急に・・・『学校怪談』の第44話ネタを?」
「なんだよ、元ネタまで知ってんのかよ〜!」
と大城は照れくさそうに頭を掻いた。
「いや、ほらツネちゃんがさっき口裂け女の話しなんかしてたから、こっち系に興味でも湧いたのかと思ってさぁ!」
「ああ、そうなんですよ、ちょっと・・・興味あるっていうか・・・」
一度嘘をつくと、重ねてつかなければならないことになるから嘘は嫌いだった。
「へぇ、まあ俺も昔は廃墟だとか、変な噂のある場所で肝試ししたりしたけどな〜」
「はいはい」
「納得すんなよ!なんだよ、その『ああやっぱり』みたいな顔はさぁ!」
頭を掴まれて思いっきり揺さぶられた、もちろん大城は巫山戯てやっているのだけれど。
「ま、俺が若い頃はやっぱ首なしライダーだったなぁ・・・って納得すんなちゅーの!あとはポケベルに『564219』ってメッセージが入るとか・・・きょとんとすんな!!」
「だってポケベルとか・・・現物見たこともないですよ・・・」
そんな馬鹿話が途切れて、ふと大城が真剣な顔になる。
「ツネちゃん、なんかあったらすぐ相談しろよ」
と雑な感じに頭を撫でられた。
「いつも冗談っぽく言ってるから流されてるかもしれねぇけどさ、俺はマジでメンバー全員守ってやるつもりでいるんだからな!」
そう言って、大城はその逞しい胸を拳で叩いた。
晴れた夏空みたいに爽やかな笑顔に、一瞬全てを話してしまいそうになったがすんでのところで呑みこんで首を振る。
「大丈夫です、なんもないっすよ」



逹瑯からの返信メールが「ばか」の一言のみであることを確認して明希は携帯電話を閉じた。
おそらく三人の中で一番「それどころじゃない」のは明希だ。
あれから、いやあの時点で兆候はあったが、シドの知名度は飛躍的に伸びた。
それは夢であり望んだ場所だ、やっと手に入れた立ち位置だ。
まるで嵐の中にいるような気がした、様々なものが広がる、色々な人が近寄ってくる。
それでも明希は恒人のような観察眼こそ持ち合わせていなかったが、その人懐っこさ故に、交友関係の広さ故に、相手が善意でこちらに近づいてきたのか、打算をもって近づいてきたのかぐらいは見破れる。
経験値の問題だ。
自分がすべきことはこの立場に見合う努力をすることであり、信念を曲げないことであることもちゃんと分かっている。
むしろ警戒心が強いくせにそういったことを見破るのが不得手なマオのことを心配しているぐらいだ。
そのマオにしたって軸がぶれないという点では信頼している。
「ちょっと、パキ!」
最早原形を留めていないあだ名で呼ばれて明希は顔を上げる。
マオが不機嫌そうにこちらを見ていた。
「話聞いてた?」
「聞いてたよ、ボーカリストたるものエコーACT1ぐらいは使えるようになりたいな、って話でしょ」
「してねぇよ!なんでジョジョの話になるんだよ、スタンド使いなんか目指してないつーの!」
「デスノートの夜神月は無様に死んだけど最後のコマを見ると彼の望んだ通り『神』になれたんだな、って話だっけ?」
「そんな深い話もしてないわっ!」
明希はアヒル口になってマオを見る。
アヒル口が許される男だった。
「てか聞いてないならもういいよ、別に重要な話してたわけでもないし・・・」
「ねーマオ君、頑張ってね」
「は!?」
唐突すぎる言葉にマオは目を見開いて明希を見る。
「俺もちょー頑張っちゃうから、マオ君も頑張ってね」
「・・・だから、なんだよ急に」
「なんでもないけど、なんか言いたくなったから」
「ふーーーーん」
照れたらしく、視線を逸らすマオに明希は心の中で微笑んだ。
ところで、である。
明希はおっとりしている、のんびりしている、楽天家といえるくらいのほほんとしている、言動からなにから軟体っぽい擬音が似合いそうなキャラクターだ。
が、その性質を全て打ち砕くが如く、明希は短気だった。
逹瑯が言うところの「短気で呑気」。
恐ろしいほど気が短い、瞬間湯沸かし器。
まあ発散した瞬間に怒りを忘れてしまうので周囲はさほど迷惑を被らないが。
とにかく気が短い。
だからこの事態に、口裂け女につきまとわれている現状に、真っ先に我慢できなくなったのは明希だった。
それは恐怖ではなく、生活に制限をかけられることに対する怒りだ。
意味のわからない恐怖を抱いている恒人より、先延ばしにしている逹瑯より、明希はさっさと解決へと動いた。

「もしもしもしもし、ユッケさん?」
『明希君どうしたの?』
「自虐亭さんのメアド教えて欲しいんですけど」
『え!?なにかあったの?』
「ちょっと必要なんで教えて下さい」
『なんかあったの?大丈夫!?』
「大丈夫ですから教えて下さい」

かくして、メンバーである逹瑯すら躊躇してできなかったことをやってのけた。
ユッケの押しに対する弱さもあろうが、自虐亭のメアドをゲットし、さっそく相談メールをしたのだった。


都内某ファミレス。
距離的に妥当で、24時間営業で、3階にあると理由でこの場所が選ばれた。
逹瑯、明希、恒人の3人が集まっている。
「あの自虐亭ちょーむかつく!俺のメールを添削して返して来た!文法間違いとかいちいち指摘してあんのっ!」
怒りながらサラダを食べている明希に、逹瑯と恒人は顔を見合わせて肩を竦めた。
「んで、明希様。自虐亭はなんて言ってきたんだよ?」
「まあ、おおむね正解ってことらしいんですけど・・・」
明希のまとまらない話をなんとかまとめるとこうだった。

口裂け女は実在している。そして恒人が予想した通り、都市伝説の存在を認識しているからこそ「見えてしまった」いや、見た現象を気のせいで流せなかったからこそ、口裂け女はつきまとってきているらしい。
こちらが認識すればするほと、向こうの存在も強固なものになっていく。
しかし口裂け女の噂自体が今はさほど流れていないので、口裂け女はかなり弱体化しているらしい。
べっこう飴も、ポマードも、犬も全部有効に働く。
予想外だったのは口裂け女の正体だ。

『口裂け女は《ストレス》や《プレッシャー》が実体化したものなんだ、だから見た人間にしか見えない、3人同時というのはレアケースだといえるが、3人の元に同じ口裂け女が現れているわけではなく、それぞれ別の存在だ。同時に目撃できたのは同じ《口裂け女という現象》だからだと思う。だから君達が3人一緒にいれば口裂け女も三人ご登場なんてこともある。
口裂け女を知っている人間はストレスやプレッシャーを感じた時、口裂け女を見るんだ。しかし大抵の場合はそこで流してしまうからそれ以上のことは起こらない。今回は認識してしまったことがある意味で失敗なんだ。
そうなるともう連鎖だ、今度は口裂け女の存在がストレスになるから、口裂け女はいつまでもつきまとってくる。
打破する方法は君達が一切のストレスやプレッシャーから解放されるか、そうでなければ、自らのストレス、プレッシャーである口裂け女と向き合うことだ、鏡を見るようなものだね、向き合って、自分で納得できれば消滅する。
但し、君達が感じているのが《死にたいほどのストレス》であれば口裂け女は殺しにかかってくるだろうけれどね、まあその場合、自殺になるんだけれど。僕が言えるのはこれだけだ、幸運を祈る』

「向き合うつーか、対決すればいいんだな、あの口裂け女と・・・じゃあ」
「ちょっと待って下さい・・・俺は嫌ですよ」
ここで恒人から『NO』が出るとは思わなかった逹瑯は驚いて姿勢を正す。
「え・・・なんで?」
「怖いんですよ、怖いからイヤです」
「恒人君、最初からなんか怖がってたもんねぇ」
明希は特に気にした風でもなく言った、自虐亭に解決法を教えてもらった時点で怒りはほぼ解消されてしまったらしい。
「だからって、ストレスやプレッシャーから・・・一切解放されるなんて不可能だべ」
「分かってますよ、でもそもそもそんな・・・気に病むほどのプレッシャーなんて感じてるつもりなかったのに、それもショックです」
「そこは俺が口出すことじゃねぇし知らねぇけどよ、だからってこのまんまってわけにもいかねぇだろ」
「・・・一晩、時間を下さい。考えさせて下さい」
恒人に深々と頭を下げられ、逹瑯が焦る。
「お、いや、そんくらいはいいべ。なにもいきなりどうこうしようってわけでもねぇしさ。恒人君がそんな怖がってるとは思わなかった・・・」
「恒人君は口裂け女のことメンバーさんに話してないんだよね」
脈略もなく、空気も読まずに放たれた言葉に、頭を下げていた恒人もなだめていた逹瑯もきょとんとして明希を見る。
「あの、えっと、博愛の象徴っぽいお兄さんとかにも」
おそらく浅葱のことを言っているのだろうと恒人は頷く。
「ええ、話してませんよ」
「後でバレたら怒るんじゃない?」
「怒るというか・・・叱られるとは思いますけど」
「じゃあ今、叱られるようなことしてるんだ」
のほほんとした調子で放たれたその言葉は恒人の胸を突き刺すには充分だった。
的確すぎた。
「おい、明希・・・」
止めようとする逹瑯を無視して明希は言う。
「俺もめっちゃ怒られると思うけどさ、でも俺の場合言ってもどーにもなんないから言わないの、みんなで右往左往したってしょうがないじゃん。信頼ってのはさ相手を過大評価するのとは違うからね。まあこれは俺の個人的な意見だけど。マジでやばけりゃそりゃあ手は貸すよ、でも俺もできることしかしないつもりだしね、努力はするけど」
「・・・明希さんって、すごいですね」
恒人は嘆息したようだったが、明希は特に自分が特別なことを言ったとは思っておらず怪訝そうな顔。
恒人は思う、迷惑をかけるだとか、そういうことではなく。
きっと自分は英蔵が、大城が、浅葱が、涙沙が、自分に手を貸した結果傷つくことが嫌なんだなと。
後で叱られたほうがまだマシだと。
「なんだかすっきりしました」
「ん〜?」
まだ怪訝そうな顔をしている明希に恒人は微笑む。
「マジでどーしようもなくなったらメンバーにも相談しますよ。でも自分でできる範疇のことなら自分でやります」
「なにそれ、一回転しただけじゃん」
逹瑯が意地悪く、でも愉快そうに言うのでそちらにも笑顔を見せる。
「自覚できただけでもずいぶんと気分が違うものですよ・・・逹瑯さんこそ本当のところはどうなんですか」
「変わらねぇよ。っていうか・・・マジでヤバイ時ってなんだかんだで助けてもらってるしな。乞われるまで手は貸さないし、乞わなくてもいざって時は分かるんじゃねぇの?」
リジーの部屋でそれぞれの信頼関係は嫌というほど見せつけられていて、そしてその形も様々であることは学んでいる。
また明日、会う約束をして三人はファミレスを出た。



『まるで流行り病のようだった』
口裂け女に関する論文の一文だ。
ならばその病に未だ侵されているのかと恒人は思う。
何かがあったはずなのだ、口裂け女に関して嫌な思いをした、怖い思いをした。
だからこんなにも怖い。
ソファーにもたれて目を閉じる。
小学校二年生の頃を思い出してみる。

「口裂け女は2階より上にいけないんだって」

記憶の中の誰かが言う。

「じゃあ俺はだいじょうぶだ、マンションの5階だもん」

別の誰かの声が響く。

小学校二年生、男女が気兼ねなく混じって遊べた最後の季節。
記憶の中の教室は薄暗く、外は激しい雨が降っていた。
突然の雨に帰りそびれてしまった児童達が教室の隅で寄り添うようにしておしゃべりをしている。
「口裂け女に会ったらどうすればいいの?」
「べっこう飴を投げればいいんだよ、それかポマードって言う」
「バカみたい、口裂け女なんかいるわけないじゃん」
「でもさ、今日も先生が言ってたじゃない、最近ふしんしゃがいるから気をつけなさいって」
「・・・ね、まだ帰らないのかって怒られるよ」
「しょうがないよ、傘がないんだから」
「あのさ、もし口裂け女に『ブス』って言ったらどうなるの?」
「連れて行かれちゃうんだって、それで口裂け女にかいぞーされちゃうんだ」
不意に沈黙が訪れ、雨音だけが教室に響く。
みんな本気で怖くなったのだ。
「ふぅん、じゃあ私、口裂け女に会ったらそう言ってみようかなぁ」
そんな発言をした少女に注目が集まる。
「だってさ、ふつーに生きてるより楽しそうじゃない」

そうだ、確かそんなことがあった。
そしてその翌日、その子は学校に来なかった。
「転校」したのだと先生は言ったけれど誰もそれを信じなかった。
口裂け女に連れて行かれたのだと口々に言い合った。
そして怖くなったのだ、口裂け女になったその子が自分達の元へ来るのではないかと、怖かった。
遊びの誘いに来るように、その子が口裂け女の世界へ誘いに来るんじゃないかと、怖かったのだ。

記憶が繋がった、思い出せた。
恒人はゆっくり目を開けて天井を眺める。
今にして思えば、頑なに大人達が口を閉ざしていたのは、よほど切羽詰まった事情での転校・・・引っ越しだったからだろう。
何か事件があったとか、そうでなければ夜逃げか。
それが偶々、そんな会話をした翌日だったから口裂け女と結び付けてしまった。
思い出してみれば、ただそれだけのことだった。
いや、その子が本当に不幸な事件に巻き込まれ、それを大人達が隠したという可能性も0ではないけれど、低いだろう。
少なくとも「転校」と言い張る以外のことはなかったはずだ。

口裂け女が怖かったのは・・・その子かもしれないからだ。
もう名前も顔も思い出せない同級生の少女。
黄昏時に溶けていった女の子。
誰そ彼時。
もう誰かも分からない。
今どこでどうしているのか知りようもない。

「もう・・・大丈夫だ」
恐怖が消えたわけではないが理由が分かった以上恐れることはない。
ならば・・・直接対決だ。




翌日、なんとか都合を合わせて黄昏時。
都心から少し離れた場所にある廃ビルに三人は集合していた。
「住居不法侵入ですよね」
と恒人が生真面目そうな顔で言った。
「此処が良いって言ったのは自虐亭だぜ?人に見られないし、口裂け女も出現しやすいって。時間まで無理くり合わせたんだから此処に来て尻ごみすんなよ」
逹瑯は面倒くさげだった。
明希は無言でビルを眺めている。
『三叉ビル』という看板は残っているが、既に全てのテナントは撤去した、本当の廃ビルである。
周囲に人気もない、というより路地裏のさらに奥といった具合のそこは教えられなければ辿りつくこともできなかっただろう。
廃ビルになってから日は浅いらしいが建物自体は古い、特に立ち入りを禁ずるような鎖や看板もない。
「・・・よくこんなとこ知ってるよね。自虐亭さんは廃墟マニアかなんか?」
「廃墟でも不法侵入は不法侵入なんですけど・・・しかたありません、3階建てということはいざとなれば上階に逃げ込めということでしょうか?」
「さぁな、そこは各自ご自由にって話だべ。まあ向き合えちゅーんだから逃げたらダメなんだろうけどな」
「日が暮れるまえに終わらせましょー。口裂け女はそこまで怖くないけど廃ビルに日が落ちてからいるのなんて怖いよ〜」
「明希様の基準がよく分からん!」
そんなことを言い合いながら足を進める、ガラス張りの扉は難なく開いた。
「じゃあまあ・・・行きますか」
「うん。EDは三人で『呪文降臨〜マジカル・フォース』踊るんですもんね」
「え?あれ本気だったんですか!?」
「それ以前にEDってなんだよ・・・」
「エンディングテーマのことですけど」
「もういい、お前黙れ、永久に口閉じてろ!」




逹瑯は二階から三階に上がる階段の踊り場に腰をおろしていた。
口裂け女が二階より上に行けないならば、此処までは来れまい。
手の届かない位置にはいるが逃げてはいない。
反則と言えば反則の場所であった。
「ま、明希様はこーいう狡いこと思いつかないし、恒人君はくそ真面目だから思いついてもやらないだろうし。俺様オリジナル技ってとこかなぁ」
踊り場でふんぞり返り、逹瑯はにまりと笑う。
「人から見下ろされるの嫌いだしね・・・おーい!口裂け女!出てこいよ!」
自虐亭のメールにあった通りにそう呼べば、口裂け女は現れた、唐突に階段下に出現した。
ワインレッドのパンツスーツ、赤いピンヒール、手には・・・何故か自分ではなくユッケとミヤから聞いた知識を反映してしまったらしく鉈を持っていた。
既にマスクは外している。
耳まで裂けた口を開いて、歯をカチカチ鳴らして逹瑯を見上げている。
やはり上がってくることはできないらしい。
「わたし、キレイ?」
「さぁね、少なくとも俺の好みじゃねぇわ」
不遜に笑う逹瑯に口裂け女は歯を鳴らす。
これが自分のストレスやらプレッシャーの姿なのかと思うと笑えてきたのだ。
プレッシャーなら嫌というほど抱えているが、それを不快に思ったことなど数えるほどしかない。
もうとうの昔に氷解して、解決した問題だ。
犠牲を払って、贖罪して、今がある。
「半ば偶然っていうか巡り合わせっていうか・・・運が悪かったんだと思うんだよな、この世の中でストレスもプレッシャーも感じてない人間なんていねぇだろうが。まいるよなぁ、知識があるってことが敗因なんだから」
口裂け女は逹瑯を見上げている、歯を鳴らしながらどす黒い瞳で見つめている。
「ちょっとばかし責任感じちゃってんだよ、柄にもなくさ。あの時俺がわざわざ聞いて回らなきゃ、恒人君に『口裂け女』だって言わなきゃ、ここまでこじれなかったんだろうなあって。ま、あやまらねぇけど」
逹瑯はゆっくりと立ち上がる、尊大に口裂け女を見下ろす。
「向き合えって言ってもさぁ、俺にしてみりゃプレッシャーは心地いいしストレスはスパイスなんだ、でも一個だけこれだけは言っておかなきゃいけない。自虐亭の表現・・・あれ一個だけどうしても気に食わねぇんだ」
一歩、階段を下りる。
『鏡を見るようなもの』
これだけは呑めない、納得するわけにはいかない。
また一歩階段を下りた。
「アンタが俺の鏡?ふざけんじゃねぇよ・・・」
一歩一歩階段を下りていく。
「俺の鏡はこの世で只一人、なにもかも正反対でなにもかも対立しててそれでいて芯が全く同じな、あの気に食わなくって、すげえ偶に可愛いとこがあって、鬼みたいに怖くて、鳶みたいにカッコいい・・・ミヤ君だけだ」
階段を下りきった逹瑯は口裂け女の前に立つ。
その大きく裂けた口を目の前に、不敵に笑う。
「消えろよ、マガイモノ。都市伝説如きが俺を映せるか、俺はあのミヤ君の鏡なんだぞ」



恒人はビルの一室にいた。
何かの事務所が入っていたのか、段ボールの山が放置されたままだ。
それに背を向けるようにして立つ。
一つしかない扉からはあえて離れる形だ。
「背水の陣・・・てほど大層なもんでもないけど・・・口裂け女さん?」
じゃきん。
と目の前で刃物が合わさった。
反射的にかわした拍子に後ろの段ボールに突っ込み転んでしまう。
段ボールがクッションになって痛くはなかったが、崩れた段ボールに半分埋もれたような状態だ。
口裂け女は天井に張り付いてぶら下がっていた。
長い黒髪を垂らし、大きく裂けた口でげらげらと笑っている。
絵図的に怖かった、というより・・・
「俺の場合・・・恐怖心も反映しちゃってるんだろうなぁ」
口裂け女の顔は視線より少し高い、すぐそばにある。
まあこの状態で怖いと思わないのならその人間はどっかの神経がぶち切れているのだろうが。
「ストレスに・・・プレッシャーかぁ・・・言わなきゃ、自分に言い聞かせなきゃ分からないのかな」
恒人は口裂け女を見上げて微笑んだ。
哄笑してた口裂け女はそんな恒人を見返してくる。
「わたし、キレイ?」
「さぁ・・・知らないですよ。ねぇ口裂け女さん、俺の幸せが分かりますか?夢を持てて、その夢を追いかけられて、その過程で価値観を変えてくれる人達に出会えた幸せが分かりますか?」
なんだかインタビューにでも答えてるみたいだな、と恒人は少し笑って続ける。
「夢の高みを教えてくれる人に出会えて、そんな人達と一緒にいられる。これってもう奇跡だと思ってますよ。だから期待されてそれに応えるのは当たり前でしょう、それは言いかえればプレッシャーかもしれないけれど、プレッシャーすらかからない人生なんてつまらないじゃないですか、誰からも期待されないのは悲しいじゃないですか。普通に生きてたってそんな幸せには案外巡り合えちゃうものですよ・・・それに」
恒人の微笑みがメンバーですら見ることは稀有な穏やかで静謐なものへと変わる。
素直じゃないことを自覚している彼の心からの微笑みだった。
「俺が頑張るのは・・・みんなのことが大好きだからですよ」




恒人がいたのは一階だが、明希は二階の一室にいた。
「とりあえず一杯!」
そして座り込んでワンカップの日本酒を飲んでいた。
全力で不審者だった。
顔の可愛さが無駄になる不審者っぷりだった。
あげくに右手には鉄パイプを持っている。良識ある人間ならばいかに顔が甘ったるかろうが警察に通報するであろう状態だった。
ぐぃっと一気に日本酒を飲みほして、今度は素振りを開始する。
しばらくそうしたあとふっと息を吐いて鉄パイプを杖代わりに立つ。
「あ〜適度に酔ってきた、こんなん素面でできないよ、恒人君も逹瑯さんも天然水・・・じゃなかった天然すぎっ!」
おそらく逹瑯が聞いたら殴りかかってくるであろうことをのほほんと言って明希は部屋をぐるりと見渡す。
「くちさけおんなぁぁぁ!出てこいっ!」
そう叫んだ瞬間背後で足音がした。
「わたし、キ・・・」
明希は振りかえりざまに、素振りをするように躊躇なく鉄パイプを振るった。
それは口裂け女の顔面を素通りする、が口裂け女の言葉を止める効果はあったらしい。
「あれ?」
手ごたえがなかったことが不思議だとばかりに首を傾げて明希は口裂け女を見つめると、今度は鉄パイプを振り下ろした。
やはりそれは口裂け女の身体を素通りする。
ようやく物理攻撃が効かないことを理解した明希は不満そうに口裂け女を見た。
口裂け女は裂けた口を開いたまま、どうやら唖然としているようだった。
明希は都市伝説を唖然とさせる男だった。
「な、な、なにをする!」
口裂け女はそう言った、どうやらコミュニケーションは可能らしい。
「だってさ、アナタ俺のストレスなんでしょ?アナタが消えればストレス消えるんでしょ?」
逹瑯も恒人も気づいていなかった、いや思いもよらなかったことだが、明希は自虐亭の文章の意味を取り違えて、勘違いしていたのだ。
ミスといえば、添削の必要がある文章を送ってくる相手に、あんなややこしい内容のメールを返した自虐亭のミスかもしれない。
ぶんっ!と明希は鉄パイプをを振るう、口裂け女の方が気圧されて後ろに下がった。
「ストレス、ストレスねぇ・・・溜まってるよ。いいことばっかじゃないことぐらい分かってたけどさ、今までこっちのこと無視してたくせに掌返して媚びへつらってくるヤツとか、なんも知らない癖に俺達の悪口書きまくるヤツとか、ファンメ装って罵詈雑言送ってくるヤツとか、匿名で『裏切った』だのなんだの言ってくるヤツとかさぁ!イラつくよそりゃ、俺達だって人間だもん!」
そう言いながら明希は鉄パイプを振り回す。
「でもなぁ、こっちだって負けるかよ、その程度でへこたれるかよ、そりゃ属性的にはヘタレ揃いかもしんないけど、軸も芯もブレてねぇんだよ!自分を貫くのは得意分野だっての馬鹿野郎!!」
ビシリと硬質な音がした。見れば口裂け女の全身にヒビが入っている、そして粉々に砕け散った、跡形もなく砕けて消えた。
「・・・あれ?でもまあなんか・・・すっきりしたかも」
こうして勘違いしたまま、逹瑯や恒人と同じく口裂け女を消滅させることに成功した。



「え?違うの!?」
1階、恒人はまだ段ボールに埋もれたまま寝転がっていた、その状態で明希の勘違いを丁寧に説明していた。
礼儀正しい彼にしては寝転がったまま先輩と話すなんて無礼な行為をするのは珍しい、それだけ憔悴しているのかもしれない。
「でもなんかすっきりしたんだけど!」
「酒飲んで暴れりゃすっきりもするだろうよ」
逹瑯は完全に呆れ顔で明希を見て、それから寝転がったままの恒人を見た。
「ツンデレ君、動けないならいつだったかみたいにおんぶしてやろうか?」
「けっこうですっ!」
と恒人は跳ね起きる。
立ち上がったところで逹瑯から見下ろされることに変わりはないが。
「とにかくまあ、口裂け女も無事退治できたし帰ろうぜ、いいかげん日も落ちるし」
廃ビルの中はすっかり薄暗くなっていた、互いの顔は見えるが表情まではうかがえない暗さ。
確かに長居したい場所でもないので出口へと歩き出す。
「あ、そういや『呪文降臨〜マジカル・フォース』踊らないと!」
「一人で踊れ、不審者、酒臭いんだよ、よるんじゃねぇ」
へばりついてくる明希を振り払いながら逹瑯は大股で歩いて行く。
廃ビルから出て、さらに大通りまで出たところで三人は別れた、明希は呑みたがったが、恒人が辞退し、逹瑯もやることがあるからということで別々に歩き出す。


しばらく行って逹瑯はポケットの中の携帯電話が振動していることに気づいた。開いてみるとミヤからの着信。
なんていうタイミングだと逹瑯は通話ボタンを押す。
『ああ、逹瑯?』
「ねぇミヤ君、俺の鞄に盗聴器とか仕掛けてないよね!?」
『はぁ?なにが悲しくてお前の私生活なんか盗み聞きしなきゃいけねぇんだよ、阿呆。そんなことより歌詞』
「うん?」
『一か所直して欲しいって言ったとこ、直したか?』
「あ、ああああ、これからね、やろうと、思ってたんだ!」
『そっか、できたらメールくれ、まだしばらくスタジオにいるから』
「え、あ、うん、なるべく急ぐわ」
『りょーかい。たつろー・・・無事でよかったな』
「は!?」
通話は一方的に切れる、無機質な音が響くばかりの携帯電話を耳に当てたまま逹瑯は呆然としていた。
口裂け女と会ってから、ミヤとはろくな会話すらしていないのに、それなのに、なんでまるでなにもかも知っているように。
携帯電話を閉じて、逹瑯はくすりと笑った。
「ああ、ミヤ君にはかなわないわ・・・」


恒人は大通りに出てすぐの場所でガードレールにもたれていた。
既に夜になったとはいえこの季節、蒸し暑かったけれど、そうしている理由がある。
あの後すぐに英蔵から『夕ご飯一緒にどう?』と電話が来たのだ、今少し遠いところにいるから遅くなってしまうと答えればあっさり『どこ?迎えに行くよ』と言われ、少し迷ったが場所を告げた。
ふぁんと軽くクラクションがなって英蔵の車が横に止まり、窓が開く。
「暑いだろ〜早く乗れよ」
いつもの笑顔を見てなんだか気が抜けてしまった。
助手席に乗り込むとエアコンの風が涼しくて、小さく息を吐く。
「・・・迎え、ありがとうございます」
「言ったろ、どこだって迎えに行くって」
本当に当たり前という顔をしている英蔵に今度は笑ってしまった。
「っていうかお前、こんなとこでなにしてたんだよ?」
「ちょっと自分探しを」
「嘘つけ!思春期か」
「俺はマジレンジャーで言うところのマジイエローらしいんで」
「会話繋がってないけど!?あとツネはマジブルーだろ」
「それ女じゃないっすか・・・」
「・・・他意はないよ?」
「分かってますから。まあ・・・明日にでも話しますよ」
「そっか、ならいいや」
「・・・英蔵さんって、カッコいいですよね」
「はあ!?」
素っ頓狂な声を上げる英蔵に恒人はけらけらと笑った。


「だ〜れ誘おうかなぁ、ケンゾ暇かなぁ〜」
明希はぽちぽちと携帯電話のアドレス帳を見ながら歩いていた。
「そんで一緒に『呪文降臨〜マジカル・フォース』を踊ってもらわないとね」
ぽちぽち携帯電話を弄りながら、しかし通行人は器用に避けて明希は歩いて行く。
「あ、そうだ!しんぢの家に突撃してやろ、正月ぶり!・・・家にいるかだけ確認しなきゃ」
ふと、視界の端に赤い服を着た女が映った気がした、足を止めて周囲を見るがそれらしき人物はいない。
「・・・何回でも来れば?何回でも撃退しちゃうもんね」
そう言ってポケットに携帯電話を突っ込み跳ねるように歩く。
蒸し暑い風に吹かれながら明日を思う。
頑張ろうと、そう思う。


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