ドウタヌキ?


第五話『潮騒』


―確かに俺達は人間より丈夫でずっと長生きするけど、それでも死なないわけじゃないんやで。
いつかの涙ちゃんの言葉。
分かっている、分かっているつもりだった。
だって俺達の手で殺した《夜人》もいる、逹瑯君も転生は出来るけれど俺達が会った逹瑯君はもういない。
人間に殺された《夜人》もいる。
「死に方が分からない」あのウィンゲート・コルレニオス、京さんにしたって、いつかは死ぬ方法を見つけるだろう。
それほどに死は平等だ、分け隔てなどしない。
生命であるかぎり、理不尽に不条理に降りかかってくる。
ただ俺達はそれが自分や、自分の身の回りに起こるってことを忘れがちなだけなのだ。





潮騒





初めての海には感動しきりだった。地平線ならぬ水平線なるものを指差してそれが真っ直ぐではないことを浅葱さんは俺達のいる場所が、俯瞰してみれば球体である証拠だなんて話をしてくれてとても驚いた。
このままずっと進み続ければ、またこの場所に戻るだなんて最初は信じられなかったけれど、浅葱さんが言うのだからそうなのだろう。
初めて海を見る俺のために、浅葱さんは知る限り一番綺麗な場所へと馬車を走らせてくれた。
どこまでも続く白い砂浜と宝石みたいに青い海は初めて見た瞬間、涙をこぼしてしまうほどに美しかった。
人里離れたこの場所にしばらく留まることにして、もう半月ほど。
それでも俺が海に飽きることはなかった。
「あんな、これ内緒の話なんやけど」と涙ちゃんが教えてくれた、オリバー・レイ伯爵が研究して得たこと。
「海が満ちたり引いたりするのは月が引っ張ってるからなんやで」
それから涙ちゃんが説明してくれた内容はとても難しく、そしてあまりに常識外で俺は理解することができなかった。
大城さんも恒人も目をぱちぱちさせて首を傾げていた。
そして唯一理解しているらしい浅葱さんは優雅に微笑んで言ったのだ。
「簡単なことだよ、月が海を抱き寄せようとしてるんだ」
絶え間ない波と潮汐の不思議に心奪われ、半月経った今でも俺は暇があると海を眺めていた。
そろそろ日も沈もうかというころ浜辺でぼんやりしていると固いもので頭を叩かれた。
「いてっ!」
「英蔵さん、俺達は夕ご飯のお魚を取りに来たんです」
恒人が口を尖らせて立っていた。手にした銛の柄で叩かれたようだ。
恒人はブーツとソックスを脱ぎ、ローブを腰のあたりまで捲って結んだある意味間抜けで見ようによってはエロい格好。
なんでエロいかというとローブとミニスカートの境が微妙で一見下になにも履いていないように見えるからだ。
邪な心をもったヤツからは全力でガードする必要性を感じる。
そのままじゃぶじゃぶと海に膝まで浸かるほど入って行って銛をかまえている恒人の背中を見ながら俺はどうしようかなと迷っていた。
俺の分も銛はあるけれど、海の魚は川の魚と全然違うから上手く獲れないのだ。
「ああ、もう!まどろっこしい!」
恒人はそう叫んで俺の方へ駆けてくる、怒られるのかと警戒していると、恒人は俺の隣でいきなり小狐の姿へ戻り、再び海へ駆けていった。
「・・・・・・お〜い」
脱ぎ捨てられた形になった服を持って砂を掃っていると、大きな魚が俺の目の前に飛んできてビチビチと跳ねる。
・・・狐って魚獲れたっけ?
水中からどうやっているのか高くジャンプして一気に潜ると再び上がって来た時には口に魚をくわえていて、首を振る勢いで俺の目の前に投げている。
うん。狐の生態には詳しくないけど、あんなん狐じゃない。
狐でも最終形態だ、環境に適応しすぎた進化系だ。
どう考えても銛使ったほうが楽だってできない俺が言うのもなんだけど。
二三匹、小狐の恒人より大きな魚を砂浜に投げてから、再び潜ったと思えば、ものすごい速さでこちらに駆け戻って来た、水面を走る勢いだ。
口にはやけに平べったい魚をくわえていてそれを放すなりぜぃぜぃ息を吐いて言う。
「サメがいましたっ!」
「サメ?」
なんだ、それは。
「肉食の魚です、怖い奴です!」
そう言うと恒人は服の中に潜り込んでごそごそとし、人間の姿になった時にはちゃんと服を着た状態だった。
器用なことするなぁ・・・
「食べられてしまうのですよ〜」
「その、サメってのは人間も食べるの?」
「食べます、海の虎です。危なかったです」
獲った魚を籠に放り込み恒人は立ちあがる。
「じゃあ戻りましょうか」
「そだね・・・」
最近、妙に子供っぽいというかテンションが変なんだよなぁ。
「ねぇサメって大きいの?虎みたいに」
「さっき見たのは小さかったけど、虎みたいに大きなのもいますよ。あと海には陸よりもーっと大きな生き物がたくさんいるんです」
「熊よりも?」
「熊の何十倍ですよ、島みたいに大きなのもいるんです。そうだ!」
と恒人はその場で飛び跳ねて俺を見る。
「此処の大陸も長いし、別の場所へ移るよう提案しませんか?海を渡って」
「海の向こうに・・・?」
なにがあるのだろう、それはどんな場所だろうか。
「ちょっと興味あるかも・・・」
「じゃあ、浅葱さんに聞いてみましょう!」


「そりゃ船ぐらい作れるというか、何度か作ったことはあるけど・・・」
夕ご飯(魚介類たっぷりのスープ)を我先にとほおばる俺達を前に浅葱さんは苦笑した。
「いいじゃん、行こう。たしかにこの大陸も長いしさぁ。涙ちゃん!それ俺が狙ってたやつ!」
「ちっさいこと気にすんなや。ええやん、こっちの海渡って行ったことってなかったし〜」
「だから不安なんだよ、俺も行ったことないもの・・・」
本当に不安そうな浅葱さんをぽけっと見ていると恒人が俺の器に勝手にスープを追加する。
「英蔵さん、ぼやぼやしてると食べ損ねますよ!」
「え!?ああ、うん・・・」
「話に聞くと、雪と氷しかない島があるとか?」
俺に食べ損ねると言ったわりにちまちまと魚を食べている恒人が言うと浅葱さんは肩を竦めた。
「それはこっちじゃないよ。もっと北の方・・・こっちはなにがあるのかなぁ」
「冒険心くすぐられるってもんだろ〜!」
「大城君、それ五杯目やん!」
「ちっさいこと気にすんなって。まあ海って《夜人》も生き物も危険なのが多いって言えば多いかなぁ」
「そうなんっすか?」
俺が聞けば大城さんは楽しそうな顔で答える。
「能力の差よりも場所の問題だけどな。水中で自由に動けないだろ、俺ら全員」
確かに、元が人間である俺と大城さん、狐である恒人、基盤が硝子人形の涙ちゃん・・・浅葱さんは?
俺の視線に気づいたのか浅葱さんはまた苦笑した。
「魚にも変身はできるけど、戦えるようなものじゃないよ。むしろ逹瑯君の方が得意じゃないかな、そっちは」
「そうなんですか!?」
「クドラクとクルースニクは変身能力に長けてるからね」
それは見ていないからな、なんだか意外だ。
「クジラ見たい!」
「あ、俺も見たいな」
「俺も見たいっす!」
困惑している浅葱さんを余所にご飯を食べながらぽんぽん出てくる要求。
というより、浅葱さんが制御できないなんて珍しい。
海というのはテンションが上がってしまう場所なのだろうか。
「分かった、この海を渡ってみよう・・・」
なんだかんだで浅葱さんが折れる、駄々をこねる子供の要求をしかたないなと聞く父親の顔をしていた。



高クラスのヴァンパイアは物質形成能力を持っている、恒人もできるけれど、あれが小さなもの限定であるのに対し、ヴァンパイアは巨大で完璧な物質を作り出せる。
馬車を引いている霊馬は元があってそれに命を吹き込んだ、言いかえればゾンビに近いものであれはまた別。
京さんクラスになればその物質形成能力を持って大型の城ぐらい作れてしまうらしい、それも半永久的に壊れない頑丈なものが。
それなりに力を使うので毎回とはいかないけれど、利便性の高い能力だ。
但し、武器などはどうも劣化コピーになってしまうらしく、俺らが使用する武器は涙ちゃんが錬金術で作ったものを使用しているけれどね。
ヴァンパイアが保有する能力は数多いらしい、ヴァンパイアが《夜人》の中でも上位に置かれているのも納得できる。
最もそれは真祖、『生まれながらのヴァンパイア』に限るらしいが、まったく途中から、それも成り損なった人狼である俺では太刀打ちできない。
太刀打つ気もないけれど、家族だし。
そうして夜の内に中型の船が完成した。
川や湖に浮かべる船とはずいぶん違う。
三本のマストがある帆船、真ん中に住居代わりの建物があって、地下に当たる船の中部分にも入れるようになっている。
馬車よりもはるかに広い自由空間だが、周囲一面水という環境に出ていくのだからこれぐらいないといくら《夜人》とはいえ疲れてしまうだろう。
サイズは5人という人数を考えれば大きめだが、あまり小さいと海の生き物―クジラだとかサメだとかイカだとかいう俺の知らないやつ―や、海にすむ《夜人》に簡単に転覆させられてしまうんだとか。
海へと漕ぎ出した船は帆に風を受け順調に・・・いや、この船自体、浅葱さんが生み出したものだから風とか関係ないけど、進んで、陸地はどんどん遠くなる。
「タイタニック!!」
「大城さん、ボケで時空を超えないで下さい」
船の先端で両手を広げる大城さんに恒人が口を尖らせて言う。
「いやあ、つい、ねぇ・・・」
星々の下、波を切って進んで行けばすぐに陸地は見えなくなる。
「此処からはもう底が深いから落ちたら危ないよ」
海面をのぞきこんでいた俺に浅葱さんがそう言ってくれた。
「・・・海ってそんなに危険なんですか?」
「陸地よりはね。所詮俺らは陸上生物だし・・・」
後ろでは恒人がはしゃいで行ったり来たりしている。
いちいち感嘆の声を上げながら楽しそうだ。
涙ちゃんを探せばマストの天辺にとまって、風を受け気持ちよさそうにしていた。大城さんは先端部分で腕を組んで口笛を吹いている。
「みんなテンション高いですねぇ・・・」
「知らない場所に行くのって楽しいもの。俺は慎重過ぎてダメだね」
「5人いて全員慎重さがなかったら大変じゃないですか・・・」
ふと逹瑯君とミヤ君が過った、あの二人って「慎重」というものは持ってなさそうだ。
「英蔵君は良い子だねぇ」
浅葱さんに突然頭を撫でられて俺は赤面してしまう。
「俺は疲れたから眠ってくるよ、もうすぐ夜明けも近いし・・・」
そう言って浅葱さんはみんなに「おやすみ」を言うと、地下部分に通じる扉へ消えた。
俺は耳と尻尾が飛び出しそうな勢いではしゃいでいる恒人に声をかける。
「ツネってさぁ!」
「はいっ!?」
俺の前で急ブレーキ後ろにひっくり返りそうなぐらい反って止まり、悪戯っぽく輝いた目でこちらを見た。
「船乗ったの初めてじゃないんだろ?」
恒人のいた国は海の向こうなんだから、こちらへ来る時も乗ったはずと思ってそう聞くと、恒人は困ったように微笑んだ。
それが妙に綺麗な笑顔で俺は自分のミスを悟る。
「こっちへ来る時は、俺あんまり・・・」
「・・・ごめん」
「いいっすよ。分からなきゃ聞くの当たり前ですし」
でも、せっかく楽しんでいたのに水をさしてしまったよなぁ。
恒人は俺の隣に並んで海を見る。
鴉の濡れ羽みたいな髪がさらさらと音を立てそうな風に靡いていた。
「あえて話さないのと話したくないのとは違うんですよ?」
恒人は海を見たまま微笑む。
「ただ、聞いて愉快な話じゃないから不用意に口にしないだけです、英蔵さんが聞きたいなら昔の話もしますよ。だからそんな風に構えないで下さい」
「ツネ・・・」
「踏み込んだっていいんですよ、いきすぎたらごめんなさいって言えばそれで許せるぐらいの関係ではあるでしょう?」
「・・・うん」
「俺の国から大陸に渡るときは、精神的にも肉体的にも弱ってたからあまり記憶にないんです。でもみんなに優しくしてもらったことは覚えてるから、悪い旅じゃなかったんですよ」
「そっか・・・」
どう言ってやれば良いのか分からず、俺はそっと手を伸ばして頭を撫でた。
元が狐なせいか撫でられるのは気持ち良いらしい。
「あ、撫で撫でずるい!俺も混ぜて!」
そんなことを叫びながら涙ちゃんがマストの上から急降下して、俺の頭にヘッドバッドを入れた。
基盤が硝子人形(ハンマーでも割れない超強化)な涙ちゃんの頭突きは脳震盪起こしそうなぐらい痛かった。
「ツネちゃんをふわふわもふもふする権利は俺のだろ、ツネちゃん小狐になって!」
大城さんまで乱入してきた。
「嫌っすよ!俺が狐になると大城さん放してくれないっすもん!」
「生意気言うとこうしてやる!」
大城さんは恒人の襟首を掴み、そのまま船の外へ出した。
ぶら下げられている状態だ。
「ぎゃーーー!!!怖い!!本気で怖い!!!」
ものすごい悲鳴を上げる恒人に大城さんはカラカラと笑っている。
助けなくていいのかな?
もちろん冗談でやってるのは分かるけど。
って言うかさっきから騒いでるけど浅葱さん眠れてるかなぁ。
「大城さん!!サメサメサメサメサメサメ!!!!」
恒人の絶叫に大城さんは慌てて引っ張り上げて、自分も海面をのぞきこむ。
「お〜!本当にサメじゃん!」
「し、死ぬかと思いました!」
半泣きの恒人の背中を涙ちゃんが撫でてやっている。
「よしよし、悪いお兄ちゃんやねぇ」
「サメって肉食の魚?」
「英ちゃん飛びこんでみろよ、食われるから」
「嫌っすよ!!」
俺は大城さんから距離をとって海をのぞいた。
水晶みたいに透明な海水、そこに巨大な黒い影。シルエットはなるほど魚だが、帆のような背びれが尖って海面から飛び出していた。
「トラサメやね、凶暴なヤツや」
いつのまにか隣で涙ちゃんものぞきこんでいた。
「人間も食べる?」
「なんでも食べるけど、俺は食べれんやろね、硝子やから」
「俺は食べられてしまいますよ、怖いです」
恒人は顔を半分だけ出して見ていた、本気で怖いらしい。
さっきは船からぶら下げられていたからもっと怖かっただろう。
それにしても大きい、4メートルはありそうだ。
俺自身はサメに対する知識がないせいか怖いとは思えないけれど。
いや、飛び込みたくはないが。


はしゃいでいるうちに日が昇った。
昼頃になると体温調節が不得手な涙ちゃんは直射日光を嫌って家の中へ引っ込んでしまい、恒人はマストの陰でお昼寝中。明らかに人間の姿であることを喪失している、いわゆる伏せの体勢で寝ていたが、まあ気持ちよさそうに眠っているからいいだろう。
大城さんは縁に腰掛けて釣り糸を垂らしている。
みんな黙るとさすがに静かだ。
「大城さん釣れますか?」
「釣れないねぇ。英ちゃんちょっと餌になってよ。サメが釣れるかも」
「勘弁して下さいよ〜」
大城さんはひょうきんな顔で笑って、空を見上げ日光に目を細めた。
「クジラ見たいなぁ・・・」
「島みたいに大きい生き物でしたっけ?」
「そうそう、あれはねぇ、見ると価値観変わるよ・・・場所によっては神様扱いされてるような生き物だし」
「クジラって《夜人》なんですか?」
「いんや。《夜人》ってさ、ある意味で法則破った生き物じゃん。でもクジラは生物として・・・上手く言えないけど、なんか理屈を超えて神々しいんだよ。ああ、生命ってすごいんだなぁって思える」
そんな話を聞いたら俺も見たくなった。
クジラかぁ。
しばらく話してから俺は地下へ入った。影がズレて恒人が寝ているところに日が射していたが、子供じゃあるまいし暑ければ自分で移動するだろう。
地下には荷物が収納されていて、本が何冊かあるはずだ、クジラのことが載っているかもしれない。
俺は浅葱さんを起こさないようにそっと本が入っている箱をあけた。
浅葱さんは、というよりヴァンパイアは寝姿を見られるのを嫌うのでシーツを頭まで被っている。棺桶で眠るのが正式らしいがさすがに棺桶はかさばるから持っていない。
一際分厚い本を開いて気づいた。
タイトルがないと思ったらこれは浅葱さんの日記だ。
・・・日記つけてたんだ!!
すごく内容が気になるが日記だ、プライベートだ、無断で見るのはマナー違反と慌てて閉じるとシーツの中から声がした。
「別に読んでもかまわないよ」
起きていたらしい。
「いや、しかし・・・」
「見られて困るようなものなら隠しておくもの。読んでもいいよ」
そう言ってシーツの奥からくぐもった笑い声。
「・・・えっと、じゃあ失礼します」
真ん中辺りを適当に開いて、
開いて、
どうしてこの頁を開いたのだろうと思った。
同じことが書いてある日は飛ばして少しずつ読んでいく。
本当にどうして偶然開いたのがこの頁だったのか。


×/××

あの国から連れ帰った空狐の調子は依然として悪い。
傷は癒えたが口をきいてくれない、完全に心を閉ざしている。
食事も全て拒絶するので大城君が力を分けて持っている状態、このままでは命の危険性もあるだろう。
無理矢理連れてきた形になったのが悪かったのか、しかしあの国に留まるのが危険だったのも事実。
独り言で口にする「×××お兄ちゃん」のことが気になる。

×/××

姿が見えなくなったと焦って探したら、物陰に潜んでいた。
やはり俺達を警戒しているらしい。
手負いの獣という表現はこの場合的確なのだろうか?
大城君が落ちつかせたら、少しだけ食事を取ってくれた。
このまま良い方向へいけたらいいのだけれど。

×/××

初めて口を聞いてくれた。名前は恒人と言うらしい。
「×××お兄ちゃん」のことを真っ先に聞いてきた。
あまりに残酷すぎる思い違いだ。嘘を教えるわけにもいかず真実を話すとショックを受けたようでまた黙り込んでしまった。
もう少し折を見て話すべきだっただろうか。
また食事を取ってくれなくなった。

×/××

結果的に生きる理由を奪ったことになってしまったのか、でも真実は揺るがない。
食事は取ってくれない、大城君から力を分けられるのも拒絶する日々は変わらず、痩せ細っていく。
どうすればいいのだろう。

××/×

海面を走る影を見た時、俺は反射的に恒人の手を引いて甲板へ連れ出していた。
巨大なクジラが泳いでいる。その巨体が海面から飛び上がる姿を見て、恒人の顔に感嘆の表情らしきものが浮かんだ。
手を放してもちゃんとその場に立ってクジラを見ている。
ゆっくりと遠くなるクジラの背に恒人は涙をこぼしていた、泣きながら俺に、凛とした声で「ありがとうございます」と言ってくれた。


日記を閉じた。
そっか、それで、みんな、あんなに。
「見れるといいんだけどねぇ」
シーツの奥から浅葱さんの声、俺は頷くので精一杯だったけれど、伝わったはずだ。
俺は地下を出て甲板に戻った。
恒人は移動したらしくまたマストの陰で眠っている。
釣りをしている大城さんに並ぶように縁に腰掛けると大城さんはこちらを見もせずに「どうかしたか?」と優しげな声で言った。
「いえ、俺もクジラ見てみたいな、と思って・・・」
「そっか。まあそのうち見れるさ」
「大城さん、最近ツネって子供化してません?」
「英ちゃんがいるから安心してんじゃねぇの」
「はいぃ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げると「魚が逃げるだろ」と苦笑された。
「いや、英ちゃんってさ、人を安心させる空気あるから。癒し系っていうか、英ちゃんが仲間になってくれてよかったなぁって俺は思ってるよ」
「・・・俺は、なにもしてませんよ」
「いてくれてよかったなって話。元を辿ればさ不運だったにしても、浅葱君や涙ちゃんが来てくれてよかったし、ツネと会えてよかったし、英ちゃんと会えてよかった。合流地点じゃ不幸だったかもしれないけど、今は俺、ハッピーよ」
「それは・・・俺もですよ・・・」
人狼に噛まれたことは不幸でも、結果として《夜人》となりみんなといられることは幸せだと心から思っている。
もしもあの時、川から流れてくる林檎を拾わなかったら、
湖へ行かなかったら、
森へ行かなかったら、
俺は今もあの国で安穏に暮していて、けしてそれが不幸ではないけれど、俺はかけがえのない仲間に、家族に会えた。
「考えてみれば全部偶然なんだよな、俺らの出会いって。まあ出会いなんて偶然なものかもしれないけれど・・・」
「そうっすねぇ」
「浅葱君なら『運命』って言うかもしれないけどね」
「それは・・・確かに・・・」



海に出て二ヶ月が過ぎたがクジラはまだ見れていない。
その代わり、ボロボロになった誰も乗っていない帆船(《夜人》に分類されるらしいが生命体ではなく現象に近いものらしい)とか、人魚と呼ばれる上半身が美女で下半身が魚の《夜人》には会った。
人魚はものすごい凶暴で人肉が主食らしいが、俺達が《夜人》だと分かると親切に魚がよく釣れるポイントなどを教えてくれた。
まあ、最初は俺達を食べるつもりで寄って来たってことだけど。
「水しか見えないってやっぱ飽きるなぁ、英蔵君は飽きへん?」
と、涙ちゃんが船の周りをふわふわ旋回しながら、ある意味で身も蓋もないことを言った。
「いや、俺はけっこう楽しいよ。水平線に日が沈むのは何回見ても綺麗だし・・・」
「英ちゃんってばロマンティストだねぇ」
釣り三昧な大城さんに言われてしまった。
「俺も釣りしよっかなぁ・・・」
涙ちゃんは本当に飽きてきたらしい。
「ツネは飽きてない?」
俺は大城さんの隣に腰掛けて釣り糸を凝視している恒人に聞いてみた。
「ん、特には。ああ、でもそろそろ買い出ししたいっすね。人が住んでる島とかあるといいんですけど」
「ツネちゃんは現実的だねぇ。もうすぐ浅葱君が起きてくるだろうから聞いてみようか」
もう太陽は沈みかけている。
あまりに大きく見えるからこのまま進んで行ったら太陽にぶつかるんじゃないかと本気で思ったけれど、やはり太陽は空にあるものらしい。
えっと、俺達がいる場所が球体だから、その向こうに隠れて見えなくなるだけ、だとか。
海面に赤い線が揺れて伸びる。
跳ねる小魚が煌めいて、眩しいほど。
「まあ確かに、これは何回見ても綺麗やねぇ」
涙ちゃんが宙に浮いたままため息と一緒に言う。
そういえば、浅葱さんは日光にあたれないからこの光景を見ることはできないんだよな。
当たりさえしなければいいから見ようと思えば見れるのだろうけど、難しかろう。
当たっても大丈夫な方法もあるにはあるが、あれはけして「夕陽を見る」ために気軽にやるようなものではないらしいし。
「英ちゃん、たそがれてるとこ悪いが・・・すごいものが釣れた」
「はい?」
いつの間にか恒人が俺の後ろに回り込んでいる。
「なんっすかそれ!?なんっすかそれ!!!」
「え、なに?どうしたの?」
「・・・タコだよ、ほれ」
大城さんが投げ渡してきたものをキャッチして、その軟体な物体をしばし眺め、俺は悲鳴を上げた。

その奇怪な生き物は煮て食べたら美味しかった。
なんでも食べてみるもんだなぁ。
浅葱さんの話ではこのタコという生き物と同じ形の《夜人》もいて、それは船より大きく、船に絡みついて沈めてしまうんだとか。
狼と人狼みたいな違いだろうか。
冴えわたる月の下、浅葱さんの《夜人》講座。
「海に危険な《夜人》が多いのはある法則に当てはまる、人里から離れるほどに生息する《夜人》が人間にとって危険な存在になるという法則。たとえばツネや涙ちゃんは人間と共に生活するから人間に危害を加えることは少ない、英蔵君はまあ異例だけど、人狼は山奥を住処とし人間にとって危険な存在だ。海ともなれば人間には未知の世界。大型の帆船で旅が可能になったのはつい最近のこと、最も人里から遠いのが遠海だ、だから危険な《夜人》が多い」
「その法則はどうしてあるんですか?」
先生にでも質問するように手を上げて聞くと浅葱さんは笑んで頷く。
「俺は結果論だと思う。人と共生できる《夜人》や人間に友好的感情を持っている《夜人》は当然人里近くに住み、そうでない《夜人》は人の目から離れる、人間が世界で一番繁栄している生き物だからね。もっと言えば『人間にとって危険』というのは人間側からの観測。肉食を主としているのであれば、人間も肉に違いはない。遠海に住む《夜人》は人間を知らず、たまたま通りかかった帆船から肉を捕食したにすぎないかもしれないんだ。人魚たちはピンポイントで人間狙いの力を持っているけど、普段は魚を食べているしね。人の肉が彼女達にとって必要であり、人間を狩るのに都合の良い能力を身につけたとも考えられる」
人間以外の生き物からすれば、人間も他の動物と変わりないってことか、それはなんだか納得できるな。
「・・・海で最も危険な生き物はマーマン達だ。彼等は人間と変わらない文化レベルを持っているけれど、ひたすら他の生き物を狩る。温情も容赦もない、本能として殺戮し、食べる。会話は可能だけれど話は通じない。知能が高いから騙し討ちもするし、群れで生きているから狩りは集団プレイ。できれば会いたくはないね。人魚に近い種族で、形は人間と同じ。全身が鱗におおわれていて魚に似た顔をしている・・・見かけたら即教えて、逃げるから」
「逃げるんですか?」
「一匹と戦えば群れ全員相手にしなきゃいけなくなるから、逃げるよ」
元より無益な争い事は好まないから、逃げればいいだろう。
その時はそう思っていた。


それから半月後、俺達は島に上陸していた。
小さいが遠目に見ても石造りの建物が立ち並び、人が住む島だと分かる。
一応警戒しながら船を岸につけ、上陸。すでに日は落ちているので浅葱さんも一緒だし、涙ちゃんも人間の姿だ。
奇妙なことに島は真っ暗だった、建物から灯りが漏れる気配がない。
浜辺でどうしたものかと相談していると、向こうから松明を持った一団がやってきた。
人間が五人、皆体格の良い若い男だった。
日焼けし、ほつれた服を身につけ、無精ひげを生やした彼等は明らかに憔悴しており、警戒していた。
銛をかまえながら近寄ってくる彼等に敵愾心がないことを示すと、分かってくれたらしいが、代わりにとんでもない話をされた。

連れて行かれた洞窟では、老若男女が寄りそうように固まっていた。
浅葱さんが此処の代表らしき老人と話している。
「マーマンの群れ、ですか・・・」
老人の話によれば、此処は魚を取って暮らす自給自足の平和な島だったが、一ヶ月ほど前に突然、マーマンの群れが上陸してきたらしい。
マーマン達は人々を襲い、暴虐の限りを尽くし、この場所が気に入ったのか今は島の半分を占拠している状態だと言う。
上陸した時に見た限りで行けば、小さな山になっている反対側は既にマーマンに占拠されているということだ。
生き残った彼等は此処に隠れ、なんとか今日まで生き延びてきたらしい。
もしもマーマン達を倒す方法を知っているなら助けて欲しいと頭を下げる老人に浅葱さんは俺達に視線を寄こした。
何の異論もないのでみんな頷く。
何度もやっていることだ、バランスの問題。
やり過ぎは止める。
俺達が《夜人》であることは伏せ、逆に《夜人》を倒す力があることを告げると皆、その場に頭をつけて礼を言ってくれた。
話がまとまると、俺達は相談のために洞窟を一旦出る。
「彼等の話によればマーマンは15匹、相手取るのに難しい数じゃない」
浅葱さんは三日月を見ながら言う。
「マーマン、属性は例外なく《水》、だから英蔵君が戦うには最適だね。逆に俺が一番不得手だ。彼等は夜行性だから襲撃するなら昼間のほうが向いているけど・・・」
「浅葱さんには此処で待っていてもらって俺ら4人で昼間行きましょう、洞窟にいる人達を守る役割だって必要でしょうし」
そう言ったのは恒人で、涙ちゃんも頷く。
「そやね、一応俺が結界張って、俺ら4人で撃破でええと思う。相手が15匹なら楽勝まではいかんけど、勝率は10割近い」
「俺も涙ちゃんとツネに同意だね。向こうの地図も貰ったことだし、地の利もなんとかなるし、なっ英ちゃん」
「そうっすね。ああでもそういえば俺、《水》属性って相手にしたことないです」
そう言えば大城さんは笑って頷いた。
「じゃあ良い経験になるかもな、マジで楽だぞ属性勝ちだと」
全員一致でこの戦いは余裕であると判断を下した。
もちろん油断はしていない、真剣そのものだった。
まあこの判断、ミヤ君辺りなら「もうちょい物事は疑ってかかれよ」と睨むのだろうけれど・・・


翌日、太陽が照りつける石造りの街を俺は敗走していた。
ズタボロで走っていた。
奇襲攻撃のおかげでみんなともはぐれ一人で走る。
一つ、マーマンは15匹ではなかった。
一つ、地図はまったく間違ったものだった。
なんでこうなったのか全く分からない。住民の知らぬ間にマーマンの数が増えたにしても、なんで地図まで違うんだ。
今のところ目撃できたマーマンだけでも30は超える。
まったく知らない街、どこから敵が出てくるのか分からない状況で俺は路地を抜け、走り続ける。
適当な場所で、他に気配がないことを確認してようやく足を止めた。
息が荒いのは走りすぎたのか、焦りからか。
みんなは何処だ?そもそも無事なのか?
背中の怪我はかなり酷い、腕は軽傷。
治すことに意識を集中させて天を仰ぐ。
恒人や涙ちゃんならともかく、俺は他と連絡を取る術がない。
気配を探っても無駄だ、敵陣の中にいるのだから俺に気取られるレベルの気配なんて出していない。
俺だって出来る限り気配を消しているのだ。
自分が通って来た道ならば覚えているが、他の街並みがどうなっているのか全く分からない、そもそもが入り組んだ迷路のような街。
確かに属性の関係は理解できた、相手の攻撃は軽く感じるし、逆にこちらの攻撃は感触より大きいダメージを与えられる。
しかし数が多すぎる上、地の利という点で完全に負けている。
塀にもたれかかっていると、向こうからリズムのあるノック音がした。
・・・これは大城さんの合図だ。
俺も決められたノックを返すと、塀を乗り越えて大城さんが現れる。
「大城さん・・・」
「英ちゃん、無事か?」
「なんとか・・・」
大城さんも頬と肩を怪我しているがどちらも軽傷だ。
「これはいったい、どうなっているんですか?」
「騙されたんだよ、俺らは・・・」
「騙された?」
「マーマンはな、人間に変身できる。それも容易く見破れないレベルの高度な変身だ」
「じゃ、じゃああの洞窟にいた人達は・・・」
「アイツらもマーマンだ。俺らは敵陣の真っただ中に偽の情報と一緒に突っ込まされたんだよ」
でも、待て、だとしたら・・・
「あ、あ、浅葱さんは今・・・」
「一人で敵に囲まれてる状況だ、正直かなりまずい」
「今すぐ戻らないと!」
「帰るルートは確実に抑えられてる、得策じゃない」
「でも!」
「英ちゃん」
大城さんの声は冷静だった。
俺を落ち着かせるほどに。
「みんなで生きて此処を出る、それは絶対だ。だからまず涙ちゃんとツネと合流するんだ」
涙ちゃんは戦闘向きじゃない、怪我を負わされることはなくても捕えられることはある、恒人は物理攻撃に弱いしなにより無茶をするタイプだ。
まして二人の頭ならもうこの状況は分かっているはず。
恒人は元より涙ちゃんでも無茶をする可能性があるのだ。
一番つき合いが長い涙ちゃんの浅葱さんに対する愛情は深い。
大城さんが人差指を立てて路地の向こうを指差す。
あっちに一人いたぞ、と数匹のマーマンの声と走る音、それから轟音。
魔法が発動した音、涙ちゃんだ。
反対側の路地からも声、向こうにも一人いる、と。
「俺は涙ちゃんに加勢してくる、英ちゃんはツネの所へ。合流したら此処へ戻ってくるんだ、いいな」
「はい」
大城さんと拳を合わせ、反対の方角へと走り出す。
絶対に戻ると、そう誓いながら。


壁すれすれに路地を抜け、マーマン達が集まる方角へと足早に移動していく。
20匹ほどのマーマンが同じ方向へ行く中、見つからぬよう苦心した。
建物の上に登り(視線より上は死角になると大城さんから教わったことを思い出したのだ)、さらに進むと袋小路に追い詰められ、いや・・・相手が多いから囲まれないための策だろう、しかし道はマーマンの群れに塞がれた状態の恒人を見つけた。
すぐに飛び出そうとする身体をなんとか抑える。
恒人はマーマンの群れを凛とした顔で見返していた。
左脚に矢が貫通し、右肩にも矢が刺さっている、ローブは裂けていて剥き出しになった薄い腹に銛で刺されたのか二の傷があって血が流れている。
じりじりと詰め寄ってくるマーマン達にも恒人は構えを崩さない。
どうやれば上手く助けられるのか、沸騰しそうな頭を冷やして考える。
恒人の跳躍力なら脚に怪我をしていようが、後ろの壁は飛び越えられない高さではない。しかしそれをしないのは、マーマンの五匹がボーガンを向けているからだ、おそらく跳んだ瞬間撃たれる。
この路地の狭さなら、襲いかかってきても二匹が限界、恒人は全てを迎えうつつもりでいる。
いやいや、相手何匹いると思ってるんだ!
どうしてこの子の作戦は全部「肉を切らせて」方式なんだ!
そこはあとでみっちり叱るとして、今はこの状況をどうするか。
マーマン達は走るのも早くないし跳躍も不得手のようだ、しかし武器の扱いに長けていて、みな銛やら槍やらを持っている。
長物が得意のようだが懐に、つまり射程外に飛び込めば一人一人の戦闘力はそこまで高くない。肉体はチェーンメイルレベルか。
大城さんなら一撃で倒せる、恒人でも数発急所に打ち込めば倒せる。
急所は顔の鰓部分。
あと、これは戦っていて気づいたことだけれど・・・連携プレイは上手いがけして互いを労わっているわけではないということ。
本質なのか、むしろ個人を犠牲にしても集団を生き延びさせることを選んでいるように見える、しかしそれは集団への奉仕ではなく、自分が助かることにも重心を置いている。
つまり、かき乱すのは簡単だ。
俺は立ちあがり、大声で叫ぶ。
「おい!魚野郎どもっ!!」
彼等には理解できまい、理解できないから深読みする。
自分が多少危ない目に合おうと仲間を助けようなんて感覚がそもそもない彼等は、俺の行動に深い意味があるかと勘違いする。
ボーガンを持ったマーマンが皆、俺に照準を合わせる。
手の届かない距離にいるから飛び道具を向けるしかないだろう。その瞬間を待っていた、恒人を確認するまでもない、アイツなら俺の行動の意味を理解している。
前方のマーマンが騒ぎ出し、矢が一気に俺に向けて放たれたが俺は足場の良いところにいるのでちゃんと狙って飛んできた5本程度の矢ぐらい簡単に避けられる。
跳躍している最中なら無理でも、足場があれば正確に放たれた飛び道具など避けるのは容易い。
俺はそのまま横に飛んで向こうの路地へと移動した。
ちゃんとあの隙に壁を飛び越えた恒人がそこに居て、なにか言いたげな目で俺を見るので、俺も含んだ視線を返した。
「・・・・・・ごめんなさい」
「分かってるならいい」
分かってるならやるなと言うべきだったかもしれないが、それは後だ。
向こうでマーマン達の騒ぐ声が聞こえる。
今度ははぐれないように並んで走り出した。
が、その瞬間。
地面が落ちた。石畳が綺麗に抜けて落下した。
「いてぇ・・・」
降ってくる石の破片を払いのけながら俺は思わずそう声を上げる。
とっさに受け身はとったが背中の傷に響いた。
「ツネ、だいじょ・・・」
無謀な小狐様は太腿を貫通している矢を無造作に引き抜いているところだった、当然のように血が飛び散るが気にもとめず、ボロボロのローブを破いてそれで傷口を縛り、肩の矢も同じように引き抜き、こちらはさほど深くないからかそのままにしていた。
「オマエ・・・なにやってんの?」
「いや、肉が絡むと痛いんで、治りにくくなるし」
当たり前だろうという調子で言われてしまった。
「だからって、もうちょい丁寧に・・・」
恒人の後ろに広がる光景に俺は言葉を失う。
此処は地下牢だったようだ。
そして・・・島に上陸したマーマン達が住民を虐殺したことだけは本当だったと知る。
「英蔵さんどうしたんですか?」
「絶対に振りかえるな、見るんじゃない」
見てはいけない、見せてはダメだ。
恒人の表情が曇る。
鼻の利く彼ならばもう気づくか、此処に満ちる濃い血の匂いと腐臭に。
物みたいに積みあげられ、あるいは拘束されたまま。
描写したくもない死体の山。
描写するなら一言、一人残らず嬲り殺しにされていた。
「このまま上に出よう、此処にいちゃダメだ」
「・・・分かりました」
こういうところは聞きわけの良い恒人が頷く。
頷いて俺の胸を軽く叩いた。
大丈夫だとばかりに、いつもじゃれる時のように。
俺の心もそれで静まる。
「行こう、大城さんと合流場所が決めてあるんだ、涙ちゃんももういるはず」
そして早く、浅葱さんのところへ戻らなければ。



「ツネ!無事やったか?」
「はい!」
「そうか〜よかったわぁ、ってどこがやねん!めっちゃ怪我しとるやん!」
会うなりノリツッコミをする涙ちゃんに大城さん苦笑。
涙ちゃんは多少煤けているが無事らしい。
「30匹は倒したけど、涙ちゃんが空中から見た感じ、あと300近くいるみたい」
大城さんの言葉に俺は恒人と顔を見合わせる。
300匹相手にしなきゃいけないのか・・・
「とりあえず四人おれば、浅葱君のところまで突破はできるはずや、行くで」
やはり涙ちゃん、少し焦れているらしい。
いや、焦れているのはみんな一緒か。
「・・・マーマン達がなにかこちらに言っているみたいですけど」
最初に気づいたのは恒人で、それはすぐに俺達の耳にも届く。
今までは仲間内の連絡に留めていたマーマン達の声が明確に俺達へ語りかけている。
―お前達のリーダーは捕えた
と。
「・・・嘘だろ、浅葱君が?」
大城さんは納得していないようだったが次に聞こえてきた言葉に凍りつく。
―もしアイツを洞窟から出したらどうなる?
今は日中、日の光は浅葱さんの天敵。
そこを上手く利用されれば、まして油断している状況なら負けもありえるのか。
「・・・マーマン、魔術も得意な連中や、浅葱君の力を封じることはできるやろな」
涙ちゃんが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「っ・・・ざけんな」
路地の向こうへ飛び出しかける恒人を大城さんが抱えて止めた。
「ツネちゃん待て」
「でもっ」
「いいからちょっと待て」
俺は動けずにいた。
どうなるのか、怖くて動けない。
でも動かなきゃ。
「そっちの要求はなんだよ!」
俺はそう叫び返す、居場所がバレるかもしれないが、その時はその時だ。
いや、それも意味はなかったか。
―決まっているだろう、大人しく投降しろ。
「白旗上げろって言うてるで」
涙ちゃんが煤けた髪を掻き上げる。声の調子とは反対に今にも爆発しそうな顔だ。
―1分以内に出て来なければ、お前達のリーダーを日光の下に出す。
「あ〜はいはい、分かりました。俺らの負けです」
大城さんが両手を上げ、器用に肩を竦めた。



いったいどの時点で気づくべきだったのかと言われれば、堕威さんが浅葱さんの二つ名を長めに言った時。
定住しているはずの《夜人》である堕威さんの耳にすら入り、二つ名が追加されるほど俺達が『有名になっている』ことだろうか。
それも悪い意味での有名人。
《夜人》を狩る《夜人》。
あの人狼もそう言ってたっけ。
しかしあの人狼は既に一戦交えた後だった、やはり堕威さんの口から聞いた時、俺達は警戒しなければいけなかったのだ。
少なくとも一部の《夜人》から敵視されていることに。
両手を上げて投降し、足枷と手枷を後ろ手に嵌められて歩く道すがら、マーマン達の言葉で最悪なことを知らされた。
彼等はそもそも俺達を狙っていたのだ。
てっきり海を行く旅人に張った罠かと思いきや、俺達のために構えた罠だった。
俺達が航海中であることを知り、通るであろうこの島を占拠しておいたのだ。
住民はそのとばっちりを食った。
俺達の責任もゼロではないと思ってしまう。
知らぬ間に俺達は賞金首みたいな扱いになっていたらしい。まあ賞金なんぞかかってはいないので、俺達を殺せたら箔がつく、とか。
会話は禁じられていたし、歩くのが遅いと銛で突かれたけれどみんなを見ることはなんとかできた。
涙ちゃんはいつキレてもおかしくない顔をしている、大城さんはポーカフェイス、恒人は俯いて何かを考えているようだ。
―変じゃないっすか?
恒人の声だ、心に直接飛ばして来たらしいがこの状況ではそれが限界であろうし恒人ほど器用でない俺は返すことはできない。
変、変な部分。
考えてみて、思い当たる。
確かに変だ、マーマンの性質、あるいは本質で集団の勝利のために個を犠牲にし、自分が助かるために他を犠牲にする、そこ、それがあるのに・・・
なんで人質なんて作戦を使ってくるのだ?
何故、それが有効だと分かった?
俺の行動で?
いや、そこまでではない、彼等はまだ理解できていない。
まだなにかあるということか。
俺は手枷を確認する。鎖は短い、本来なら引き千切れるが魔術的な防御がかかっているらしくそれは無理だ。
重量もかなりある。
足枷も同様だ。
追いつめられてはいるが方向性は一切変わっていない、みんなで生きて此処を出る、それだけだ。
マーマン達は俺達をどう殺すかで盛り上がっている。
どれも楽に死ねそうもなく、地下牢で見た死体を思い出す。
そもそもが、眠るような死を享受できるわけもない旅だったのだなと今更ながらに思う。
ようやく洞窟に戻った。
10メートルほど前、洞窟の日が差し込むぎりぎりのところに浅葱さんが小さな檻に囚われていた、もうすこし太陽が動けばあの位置にも陽光は届くだろう。
300匹近いマーマンが俺達を取り囲んで歓声を上げている。
なんとなく、あの闘技場を思い出した。
そして一人、異質な人物。黒いマントに仮面をつけた男、のぞいている手は青白いが人間と同じものでマーマンではない。
「ヴァンパイアですね、ブレーンといったところでしょう」
俺の隣で恒人がそう囁くが、槍を突きつけられすぐに黙った。
「・・・それで、どうするつもりなのかな?」
浅葱さんは俺達を少しだけ見た後は目を閉じて、そう朗々とした声を響かせる。
「サクスブルー、お前の目の前で、お前の仲間を全員処刑する」
仮面の男が浅葱さんを本名で呼んでそう言った。
「はっ、端っから全員殺す気じゃねぇか」
大城さんがそう吐き捨てた時、恒人が暴れ出した。
「ふざけんじゃねぇよ!下衆共がっ!」
そう言って、隣にいたマーマンの腕に噛みつく。
「なにしやがる、このガキっ!」
マーマンの拳がまともに顔面に当たり、恒人の華奢な身体が吹っ飛んだ。
「ツネっ!」
前に出ようとする俺の喉元に槍の刃が当てられて阻まれる。
「舐めたマネしやがって、てめぇから処刑だ!」
薄い腹を蹴りあげられ、恒人の身体がくの字になった。そのまま髪を掴まれ引きずられるように連れて行かれる。
俺は息を飲んでそれを見ていた。大城さんはマーマン達を睨みつけ、涙ちゃんは俯いていて表情は伺えない。
檻のすぐ前まで連れていかれ、膝立ちの状態にされた恒人を浅葱さんの赤い瞳が微かに揺れながら見ている。
「なるべく時間をかけろよ」
仮面の男の言葉にマーマン達は下卑た笑い声を上げて頷いた。
嬲り殺しは趣味か。
もうこれで決まった、
これで俺達の、
勝ちだ。
真横で風が渦巻いて、氷の槍が恒人を取り囲むマーマン目がけて飛んでいき、正確無比にその頭を貫く。
涙ちゃんの呪文詠唱が終了したらしい。
タイミングはばっちりだ。
既に手枷と足枷のマジックキャンセルを終え、破壊していた恒人が檻の方へと走り出す。
枷そのものが破壊できない作りでも魔力を封じられない限り、恒人は手さえ組めればマジックキャンセルが出来る。手枷はこっそりと、足枷は殴られて倒れたどさくさにやったのだろう。
一瞬遅れて、他のマーマン達が武器を携え恒人に向かうが、その時にはもう俺と大城さんが飛んでいた。
両手足を拘束されていても不自由ながら攻撃は可能だ。弱点である鰓を蹴り飛ばし、地面に手をついて回転する要領で他のマーマンも吹き飛ばす。
恒人が檻に辿りつき、マジックキャンセルをかけると、浅葱さんは自ら檻を粉々に破壊して立ちあがった。
「なっ・・・なんでマジックキャンセルなんて使える・・・」
驚愕する仮面の男、浅葱さんの位置から姿は見えないが声は聞こえたのか静かに答えた。
「彼等は俺の家族だけど、ヴァンパイアじゃあないんだよ」
混戦状態にまぎれて、俺達の枷にもマジックキャンセルがかけられ、自由がきくようになったもののやはり数が多い。
浅葱さんはまだ洞窟から出られないし。苦戦に変わりはなかった。
「なあ浅葱君、アレやってみようか?」
物理結界を張っていた涙ちゃんの提案に浅葱さんは肩を竦めて頷く。
「まあ、仕方ないね」
洞窟から出てきた浅葱さんが左手を差し出し恒人が手をつなぐ、俺は浅葱さんと手をつなぎ、右手で涙ちゃんと手をつなぐ、涙ちゃんは大城さんと手をつなぎ、大城さんは恒人とつないだ。
円になるようにつないで5人で背中合わせ。
陽光の元へ出ても浅葱さんの身体は燃え上がらない、マーマン達は警戒しながらも俺達に距離を詰める。
円を組んだ俺達に円を描くようにマーマンの群れ。
「なんで、なんでヴァンパイアが他の種族と!?属性の問題ならいかようにも・・・」
仮面の男はまだ驚きから立ち直っていないらしい。
「貴方には一生分からないでしょう、従兄弟殿」
浅葱さんの言葉に多少驚いたが、もう始まっているのでそれどころではない。
ものすごい質量の力が身体を巡っている、木から火へ、火から土へ、土から金へ、金から水へ、水から木へ、巡って巡ってそれは巡るほどに膨大なものになる。恒人の力が浅葱さんへ流れ込み、浅葱さんの力が俺へ流れ込み、俺の力が涙ちゃんへ流れ込み、涙ちゃんの力が大城さんへ流れ込み、大城さんの力が恒人に流れ込み、巡る、巡る。
身体は燃えるように熱く、中から爆発しそうだった。
「いくぞ!」
浅葱さんの掛け声に俺達は鬨の声を上げて溜まった力を一気に放出した。

閃光の後、大きな揺れ、何かが飛び交い、何かが砕け、足元にあるはずの地面もなくなる。
竜巻にでも巻き込まれたらきっとこんな気分だ。

気がつくと俺達は手をつないだまま海面をたゆたっていた。
青かった海は茶と赤のまだらになり、ところどころに緑色の鱗が浮いている。
島は半分抉れてなくなっていて、削れた小山が赤茶の土を露出していた。
「みんな、無事?」
浅葱さんの声にそれぞれが返事をするも動く気力がない。
根こそぎ全部放出したのだから当たり前か。
手ははなさない、このほうが回復は早いし、まだ日があるのではなすと浅葱さんが燃えてしまう。
手をつないだまましばらく、浮遊物は沈み、海が青さを取り戻す。
夕日が水平線に沈むところで、俺達へキラキラした光が届いた。
「すごいな、話には聞いてたけどこんなことになるんやな」
涙ちゃんが感嘆したように言う。
「まあ、元素破壊技だからね・・・もう中身からっぽ」
大城さんはだるそうだった。
「ああ・・・生態系が・・・」
浅葱さんはそんなことを呟いている。
「・・・・・・コン」
今のは恒人か、狐に戻っちゃいそうという主張なのか、冗談なのかどっちだろう。
「あの仮面男は・・・俺達のこともヴァンパイアだと思ってたんですか?」
「勝手に勘違いしてたみたいだね、俺の従僕だと思ってたらしい」
日中も行動できるタイプのヴァンパイアだと思ったのか。
「んで、あれは浅葱君の従兄弟なの?」
聞きにくいことをずばっと聞いたのは大城さん、浅葱さんが苦笑する。
「アンチアーレス家の人。たいして交流はないけど出奔した時に嫌われてたからねぇ。俺らの噂を聞いてマーマンを先導したんでしょう」
「あの人は日光に当たっても大丈夫なんですか?」
俺の質問に浅葱さんはまた苦笑。
「あれね、人の皮で作ったローブなんだよ。あれを着ていれば大丈夫なの」
なるほど、浅葱さんは絶対身につけない代物だなぁ。
「・・・・・・コン」
また恒人が呟いた、人語を忘れたのだろうか。
「ツネ、どうしたの?」
「なんか色々、ごめんなさい・・・」
「いいよ、今回はしかたないもの。俺もドジを踏んだし、判断もミスした、みんなを危ない目にあわせてごめんね」
浅葱さんの謝罪にるいちゃんがきゃらきゃらと笑う。
「承知で付き合ってるちゅーの」
俺は波に身をまかせながらミヤ君との会話を思い出していた。

『ブレーメンの音楽隊、という童話を知っているか?』
『えっと、ロバと犬と猫と鶏が旅する話だよね』
『ひねたガキな俺は思った、ロバと犬と猫と鶏が仲良くできるわけがないと』
『・・・ミヤ君のひねたガキ時代っていつ?』
『現在進行形だ、当たり前だろ。でも君等はやっているんだな』
『はい?』
『人狼と霊孤なんて捕食関係だ、それ以外にしても此処まで別種の種族が一緒に旅だなんて、それこそ・・・御伽噺だ』

浅葱さんの従兄弟殿には想定外だったのか、ヴァンパイアである浅葱さんが他の《夜人》と仲間になっているなどと。
俺達が従僕だと勘違いしなければ、あんな隙と穴だらけの作戦なんて立てないだろう、前半の完璧さに比べ、後半がガタガタだったのはそんな勘違いからだった。
左手に浅葱さんを、右手に涙ちゃんを感じる。
生きている。
死ぬところだったけれど生きている。
でも、いつか、もしかすると明日、いや一時間後だって、生きた手に触れられない可能性もあるのだ、それが怖くなった時、大城さんが声を上げた。
「クジラだ・・・」
俺達はその方向を見た。
夕日に照らされて、巨大な黒い塊が悠然と泳いでいく。
あまりに大きなその姿に俺は呆けてしまう。
低い唸り声が歌のように響き渡り、クジラは跳ねあがった。
夕日を浴びて、白い腹を見せ、信じられないほどの巨体が跳ねあがる。
水飛沫を上げて海へと潜り、また歌が響く。
神々しさすらあるその姿に、俺は自然と心の中で手を合わせていた。
確かにこの生き物は神様だ。
特殊な能力を持たずとも、心に神として映る生き物だ。
自分の悩みがちっぽけに思え、不安が消えていく。
夕日へと泳いでいくクジラを俺達は無言で見送った。
「浅葱さん、浅葱さんはどうして俺達を仲間に・・・家族にしてくれたんですか?」
俺の問いに、浅葱さんはさも当然といった口調で答えた。
「みんなのことを愛しているからだよ」
大城さんと恒人が海水を飲みこんで咽る音と、涙ちゃんの笑い声が響いた。


さすがというかなんというか、島が半分海の藻屑と化したというのに浅葱さんの作った帆船は無事だった。
まあ海水浸しになり、荷物はぐちゃぐちゃだったけれど。
片付けは明日にして、濡れた甲板に円を組んだまま寝転ぶ。もう日は沈んだので手はなはしているけれど、なんとなくこの位置が心地よかった。
視界を塞ぐものがない星空はどこまでも広がっていて月が煌々と輝いている。
「ローブ作りなおさないといけませんねぇ・・・」
「最後のアレで見事にズタボロになったからな」
恒人の呟きに大城さんが答える。
「そういえば浅葱君は怪我してないん?」
「してたけど、もう治ったよ。あ、ツネ・・・頬っぺたのとこ残ってる」
「あ〜殴られた時に切れたんですよ、まあそのうち治るでしょう」
「今回は俺のミスもあるから説教はしないけど、程度を考えてね」
「ツネが殴られた時、英蔵君マジでキレかけたやろ?」
涙ちゃんに言われ、俺は口を尖らせた。
「当然でしょ、顔面殴るなんて・・・」
「別にあの程度なんでもないっすよ」
「そういう問題じゃないつーの!」
「はいはい、喧嘩しない」
大城さんの手が伸びて俺の頭を軽く叩いた。
「しかし今回は・・・死ぬかと思った〜!」
涙ちゃんがそう叫んできゃらきゃらと笑うのでみんなつられて笑った。
揃いのローブは最早ボロ布で下に着ていた服もあちこち破れていた。
力を使いきったせいでだるいし、治りきっていない傷が痛い。
それでもなんとか生きていた。
生きてあの島を出られた。
出たというか居た場所を破壊したのだけれど、とにかく無事だ。
これ以上望むものなんてなにもない。
遠くにクジラの歌を聞きながら俺達はいつまでも星空を見上げていた。


2日かけて荷物の整理や船の掃除を終え、ようやく穏やかな旅へ戻る。
これからは色々警戒しなければいけないけれど。
どうやら俺達みんな、騙し討ちには限りなく弱いらしい。
ミヤ君とか逹瑯君が見たら鼻で笑うだろうなぁ。
そんな船旅のある夜、海面を眺めていた恒人が突然大声で俺を呼んだ。
「英蔵さん!英蔵さん!ちょっと来て下さい!!」
「ん、どうしたの?」
「ちょっと足首掴んでて下さい!」
「え・・・?いいけど」
言われた通り足首を持つと、恒人はひょいっと海に飛び込んだ。
「ええええ!?」
俺が足首を持っているので逆さまにぶら下がっている状態なんだけど・・・
「届かない〜」
「なにやってんの!?」
「届かないんっすよ。もうちょい下げてください」
海面になにかあるのか、俺は言われるままに足首をしっかり掴んで恒人を海面に近付ける。
「え!?なにしてるの二人とも!!」
浅葱さんが驚いた声を上げて駆け寄って来た。俺も驚いてますけど・・・
「ツネ、あれを取りたいの?」
「・・・はい」
頭に血が下りたのか、はたまたこの体勢がきついのか恒人の声は苦しそうだった。
「俺が取ってきてあげるからそんな危ないこと止めなさいっ!」
叱られてしょげている恒人を船の上に戻すと、浅葱さんはふわりと海面へ下りて、それを持って戻って来た。
苗木だ。
苗木だけれど見覚えがある気がする。
「自分ら阿呆やろ?」
見ていたらしい涙ちゃんが呆れたように言ってその苗木をのぞきこむ。
「ん・・・?これって・・・」
「ああ、たぶんこの」
浅葱さんが言い終わる前に、苗木が変形し始めた、時間を早送りしたようにぐんぐん伸びて大きくなり、そして俺にも分かった。
2メートルほどの木、根っこで立つその木。
闘技場で会ったジュボッコだ。
おや、お久しぶりですね人狼モドキ、それに愛すべき霊孤君、とでも言うように幹を変形させ、枝を振った。
「みんな、夜食なに食べ・・・おお!!」
やってきた大城さんも驚いている。
木だもんなぁ。
「ジュボッコさん、あの時はご挨拶する時間がなくて失礼しました。宇迦之御魂神、千五百二十一番目の弟子、恒人と申します」
恒人はそう言って正座してきっちり頭を下げた。
「ええ!?えっと、あの時はお世話になりました、英蔵です」
俺もつられて頭を下げる。
「闘技場の件ではどうも、ベルセルクの大城と申します」
大城さんもつられたらしく慌てて頭を下げている。
「ホムンクルスの涙沙です」
涙ちゃんは妙に可愛い仕草と声で言った。
「一応今、恒人の保護者代わりをしています。サクスブルー・ダークローズ・アンチアーレスです」
浅葱さんも丁重に頭を下げる。
おやおや、私はそんな大層なものではありませんよ、とばかりにジュボッコは可笑しそうに幹を変形させた。
ところで霊孤君、私はこの海流に乗って故郷に帰るつもりだったのですが、霊孤君も一緒にいかがですか?と幹を変形させるジュボッコに浅葱さんが丁重に言う。
「しかし恒人の故郷には《夜人》狩りが横行していました、帰るのは危険かと・・・」
それは100年前の話でしょう、サクスブルー。私には私の情報源があるのですよ。もうあそこに《夜人》狩りは存在しません。
という幹の変形に俺達は顔を見合わせる。
わけのわからぬ《宗教》とやらが出回っているあの大陸よりはずっと安全です、どうでしょう霊孤君。君が帰ればお隠れになっている宇迦之御魂神も姿を現すかもしれませんよ?
浅葱さんが俺達を見回したので頷くと、浅葱さんは優しく恒人の肩を叩いて言った。
「どうする?戻ってみるならもちろん俺達もつき合うけど」
「・・・あの、行ってみたいです。今どうなっているのか知りたいですし」
「そうか、なら行こう」
おや、決まったようですね。では私は苗木の姿に戻るのでこの船に乗せていただくとしましょうか。
と幹を変形させるジュボッコ。
話振った時点からそのつもりだったらしい。
ちゃっかりしてるよなぁ。


というわけで、恒人の故郷である島国へ行くことになった。
俺達は知らなかったがこの海流に乗っていけば着くらしい。
恒人の故郷、前の俺がいた場所、恒人が生まれ、そして人を恐れるほどの酷い思いをした場所へ、船は進む。


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