ドウタヌキ?


夏休み編#2納涼ダッシュ


時として世界は俺達に回答ができないような問題を突きつけてくる。
それに上手く答えられるヤツなんてどこにもいない。
俺達はその度に迷って選べばいい。自分にとって最良だと思うものを選べばいい。
あの太陽が故障したとしか思えないような暑い夏の日、提出された難題。
選んだのはあのかわいげのないけどかわいい後輩で、俺は只隣にいただけだったけれど、今、俺達が笑えていることが間違いではなかった証だと俺は思う。
また次がないことを祈るけれど、その時もできることならば、許されるならば傍にいて、本当は気弱な彼の支えになってやりたい。
そしてその後はまた、みんなで笑いたい。



納 涼 ダ ッ シ ュ


今年は猛暑らしい、そしてこの田舎の公立高校の体育館に冷房設備などという高級なものがあるわけもなく、どんなに訴えてもないものはないのだからしかたない。
そんなわけで夏休み中、俺達青嵐高校バスケットボール部は朝6時から練習を開始し、11時に解散ということになった。涼しいうちに初めて暑くなる前にやめる。
納涼祭りの翌日、前日は部活が終わるなりるいちゃんに駅前デパートまで強引に連れて行かれ、3時間もかけて浴衣やら甚平を試着させられてそのまま祭りというコースを辿った体は疲労困憊という状態だったけれど俺はいつもより早く家を出た。
派手な髪飾りを付けられるのをなんとか拒否したツネの浴衣姿は同性の俺から見ても百点満天だったが、ツネは甚平を着た俺を見て「すげぇ胡散臭いです!」とへらず口を叩いてきたので気分的にプラマイゼロだ。
そのツネに聞きたいことがあったので早めに学校に着いたわけだけれど、自分でもその「聞きたいこと」が具体的に分かっていない。
些細な違和感、それだけ。
行き当たりばったりもいいとこだ。
体育館は既に全ての扉が開け放たれていてツネが既に到着していることを知らせていた。
「別にいいのに」という俺達にかまわず、「後輩ですから」という理由でツネはみんなより早く来て準備をしておいてくれる。
体育館に入ってもツネの姿はなかった、更衣室かな?ときょろきょろしていると「おはよーございます、挙動不審ですよ〜」とツネの明るい声が降ってきた。
見上げるとバスケットゴールの上に制服姿のままちょこんと腰かけているツネがいた。
どうやったらそんなところに上がれるのだ、足がかりになるようなものはなにもないのに。
呆然としている俺にツネはちょっと困った顔で言った。
「いやあ・・・本気でジャンプしたら乗れちゃいました」
「あ・・・そっか、それで・・・」
「なにがですか?」
この時点で俺の「聞きたかったこと」はほとんど氷解してしまったのだれど、くっきりとした眉をよせて俺を見下ろしてくるツネの迫力に負けて言った。
「いや、最近のツネの動きが・・・その・・・違和感あったから、なんかわざと押さえて動いてるみたいな?」
ツネの眉間の皺が深くなる。
「さて、ゴールが俺の体重を支えきれる保証はないのでもう降ります」
「・・・うん」
「降ります!」
「・・・どうぞ」
ツネは小さくため息をついて俺を見た。
「受け止めてくれるんですか?」
言われたことを咀嚼して数秒、俺はようやく自分がツネの着地地点に突っ立っていることに気づいて後ろに下がった。
ほとんど音も立てずに着地してツネは俺を見る。
「どんどん上がっていくんですよ、運動能力が・・・ぶっちゃけ本気で走ったら口裂け女とタメ張れるんじゃないかってぐらい・・・」
「ひゃ・・・100メートル6秒!?」
「まぁそれはちょっと大げさに言いましたけど。まさか本気出せないでしょう、こんな状態で。浅葱さんが本気出したら互角かもしれませんけど、そんな人外バスケットボールやっても意味ないですし」
そう言うとツネは視線を外して、お尻を叩いて埃を払う。
どうしよう、言葉が出てこない、何を言えばいいんだ?
「えっと・・・ツネ、痩せた?」
いや、何を言ってるんだ俺。そんなことは今どうでもいいだろうが!!
「・・・ちょっと気味悪いですよね、自分のことながら」
返ってきたのはそんな言葉で俺は間の抜けた声を上げてしまう。
「いや、運動能力が上がったならそれに付随する筋肉が必要なわけでしょう?それこそ大城さんみたいなムキムキとはいかなくてもジャンプ力が上がったなら足に筋肉がついたり・・・でも見てのとーり、痩せ形のまんまです」
また言葉が出てこない、そうこうしているうちに「おっす!英ちゃん、ツネちゃん!」なんて言いながら入ってきた大城君の腕が首にまわされた。
「会いたかったよ、昨日ぶりだねぇ!で、なにやってんの!?ツネちゃんいじめちゃダメだよ」
「いや、俺がツネをいじめたことないでしょう!?逆ならまだしも」
「俺がいつ英蔵さんをいじめたんですか?」
しれっと言うツネに文句を言ってやりたかったが大城君に絞め技をかけられている状態なのでそれもできない。
ばんばん自分の太股を叩いてギブアップを表明、その後は当たり前のように二人に追いかけ回されているうちにるいちゃんと浅葱君もやってきていつも通りの部活。


ちょっと練習時間が延びて11時半、更衣室で汗まみれになった体を拭く。さすがに男子5人ともなると男臭い光景だよな。
「シャワー浴びたいわ〜、プールのシャワー勝手に使ったろかな・・・」
「水泳部に交渉してみようか?」
「いや、そこまでせんでもええで!?」
るいちゃんのぼやきに浅葱君が真面目に答え、るいちゃん慌てて撤回。夏休みに入ってからすでに4回目となるやりとりだ。
着替え終わったるいちゃんは暇なのかツネに絡み始めた。
「ツネ、相変わらず腰ほっっっっっっっっっっっそいなぁ!ええな〜!」
「ちょ、ちょっと、涙沙さん!?」
ツネの慌てた声に視線をやるとるいちゃんが膝立ちでツネの腰に後ろから抱きついていた。
なにやってんだかなぁ・・・
「見て見て!腕がこんなまわる!ほら!!」
余った手をひらひらと振ってみせてるいちゃんは「なっ?」と笑顔。
「何が"なっ?"なのよ・・・」
呆れた様子で苦笑する大城君にかまわずるいちゃんはツネに絡み続ける。
「細いつーか、薄いし!内臓入ってるのこれ!?」
「くすぐったいですってば!」
「ここなんかアバラ浮いてるし!なんで〜!いつも俺とケーキやらパフェやら食べてるのに〜!」
楽しそうに笑う二人。前言撤回、此処だけ男臭くない。
「離してくださいよ〜、着替えれないじゃないですか・・・」
「るいちゃん、やめなよ・・・」
「ん〜。ツネ、英蔵君も触りたいって〜」
「なんでそうなるの!?どんな意訳をすればそうなるの!?」
「すっごいすべすべやで!肌つるっつる!」
「・・・え、そんなに?」
と答えてしまったのが運の尽き、浅葱君以外の三人から散々「むっつり」呼ばわりされてしまった。



帰り道、一人、一人と別れていって今は俺とツネだけ。朝の話の続きをしたかったけれどきっかけが掴めない。とにかくなにか話題をふらなくては・・・
「えっと・・・ツネってなんか良い匂いするね」
蛙の礫死体でも見るような視線が返ってきた。うん、自分でも分かる、今のはない。
「汗拭きシート、リンゴの香りのやつを使ってるんでその匂いじゃないですかね・・・」
「あ、そっか、リンゴの匂いか〜、るいちゃんもリンゴ?」
で、なんで明らかにダメなのにその話題広げちゃうんだよ、俺!!
「涙沙さんはたしか、イチゴだったかと・・・」
「るいちゃんとツネって持ってるアイテムが女子高生みたいだよね」
「メンズ向けのだとクールミントとかすっとしすぎるのしかないんで、俺も涙沙さんもどっちかっていうと甘い匂いが好きだし、あとやっぱ肌に合う合わないが・・・メンズ向けだと荒れるんですよ」
「そっかぁ・・・」
広がっちゃってるよ!会話!!こんな会話でも楽しいのかな?それとも付き合ってくれているだけ?
ふふっとツネが笑い出した。
「なんで笑うの?」
「だって、英蔵さんってば一人で百面相してるんですもん」
「ひゃ・・・百面相って・・・」
そうこうしているうちに分かれ道まで来てしまった、ダメだ、肝心な話ができてない。
「じゃあ、また・・・」と言いかけたツネの言葉を遮って俺は言う。
「あ、あのさ、一緒に昼ご飯食べていかない?ほら、この前一緒に行った中華料理屋でさ、俺が奢るから」
ツネは小首を傾げて俺を見て笑う。
「デザートの杏仁豆腐も込みですか?」
「もちろん、込みで!!」
「じゃあ行きます」
よっしゃ!!引きとめ成功!!
・・・誰も突っ込んではくれないから自分で突っ込もうか俺。
初デートのダメ男かっ!?
そして悪い意味で期待を裏切らない男である俺はその日、結局朝の話の続きを持ち出すことはできなかった、食事中に重い話もダメだよなとか思っているうちに機会を逃してしまった。
ヘタレという言葉はまさに俺のためにあるなあとか自虐的なことを思いながら帰った。
夏の日差しは腹が立つほど眩しかった。




翌日、部活は休み。俺はツネの自宅へ向かった。時刻は朝10時、友人宅を訪問するのに非常識な時間ではないだろう、たぶん。
まだ朝だというのにバカみたいに暑かった、天気予報では今年一番の暑さだとか。
一度だけ部活関係のトラブルで帰宅が夜11時をまわってしまった時、固辞するツネを説得して家まで送ったことがあるので道は覚えている。
記憶力の良さだけは俺の特技だ。
よって暗記系科目はかなり得意、数学と国語で撃沈するけれどね。
ツネの親も俺のことを覚えているかもしれない、家に送った時「遅くなってしまって申し訳ありませんでした」とご両親に頭を下げたから。
その後メールで一言『バカですか?』と送られてきてやばいな、本気で怒ってるなぁと思っていたら案の定翌日学校でめちゃめちゃ怒られた。
厳しそうなご両親の前でテンパった俺が言ったのは上記の一言だったため、逆に混乱を招いたらしい。
「アンタねぇ・・・部活の先輩だって名乗らなかったらアイツは何者だって話ですよ!!何があったんだってめっちゃ問いただされたじゃないですか!!馬鹿ですかアンタ!!」
マジ切れしたツネによる初の「アンタ」呼ばわりがそれだった。(部活勧誘時の失敗は除いてだけど)
・・・うん、確実に覚えられてるな。
うわ、行きにくい。でも平日だから、そして共働きだったはずだからご両親はいない、か。


ツネの家の前に先客がいた。
柄のない黒いTシャツに黒いズボン、首に黒いバンダナまいていて、黒いニット帽、大きめの偏光サングラス(アウトドアでよく見る虹色っぽく見えるやつ)をかけていた。
全力で怪しい人だった。俺は人生においてこれ以上怪しい人に会ったことがない。
長身で痩せ形の手が妙に長い、どこか蟷螂を思わせる男。黒い蟷螂。
「あのぉ・・・」
恐る恐る声をかけると男はサングラスを外して俺を見た。一瞬お面でも被っているのかと思ったが、それはどうやら不自然なほどに無表情だからということに気づいた。
「オマエもこの家に用か?留守みたいだぞ」
驚くほど特徴のない顔に特徴のない声。顔のパーツが全部線で表せそうだ。
年齢は30代前半か・・・
ツネの知り合いでもなければセールスでもなさそうだ、そこで俺は一つのことに思い当たる。
「・・・もしかして塩薙の人ですか?」
ツネが血縁だと語った《祝り人》の一つ、忍者の一族。その言葉を口にしたとたん喉元に冷たいものが当てられた、男が何かを突きつけている。
冗談だろう?俺だってそこそこの動体視力はあるのに男がポケットから手を出したのすら気づかなかった。
「オマエ、何者だ?」
剣呑な響きを持った声、そしておそらくこの威圧感は初体験だけれど『殺気』というやつだろう。喉元に突きつけられているのはきっととても危ない物だ。
「えええええっと、ツネの部活の先輩で、文里英蔵という者で只の高校生で何者でもありませんっ!」
慌ててそう言うと喉に当たっていた冷たい物が離れる、時代劇以外で初めて見た、クナイだ・・・
「オマエな、塩薙の人間に気安く"塩薙ですか?"って言うなよ。それはもう"殺してください"って言っているようなもんだぞ」
「はあ、そうなんっすか・・・」
男はクナイをポケットにしまって俺を見る、表情筋がないんじゃないかと思うほどの無表情。
「恒人の先輩、ねぇ」
なんだろう、無性に腹が立つ。
「まさかその塩薙一族とやらにツネを誘いに来たわけじゃないですよね?」
「その通りだが、オマエになにか関係があるのか」
「ありますよ!友達ですから!」
やはり無表情のまま男は俺を値踏みするように視線を動かしながら見た。
「友達?その友達とやらは相手の人生に口出しできるような関係性なのか?」
「ツネは嫌がってます」
「だから説得に来たんだよ、恒人を」
またムカっとした、気安く名前呼ぶなよと・・・
「すいません、ちょっとお話しさせていただけませんかっ!」
俺の口から出たのはそんな言葉で、男は首を傾げてから頷いた。



近所の公園、いや、ほとんど空き地だな。真ん中に置いてあるゆりかごブランコに男と向かい合って座った。遊具の安全性が叫ばれてる昨今、よく撤去されないなと感心してしまうような錆たブランコはぎしぎし音をたてた。
「おいおいおいおいおいおいおい!おかしいだろ。なんで大の男が二人してこんなもんに座るんだよ」
「すいません、この近くで座れるところ此処しかなくて、立ち話もアレなんで」
確かに端から見たら通報されかねない怪しすぎる光景だけどしかたないだろう。男がふはっと息を吐いた。
「9年ぶりぐらいにうっかり笑っちまったじゃねぇか!オマエ馬鹿だろう!?」
表情は変わっていなかったが男はわりとノリの良い口調で言ってから肩を落とした。
「しょうがねぇな、ったく。名乗らせてもらおう、俺は塩薙黒葉。現・塩薙一族の頭領だ。あだ名はくっぱーとか黒りーとか色々あるが呼んだら殴るぞ」
じゃあ言わなくていいじゃん、あだ名なんて。
頭領・・・非現実的な言葉だけれどたぶん一番偉い人なのだろうな。
そんな人がツネを誘いに来るってもしかしてかなりヤバイ事態なのか?
「ああ、そういえば最近ここらで三刃の馬鹿が馬鹿をやらかしたらしいがアレと同じに思わないでくれ、俺は別に恒人を強引に塩薙の里に連れて行こうとかそんなことは考えていない」
「当たり前ですっ!」
「あ〜怖い怖い。良い先輩だな」
無表情のまま小馬鹿にされるなんてなんか新鮮だったが今はそれはどうでもいい。
「あの、俺は塩薙のこととか全く知らないんですけど、ツネの父親が塩薙の人間だったんですよね?でももう縁は切れているわけでしょう、なんでツネに声をかけるようなことするんですか、アイツ混乱してるんですよ、止めてもらえませんか」
あの湖で、青白い光が舞う中でツネと話したこと。感情を出してくれるのは嬉しいけれどできることならあまりツネが泣くようなことは起きないで欲しい。
「確かに切れてる。アレは本当に異例中の異例だったけれど、当時は塩薙も人数が多かったからな・・・仕事に出た先で大恋愛したあげくどうしても抜けさせてくれって言われたら・・・まだあの頃は俺の親父が頭領だったが認めないわけにはいかなかったんだろう。もうその時には恒人が母親の腹の中にいたしな、それも理由だった」
「それは、どういう?」
「早い馬を掛け合わせれば早い馬が生まれるだろ?そういう理屈で子供作ってるんだよ、塩薙は、生むんじゃなくて《作ってる》。塩薙以外の人間と子を成した時点でもう例外なのさ」
「だったらなおのこと今更ツネにかまわないで下さいよ!」
黒葉さんは一ミリぐらい目を細めた。
「先輩さんの目から見て恒人はどうなんだよ、アイツの運動能力が《普通》に思えるか?」
俺は言葉に詰まる、初めて見た頃ならともかく、バスケットゴールの上に飛び乗れるようなジャンプ力を《普通》と言わないことぐらい馬鹿な俺にも分かる。
「悪いとは思ったけれどここ数日、一族の者に張り付いてもらって調べた。もう恒人の能力は普通の人間の域を逸脱している、正直言って放置しておけない。三刃杜若がやらかした一件で本家の一刃の立場が悪くなっている、それと同等のことが起きることをウチのひひじじい共が懸念しているんだ、俺も若い頭領という立場上こうしてはせ参じたわけだ」
「でも、ツネは別に運動能力を悪用したりしませんよ!」
黒葉さんはまた少し目を細めた。それ以外顔のパーツは動かない。
「高嶺恒人。性格は真面目で礼儀正しく努力家、頭の回転が速く物事の飲み込みが早い、茶目っ気も持ち合わせており社交的だが素直さに欠け、頑固な面もある・・・此処までのデータになにか異論はあるか、先輩」
「別に・・・ないっすけど」
そんなことまで調べられてるのは不愉快だけどな。
黒葉さんは一息ついてから言う。
「そして、やや喧嘩っ早い・・・間違っているか?」
「ツネは別に喧嘩好きじゃないですよ、絡まれやすいから必然的に・・・」
ガコン!と大きな音がしてブランコが軋んだ、黒葉さんがブランコの手すりを掴んで軽く引いた、それだけで鉄でできたそれは水飴みたいに曲がっていた。
「今まではよかったかもしれない、が、今後どんどん能力が上がっていった時に喧嘩なんかされたら困んだよ、ついうっかりで殺しちまうかもしれねぇぞ?」
ぐにゃりと曲がった鉄の手すり、これと同じだけの力が人体にかかったらどうなるかなんて想像するだけで怖い。
でも言い返さなければ、黒葉さんを追い返さなければいけない。
「いや、でもツネも分かってるみたいですし・・・あ、あのですね、オレらバスケ部で一緒なんですけど、二人一組でやるストレッチあるじゃないですか?ちょっと前までツネ、俺と組むとどさくさにまぎれてキャメルクラッチかけてきたり、スリーパーホールドかけてきたり、膝十字固めかけてきたりしたんですけど、今は絶対にやってこないんですよ、だから本人も気をつけているんじゃないかと・・・」
黒葉さんがものすごく冷たい目で俺を見ている。
「は?なにオマエ、恒人の先輩なんだよな、なんでそんなことされてんの?もしかして馬鹿なの?あるいはマゾなの?先輩の威厳ないの?尊敬されてないの?馬鹿だな、馬鹿なんだな、そうなんだな!?」
どうやら黒葉さんは罵りキャラらしいが、これはここまで言われるほどのことなのだろうか・・・
友達同士で巫山戯てプロレス技かけるぐらい普通だろうに、俺からやったことはないし、ツネも俺以外にはやらないけど、俺は浅葱君以外の全員からやられてるぞ。
「じゃあ喧嘩はしないとかそーいう約束させればいいでしょう?ツネは聡明な子だからちゃんとその辺りは理解しますよ・・・ツネに変なことさせないでください」
「変なこと?」
「その・・・人殺しとかするんでしょう、塩薙一族は」
「あ〜、まあな。昔はそれこそ金を貰えば誰でもって感じだったけれど、今はちょっと違う、厳選して生きてるべきじゃない者を殺す」
「生きてるべきじゃない者なんていないでしょう?」
黒葉さんは鼻を鳴らした。
「善人だな。社会にとって害悪にしかならない者やタイミング良く死ねば世論に影響を与える人間を選んで殺してるんだよ」
当たり前のことのように言う黒葉さんに軽く苛立ちを覚えた。
「でも・・・人殺しは人殺しでしょう?社会にとって害悪にしかならない人間って・・・その人にだって死んだら悲しむ人間がいるかもしれないわけですし」
例えば三刃杜若、俺は面識がないけれど彼がやったことは非人道的で、極悪だった。でも彼の死を喜んではいない、ミヤ君や逹瑯君の沈み様は見ていて辛くなるほどだったし、間接的とはいえ関わってしまったるいちゃんや浅葱君も精神的にまいっている。浅葱君はあの性格だから表には出さないけれど、最近のるいちゃんはどう見ても空元気。
命の重み。
人が殺されたニュースを見て爽快になる人間なんていないはずだ。
それがどんなに人間であっても。
黒葉さんはブランコの背もたれに体を預けて目を閉じた。
「知ってるか?死刑執行人って昔のヨーロッパじゃ被差別民だったんだぜ。ろくでもない仕事なのはやってるこっちだって分かってるんだ、でも何故死刑執行人は存在した?社会がそれを必要としたからだろうが、誰かが必要とするから塩薙一族は滅びない・・・オマエが可愛い後輩には絶対にやって欲しくないと思っていることを俺達塩薙一族は世間に請われてやってるのさ」
これはたぶん、嫌味なんだろうな。俺が答えないのに構わず黒葉さんは続ける。
「卑しい仕事だよ、俺自身別に正義を名乗ろうなんて思っちゃいねぇし。《忍者》としての矜持はあるがな、まぁ人殺し以外にも請け負うが大抵はろくでもない仕事さ、ヤバイことやってる会社に潜り込んで、内部告発を誘導したりそんなこと」
俺は黒葉さんに言われた言葉を噛み締めて考えた、感情で反論しても意味がない、浅葱君や大城君ならこんな時なんて答えるだろう、ゆっくりと考えてから口を開く。
「やっぱりツネには無理ですよ、精神的な面で無理です。アイツは俺に自分の中の人を殺す可能性が怖いって言いました、優しい子なんです。塩薙の血は確かにツネの運動能力に現れてるかもしれない、でも精神まで血では変わらないと俺は思います、ツネに人を傷つけたり、相手を陥れるようなことはできませんよ・・・」
黒葉さんはまた鼻を鳴らした。
「精神面なんかどうとでも変えられるんだよ」
ぶちっと俺の左側頭部辺りで何かが切れる音がした。
「変える?どうやって?それこそろくでもない手法でだろうが、黒葉さんの話は分かったよ、世間がそういうのを必要としているのかもしれない、その世間の同意に俺も含まれているのかもしれない、でもな、ツネにそんなことはさせられねぇんだよ!自分勝手だろうがエゴだろうがどうでもいい、俺の思いとしてツネをそっちにやるわけにはいかねぇんだ!」
結局感情をむき出しで怒鳴ったあげく俺は立ち上がった拍子に上の支柱で頭を強かに打った。目の前で火花が散る。
痛みに頭を押さえて中腰になった俺を黒葉さんが何とも言えない目で見つめていた。
「・・・オマエどうしようもねぇ馬鹿だな」
なんとでも言ってくれ。
「今日のところはオマエに免じて帰る・・・文里英蔵だったな、覚えてとくぜ、俺が仕事関連以外の人間の名前を覚えるのは初めてだ、光栄に思えよ」
黒葉さんはそう言うとブランコを降りて、そのまま去っていってしまった。
まだズキズキする頭をさすりながら俺は携帯電話を取りだして番号を選択する。


そして駅前の喫茶店。
「そこまで言われたなら殴り飛ばさんかいっ!このヘタレ!!」
俺が呼び出したのは浅葱君だけのはずだったけれど、当たり前のようにるいちゃんもいて、ことの顛末を話し終わるなりそう怒られた。
「とんでもない侮辱やん!俺の可愛いツネになんつーことを言うねん!腹立つ!なぁそいつどっち行ったん!?今から俺が行って話つけてくる!!」
テーブルをばんばん叩きながらるいちゃんが叫ぶ、怒りのあまり髪の毛が逆立っていた。静電気を放出するほど腹が立ったらしい。
あとナチュラルにツネを私物化した。俺とは違う意味で仲良しだもんな、ケーキ屋巡りとか一緒にしてるし。
「るいちゃん、落ち着いて」
一応そう言ってみるもののるいちゃんの怒りは治まらなかった。
「落ち着けるかっ!!《普通じゃない》から此処にいたらいかんなんてそんなひどい話があるか!!自分らから切っといてまた連れ戻すとか勝手すぎるやろ!猫の子とちゃうねんで!」
それからたっぷり10分間、るいちゃんは怒りをぶちまけると水を飲み干してさらっと言った。
「で、英蔵君は浅葱君に相談したいねんな、俺がおったらやりにくいこともあるだろうから隣の本屋で待ってるわ、終わるか必要になったら呼んでな」
さっきの憤怒の表情は何処へ行ったんだっていうぐらい、いつもの、ちょっと大きめの前歯を見せる可愛い笑顔で喫茶店を出ていった。
確かに俺が呼んだのは浅葱君だけで、部員みんなの意見を聞くなら大城君も呼ぶのが正しい。その中であえて浅葱君に相談したかった、その辺りはちゃんと分かっているんだな。
浅葱君はたった今、真横で暴れ回ったるいちゃんという小型台風など存在しなかったかのようにコーヒーを一口飲んで言った。
「まぁ俺の言いたいことは概ねるいちゃんが代わりに言ってくれたというか、代わりに怒ってくれたから煮えくりかえった腹もおさまったところで冷静な話をしようか」
・・・眉一つ動かさずに激怒していたらしい。
たまに彼が本気で怖い。
「えっとさ、浅葱君は普段・・・力をセーブして生活しているんだよね?」
人虎。あれから俺も調べた、人よりはるかに力が強い。
「うん、神経は使うけど慣れればどうってことないよ。ツネも上手くできると思う、器用だし、飲み込み早いし・・・英蔵君はそれを俺に聞きたかったんでしょう?」
俺が頷くと浅葱君はふっと微笑んだ。
「俺でしょ、るいちゃんでしょ、逹瑯君にミヤ君、それに明希君、みんな《普通じゃない》力を持っているけどちゃんと此処でやっていけてる。だからツネも大丈夫だなんて言わないけど、ツネにとってはいい支えになると思う・・・でも英蔵君、最終的に決めるのはツネだよ」
「・・・分かってるよ」
「その塩薙黒葉さんも無理矢理ツネを連れて行こうとしているわけじゃないみたいだから、俺達としては静観するしかないと思う」
「・・・でも、色々変なこと言われたりして、またツネが傷ついたりするのは嫌だ」
「俺も嫌だよ、でも考えようによってはその黒葉さんは塩薙の一番お偉いさんなわけでしょ、その人と話がつけばもう問題は解決するんじゃない?」
言われてみれば確かにそうだけれど、胸の奥に凝り固まった不安は拭えない。
浅葱君はまた優しく微笑んだ。
「そんな世界の終わりみたいな顔しないで・・・ツネならこの時間は自主練習してるはずだよ」
「へ?」
「いや、会いたいのかなと思って。此処から少し行ったところの空き地にバスケットゴールがあるんだ、いつもそこで練習してるよ」
俺はそんなこと初めて知った。浅葱君ってなんでも知っているな・・・
「本当に頑張りやさんだよね」
柔らかく微笑む浅葱君に礼を言って俺は喫茶店を出た。



駅裏の寂れたオフィス街、といってもあるのは最高3階建ての古ぼけたビルばかりで、ほとんどが空ビルになっている場所。入り組んでおりちょっとしたダンジョンみたいになっているところを進んでいくと、ビルとビルの間の小さな空き地にバスケットゴールが備え付けれていて、浅葱君が言ったとおり、ツネがいた。
コンクリートに弾むボールの音、ドリブルでゴール下まで行ってレイアップシュート。
それを何度も何度も繰り返している。
こうして一人で練習していたのか・・・
汗でTシャツが張り付いている、この蒸し暑い中でいったい何時間練習していたんだろう。
俺はいったんそこから離れて近くの自動販売機でペットボトルのスポーツドリンクを買った。
そうしてまた空き地に戻って声をかける。
「ツ〜ネ〜!」
ツネはちょっと驚いた顔でふり返った。
「英蔵さん・・・どうして此処に?」
「浅葱君から聞いた。ほい、さし入れ」
「・・・ありがとうございます」
どことなく照れたような、居心地の悪そうな顔でツネは俺が差し出したペットボトルを受け取った。
あれだけ運動すれば当たり前だけれど喉が渇いていたらしくツネはペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲み干してしまった。
「あのさ、さっきツネの家の前まで行ったんだけど・・・塩薙の人に会ったよ」
ツネは眉間にシワを寄せる。
「塩薙・・・なんて人ですか?」
「黒葉さん、頭領だって言ってた」
「あら、一番偉い人が来ちゃったんですか・・・まいった・・・」
ツネは言葉を止めて空き地の入り口を凝視した。俺も何事かとふり返る。
何事がどころじゃないのがそこにいた。
ごつい体つきの作務衣姿の男。常識から外れていたのは般若のお面を被り、手に大きな剪定鋏を持っていたことだ。
唐突すぎる非現実的なものの登場に俺もツネも呆然とその男を見た。
大きな剪定鋏。人の首ぐらい切断できそうなそれを構えて、般若面の男が言う。
「オマエ、塩薙だな?」
ボイスチェンジャーでも使っているような不自然に甲高い声。俺もツネも思わず一歩下がった。
般若面の男が跳躍する、2メートルは越す高いジャンプ、剪定鋏の鋭い切っ先がぎらりと凶暴に光った。
まだ、呆然としている俺の隣でツネが持っていた空のペットボトルをスナップをつけて投げた、ペットボトルを顔面に受けた般若面の男は空中でバランスを崩す。
「逃げますよっ!!」
ツネに手を引っぱられて走り出した。般若面の男が常識外のジャンプをしてくれたことが幸いだ、入り口まで突っ走って空き地を出る。
「なんなのアレ!?」
「知りませんよ、塩薙かとか聞いてくるぐらいだからそっちの世界の方なんじゃないですか!?」
「つーか人間なの!?」
「分かりません!とにかく通りまで出ましょう!」
パニックになりかけている俺と違ってツネは冷静だった。確かにないかも、先輩の威厳。
俺達は脇目もふらずに走った、だけど・・・
「嘘でしょう!?」
声を上げたのはツネだった、道に迷った。いや迷ったというのは正確ではない、正しく進んだはずなのに通りに出られないのだ。
多少入り組んだ場所ではあるけれど、よくあの空き地で練習しているツネも、記憶力においては自信がある俺も本来迷うはずがない。
「英蔵さん、携帯持ってますか!?」
ツネに言われて俺はポケットから携帯電話を引っ張り出す。
「・・・圏外になってる」
さすがにこれには返答がなかった。
ざりざりと足音を立てて般若面の男がやってくる。
「英蔵さん・・・アイツの狙いは俺みたいなんで・・・」
「だから英蔵さんだけ逃げて下さいなんて言ったらさすがに怒るよ」
「・・・ですよねぇ」
ツネは軽快に笑った。まあ確かに笑うしかない状況ではあるよね。
「逃げよっか?」
「そうしましょう」
俺達はまた走り出した、足に自信があるほうではない俺の手をツネが引っぱっていく。
ツネ一人ならもっと早く走れるはずだから、バラバラに動くのが最善なのかもしれないと思ったけれど相手が明らかにツネを狙っているのに離れられるわけもない。
「伏せて下さいっ!」
ぐいっと頭を上から押さえられて、地面に膝をつく。その直ぐ上を剪定鋏が通過していってはるか向こうの地面に転がった。
さすがに肝が冷えた。ぶっちゃけこの状況にあまり現実感がなかったのだけれど、今ので手が震えだした。
「大丈夫ですか?」
そう心配そうに言うツネの頬に赤い筋、血が流れている。今ので切ったのか・・・俺がいても役に立たないどころか邪魔なのか?どうすればいい?
でも般若面の男はこれで武器を失ったはずだ。
しかし、背後から聞こえてきたのは大きなエンジン音で、ふり返ると、般若面の男が大きなチェンソーを持っていた。
今度こそ本当に笑うしかなかった。
「・・・なんかみんなで見に行った映画でありましたね、こんなシーン」
「・・・うん」
「あれで切られたら超痛いでしょうね・・・」
「その上グロいよ・・・」
こうなると妙に冷静な会話ができてしまうものだった、映画だと悲鳴を上げて逃げまどったりするけれど嘘だな、頭が現実を受け容れてくれない。
「あれとはまた別でスプラッタ映画にもよく出てきますよね、俺あの手の人がバンバン死ぬ映画見る度に自分の立場だったら序盤にさっくり死んでおきたいなぁと思うんですけど」
「いや〜ツネは顔立ちと性格的にあれでしょ、最後まで生き残るヒロインタイプでしょう・・・」
「誰に向かってヒロインとか言ったんですか?まぁ英蔵さんはアレですよね、真っ先に死ぬタイプですよね、空気読めないから」
「この状況でそーいうこと言うかぁ?」
「いやあ、この状況だからこそバカ話してないとパニックになりそうで」
「俺もだわ・・・」
般若面の男が一歩進む度に俺達もじりじり後ずさりながらそんな話をする。
「意外と出ないものですねぇ悲鳴とか」
「俺そういえばツネの悲鳴って聞いたことないな」
「聞きたいんですか?どんなマニアですか?俺は英蔵さんの悲鳴聞き飽きましたけど」
「ツネは世界が滅ぶ日ですら俺をいじめてそうだね」
「嬉しいでしょう?」
「うん」
素直にそう答えたら睨まれた。あげくにため息をつかれた。
「なにか武器か盾になりそうなものありますか?」
「え〜っと、所持品は携帯電話と財布だけ」
「俺は手ぶらですね・・・逃げますか」
俺達はまた般若面の男に背を向けて走り出す、また投げつけてこられたらどうしようという恐怖感があって何度もふり返ってしまう。
般若面の男はチェンソーを振り上げたまますごい速さで追いかけてくる、ざっざっと草履が地面に擦れる音が恐怖を煽る。
しかし作務衣に般若面のチェンソーを持った殺人鬼(推定)とかB級もいいとこだな、湿度感や雰囲気重視の和製ホラー界では完璧にボツ。こんな中途半端なキャラクターなんかよほど頭の悪い映画研究会ぐらいしか使わないだろう。
これが映画だったらその滑稽な姿に俺はきっと笑ってしまうだろう、でも今、現実としてチェンソーを持った男に追いかけられているのだ。
そしてこのオフィス街から出られないという現状、平日の昼間とはいえ猫の子一匹出てこない不自然さ、どう考えてもおかしい。
汗で繋いだ手が滑った。慌ててしっかり握りなおしたその時、強く引っぱられて体に遠心力がかかる。ツネのあのやけに澄んだ瞳としっかり目があったけれど次の瞬間には脇道に放り投げられていた。
「恒人っ!!」
俺の叫びには大きなエンジン音にかき消された。ツネは姿勢を低くして、般若面の男に突っ込んでいく、横薙ぎにされたチェンソーを頭を下げて交わすと、地面に手をついてブレイクダンスでもするように般若面の男の腰に回し蹴りを見舞う。般若面の男は一瞬怯んだようだったけれど、すぐにチェンソーをツネ目がけて振り下ろした。それをツネは手をついたまま体を回転させて横に飛んでかわす。
ワイヤーアクションでしかあり得ない動きだと一瞬呆けるけれど、これは現実で相手が持っているのはチェンソーだということを思いだしたら、心臓が何かに握りつぶされたんじゃないかと思うぐらい痛んだ。
ツネは横に飛んだその勢いで俺の方まで走ってくる。
「逃げましょ!」
また手を引かれて走りだす、今のはちょっとばかり頭にきたぞ。
「ツネ、なんで危ないことするの!?」
「んなこと言ったってらちが明かないじゃないですか、このままじゃ」
もっと怒ってやろうと思ったのに珍しくしゅんとしたような声で言うものだからそれ以上言えなかった。らちが明かないのも事実だ。
弱小ながらバスケ部員、普通の高校生よりスタミナはあるけれど走り続けるのには限界がある。もうすでに走るスピードは落ちている、追いつかれるのは時間の問題。それに後ろからチェンソーを持った得体の知れないヤツに追いかけられながら、ゴールなき道を走るのはかなり精神的に負荷が大きい。
先程から何度か携帯電話を確認しているけれど圏外のまま。
「蹴った感じは人間っぽかったし、ダメージも受けてるみたいでしたけど・・・」
「人間なの、アレ!?」
「あくまで感触ですけど、化け物だったらあんな綺麗に筋肉付いてる必要ないと思うんですよね。ただアレに勝てるかと言われたら・・・無理つーか怖いです、さすがにチェンソーは辛いものが・・・」
「そうだよね・・・チェンソーだもんね・・・」
それこそ掠っただけで大怪我しそうだもんな。
「受けるのは不可能ですし、避けるにしても・・・距離を詰めればどうにかなるわけでもないみたいですし・・・いやあ、あれに比べたら角材持って囲まれるぐらい怖くなかったな〜と思えてきました」
「そんな経験があるの!?」
「さすがに逃げましたけど、その時は。つーかなんで俺ってこんなに絡まれやすいんでしょう」
「変なフェロモンでも出てるとか?」
「は?馬鹿?」
ついに敬語すらなくなった。地味に凹む。
後ろからエンジン音が響いているので必然的に大声で喋ることになるわけで、そして走りながら喋ると消耗が早い。
でも話してないと本当にパニックになりそうだった。
俺一人だったらきっと声も出せずに腰を抜かしているところだ。
「チェンソーをアイツの手から奪える適当なものがあれば・・・」
「ねぇ、剪定鋏は?アイツが投げたヤツ」
ツネがこっちを振り向いた、さすがにちょっと息が乱れている。
「ああ、あれ拾っておけば・・・あの場所に戻ろうにも此処がどこだか・・・」
「俺、たぶん分かると思う」
「え?」
俺にそちらの知識はないけれどこれは《結界》と呼ばれる部類のものがこの場所に施されているのだろう。
逃げ回ったおかげで分かった、此処一帯の部分だけが切り取られてループしている状態なのだ、メビウスの輪のように。
元の地理がなくなっているわけではない、だったら分かる。道なら覚えている。
疲労した脚を鼓舞してスピードを上げてなんとかツネに並ぶ。
「剪定鋏の落ちてる場所まで行ければいいんだよね?」
水晶玉の目に久しぶりに俺が写った。少しだけ見開かれたそれは、すぐに笑みの形を作る。
「第4ピリオドスタート、相手チームは強豪、完全に不利・・・」
「でも諦めないのが俺達なわけで・・・」
「逆転シュート、決めさせていただきましょうか」
繋いだ手を離してハイタッチ。
正直、真後ろで聞こえるエンジン音に心臓は跳ねっぱなしで、気を抜いたら膝が笑うだろう。
あんな非常識なのが追いかけてきている、ツネを狙っている。その事実に、脳裏に浮かぶ最悪の映像に吐きそうだ。
生まれて初めて力を請うた、神様とやらに願った、目の前にいるこの生意気で、いじわるばかりしてくる、そのくせ頑張りやで、実は泣き虫で、どこまでも一途で、可愛い後輩を大切な友達を守る力を下さいと。
浅葱君のような、あるいはミヤ君や逹瑯君のような《能力》があればいいと初めて本気で思った。
でも試合で俺とツネに求められているのが違うように、この状況でだって役割を上手く振ればなんとかなるはずだ。
ツネ、リバウンドだけは不得手だからもっぱら俺の役割だもんな。たぶん華奢すぎるからだと思うけど、押し負ける。
逆に俺はツネが得意なドライブインが不得手、でもそこを補い合うからチームなんだ。
今度は俺が先に走って道を進む、バスケットゴールのあるあの空き地が見えてきた、正解だ。
「英蔵さん、あとで《悪魔のいけにえ》レンタルして見ましょうか?」
「せめて《テキサス・チェーンソー》にしようよ・・・」
「リメイク版なんて邪道でしょう、あとお腹空いたんでなにか奢ってください。パスタが食べたいです」
「・・・二日連続奢り!?まあいいけどさ」
「此処で失敗したら俺達、屠られますけどね」
「この状況でそんなハイレベルなブラックジョークを言う!?」
馬鹿なことを言っているうちに見えた、地面に落ちた剪定鋏。すぐ真後ろでエンジン音。
前のめりになりながら最後の力を振り絞って走る。
ほぼスライング状態で剪定鋏を取りに行くツネと別れて俺は横道に駆け込み、記憶通りあったソレを拾う。ブロック塀から剥がれ落ちた大きめのコンクリート片。
般若面の男に向かって投げつけると、あっさりチェンソーで弾かれた、破片が周囲に飛んでコンクリート片が宙に舞う。数秒の時間稼ぎ。それでいい。
体勢を立て直したツネは右手に剪定鋏を持って、左手で首に巻いていたマフラータオルを振り回しながら般若面の男と向かい合う。
エンジン音だけがうるさく響き渡る。
チェンソーを横に構えて般若面の男がツネに向かって走り出す。
「死ねぇぇぇぇぇ!!」
と甲高い声。
ツネは腰を低くして、動かない。
チェンソーが間近まで迫った時、ツネはマフラータオルをチェンソーに投げた。回転する刃は繊維を巻き付けて、不快な音を立てながら動きが鈍る。
そこにすかさず剪定鋏の刃で挟んで、両手で捻りながらツネは般若面の男の腹を蹴りつける。
二つの物理法則によって般若面の男からチェンソーが離れる。
派手な音を立てて地面に落ちたチェンソーとツネの顔を見比べている般若面の男の胸ぐらを掴んでツネが凄まじい勢いのヘッドバッド。
般若面の男は後ろに倒れた、般若の面が割れて落下する。
倒れた男の顔はごく普通のおじさんで、割れた般若面の裏から小型のボイスチェンジャーが見える。本当に生きた、只の人間だったということか?
荒く息を吐くツネに駆け寄るとがっしり肩を掴まれた。
「大丈夫?」
「だいじょーぶです」
俺の肩を掴んでいる手は震えていた、どれだけ大丈夫じゃなくてもこの素直じゃない後輩は「大丈夫です」としか言わない。
震える手にそえた俺の手も震えていたのであまり意味がなかったかもしれないけれど、どうにか二人とも無事だった。
彫りの深さが際立つ横顔にあまり変化はなかったけれど、視線を合わせると少しだけほっとした顔になった。
気を失っている男を見る。
「なんだったんでしょう、この人・・・」
ツネの呟きに答えたのは俺じゃなかった。
「不合格で合格」
と意味不明な単語が上から降ってきたのだ。見上げると電柱の上に黒葉さんが、塩薙黒葉が悠然と立っていた。
「なっ!あなた帰るって!!」
「忍者の言うこと信じてんじゃねぇよ、馬鹿だなやっぱり」
そんなことを言いながらふわりと電柱から降りてきて俺達の前に着地。それからふり返って倒れている男に言った。
「素人に負けんなよ!給料減らすぞ!ってマジ気絶してるし・・・」
「あの、すいません」
いつのまにか俺から手を離していたツネが血も凍るような微笑みを浮かべて言った。
「説明を頂けると嬉しいですね」
可愛らしく小首を傾げたけれど、黒いオーラを放っている、ぶっちゃけチェンソーより怖かった。
黒葉さんですらちょっとたじろいだ様子で答える。
「あ、ああ。あのな、ちょっとテストを・・・」
「は?」
ドスのきいた低音。でもさすがプロの忍者、黒葉さんは口調を元に戻して言った。
「テストをさせてもらった、二種類の意味でのテストだ、高嶺恒人、オマエに本当に塩薙一族に入る資格があるか、そして、塩薙の血を引きながら一般社会でやっていく適正があるかだ」
「へぇ・・・で、結果はどうだったんでしょうか?」
相変わらずツネの顔に浮かんでいるのは微笑で、俺は何も悪くないのに直立不動になっていた。
「不合格で合格だよ。恒人、オマエに塩薙一族に入る資格はない。そして一般社会でやっていける適正を持っている」
「それはどうもありがとうございます、理由もお聞かせ願えますでしょうか?」
笑顔で頭を下げるツネ、目が全く笑っていない。とうとう黒葉さんが言った。
「・・・いや、オマエ怖いよ!!」
プロの忍者をびびらせる、俺の後輩。
「理由な。殺す気で向かってきたヤツを殺せないのは塩薙としては不合格、でも人間としては合格ってことだ。こいつ・・・まぁ後々のこともあるから名前は教えられないが、テストのことは言わずにオマエを殺すよう指示を出してあった。だからこいつは殺すつもりでオマエに向かった、まぁチェンソーなんて派手な武器を出したのは演出だけどな。でもオマエは加減して攻撃した。とっさに殺せるぐらいじゃなきゃ塩薙としてはダメだ、あ。怒られる前に言っておくがどっちかが本当に死にそうになったら俺が止める手筈だったからな」
ツネはまだ怒りの治まらない様子で微笑みを浮かべたまま、背後で黒い炎がめらめらと燃えている。
「だったら俺一人の時にやればいいでしょう?なんで英蔵さんがいる時にやったんですか?」
敬語で詰問されると怖いんだよなぁ・・・
「いや、それは予定外だったんだけどな・・・」
「ぶっちゃけ俺一人だったらチェンソー出された時点でへたりこんでましたけど」
黒葉さんはその意味が分からなかったらしく首を傾げた。
「ん?なんでだ?」
「俺、お化け屋敷とか自分より怖がりな人と入ると平気なタイプなんで」
あ、そこは持ち上げてくれないんだ。英蔵さんがいるから心強かったとか言って欲しかったんだけど個人的には。なんてことをこのタイミングで言ったら睨まれるので黙っておこう。
「よく分からないが、そんなものか?まぁこっちもぶっちゃけるとオマエの顔見た時点でちょっと不合格かな〜と思ったけど」
「はい?」
「顔が派手すぎる」
びしっと黒葉さんに指をさされてツネはようやく怒りの微笑みを消した。というか驚いたようだ。
「・・・は?」
「いや、隠密行動が主だからさ、あんま覚えられやすい顔だと向かないんだよな。オマエちょっと美人すぎ」
「は、あ・・・」
返す言葉もないという顔のツネ。俺も何も言うことがない。
呆然とする俺達を無視して黒葉さんは携帯電話を取りだして誰かにかける。
「あ、もしもし。コーヤ?もう結界解いてくれていいぞ、手伝いどうも・・・分かってるよ、払うよ!・・・うるせぇ殺すぞ・・・は?いや解けよ!!なに?心がこもってない?・・・ふざけんなてめぇ!いいぞタイマン受けてやるよ!死ね!・・・いや、だから結界解けって!出られねぇだろ!・・・ちょっと待て切るな!・・・おいおいおいおいおいおいおいおい!この段階で金額つり上げるってどーいうことだよ!?・・・いや、はい・・・分かった、はい、経費で落ちる・・・いや、すいませんでした結界解いてくださいコーヤ様、はい、ありがとうございます」
携帯電話の電源を切って大きく舌打ちしてから黒葉さんは言う。
「まあ、此処の結界は俺の友人が張ってくれたんだが・・・」
いや、友達との会話には聞こえなかったんですけれど。
しかしあれだけ言葉がエキサイトしても表情は変わらないんだな。
「お、解いてくれたみたいだな。もう此処から出られるぞ。俺ももうオマエに関わらない、恒人、オマエは塩薙一族とは無関係だ」
黒葉さんはそう言うと倒れた(元)般若面の男を引きずって歩き出す。
少し行ったところでふり返って名刺を投げつけてきた。材質がなんなのか疑いたくなるような鋭さで飛んできたそれをツネは指で挟んでキャッチする。
「まぁなにか質問とかあったら連絡してくれ、くれぐれも他人に教えないようにな」
ツネと一緒に名刺をのぞき込んだ。
『塩薙一族(忍者)頭領・塩薙黒葉 090-xxxx-xxxx』
色んな意味で戦慄を覚える名刺だった。隠れてねぇし!おもいっきり「忍者」って書いてあるし!
ぺちっと俺の頬にツネの手が触れた。見返せば水晶玉の目が俺を見ていた。
さっきの怒りの微笑とは違う、いつも俺に見せる悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「英蔵さん。お腹がすきました」
「・・・うん、もう1時だもんね」
「さっきの話覚えてますか?」
「ああ、パスタ食べたいんだっけ?」
「はい、駅前のパスタ屋のエビとアボガドのジェノベーゼがいいです、デザートはイチゴのミルフィーユで」
「それ千円超すよね・・・きっと・・・」
「その後のDVDレンタル料は俺が出しますよ、《悪魔のいけにえ》借りて俺の家で見ましょう」
「いや、マジで《テキサス・チェンソー》にしとこうよ・・・」
「リメイク版なんて邪道だと言ったでしょう?ついでに《エルム街の悪夢》と《死霊のはらわた》《ハロウィン》もいっておきましょうか」
「待ってよ!なんでそんな超ホラー&スプラッタ大好き!しか許されない並びをわざわざ見なきゃいけないの!?」
「わかりました、では和み用に《霊幻童士》も借りましょう」
悪戯な微笑みのままそんなことを言うツネ、真意が見えないんだけど・・・
「で、それだけ見たら怖くなるんで泊まっていってください」
「・・・はい?」
「今日は両親共出張でいないんですよ、泊まっていってください」
神様、これはどういう意味でしょうか?
「あの、なんで動揺してるんですか?お泊まり会しましょうって言ってるだけじゃないですか・・・」
「あ、うん、そうだよね!誘われてるのかと思った、びっくりした!」
「こっちがビックリだっ!!」
敬語放棄、鳩尾チョップで怒られた。
「い・・・いや、だって・・・普通に言えばいいじゃん・・・なんでそんな遠回しに誘うの・・・」
鳩尾チョップに咽せながら言えば、ツネは唇を噛んでそっぽを向いた。
手はしっかりと俺の腕を掴んでいて、その手はまた震えていた。
「怖かったです・・・死ぬかと思いました・・・」
「・・・うん」
「ちょっと一人になるの怖いです」
「・・・うん」
「俺一人だったらすぐに腰抜かして泣いてました」
「・・・うん」
「俺が死んだらみんな泣くだろうなと思ったら怖かったっす。英蔵さんの目の前で殺されたりなんかしたら、アンタ絶対立ち直れないでしょう・・・それは本気でイヤだったし、英蔵さんが死んだらどーしようって思ったらマジ怖かったっす」
肩に乗せられた頭をそっと撫でる、汗に濡れた髪を梳いてやると小さな嗚咽が聞こえた。
なぐさめの言葉も励ましの言葉も思いつかないまま、俺はただツネをなで続けるしかなかった。



どうやらツネは思いっきり泣くとあとはすっきりしてしまうタイプらしいと俺は今回の件で確信した。
約束通り駅前のパスタ屋でパスタとケーキを奢らされて、レンタルビデオ屋で店員が引くようなラインナップのDVD(といってもさっき名前を挙げたものはなかったので適当なスプラッタを)をレンタルしてツネの家で鑑賞中。
画面の中ではヒロインがチェンソーを持った殺人鬼に追いかけられながら悲鳴を上げている。
先程の件を消化するための荒療治、といったところかな。
「あのさ、聞いてもいい?」
「内容によります」
かわいげのない(いや、こっちのほうが俺は好きだけれど)いつもの調子で口を尖らせるツネは画面を見たままで、クッションを強く抱えている。
「なんでさ、あの般若面の男・・・手加減して攻撃したの?」
「俺、昔から疑問なんですよね〜」
話を逸らされたかと思ったけれど、表情を見るとそうでもないようなので続きを待つ。
「なんでこの手の映画って自分らが殺されそうになったからって相手殺しちゃうのかなって・・・まあその前段階で恋人やら友人やらが殺されてるならその復讐てのもあるんでしょーけど、いくら凶器持って襲いかかってきたからって相手は人間でしょう?なにもこっちも殺しにかかることはないんじゃないかと思って。パニック映画とかでも悪役とか裏切ったヤツとか見捨てたり死ぬように誘導したりするの、あれ納得いかないんですよ・・・甘いですかね?」
「甘くはないと思うけど・・・」
「ん〜、例えば見知らぬ他人と、友達だったらそりゃ友達の方を優先して助けるでしょうけど、できるならその他人だって助けたいですよ、人が死ぬのは嫌ですもん。でもそんなもんなんですかね実際は、自分が助かればいいと思っちゃうんですかね?」
「それはそうかもしれないけれど・・・」
「自分が塩薙の血筋だ、人殺しの一族だって聞かされて散々考えましたよ・・・例えば、すげえ嫌な話ですけど俺の友達や家族が誰かに殺されたりしたら、俺はそいつを殺せるかもしれない、でも・・・できないかもしれない、今日だって考えましたよ一応。でもやっぱりできなかったな、自分が殺されるかもしれない時に、殺すつもりで向かえなかった・・・手加減したのは自然にっす」
「・・・そっか」
画面の中ではヒロインの友人がチェンソーで切り刻まれていた、さすがB級、血糊が絵の具みたいだ。
ついさっきまで本物のチェンソー男に追いかけられていた俺達は、チェンソー男に追いかけられる映画の登場人物をジュースを飲みながらのんびり見ている。
ひどく不思議な気持ちになった。
「まぁ、今回はですよ、今回のようなこと・・・ないに越したことはないですがまたあったらその度に迷って選ぶんでしょうね。でもたぶん今回と同じになる気がします」
そこでツネは俺を見て少しだけ笑う。
「みんなの顔が浮かんで、きっとできない。俺の選択の結果に悲しむ人がいるなら俺はそっちを選びません、たとえそれが弱さでも、甘さでも」
それだけ言うとツネは画面に視線を戻した。
ヒロインが鉈を殺人鬼の頭に叩きつける。鉈が頭に刺さった殺人鬼が倒れる。
倒れた殺人鬼からヒロインとその相手役の男が逃げていく。
俺はツネの頭に手を伸ばして、ぽふぽふと撫でた。
「・・・なんですか」
画面を見たまま口を尖らせるツネに俺は言う。
「いや、いい子だな、と思って」
「アホですか・・・」
ぎゅっとクッションに鼻まで埋めたけれど、振り払われることはなかったのでしばらくそのまま撫でていたら、映画が唐突にエロシーンに突入した。
・・・これだからB級は。俺が慌てて手を引っ込めるとツネが可笑しそうに笑う。
「高校2年にもなってエロシーンで動揺しないでくださいよ」
「べ、別に動揺したわけじゃ・・・」
したけどさ。
またも唐突に派手な音がして、濃厚に絡み合っていたヒロインと相手役の男の背後に殺人鬼が登場してチェンソーで男の首をはね飛ばした。
さすがに油断していたのか、ツネが身を竦ませて目を見開いていた。俺もだけど。
ヒロインの絶叫と共に画面が暗くなってエンドロールが流れ出した。
「全員死んじゃうパターンでしたねぇ」
とツネが妙に明るい声で言う、ビクッとしてしまったのが恥ずかしかったらしい。
「そうだね、ラストはちょっと意外だったね・・・」
いつの間にか外も暗くなっていた、時計を見ると6時半。
「夕飯は出前のピザでいいっすか?」
「スプラッタ見た後にピザってのも神経太いよね・・・ツネって料理しないの?」
「料理は苦手なんですよ、マジで爆発させるタイプです」
「ツネ〜それは苦手とちゃうで、萌えポイントって言うんや!」
とるいちゃんのモノマネでるいちゃんが言いそうなことを言ったらどうやらツボに入ったらしく軽やかな笑い声が上がる。
「英蔵さんが言うとただの変態発言ですよ、あと似非関西弁キモいっす」
やっぱりツネは笑ってるのが一番良いなと俺も笑った。



翌日は部活、早起きしなければと思ったけれどその必要はなかった、俺もツネもほぼ一睡もできなかったからだ。
さすがに眠そうな顔のツネと学校へ向かう、俺もたぶん眠気で凶悪な顔になっているだろう。
「さすがにシメに《ブレア・ウイッチ・プロジェクト》は冒険しすぎでしたね」
「だね、怖くて眠れなかった」
嘘だけど。本当は映画より、いざ電気を消して眠る段階になったら昼間の光景が浮かんできてそれが怖かった。
結局あれは黒葉さんが仕組んだ《試験》だったから、あの般若面の男に俺やツネが殺されることはなかったのだけれど、あの時、脳裏に浮かんだ最悪の結末は何度も過ぎった。
それでも不思議とツネがあの試験に逆の意味に合格してしまう可能性は浮かぶことがなかった。
ツネが般若面の男を殺そうとして、結果塩薙として認められてしまうという嫌な結果、それだけは想像がつかなかったのだ。
「俺達だけで先に肝試しやっちゃったようなものですね、ほら、駅前のデパートに移動お化け屋敷が来てるからみんなで行こうな!って涙沙さんに言われてたんですけど」
「・・・それは映画のこと?チェンソー持った人に追いかけられたこと?」
「映画のほうですよ、マジで生命の危機を感じるような肝試しなんて嫌すぎます・・・まぁ毎年あの移動お化け屋敷はクオリティ高いんで楽しいかもしれないっすね、みっともなく悲鳴上げて逃げ回る英蔵さんが見られて」
ツネは欠伸をしながらも俺をいぢめることを忘れない。
「どんな歪んだ楽しみ方!?いや、俺はここぞとばかり冷静になって怖がるツネを観察するよ!」
「怖がる俺を観察して楽しい?やっぱむっつりですね」
「しまった、墓穴だった!!」
「墓穴に気づく前に"観察する"発言を撤回してくださいよ・・・というかぶっちゃけ、お化け屋敷で怖がる浅葱さんを・・・すごく見たい気がします」
「・・・それは俺もすごい見たい」



体育館の全ての扉を開け放つと澱んだ空気が吹き飛んで、朝の新鮮な空気が流れ込んでくる、心もこんな風に換気できたらいいのに。
こもった熱気が全部風に攫われた頃、他の三人も順にやってきた。
最後に来たるいちゃんが「おはよ」と俺の肩を叩くなり怪訝そうな顔をして俺の首筋に顔を近づけてきた。
「ちょ、なに!?」
「・・・英蔵君からツネのシャンプーとボディソープの香りがする」
何を言い出すんだ、この子!?
「は、ななななななな、何言ってるの!?」
慌てふためく俺にるいちゃんは目を丸くして見上げてくる。
「え、どういうこと?」
と大城君まで俺をのぞき込む。
「ど、ど、どういうもなにもっ!」
「バカですか!?」
ばこっと後頭部にボールをぶつけられた。
「普通にウチに泊まっただけでしょう、なんで動揺して言うんですか!なんかやましいことしたみたいにとられるでしょうがっ!!」
おそらく俺の後ろで本気で怒っているであろうツネの方は見ないようにして、るいちゃんと大城君に言う。
「うん、ちょっと二人で泊まりがけの映画鑑賞をね・・・」
「なんやもう、ほんまになんで動揺すんねん、振ったこっちがびっくりしたわ」
呆れつつもにま〜っとした顔のるいちゃんと
「一瞬でもまさかっ!と思った自分に乾杯だ」
と天を仰ぐ大城君を前に俺は頭を掻くしかない。
いや、大城君・・・一瞬でも「まさか」と思わないで・・・
ぽんっと浅葱君が俺の肩を叩いた。
「俺は気にしないから、応援するよ」
空気にヒビが入る音がはっきりと聞こえたよ、今のは。
「えっとな、浅葱君・・・おそらく途中から自分の世界に没頭して後半を聞いてなかったからだと思うけど、もんのすごい勘違いをしてるで?」
「そうなの?」
「そうなのっ!!浅葱君、常識で考えて!」
不思議そうに首を傾げる浅葱君にるいちゃんが深いため息。ぶはっとツネが吹き出して、続いて大城君とるいちゃんも笑い出す、俺もつられて笑い出して、事態を飲み込んだらしい浅葱君も笑い声を上げる。
爽やかな空気に満たされた体育館で俺達は床に倒れ込んで笑い転げた。
なんだ、あるじゃないか、心を換気する方法。
みんなの笑い声に、笑顔に、胸の奥に凝り固まった不安も、澱んでまとわりついていた恐怖もさらわれていく、吹き飛んでいく。
ひとしきり笑い転げてから俺とツネは目を合わせて頷いた。
「報告があるんだよ・・・」
「とんでもない話なんですけど・・・」
話が終わったら、またみんなで笑おう、いつも通りの部活をしよう。
きっとどんなに辛いことでもみんなでいたら、すぐに笑い話になるのだから。
生きていれば、笑い話だ。


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