草童
昔のことになりますけどね、皆で遊んでいる時に知らない子が混ざったらすぐ家に帰れって言われてたんですよ。
草童って呼ばれてまして、そうそう普通は座敷童ですよね。でもここらじゃ草童。それが出ると子供が神隠しに逢うって。
まあ、見ての通りの田舎ですから、俺が子供の頃はまだ大人が本気でそんなことを言ったんですよ。
でもねぇ、ただの迷信でもなくて。
一度だけ会ったことがあるんです、草童に。
学校の校庭でかくれんぼをしていて、俺が鬼で、何人か見つけた時にふと倉庫の陰を見たら知らない子がいて。
誰だろうとは思ったけれど、大勢でやってたんでまあそこまで気にせずに。
校庭で見つかった子らが集まって、その子に「誰?」って聞いてもにこにこ笑うばっかで。
日が暮れてきてもどうしても一人見つからなくて、皆で探して呼んだけど出てこなくて。
それっきりでしたよ。
その見知らぬ子も、最後の一人も消えてしまったんですよ。
大人たちが山ん中を探して回ったの、よく覚えてます。
ええ、それきりです。
見つからなかったんですよ。
草童―くさわらし―
それは実にテンションの上がるイベントだった。2Daysで東京ではなく地方で開催されたライブイベント。
久々にDとの共演で一日目を存分に楽しんだ。
他のバンドさんとはまだ交流が薄かったけれど、仲の良いバンドと泊まり込みで2日間のライブ、仕事というよりお祭り気分だ。
打ち上げは明日という話だったが一日目の夜はホテルで恒人の部屋に押しかけ、馬鹿話で盛り上がった。
そのホテルというのが辺境にあって、ちょっとしたオフの気持ちになれる。
昼食の前、三々五々に出かける面々の中で俺は恒人と一緒に行動することにした
といっても二人きりではなく、面子は俺、恒人、大城さん、明徳、晁直さん。
ホテルを出て周辺の散策へ出かけた。
人気はなく、道路はあるが車はほとんど通らない。
山を突っ切る上り坂を特に目的もなく、皆でじゃれながら歩いていた。
「それにしても暑いねぇ」
タンクトップ姿の大城さんが額の汗を手の甲で拭う。
絵にかいたような夏男でも暑いものは暑いらしい。
「暑いですね」
キャップの鍔を下げて晁直さんが苦笑する。
道はアスファルトで舗装されていたが、車が走るには辛そう。
周辺の山からはヒグラシの大合唱が響いている。
蝉時雨と言うに相応しい音が周囲に降り注ぎ、ヒグラシの綺麗な鳴き声ですら少し煩いほどだった。
「ライブでこんなとこ泊まれるなんてなかなかないよね」
俺の隣で恒人は涼しげに言う。
小さくハミングしてヒグラシの合唱からなにか拾おうとしているらしかった。
「まあな、繁華街ならともかく、こーいう自然いっぱいってのはないよな」
そもそもライブハウスは基本的に繁華街にあるのだ。
だからこそ、自然たっぷりなところで泊まれるのはオフな気持ちになる。
「なんかすごいのありましたよー!」
先頭を駆けて行って姿の見えなかった明徳が坂の天辺で大きく手を振っている。
「お!なになに!?」
「なんだなんだ!?」
大城さんと晁直さんは即座に駆けだして行き、俺と恒人は顔を見合わせた。
なんつーか、イヌ科の性格の人って元気だよね、と視線で言い合って少しだけ歩調を早める。
天辺に辿り着くとなるほど「すごいの」があった。
学校だ。
それも木造校舎。
どうやら廃校らしく校庭には少し草が生えてしまっていて、校舎も木造という理由だけでなく古びていた。
門はあったが開け放してある。
「ここらの子供の遊び場かな?」
感嘆の息をつきながら言う恒人の前方、イヌ科の皆さんは駆け足で校庭の中。
「・・・行ってみるか」
珍しいし、初めて見た。
L字型の木造校舎は意外に大きく広そうだ。
荒れた校庭に、古びたバスケットゴールがぽつんと残っていた。
「なぁなぁ!ボール見つけた!」
大城さんがバスケットボールを持ってくる、誰かの忘れものだろう。
「2on2やろーぜ!」
この暑いのになんて元気なと思っていると明徳が笑顔で挙手する。
「はーい!俺、審判やりますねっ!」
上手いこと逃げたな・・・
「おう、よろしく頼む!」
この面子で一番上なのは大城さんで、俺らは縦割り社会に生きているのだった。
「じゃあDチームとリンチチームですね、負けませんよ」
晁直さんは意外とノリノリだった。
恒人は賛同する様子こそなかったが断る気はないようだ。
ここで異を唱えるほど俺も空気が読めなくはない。
明徳がボールを投げ、大城さんと晁直さんがタップ。
ボールをとったのは恒人だ、慌てて奪おうとするが恐ろしく素早かった。
晁直さんがディフェンスに入るとその真横を突き抜けるようなパスを大城さんに放ち、大城さんがあっさりゴールを決める。
あれ?この二人強くない?
「ツネって経験者?」
「バスケ部だったよ」
さらりと言われてしまった。
不利じゃねぇかよ。
チーム分けを間違えたらしい、晁直さんがいろいろ動いてはくれるが、俺の手にボールが渡って数秒で恒人に奪われるのだ。
必死でディフェンスしてもあっさり抜かれる。
そうして点差は馬鹿みたいに広がり、審判役の明徳は苦笑を浮かべだした。
ならオマエが入れよ。
弾丸並みに速いぞ、恒人も大城さんも。
しなやかにディフェンスを潜り、とんでもないスピードのパス回しでどんどん点を稼いでいく大城さんと恒人。
晁直さんも点を入れてはいるが、それはどうも恒人がディフェンスに積極的じゃないからのようだ。
強引に突っ切ろうとする晁直さん相手となると躊躇するらしい、このタイミングで指に怪我でもしたら目も当てられないからな。
ドラマー二人はそのあたりの遠慮がないのががつがつゴールに突っ込んでゆく。
俺がボールを持っていられる時間は数秒もない、ドリブルを始めた瞬間に奪われ、パスは阻まれる。
とうとう晁直さんは俺を頼りにするのを諦めたらしく、一人で突っ込んでなんとかゴールを決めていた。
「あっちぃなぁ・・・」
大城さんが豪快にタンクトップで汗を拭う。
誰が言うでもなく一時休憩。
次々と流れ落ちてくる汗に辟易していると、恒人がタオル生地のハンカチを差し出してきた。
「使う?」
見れば恒人は額とこめかみにわずかに汗が滲んでいるだけだ。
いちいち外見を裏切らない体質をしてるやつだ。
「さんきゅー」
ありがたく受け取って汗を拭く、多少はすっきりした。
「葉月さん、一回もシュートしてないじゃないっすか」
ボールを持った明徳が相変わらずの人好きする笑みを浮かべて言う。
「うっせー。ところでツネ、バスケ部って中学の時?」
「小、中と。でも成長痛が酷くて続けらんなかったから」
「へぇ、それでオマエは運動神経いいんだな」
明徳からボールを奪い、構えた。
ゴールから少し距離はあるが、俺だってこれぐらい・・・
4人の楽しげな視線を受け、俺は力いっぱいボールを投げた。
大きな弧を描いたバスケットボールはゴールを飛び越えて雲一つない夏空に舞い、そして校舎の二階の空いた窓に飛び込んだ。
「葉月さん、ナイスシュート!」
明徳が拳を挙げて飛び跳ねる、このやろー!!
「オマエ、なにやってんの?」
晁直さんは呆れ顔だ。
大城さんはツボに入ったのか手を叩いて笑い転げていた。
「じゃあ、俺が取ってきますね」
最年少の明徳がさらりと笑って校舎に向かう。
「あ、俺も行くよ」と恒人が明徳の隣に並んだ。
「一人で大丈夫ですよ?」
「廃校だし、なんかあるといけないじゃん」
恒人に真面目に言われ、明徳は頷く。
俺はどうしようかな。
そもそも俺が投げ入れちゃったんだし、でも三人で行く必要もないか?
「俺も行くよ」
と、そう言う。やっぱ俺がやったことだし、メンバーと友達相手に年齢理由に動かないのはな。
「じゃあ三人で行こう」
恒人は頷いて嬉しそうだ。
確かに、ちょっとした探検気分。
「じゃあ俺ら、飲み物買ってくるよ。坂の下に自販機あったし」
大城さんは未だ流れる汗をタンクトップで拭いながら言う。
汗だくなのに爽やかなのがすごい。
「そうっすね、水分補給しないと倒れそうだ」
晁直さんも同意して、これで決まりだ。
俺達は校舎の方へ、晁直さん達は門の方へと向かう。
雰囲気たっぷりの木造校舎、中心にある大きな時計が特徴的、このちょっとした探検にワクワクしてきた、なかなかないよな、木造校舎に入れるって。
「しかし、普通に考えたら鍵とか閉まってるよね」
「そうですかね?」
と明徳。
「廃校だろうがなんだろうが所有者はいるんだし、立派に不法侵入だよ」
恒人は肩を竦める。
「でも廃墟探検とか流行ってません?」
「あれもよくないことだよ」
そう言われると明徳は不安になったようで顔を曇らせた。
「まあ学校だし、ちゃんとした人が管理してるだろうから事情を話せば大丈夫だよ、変な人のたまり場になってることもないだろうしね」
廃墟によってはヤの付く人が管理してたり、暴走族のたまり場になっていることもあるらしいが学校だ、そういう危険はないだろう。
だからこそ、鍵が開いているわけもないのだ。
そう思いながら俺は無造作に昇降口玄関に手をかけた。
煤けたガラスの引き戸はあっさりと開いた。
俺と恒人は驚きの視線を交わす。
「・・・近所の子供たちに開放してるのかもね、ならなおさら安全かも。でなきゃ鍵の閉め忘れ」
「・・・だよな」
明徳はさっそく中に踏み込み、すごいすごいとはしゃいでいる。
これだからイヌ科は。
ついてきて正解だったな、恒人のほうが年上で判断力もあるが、まだ打ち解けていないので明徳の行動を止めるには至るまい。
そう、判断は恒人に任せよう。
そのほうが安全だ、責任転嫁してるわけではない。
「まあ、ブーツだし、大丈夫でしょう。ガラス片が飛び散ってるわけでもないし」
と恒人も中に足を踏み入れる。
中は外の暑さが嘘のように涼しかった。湿気がこもりそうなものだけれど、木造の建物はそんなことはないのか。
下駄箱もない玄関、もしかして使われていたころから土足OKだったのだろうか。
「明徳君、床が腐ってないか気を付けて!」
恒人に声をかけられ明徳が足を止める。
そうしてしばし、つま先で木製の廊下をつついた。
「大丈夫みたいです!」
冒険って無謀じゃできないものだよな。
「葉月もポケットから手を出しておきなよ」
「ああ、はいはい、オッケー」
小うるさいが来てくれて正解だ、ライブ前に怪我なんてしたら馬鹿みたいだもんな。
とはいえ忘れ物のボールは回収しなければ、小学生ぐらいの子にとってはバスケットボール一つでも宝物だったりするわけだし。
そうして俺達はゆっくりと廊下を進みだした。
窓は閉まっていたがひんやりと涼しくて汗が引いてゆく。
木造の廊下は意外としっかりしていて踏み抜く心配はなさそうだ。
「雰囲気のある校舎だったし、ちゃんと保存してるのかもね。映画の撮影とかにぴったりだ」
恒人は周囲に視線を走らせながら言う。
確かに埃っぽいだけでメンテナンスはされているという感じだった。
人が住んでいる気配はないけれど、人の手からまったく放置されているわけでもない。
廃墟っぽさはあるけれど、そこまで朽ちてはいない。
「此処で映画の撮影か、確かにぴったりですねぇ」
明徳が感心した声を上げる。
先頭を進むのは俺、まあ何かあって怪我でもした時、一番ダメージが低いポジションだからだ。
歌えさえすればいいからな。
とはいえこれはあくまで「念を入れた警戒」だ。見る限りそんな危険とこの廃校は無縁のようだし。
「やっぱりこんなとこで撮影するなら『学校の怪談』ですよね」
楽しげな明徳、いつも笑っている奴ではあるが本当に楽しそうだ。
「古いだろ、あとホラー以外もできるだろうが」
「まあ、俺らの世代はどんぴしゃだもんねぇ。旧校舎に迷い込んでお化けに追いかけられるの」
「ですよね!」
同意を得られた明徳はもうノリノリだった。
「歩く人体模型!花子さん!目が光るベートーベン!ロマンですよロマン」
いや、それはちょっと理解できない。
恒人がふと表情を曇らせた。
「ねぇ、やけに静かじゃない?」
「・・・え?」
俺達自身が煩かったせいで気づかなかったけれど、こうして口を閉じると確かに。
校庭じゃヒグラシの声が喧しすぎるぐらいだったのにしんとしている。
なんだろう?こんなに外の音が遮断されるものだろうか。
「あと、いくらなんでも涼しすぎない?」
「それは確かにそうっすね」
明徳が頷く。
入ったときは涼しかったけれど、今では汗が冷えて寒いぐらいだ。
木造校舎ってこんなものなのか?
「・・・早くボール取って戻ろうか」
「そうだな」
目測で進んでいたがちゃんと階段に辿り着いた、一段目に足を乗せて確認して大丈夫そうなので頷く。
ぎぃと軋みはするが踏み抜く心配はなさそうだ。
そうして踊り場に出た時、俺は驚いて身を竦め、すぐにその正体に気づいて息を吐いた。
姿見だ。
学校では定番だよな、何故か踊り場にある鏡。
「葉月さーん、今びくっってしましたよね!?」
「うっせー、ちょっと驚いただけだ」
まったく生意気な奴だ。
恒人はそんなやりとりに微笑ましげに目を細めている。
階段を上りきって首を傾げる。
「ボール、どの部屋だろうな」
「右から四番目ですよ」
明徳があっさりと答える。
「分かるの?」
「分かりますよぉ、そりゃ」と明徳は笑顔だ。
「すごいね、空間把握能力が高いんだ」
恒人にそう褒められて照れる明徳。
なんかウザいぞ。
右から四番目の教室に入る、ごく普通の教室ではあるが、此処が廃校だと考えると机やらなにやらが放置されているのは少し変に思った。
そしてボールは真ん中の机の上にぽつんと乗っていた。
「すげぇナイスシュートですね」
明徳は手を叩くが恒人は首を傾げている。
投げたボールが机の上で止まるなんてあり得るだろうか?
まるで誰かが置いたみたいだ。
明徳はさっさとボールを手に取って楽しげ。
「せっかくだからもう少し探検しましょうよ」
「いや、戻る」
俺がそう言うと明徳は不満げに口を尖らせた。
「えー、もっと探検したいっす」
「大城さん達がもう来てるかもしれないから戻ろう、ね?」
恒人に言われると仕方なさそうに頷く。
なんか嫌な予感がする、いや・・・嫌な予感しかしない。
どこがどうじゃない、全体的に少しずつ変なのだ。
怖いわけじゃない、長居したくないだけ。
だし抜けに、チャイムが響いた。
くぉぉおぉんと割れるような音は校舎中に響き渡り、不協和音を奏で、ガリガリ音がして放送が入った。
― げ、の、じこ、になり、した。こうな、にのこ、いる、しょくいん、つ、あつ、ってください
途切れ途切れに聞こえた声に俺達は顔を見合わせる。
「下校の時刻になりました、校内に残っている人は職員室に集まってください・・・かな」
聞き取れてたのかよという突っ込みは脇に置く。なんだよそれ。
「まだ午前中なのに下校?」
明徳は笑顔のまま、しかしそれは表情を変え忘れた凍った笑顔のまま言う。
「時間設定で鳴るチャイムと放送の時計が狂ってる、としか考えられないかな」
恒人も表情を曇らせて俺を見る。
「・・・戻ろう」
後は言葉もない、来た時よりも早足で階段を下りて、昇降口へ向かう。
むき出しになった腕にまとわりつく空気はもう冷気と言っていいほどの温度。
そして昇降口に辿り着いた明徳がドアに手をかけ、何度かガタガタと鳴らして俺達を振り返った。
「あ・・・開かないんですけど」
「なにやってんだよ、馬鹿」
そう言って、俺も手をかけて引く。
・・・開かない。
「たてつけ悪いんだよ、古いしさ」
恒人も並んで、軽く押し上げるようにしてみたりいろいろ試した、途中から全員の顔から血の気が引いてもまだガタガタと戸を揺らした結論は一つ。
扉は開かないということだった。
「よ・・・よほどたてつけが悪いんだな」
俺は明るさを心掛けて言う。
「ほら、窓から出ればええがね、隣の教室とかからさ」
「そ、そうっすよね!」
明徳も無理やり笑顔を浮かべる。
恒人は煤けたガラスに顔を近づけて外を見ていた。
「大城さん達、まだ戻ってきてないな。外からなら開くかもって思ったんだけど」
「・・・遅いな、自販機に行くだけだろ?」
「寄り道してるんですかね」
なんだろう、この状況では二人が戻ってきていないことがとても嫌なことに思えた。
「どうしよっか?」
と恒人は俺を見る。
教室の窓を試すか、大城さん達を待つか・・・
そこではっと気づいた。
ポケットを探り、携帯電話を取り出す。
「晁直さんにかけてみるよ」
しかし画面を見て気づく。
「・・・圏外だ」
「それって、いつから圏外だった?」
恒人の質問に俺は首を傾げた、ホテルを出てから携帯電話を見ていないのだ。
単純に山の中だからきていないのか、もっと・・・別の理由か。
「ツネ、携帯は?」
「カバンごと大城さんに預けてあるから持ってないんだ、ゴメン」
「明徳は?」
「俺も同じ・・・あれ?」
驚いた声を上げて明徳は自分の腕を俺に見せる。
腕時計。
明徳がしているのは釣り人御用達の丈夫な時計だ。防水は当たり前、電波時計でその他色々機能が付き、そのくせめったに壊れないデジタル時計。
表示はすべて消えて薄緑の画面を晒すだけになっていた。
明徳がいろいろ回復を試みるが直る気配はない。
「・・・窓を試してみようぜ」
何も議論したくない。
こんなものは偶然だ、それ以外に理由があってたまるか。
歩き出した俺の後を明徳が慌てたようについてくる。
「ツネ、行くぞ」
「あ、うん・・・」
恒人も扉から離れて俺の隣に並んだ。
一番近い教室の扉に手をかけると明徳が言う。
「そこ理科室ですよ」
「そうなの?」
慌てて表示を探したけれど、どこにもない。
「いや、昇降口に地図があったのを見たんで。どうも一階は特別教室が集められてるみたいっす」
「地図があったならちゃんと見とけばよかったね」
そう呟く恒人に明徳は笑顔。
「大丈夫ですよ、俺がもう頭に入れてますから。行きたいところがあったら言ってください」
「・・・すごい」
と恒人は目を見開いた。
「まあ理科室でもなんでもいいよ、窓さえ開けば」
俺はさっさと扉を開けて中に入り、自分ってけっこう馬鹿だよなぁと思った。
考えが浅いというか・・・
別に些細なことだ。
でも明徳がなんでわざわざ此処が理科室だって止めるような口調だったのかは目にするまで理解できななったんだからやっぱりちょっと馬鹿なんだろう。
そこはとっても『理科室』していた。
棚の上で目を光らせる狐の剥製。
隅に置いてある人体模型。
ガラス戸の中のホルマリン漬け。
もうホラー展開オープンリーチ。
とはいえ俺には見栄もプライドもあるので、そんなものは気にしないそぶりで窓へと向かう。
だってこれが開けばそれで解決なのだから。
廃校に入って、立てつけが悪くて扉が開かなかったからしかたなく窓から出た。
みんなに話したら笑ってくれそうなエピソードじゃないか。
でも・・・窓は開かなかった。
恒人も手伝っていろいろやってみたけれど頑なに開かなかった。
揺れもしない、そもそも開かない窓のようだ。
おもちゃの家の窓みたいに動かないそれを前に息を吐き出す。
もう涼しさは通り越して寒い、上着が欲しい。
明徳はバスケットボールを抱えたまま不安そうだ。
「別の部屋試そうぜ」
俺は明るさを心掛けて言う。
いつもウザったいぐらい笑っている明徳の不安げな顔を見たら元気づけなきゃと思ったのだ。
恒人は相変わらずクールに周囲を観察している。
「やっぱ変だ」
「なにがだよ?」
「机はいいよ、もしかすると定期的に何かに使ってるのかもしれない、週末講習みたいなのにね。でも人体模型ってけっこう高価なものだよ?」
「そうなんですか!?」
明徳の問いに恒人は頷く。
「全身のだったら10万はするんじゃない?それにこんな戸締りが杜撰なとこにホルマリン漬けなんて危険物置いたままにする?このご時世に子供が触って怪我でもしたら大事じゃん」
「・・・確かにな」
ホルマリンなんて劇物なんだから、子供が触ったら大変だ。
小学生の頃は先生たちに絶対に触るなと言われていた。
「とにかく、移動しよう」
やっぱり理科室なんか入るんじゃなかったと窓に背を向けた時、机の下になにか落ちているのを見つけた。
何気なく手に取る。
「人体模型の一部だね。胃かな?」
「・・・胃だな」
「その人体模型なんですけどっ」
明徳がボールをしっかり抱いたままひきつった声を上げる。
「さっきと位置が違いません!?」
見るまでもなく気のせいだよと言おうとして止まる。
だって、教室の隅にあったのが教室の真ん中にいたんだから。
ぬる、とした感触が手にあった。
さっきまでプラステックかなにか、とにかく固い素材だった偽物の胃はぬるりと、どろりと、ぬめりとした感触と光沢をもって俺の手の中にあった。
人体模型の心臓がどくどくと脈打ち、むき出しの内臓がぬめっている。
そして人体模型はぎこちない足取りでこちらに向かって歩いてきた。
明確に俺の方へ。
「・・・っ!?」
「もしかして、それを返して欲しいんじゃないかな」
恒人が冷静に俺の手を見る。
「か、か、返せったってよ!?」
パニックになる俺の手から胃を奪い、そうして動く人体模型の方へずかずかと歩いていく。
「ちょ・・・」
危ないだろと言おうとしたが口が渇いて声が出ない。
恒人はためらいなく人体模型に胃を差し出した。
すると人体模型はその胃を取って自分の元の位置にはめ込むと歩いて最初の場所に戻り動かなくなった。
悲鳴を上げたのは俺か明徳か、ともかく廊下に飛び出ていた。
最後に教室から出た恒人がきっちり扉を閉める。
なんでこいつはこんなに冷静なんだよ!?
粘つく掌が気持ち悪く、俺は目に入った手洗い場に駆け寄って蛇口をひねって手を洗う。
なんなんだ、今のは。
「ちょっと葉月!ここ、水なんて出るの!?」
恒人に言われ「は?」と手を引っ込めた瞬間、蛇口の水は真っ赤に変わった。
パニックになりながら蛇口を締める。
「水道管が錆びてた・・・じゃないですよね」
明徳がボールを抱きしめて苦笑した。
「・・・ああ、あの後じゃな」
「どうしましょう、他の教室も試します?」
「出口は探さないとね。安全そうな教室ないかな」
「隣が家庭科室ですよ」
明徳は頭に完全に図面ができてるらしい。
なにこの便利キャラ。
家庭科室か・・・安全そうではある、少なくとも理科室とか音楽室よりは。
そろそろと家庭科室に入って窓を確認したが、やはり窓は開かなかった。
そんなにガッカリはしなかった、やっぱりなという感じ。
だからどうしようとも浮かばないのだけれど。
恒人は窓に張り付いて校庭を見ている。
「ねぇ、大城さん達いくらなんでも遅すぎない?」
「ああ、確かにな」
「あれから20分は経ってますからね」
明徳が言う、こいつの妙な特技で時計がなくてもだいたいの時間が分かるのだ。
だから20分と言うなら多少の誤差はあってもそれぐらいは経ってるのだろう。
「寄り道しなけりゃ5分で済むはずですし、寄り道するような場所が・・・」
「ねぇよな、自販機から此処までなんもねぇもん」
恒人の顔が急に不安げになる。
校舎内に閉じ込められていることより、大城さん達の身の安全が気にかかるコイツの頭はやっぱりどこかズレていた。
そうして窓に張り付いて不安げにしているとクールさが消えて、やけに幼く見えた。
頼りない横顔にこちらにまで不安が伝染してくる。
「なあ、とにかく出口を探そうぜ」
浅慮と呼ばれるからできることだってあるだろう、深く思考するということは、それだけ最悪のパターンを思いつくということなのだ。
危険予測はありがたいが、止まられては困る、だから俺は多少無謀でも進むことを提案する。
4つも下の明徳はそもそも頼りない。
恒人だって2つ下だ。
この世界は確かに先輩の力が強いが、力を持つのは責任を持つのと同義で、この3人なら責任は俺にある。
「ツネ、行くぞ」
「うん・・・あれ?」
頷きかけた恒人が妙な声を上げ窓に張り付く。
怪訝に思った俺も明徳も同じように窓を張り付いた。
校庭に犬がいた。
田舎なんだから野犬ぐらいいるだろうけれど、生き物の気配がまるきり、虫すら見なかった今までを思えば、犬一匹が妙に大事だ。
それは中型犬で、煤けた柴犬のようだった。
都会に住みだしてからは見かけていない、いかにも野良犬といった風情が痩せた身体と粗雑な毛並みから伝わってくる。
犬は突然こちらに向かって駆けてきて、窓にへばりついた。
恒人はその場に立ち尽くすにとどめたが俺と明徳は声を上げてひっくり返った。
だって、窓に張り付いているのは人の顔だったのだ。
俺はこういう生き物を知っている。
勿論、実在しないものとしてだけれど。
・・・人面犬。
それが目の前にいる。
「見てんじゃねぇよ!」
人面犬はそう言い捨てて駆けて行ってしまう。
「あ、あの!ちょっと!」
恒人が声をかけたが人面犬はすぐに見えなくなってしまった。
「す、すごい!人面犬だ!すごい!」
怖さを通り越してはしゃいでしまっている明徳。
確かに今のは凄い、人面犬をリアルに見られるとは、ちょっと感動してしまった。
「・・・この分だと図書室に行ったら二宮金次郎が本を借りに来てるよ」
そう言って恒人は肩を竦めた。
2つ揃えば十分だろう、どうやら俺達が小学校時代におなじみの化け物が実在してもらっているらしい。
「花子さんとかいるなら会ってみたいかもな」
俺が言うと恒人は眉を寄せる。
「便器に引きずり込まれたくないならやめときなよ」
「どういうこと?」
「有名だよね『動く人体模型』。じゃあ人体模型はなにかしたっけ?葉月たちが知ってる限りの話の中で」
俺は明徳と顔を見合わせる。
「いや、夜中に人体模型が動いてるとしか・・・」
「俺もだな、『動く』以上の噂はなかった」
「そして『人面犬』は足が速い、捨て台詞を残すって噂が基本」
「えっと、つまり?」
首を傾げる明徳に恒人はさらりと言う。
「噂通りってことなら、花子さんは危ないんじゃない?殺される系が多いでしょ」
「・・・言われてみれば」
花子さん、いや・・・トイレの噂は軒並み危険度が高かった気がする。
「あ、あの・・・」
と明徳が弱々しく挙手する。
「トイレ行きたいんですけど・・・」
生理現象じゃ仕方ない、これからもっと切羽詰まった事態になる可能性もあるんだし、その時に尿意があってはな。
階段の脇、トイレの表示がある扉を開ける。
木が軋んだ音を立て、開いた個室の戸の隙間からくみ取り式の和式トイレが見える。
「じゃあ葉月は戸を押さえてて、俺は奥で見張ってるから。個室に入らなきゃ大丈夫でしょう」
そう言って恒人は一番奥に立つ。
「え!?二人に見られた状態でするんですか!?」
「この状況で一人になりたきゃ好きにしろ」
「大丈夫、サイズチェックしたりしないから」
明徳は困った顔で頷き、小便器で用をたす。
「俺もしとこうかな、後で行きたくなったら困るし」
「俺も、交代ですませよう」
トイレは何事もなく終わった。
とりあえずは安全そうだった家庭科室へ戻る、人面犬が入ってくることはなさそうだしな。
俺達は椅子を机から離して置いて向かい合うようにして座る。
これで死角はほとんどなくなるし、椅子同士の間隔もあるからすぐに動けると恒人の案だ。
・・・こいつはいつなにと戦った経験があるのだろうか。
「とりあえず現状としては、閉じ込められました」
「はい」
「ああ、そうだな」
「そんでもって学校の怪談が実在しちゃってます」
「ええ」
「まったくもって最悪だ」
それでもあまり怖くないのは、相手に害意がないからだろうか。
「明徳君、今の時間の予想はつく?」
「11時半ぐらいだと思います」
「ホテルに2時集合だからそれまでに出ないとね、大城さん達も心配だ。なんらかの力で校庭もまた別空間と考えるなら既に異変に気づいてくれてる可能性もあるけどね」
恒人は背を丸め、周囲を見渡す。
「とにかく出口だろ、学校内をくまなく見てまわるしかない」
「うん、その前に知識を共有しておこうと思ってさ」
「つまり、学校の怪談や人面犬みたいな都市伝説をあらかじめ揃えておこうってことですか?」
「そういうこと、危ない場所は警戒して入りたいし、それぞれ知らない噂話もあるだろうからね」
なるほどな、情報はみんな揃えておいたほうが警戒もしやすいってことか。
「メジャーな怪談をとりあえず並べてみようよ」
「じゃあまず・・・」
見渡した教室、シンク付きの机と周囲に並んだ棚。
「家庭科室って怪談あるっけ?」
明徳も恒人も首を振る。
「家庭科室を使うのが最上級生だからあまりないのかもね、コレといったアイテムがないから作りにくいし」
「なるほどな、学校の怪談か・・・『テケテケ』とかか?」
俺達が子供の頃、学校の怪談はブームだった、映画が作られ、アニメは『花子さんがきた』や『地獄先生ぬ〜べ〜』などがあり、そんな恐怖の怪談と共に育ってきたのだ。
学校に行けばリアルタイムで怪談話が飛び交い、女子たちはトイレに一人で行くことを嫌がり、準備室に入らなければならない理科係は敬遠された。
明徳は微妙にズレるのかな?
「とりあえず避ける場所を決めようか」
と恒人。
「理科室、音楽室、保健室、図工室、図書室辺りは定番だろ」
「やっぱり特別教室は避けた方が無難っすよねぇ」
明徳はこんな状況だが笑顔を浮かべる。
恒人とは別の方向に表情が少ないよな。
「じゃあ・・・」
と言いかけた時、明徳の顔色が変わった。
「家庭科室・・・思い出しました・・・」
引きつった笑顔で指さした先、包丁が俺達に鈍く光る切っ先を向けて浮いていた。
「質問に答えないと刺してくる包丁」
知らないよそんな話!!
慌てて立ち上がると恒人は椅子を持ち上げて盾にするように胸の前に掲げ、一番先頭に立った。
俺も明徳も、盾に使えるように椅子を持つ。
「問題です!」
どこからともなく聞こえる、機械音声のような声。
「山本五郎左衛門と対立している魔物の名前は?」
え・・・はい?
問題?
ジャンルはなに?
「神野悪五郎」
恒人がさらりと答えると、ピンポーンとお馴染みの音がどこからともなく聞こえた。
だから、何ジャンルの問題だよ?
任せていいのか?
「問題です!じゃんじゃん火を呼び出す方法は?」
「雨の降る夏の夜、十市城の跡に向かって『ほいほい』と声をかける」
ピンポーンとまた音が鳴る。
任せたぞ、任せるぞ、マジで。
椅子を油断なく構え、俺は冷や汗をかきながら恒人を見た。
相変わらずクールな面構え。
「問題です!ひだる神に行き逢った時の対処法は?」
「食べ物を口に含むか、掌に『米』と書いて舐める」
ピンポーンとまた正解。
どうやらジャンルは妖怪らしいが・・・
恒人にこんな特技があったとは。
「問題です!舞首になった三人の男の名前は?」
「小三太、又重、悪五郎」
ピンポーン。
いや、もう感心するしかないわ。
なんだこいつ。
「では最終問題、別の人が答えてください」
どこからともなく聞こえてくる声がそんなことを言う。
明徳と俺は顔を見合わせ、俺は恒人を押しのけて前に出た。
椅子は構えたままだ。
やばい、答えられる気がしない。
でも・・・やらなきゃ。
「疫病神の一種とされ、床下に住みつかれると家から病人が出ると言われている妖怪は?」
分からない、やっぱり分からなかった。
どうしよう・・・
と、背中を指でなぞられているのに気づく。
恒人が俺の背中に文字を書いているのだ。
一文字づつ、拾って恐る恐る言う。
「け、う、け、げ、ん?」
一瞬の間が酷く長く感じ、そうしてピンポンの音と一緒に廊下へ続く扉が凄まじい勢いで開いた。
そちらに気を取られているうちに包丁は消えている。
俺達は顔を見合わせ、一目散に廊下に出た。
問題マニアックすぎんだろ、小学校なんだから小学生レベルの問題にしろよ、殺す気かふざけんなと回る思考を落ち着かせ、廊下でそれぞれの安全を確認する。
「やっぱり普通の教室に・・・ああっ!」
大声を出した明徳が俺の肩を掴んで揺さぶる。
「は、葉月さんっ!」
「なんだよ!?」
「ボールが飛び込んだ教室なら、窓開いてる!」
「・・・あ」
そうだ、確かに開いていた。
もう閉まっているだろうけれど、希望をかけて行ってみてもいいだろう。
そんなに高い校舎じゃない、二階からだって出ようと思えば出られる。
恒人を見ると、少し眉を寄せて頷いた。
決まりだ、上に行こう。
☆
まさに蝉時雨と言えるヒグラシの大合唱が響いていた。
両手に冷たいジュースを持って坂を上る。
「やっぱ暑いっすね」
三人分のジュースを抱えた晁直君がそう言った。キャップの下、額に汗が光る。
あまりそうは見えないがぐっと年下の彼は俺の一歩先をだるそうに歩いていた。
「暑いな、でも街中はもっと暑いだろ」
「確かに木陰は涼しいですけどね」
坂は長くて急だ、疲れるほどでもないけれど楽々とはいかない。
缶ジュースから水滴が垂れて手が濡れる。
ヒグラシの声は響く。
ああ、夏だ。
仕事でここまで夏を堪能できるとは嬉しい。
「葉月達もう待ってますかねぇ」
「かもな、ちょっと急ぐか」
自販機がなかなか千円札を飲み込んでくれなくて時間を食ってしまった。
そうして坂の天辺に先に辿り着いた晁直君が足を止める。
ガン、と音を立てて三つの缶ジュースが地面に落ち、その一つが勢い込んでこちらに転がってきた。
「おい、どうし・・・」
坂の天辺で見た光景に俺も止まってしまう。
そこにあった廃校はまったく別物になっていた。
錆びた門は閉じられ、有刺鉄線が執拗なほどに巻かれている。
薄気味悪さすら感じるほど執拗に。
『立入禁止』
『ちゅうい!ここにはいってはいけません!』
ベニヤ板にでかでかと赤い文字で書かれている、さらに異様なのはビニールで閉じられた十枚ほどの張り紙。
『さがしています!』という見出しと、子供の写真や着ていた服を描いた絵、名前や住所など、どれも同じものじゃない、子供の行方不明を告げる張り紙。
「道を・・・間違えた?」
俺の呟きに晁直君が首を振る。
「まさか、一本道ですよ・・・それに」
草っ原と化した校庭には見覚えのあるバスケットゴール。それは一回でもシュートを決めたら崩壊しそうに朽ちていたけれど確かに同じ位置、校舎の作りも同じ。
ただ、崩れそうなほど朽ちているだけで。
「葉月っ!明徳!恒人君!」
閉じられた門の傍によって晁直君が呼びかけるが返事はない、ただヒグラシの合唱だけが響いている。
晁直君ははっとしたように携帯電話を手に呼び出し、それからすぐに首を振った。
「葉月が携帯を持ってたはずなんですけど、繋がりません・・・電源切ってるか、圏外か」
葉月君の性格上、充電切れでもない限り電源が切れてることはなさそうだ。
「俺、ちょっと様子見てくる」
「じゃあ俺も・・・」
「いや、なんかあったときに状況説明できる奴が一人もいないんじゃ困る」
晁直君は不安そうに俺を見た。
「定期的に携帯に連絡する。もし連絡取れなくて30分経っても戻らなかったら、玲央さんか浅葱君の携帯にかけて状況を説明してくれ、なるべく騒ぎを大きくしたくない」
「・・・はい」
イベントライブなのだ、他のバンドさんもいる。できるかぎり身内で解決したい。
「じゃあ、行ってくる」
俺は有刺鉄線の隙間に足をかけて門を蹴り、中へと飛び込む。
よし、行ける。
長い草、さっきはなかった草っ原をかき分けて校舎へと向かう。
昇降口の扉は錠前で閉じられていたが強く引っ張るとあっさり壊れた。
錆びていたのだろうか。
重い引き戸を開けると鉄錆びと埃の臭いが満ち、むっとした空気が肌を撫でる。
「つねー!いるかー?」
返事はない。
校舎の中は朽ちていた、うっかりすると床を踏み抜きそうだ。
恒人の性格を考えたらこんなところに踏み込むことはないだろうが、さっきはこんなに校舎は朽ちていなかった。
このまま中を探して会えるのだろうか。
「いや・・・確認はしなきゃ」
床は埃と砂が溜まっていて、そこに三種類の足跡をみつけた。
そのうち一つは靴底から恒人のものだと分かる、ならば此処に入ったことに間違いはないのか。
足跡を辿って歩き出す、三人分の足跡は階段へと続いていた。
ボールを取りに行ったのだ、二階に飛び込んだボール。
ぎしぎしなる床を踏み抜かないように進んで階段、たわむ部分を避けながら上る。
踊り場の直前で先頭を行く足跡が大きく乱れていた。
ここでなにかあったのだろうかと周囲を見渡す。
何もない壁。一部、色が違うのは位置的に鏡でもあったのだろう、でも今は撤去されている。
二階へ移動しながら俺は思った。
学校だ、保存会なりがいるとして、こんな危ない状況で放置するものだろうか?
物々しい侵入を拒む門の割にあっさり開いた昇降口、行方不明者を告げる張り紙。
二階はさらに慎重に進み、足跡を辿って一つの教室へ。
なにもない、机もなにもないガランとした教室があるばかり。
ボールもない。
「つねー!葉月くーん!明徳くーん!」
廊下で呼びかけてみたがやはり返事はない。
沈殿した空気が暑く、ヒグラシの音色がやけに籠って響いていた。
そっと窓際に寄って眺める、窓の桟も朽ちていて、割れている窓もある。
中から見ると見上げるので差があるにしてもこんなんじゃなかった。
門の前で晁直君が不安げに見上げているのが馬鹿みたいに視力の良い俺にはよく分かった、手を振って頷くと気づいてくれたようで頷き返してくれた。
改めて教室を見て気づく、足跡が途切れていた。
帰りの足跡がどこにもない。
どういうことだ?
恒人のことを考えた、どんな時でも冷静に判断を下す、そう見られているし事実そうではあるのだけれど、あれは単に動揺が表に出ないだけだ。きちんと動揺してるし傷つくし不安になっている。
でもそれを表に出すすべを知らないのだ。
冷静にしてるから大丈夫だろうとほかっておけない、責任感も正義感も強いから多少無茶なことでもやろうとするからなおのこと。
明徳君のことはまだよく知らないけれど、葉月君は思いやりが深くて優しい子だ。
そんなに心配な組み合わせでこそないが、バンドの末っ子達がこぞって消えてしまった状況を楽観できない。
幾つかの教室を確認する。
どれも荒れ果てて物が残っていない教室、唯一まともなトイレにも入った形跡があったけれど、やはり三人の姿はない。
そもそも、これはいったいどういう状況なんだ。
少し目を離した隙に学校の様子が変わって、三人の姿はなくて。
あまりにもホラーチックだけれど、別の次元とか、異世界とか、そういう感じ?
携帯電話が鳴る、晁直君からだ。
「もしもし、こっちは進展なしだよ」
『あ、今・・・地元の人に声をかけられてちょっと話が聞けたんですけど・・・』
少し混乱した声で晁直君は言う。
『この廃校、行方不明者が多いらしいです』
「行方不明者が多い?」
『はい、子供が遊びに入って戻らなくなったって話が多いらしくて・・・それでこのあたりはもともと神隠しの伝承が多くて・・・神隠しじゃないかって。騒ぎになるとアレなんで葉月たちが戻ってきてないことは言いませんでしたけれど、あまり近寄らないように言われたんです』
「・・・神隠しね」
『でも神隠しに逢うのは子供だけだって、まあ大人も気味悪がって近寄らないみたいですけど』
「晁直君、つかぬことを聞くが・・・」
『はい』
「あの三人、つまりツネと葉月君と明徳君って・・・大人?」
沈黙が返ってきた。
だってさ、大人って意識があんまないもん。
子供の枠組みに突っ込める。
そりゃ、そこらで走り回っている小学生とは違うが、俺からすれば子供なのだ。
対等な仲間ではあるが、仕事場以外では子供扱いできるほどに子供だ。
『いや、でも神隠しってののライン引きなら大人じゃないっすかね?』
「まあ、そうなんだけども・・・神隠しに逢うのって子供か年頃の女の子だよな」
恒人ならば年頃の女の子に見えなくもない。
いや、アイツって偶にマジで性別見失う時があるんだよ。
『ここにある行方不明の張り紙はみんな小学生ですけど・・・ん?』
「どうした?」
『いや、ほら、いなくなった時に着ていた服が書いてあるじゃないっすか。それがみんな夏なんですよね』
「日付は書いてない?」
『えっと・・・あ、やっぱりみんな夏にいなくなってますね6月から8月まで』
「神隠しが起こるのは夏限定ってことかよ」
現在、夏真っ盛りじゃねぇか。
「あ、あと・・・張り紙だと全部で何人?」
『11人、です・・・年を見るにここ5年間ですね』
こんな限定的な区域で5年で11人の子供が消えるって少し異様じゃないか?
「・・・晁直君、俺は引き続き校舎内を探す。それで、だけれど」
もう俺達だけでなんて言ってる場合ではないだろう。
異常事態だ、それも異常の次元が違う。
「浅葱君に今までのことを余さず伝えてくれ、とりあえず浅葱君にだけ、その後の判断は浅葱君に委ねてくれていい」
『・・・玲央さんにも言っていいですか?』
「そうだな、玲央さんと浅葱君の二人だ」
『分かりました、大城さんも気をつけて』
通話を終え、俺は雨風で脆くなった廊下を睨む。
なんとかして三人を見つけなければ。
どこからおかしくなったんだろう、門を出るときに振り返り、三人が入っていった校舎はこんなに朽ちていないものだった。
俺達が帰ってきたら、学校全体が風化したようになっていた。
もしかして、おかしくなったのは俺達のほうなのかもしれない。
恒人たちも俺達を探しているのかもしれない。
どっちが本当の世界だ?
それは、晁直君が浅葱君に連絡をつけてくれればはっきりするだろうけれど。
床が腐った部分が終わる。
階段が見えた。
声をかけながら、足元を確認しながら上る。
踊り場に姿見があった。
埃をかぶって、曇って、少しひび割れのある姿見を覗き込み、俺は息を飲む。
姿見に映る階段と、こちらの階段が別物だったのだ。
姿見に映る階段はそんなに古びていない、同じではあるが劣化度が全然違う。
「・・・なんだ、これ」
そして姿見に俺は映っていなかった。
立ち尽くす俺の前で姿見に変化が起こる、まず最初に葉月君が映った。
振り返っても誰もいない、姿見には三人の姿が映りこんでいる、不安げな視線をこちらによこす。
「ツネちゃん!」
そう叫んだ、ガラスの向こうにいるように恒人の姿があったから。
「ツネちゃん!ツネちゃん!ツネちゃん!」
何度も呼ぶが気づく様子はない。
しかし他の二人が進んでも恒人は怪訝そうにこちらを振り返って首を傾げている。
「ツネっ!」
しかし恒人は鮮やかな赤毛を揺らし階段を上って行ってしまった。
瞬く間に鏡に映るのは当たり前のものになる、劣化した階段と立ち尽くす俺。
「なんだ・・・今の・・・」
ファンタジックだかなんだか知らないが、恒人たちは此処にいるのだ。
でも此処とはズレた場所に。
分かった、いやそれが正解だなんて証拠はないけれど、俺はそれが正しいと思った。
俺達が最初に入った廃校はこの世界からズレたところにあって、外に出た俺達は助かり、中に入った恒人達は閉じ込められたんだ。
そう、閉じ込められた。
同じ場所にいるけれど、違うんだ。
だから此処をいくら探しても無駄。
じゃあ・・・方法は?
俺は一旦戻ることにした、晁直君を一人にしておくのも心配だし、もう浅葱君達に連絡がついたかもしれない。
そう思った時に電話が鳴った。きっと浅葱君だろう、浅葱君にはそういう不思議なところがある。
こっちが思い浮かべたタイミングで電話がかかってくる。
表示を確認したらやっぱり浅葱君だった。
「もしもし?」
『もしもし、晁直君から事情は聞いたよ。そっちは大丈夫?』
「ああ、大丈夫」
そうして俺は校舎内であったことを漏らさず伝えた。
『分かった。とりあえず校門のところへ戻ってきて、俺と玲央さんも今そっちに向かってるから』
「了解、英ちゃん達には?」
『街に出てて、他のバンドさんとも一緒だからね、とりあえず後に回す』
「わかった、じゃあ校門の前で」
☆
ボールを取った教室で、俺達は唖然と立ち尽くしていた。
いや、どこかで思っていた、そうなんじゃないかなって。
こんな状況で・・・そんな軽い希望が叶うわけないなって。
俺は知ってるから、希望が実らないことを知っているから。
でも明徳は取り乱した。
アイツは本当にこれで出られると信じたのだろう。
その無垢さを評価するし、俺はその部分を好きだといえる。
だけど、取り乱した人間というのは困る。
まして自分と体格の変わらない成人男子に取り乱されたら・・・
明徳は手近な椅子を取って振り上げ窓に叩きつけた。
もちろん割れない。
そう、こんな状況では「もちろん」なのだ。
どうせ無駄だと思ったから試さなかっただけ。
考えてもみろよ?
古い校舎の木枠の窓だぜ?
その気になれば外すことだってできるだろ。
でも揺すろうが叩こうがびくともしなかった、いや、ぴくりともしなかった窓が椅子を叩きつけたぐらいで割れるわけがない。
「明徳君!」
恒人が明徳を後ろから抱きとめる。
「落ち着いて、ね」
その隙に俺は振り上げた椅子を取った。
荒い息を吐いて明徳は膝をつく。
「・・・すみません」
恒人に抱きとめられながら明徳はうなだれた。
経験のある人間にしか分からないだろうが、取り乱した時、感情を制御できなくなった時、人の体温を押し当てられるのが一番効くのだ。
不思議なことに、どう諌められるよりも触れられたほうが断然効く。
駄々をこねた子供が親の胸の中で落ち着くのと似ているのかもしれない。
ともかく落ち着いた明徳の肩に手を置きながら恒人は言う。
「出る方法はどこかにあるよ、大丈夫だって」
「・・・・・・」
「絶対、大丈夫だよ」
「女の子アニメの主人公みたいな台詞だな」
俺が突っ込むと恒人は口を尖らせる。
「茶化すなよなぁ。しょうがないじゃん、そう思わないと」
「いや、案外ハマるんじゃね?オマエって天然入ってるし阿呆だし、女の子アニメの主人公、コンパクトとかで変身しちまえよ」
「おや?葉月ってばそういうアニメ見てたんだ」
「通じるオマエも見てたってことだろ?」
「俺には一つ違いの姉がいるもので、必然的に。葉月は自主的に見てたのかな」
「うっせぇよ」
ぶっと明徳が笑い出した。
半分ぐらい狙ってやったが俺らの馬鹿話で完全に持ち直してくれたようだ。
「とにかくなんでもいい、虱潰しに手がかりを探そう」
恒人の号令で俺達は教室をあさった。
机の一つ一つを見てまわる。
そうして順番に教室内を調べて三つ目、明徳が何か見つけた。
「葉月さん、これ!」
机の中から出てきたのはビニールの袋だった、飴がたっぷり詰まったもの。
俺と恒人は顔を見合わせた。
だって『べっこう飴』だったから。
「なんでこんなところに飴が?」
首を傾げている明徳の頭を思いっきり引っ叩く。
「いたっ!なにするんっすか!?」
「なんでそんなもん見つけるんだよ!完全にフラグ立ったじゃねぇか!」
「え!?」
「まあまあ、葉月・・・回避アイテムではあるわけだし・・・」
苦笑する恒人、いやもう笑うしかないが。
準備万端なのが腹立たしい、ナニモノなのか知らないけどよ。
「回避できても会いたくないんだっての!」
「どういうことっすか?」
分かっていない明徳。
いや・・・知らないのか?
「あー、明徳君って口裂け女詳しくない?」
恒人に言われ、明徳は怪訝そう。
「口裂け女なら知ってますけど・・・振り返ると噛まれるってのですよね?」
おいおい、同じ県内の四歳差でここまで情報に格差が?
「まあ地域や世代で差があるけれど、べっこう飴は口裂け女の好物だって言われてるんだよ」
明徳はべっこう飴の袋を俺に投げ渡してきた。
「マジっすか!?」
「てめぇな、俺を生贄にする気か?」
「ええ!だってそれ持ってると危ないんでしょ!?」
「分かって渡したならなお許さんぞ!」
「いやいや、好物だからそれを渡して夢中になってる間に逃げるんだよ」
恒人はあくまで自分のペースを崩さない。
ある意味で強いよな。
「なるほどぉ」
と言いながら明徳は俺から離れる。
「みんなで少しずつ持っておこうよ、対処できるアイテムには変わりないんだし」
「あ、そうですよね」
恒人に言われて明徳が手を出してくる。
この子犬め。
分かってるんだよ、裏切るとか一人で逃げるとかするような奴じゃないことは。
でもちょっぴり傷ついちゃったぞ、俺の豆腐メンタル。
べっこう飴を分けてポケットへ。
次の教室では何故かスケートボードを見つけた。
「90年代のだね」
じっくり眺めて恒人はそう言う。
「年代によって違うんっすか?」
「違うよ、形も絵柄も」
恒人はなにかに使えるでしょうとボードを小脇に抱えた。
そういえばコイツ昔スケボーやってたんだっけ。
今のところ道具はバスケットボールとべっこう飴とスケートボードだけ。
なんだよ、上手く使えば新たな局面開けちゃったり、イベント起こったりするわけ?
次の教室へ移動しながら言う。
「しかしいいかげん腹減ってきた」
「そろそろ12時ですからねぇ、すき家のうな牛食べたいっす」
「・・・やめろ、本気で腹が減る」
言われると食べたくなってきた、まあすき家がなさそうな周辺環境だったけどさ。
「ツネはなに派?」
「チーズがネギ玉、サラダ付きで」
「野菜好きだよなぁ・・・しかし最近CMやってる朝のメニューはねぇわ」
「なんで?卵かけごはん、美味しいじゃん」
「そこじゃねぇよ!」
「そこじゃないんっすよ!」
俺と明徳がキレイにハモり、恒人は驚いた顔。
「味噌汁が赤味噌じゃないとかありえん!」
「ですよねぇ、赤味噌じゃなきゃいらないっす!」
「・・・そ、そうなんだ」
同意できてない恒人。
まあいいさ、愛知県民として譲れんだけのこと。
「その地域差なんだけど、口裂け女の情報揃えておこうか」と恒人。
まあな、同じ県内で年もさして違わない俺と明徳でああも違うんじゃな。
「えっと、整形手術に失敗して口が裂けただろ。それで赤いコートを着て、鎌を持って追いかけてくるやつ」
「俺のところではメスだったよ。確か都会に行くほど凶器が小型化するとか」
「まあ、ハマに比べりゃこっちは田舎だからな・・・あとはアレだろ綺麗かどうか聞いてきて、ブスって言うと殺される、キレイって言うとマスクを取って裂けた口を見せてこれでもかぁって追いかけてくる」
「俺が知ってるのと全然違いますよ」
と明徳は驚く。
「肩を叩かれて右から振り返ったら裂けた口でバリバリ齧られるって話でした、だから肩を叩かれたら左から振り返らなきゃいけないって」
「別の怪談と混ざったのかね?」
恒人は首を傾げる。
確かにそんな怪談もあった気がする・・・
「んで、対処法はべっこう飴を投げる、ポマードって三回言う・・・あと?」
「まあまあ、とか曖昧に答えるってのもあった」
どうやら俺と恒人の間にさして差はないらしい。
なんでだろうな?
テレビとかで情報が揃えられたのか?
「顔面角が日本人の平均を下回ってますとか煙に巻けばいいって俺の周りではよく言われてたよー」
笑顔の恒人。
小学生が操る単語としては異様だろ、それ。
教室を見てまわったがもう目ぼしいものはない。しかたがないので下に降りる。
特別教室も見なきゃいけないよなぁ。
「そういえば、職員室はどうするんっすか?」
明徳が言う。
「ああ、放送が入ったよね、職員室に集まれって」
「そういやそうだけど・・・罠じゃねぇのか?」
「罠なのか、手がかりなのか、だよねぇ」
階段の途中でピアノの音が聞こえて俺達は顔を見合わせる。
「来た来た来た来た!」
テンションが上がる明徳。
「コレ・・・ウチのとこでは嫌な怪談だったんだよね」
対して恒人の顔は目に見えて曇る。
「夜中にピアノが勝手に鳴ってる・・・じゃないのか?」
「ウチのとこでは『音楽室の人食いピアノ』」
実にシンプルなタイトル、中身まで聞く気がおきない。
「たぶん『HOUSE』って映画が元ネタだと思うんだけど」
「90年代の小学生がその映画知ってた事実のほうが怖いんだよ」
突っ込む俺。
明徳はきょとん。
知らないなら一生知らなくていい映画だから気にするな。
「ピアノに食べられるのは痛そうだよね」
と微笑む恒人。
可愛い笑顔の使いどころを完全に間違えている、阿呆だ。
「葉月さん、この曲って・・・」
「うん?」
聞こえてくるピアノの音に耳を傾ける。
どっかで聞いたことあるな。
「『め組のひと』じゃん」
恒人は手を叩く。
「・・・学校のお化けの持ち曲としては異様だな」
「あれ?タイトル聞いてもピンとこなかった」
首を傾げる明徳。
まあ、どこかで聞いたことはあってもタイトルまで把握はしてなかろう。
80年代の曲だし。
「さてと、どうする?」
曲が曲のせいか不気味さは感じない、この空間なら起こり得ることだろうとは思うし。
まあ、一人だったらどうか分からないけど、恒人も明徳もいるしな。
「行ってみようか、なにか手がかりになるかもしれないし」
少し不安そうだけれど恒人はそう言った。
まあ扉を少し開けてヤバそうだったら逃げればいい、音楽室の外までピアノが追いかけてくることはなかろう。
「だいたい聞こえてくる曲って『エリーゼのために』とかだよな」
「でもピアノ好きな子の霊だったら、持ち曲がなんでも、まして同じ曲弾いてなくてもいいんじゃないっすかね」
明徳は若干無理があるが笑顔だ。
「だいたい『エリーゼのために』って難易度低い曲だよ、知名度だけのセレクトでしょ。それに霊としているならリアルタイムで『め組のひと』を知ってる子だっておかしくないんだし」
恒人の言うことは「なるほど」だった。
ピアノを弾くのが「ピアノ好きな子の霊」なら曲のセレクトはなんでもいいはずなのだ。
それこそクラシックの定番じゃなくてポップスを弾いてみたい子だっているだろう。
曲は『メモリーグラス』に変わっていた。
「葉月が歌うの聞いてみたいな」
急に恒人が期待を込めた視線を向けてきた。
はぁ?状況分かってるのか、この阿呆。
でも歌を乞われると、ついついいい気分になってしまって、俺はピアノの演奏に合わせて口づさみ始めた。
そうすると恐怖心も飛んでいってもっといい気分。
音楽室の前についた。
2番のサビまできている。
室内に気配はない。
「最後まで歌っちゃえー」
明徳に言われて、せっかくなので歌う。
「アイツなんか、ただの通り雨ー」
歌いきったところで恒人が引き戸を一気に開けた。
よくもまあ置けたなと言えるようなグランドピアノ。
その鍵盤に血が滴っているなんてことはなく、奇怪なものがいるわけでもなく、ピアノの前に一人の少女が座っていた。
普通でないのはその少女を透かして後ろの鍵盤が見えてしまっていることか。
半透明の少女はこちらを振り返る。
明徳と恒人は少女に向けてぱちぱちと拍手をした。
少女は立ち上がって一礼する。
半透明の女の子、小学校の真ん中ぐらい。
長い黒髪を二つにくくり、茶目っ気のある顔立ち、少し悪戯っぽい釣り目、透けてしまっているが日に焼けた肌が妙に健康的だ、幽霊に言うには冗談みたいな台詞だけれど。
そうして少女も拍手をした。
俺の歌に向けて拍手。
「お兄さんすごい、じょうず!」
「このお兄さんはプロだからね」
恒人は通常通りのテンションで幽霊少女に話しかけた。
肝が据わっているというより、頭の回路がおかしいんだろう。
「わたし、プロの歌手さん見るのはじめて!」
「・・・そりゃどうも」
「あ、あのね」
そこで少女の顔に影が落ちる。
「演奏聞いてくれて、歌も聞かせてくれたから教えてあげる。職員室は入っちゃダメだよ、帰れなくなるから」
「そうなの?じゃあ出口は他に?」
「あったけど、今はほとんど外れてるから狭くて人が抜けられないんだって、そう聞いたの。私みたいなのの他にもお化けいるから気をつけてね」
「君みたいな子?君はどこから来たのかな?」
「迷ったの、他にも迷ってる子がいてね、お山に組み込まれるんだって聞いたよ」
「・・・誰に聞いたのかな?」
「神様・・・あ、もう時間みたい。演奏聞いてくれてありがとう、ピアノが人を襲わなくてよかった」
少女はそんなことを言うと、灯りが消えるようにふっといなくなった。
後には無人の音楽室だけが残る。
「どーいうこと?」
幽霊少女と臆さず会話していた恒人を覗き込むとしれっと言う。
「音楽室から聞こえるピアノの音、演奏を最後まで聞かないと殺される・・・そのパターンだったみたいだね」
「ええ、葉月さんが夢中で歌ってる時に恒人さんからこそっと聞いたもんで」
笑顔の明徳の頭を引っ叩いた。
「てめぇらな・・・」
「いけるかもしれない」
恒人はあくまでマイペースに言う。
「一部地域で流布してた交霊術ができるかも」
「霊を呼んでどうするんですか?幽霊が出る場所ですよ!?」
驚く明徳に恒人は悪戯っぽく笑った。
「もちろん、此処から出る方法を聞くんだよ」
「ああ・・・」
確かに、あの子は何か知っているようだったし、もっと詳しくて言葉が通じる奴がいるかもしれない。
「だからって、こっくりさんでもやるのか?」
「ううん、花子さんってさ、もう一つパターンがあったことを思い出して」
俺は手を叩く、確かにあった。
「学校の守り神!」
花子さんを呼び出す方法・・・全国的にいろいろ流布しているであろうが俺のいた小学校はこうだ「3番目の個室の前で36回まわって3回ノック『花子さん遊びましょ』と言う」36回まわるというのは俺のいた地域のオリジナルだろう、他では聞かないからな。
もちろん夢中になっていたのは女の子達で俺はそれを見ていただけ。
ただ一回だけ騒ぎになったことがあった。
当時、いじめられてた子を個室に閉じ込めて「花子さんを呼び出す儀式」をやったグループがいたのだ。
個室から反応がないので不審に思い、何度もドア越しに呼び掛けてもうんともすんとも言わないので、さすがに先生を呼び、上からのぞいたらその子は個室の中で泡を吹いて倒れていたらしい。
そのまま救急車で運ばれ、そうして不登校の末に転校してしまった。
それ以来、俺のいた小学校で花子さんはなんとなくタブーのような存在になっていた。
実際のところはなにもなかったのかもしれない、怖がりすぎて気を失ったのか、偶然そこで体調を崩したとかいろいろあるだろう。
でも俺は思ったものだ。
いじめられっ子が被害者と言うのは納得がいかないと。
俺もまたいじめられっ子だったので「花子さん」には是非、いじめっ子を懲らしめて欲しかったから。
恒人の提案に不安はある。
「この学校の花子さん」がどんなものなのかさっぱり分からないのだから、危険な賭けだろう。
恒人が言うそれは「どの花子さんでも大丈夫」と流布していた「占い」だそうだがやっぱり不安はある。
だから俺達はまず図書館に行った。
この学校の怪談に関する本があったらいいなと思ったのだけれど、図書館には本棚はあっても本は一冊もなかった。
まあ・・・ゲームじゃないし、そんな都合のいい文献が転がってるわけがなかったのだが。
しかたないので「占い」を実行するため一階の女子トイレへと入った。
「俺、女子トイレ入るの初めてですよ」
明徳がそんなことを言う。
「初めてだろ、普通」
「俺は前のバンドの時に衣装フルメイクで公衆男子トイレに入って驚かれたことがあるなぁ」
懐かしそうに恒人は目を細める。
前のバンドってロリータ衣装か。
・・・驚いた人はどっちで驚いたんだろう、ぶっちゃけ「女子です」って言えば通用しそうなぐらいのパーフェクト感はあったもんな。
「あの、3番目を空けて個室に一人ずつ入るんですよね?一人余りますけど」
「1番目に二人で入るんだね」
「ちょっと待てよ」
制止する俺。
「2番目のほうが危険度高いだろ、なら2番目に2人の方が」
「2人身動き取れなくなったらどーすんのさ」
と恒人は笑う。
だからオマエは何と戦ってきたんだ!?
「じゃあ1番目に明徳君と葉月ね」
さらりと危険なほうを選び恒人はクールな笑みを俺に向ける。
馬鹿だなコイツ。
逆だったら縁切りを考えるレベルだがそれだって、自分が安全圏に押しやられるのだって、本気で友達と思ってる奴が相手ならいい気はしないものなんだぞ?
「恒人さん、大丈夫ですか?」
不安そうな明徳に恒人は余裕を込めて頷く。
「大丈夫だよ」
そうして恒人は2番目の個室に入った。
俺と明徳も1番目の個室へ入る。
個室の中は狭くて、じめっとしていて、汚れたくみ取り便器がぽつんとあるだけ。
紙を置いていたらしき金属製の箱がすっかり錆びていた。
臭うかと思ったがそうでもない、木が湿気た香りがするだけ。
くみ取り式の便器の奥は暗いが水があるのはなんとなく分かる。
「葉月さん、始めましょうか」
「・・・そうだな」
恒人から聞いた通り、奥の壁、恒人がいる個室を3回ノックする。
こん。
こん。
こん。
「学校の守り神である花子さん、質問に答えてください」
すっと気温が下がった気がして鳥肌が立つ。
個室に閉じ込められたまま気を失っていた同級生のことを思い出した。
あの子は何を見たんだろう。
隣から音が聞こえる。
こん。
こん。
こん。
「学校の守り神である花子さん、質問に答えてください」
黙ってなきゃいけないルール、トイレの中が静まりかえった。
長い長い静寂の後、コン!と高いノックが響いた。
花子さんだ・・・
恒人の緊張した声が聞こえてくる。
「はいなら1回、いいえなら2回ノックしてください」
コン!
とまた高いノック。
呼び出せたんだ、本当に・・・
「俺達が此処から出る方法はありますか?」
コン!
「それは俺達だけでできますか?」
コン!コン!
「誰かの協力が必要ですか?」
コン!
「それは人間ですか?」
コン!
なるほど、2番目に入るのが恒人でないといけない理由も一応あったのか。
俺だったらあんなぽんぽん質問できない。
「此処を内とした場合、外にいる人間ですか?」
コン!
「外と連絡をとる手段はありますか?」
コン!
「それは此処にいる俺達でできる手段ですか?」
コン!コン!
恒人の言葉が途切れる、二択質問に限界がきたのだろう。
しかしかなりの情報を聞き出せたと思ったその時、ノック音が連続して響いた。
コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!コン!
トイレ中に満ちる煩いほどのノック音。
「ツネ!?」
呼びかけるが返事がない。
「恒人さん!?」
明徳が個室を飛び出し、俺もそれに続く。
ノック音は止んでいた。
2番目の個室を開けようとするがびくともしない。
呼びかけても返事がない。
上から覗き込もうと手をかけた時、べちゃりと扉に文字が浮かんだ。
《中庭の人面魚を持ってきたら返してあげる》
「人面魚?それを持ってきたらツネを返してくれるのか?」
コン!
と3番目の個室からノック音がした。
「分かった、その代り・・・無事に返さなかったらただじゃおかねぇからな」
コン!とノック音。
怒りで恐怖心が打ち消された。
「明徳、行くぞ。中庭はどこだ」
「向こうに扉が。で、出れるんですかね・・・?」
そりゃそこは問題だが、そんなもん行ってから考えればいいと俺はトイレを飛び出した。
L字の角にある木製の扉が中庭に続くらしい。
扉は予想に反してあっさり開いた。
久しぶりに思える陽光を堪能する場合でもない。
生垣に仕切られた中庭に他へ続く道はなく、コンクリートの丸い池が淀んだ水を湛えていた。
「こ、ここからなら外へ・・・いや、人面魚が先ですね。なにか網か釣竿か・・・」
「明徳、ドアを押さえてろ、締め出されたら困る」
「あ、はい」
明徳がドアを押さえたのを確認し、俺はそのまま池に入った。
「ちょ、葉月さん!?」
「うっせぇ、大丈夫だ」
水は淀んだ緑色だ、ブーツの底にぬるっとした感触が侵入し、ジーパンが水を吸って重くなる。
でも知るか、そんなもん。
じっと見てもなにもないので俺は手を突っ込んで無茶苦茶にかき回した。
するりと指先に魚の感触、いる!
感覚で追いながら魚を端へと追いつめる。
そうして両手で掴んで魚を取り、池の外へ投げた。
明徳は緊張した顔でそれを見つめている。
池から上がり、魚を掴みあげて確認した。
怒りで頭が沸騰しきっていなければ、悲鳴を上げただろう。
それぐらい生々しい人面魚だった。
魚の頭に赤ん坊の顔がくっついている。
「行くぞ」
「・・・は、はい」
明徳は俺と人面魚両方にビビった顔で頷く。
女子トイレに戻り、俺は人面魚を3番目の個室の前に掲げた。
「持ってきたぞ」
《便器の中に入れて》
浮かんだ文字に眉を寄せながら3番目の個室のドアを開けた。
なにもない、普通のトイレだ。
俺は便器の中に人面魚を放り込む。
水音がして、同時に軋んだ音を立てて2番目の個室が開いた。
恒人がきょとんとした顔で俺達を見ている。
「大丈夫か?」
「え、なに・・・?」
そうして恒人は足元がびしょ濡れの俺を見て薄く微笑む。
「・・・ありがとうと言うべき状況かな?」
「無事だったんならそれでいいに決まってんだろ」
「じゃあ、その言葉にありがとう」
ハグした。
なんかライブ並みに感極まった。
明徳と恒人が目を見合わせて苦笑するのが分かったけど感極まったんだからしかたない。
恒人は若干身体を逸らしながらも肩を叩いてくれていた。
マジでライブ中みたいだ。
べちゃ、という音に視線を上げるといつの間にか閉まっていた3番目の個室の扉に文字が浮かんでいた。
《ペットを返してくれてありがとう。ヒントは鏡》
人面魚って花子さんのペットだったんだ・・・
でもヒントは鏡ってどういうことだ。
俺が首を傾げていると恒人が申し訳なさそうに言った。
「葉月、そろそろ放してもらえると嬉しいかな」
あ、ハグしたまんまだった。
☆
校門の前には浅葱君が到着していた、玲央さんはいなくて晁直君は緊張した顔。
浅葱君は真面目な顔になると元の威圧オーラもあって問答無用の恐怖感があるのでしかたないだろう。
「ざっと調べたんだけれど」
俺が校門を飛び越えると同時に浅葱君は言う。
「まず、廃校で行方不明事件が多発しているのは本当みたいだね、軽く様子窺いしただけだけど」
柔らかそうな唇を撫で、浅葱君は優雅に首を傾げた。
漆黒のオーラを放出させながら。
なんだ、心配と言うより怒ってるぞ?
「それ以前からこの辺りでは神隠し伝説が多いみたい。『草童』って言って見知らぬ子供が混ざると人が消えるって、わりと最近まで言われてたらしいね。その『草童』が主に出るのがこの学校」
浅葱君の猫目が俺と晁直君を見た。
「見覚えのない子供は見かけなかった?」
俺と晁直君は首を横に振る。
「こんな状況ですし、子供なんて紛れてたら気づくはずですけど・・・」
「俺も見てないよ、俺達しかいなかった」
「そうか、玲央さんには町の図書館で調べ物をしてもらっているから、俺はそっちに合流する、二人は引き続きこの辺りを探してくれるかな。何かあったらすぐに連絡するように」
浅葱君はそう言って踵を返した。
背中に『憤怒』の文字が見えそうだ。
どうやら浅葱君、末っ子を盗まれて頭にきてしまったらしい。
超常現象相手にも本気で怒るんだな。
まあ、俺もけっこう頭にきてるけど。
これが『神隠し』とやらならば神様相手に喧嘩できるつもりではいる。
当たり前だ、ウチの末っ子と友達バンドのお子様達を返してもらわねばならないのだから。
俺は晁直君を伴って再び廃校に足を踏み入れた。
さっきはざっと見ただけだったので今回は一階の教室全てを見てまわる。
3人の名前を呼びながら、隠した神様とやらがいるなら返してくれと乞いながら。
「あの扉ってなんですかね?」
晁直君が指さした木製の扉は校舎の裏側に向かうようだった。
「中庭か?行ってみよう」
木製の閂式の鍵を開けて扉を押す、湿気で膨らんだ木と木がみしみし音を立てるがかまわずに強く押して扉を開いた。
夏草の香りが満ちた中庭、枯れた生垣に囲まれ向こうが透けて見えるけれど、此処から他へ移動するのは無理そうな場所だった。
「なんか・・・変な造りですね」
晁直君が首を傾げる。
「確かにちょっと見ないよな、こんなの」
さすがに木造校舎のある学校に馴染みはないが、校舎からしか行けない中庭なんてどういう理由があれば作るのかちょっと想像できない。
中庭には池らしきものがあった、かつては水を湛えていたのであろうコンクリートの池。
今はすっかり枯れて、落ち葉が溜まっている。
覗き込んでみたけどなにもなさそうだ。
その隣には小さなお堂があった。
神隠し、神様。
なんとなく無視できないものだ。
俺も人並みの信仰心というか、そういったものに対する畏怖はある。
神社で不敬を働いてはいけないとかそういうこと。
お守りをうっかり踏んだら謝らなきゃいけないとか、そんなこと。
でも今はその「神様」が敵かもしれないのだ。
俺は一応手を合わせてからお堂の扉を開いた。
晁直君も一緒に恐る恐る覗き込む。
中には小さな、掌ぐらいの鏡があった。
鏡が御神体というのは珍しくないだろう。
手がかりにはならないかとため息をついたとき、りん。と鈴の音がした。
晁直君のほうを見ると視線が合い、お互いの驚いた顔を見合わせることになった。
ならば空耳ではないのか。
りん。りん。
鈴の音はだんだん近くなる。
りん。りん。と鳴りながらこちらに音は近づいてきて、そうして鏡面がこぽっと波紋に揺れ、鈴が二つ転がり出てきた。
反射的に受け止めたそれは、赤い組紐のついた鈴で、大きさは500円玉ぐらい。
「・・・これは?」
返事を期待したわけじゃない、でもつい御神体に向かって聞いていた。
当たり前かもしれないが返事はなかった。
でも神様が寄越したものだ、意味はあるだろう。
俺と晁直君は鈴を一つずつ持って校舎に戻った。
「どうします?」
「踊り場の鏡をもう一回見てみよう。またなにか映るかも」
さすがに俺も口数が少なくなっていた。
雑談するにもおかしくて、そのうえ手がかりがなさすぎた。
鏡から鈴が出てきたことにあまり驚けないほどには精神的に追い詰められている。
着信音を立てた携帯電話を見て晁直君が言う。
「浅葱さんが資料探し、玲央さんが聞き込みに行ってるみたいです。12時半にはみんな帰ってくるだろうからその時に身内には相談、2時になっても帰ってこなかったらみんなに伝えて本格的な捜索・・・ってことに決まったみたいです」
「みんなで探して見つかるものならばなぁ」
ついそんな後ろ向きな発言も出る。
「でも神隠しって、太鼓やらなにやら鳴らして返してもらうとか言いますよ」
「なら俺らでドラムセッションでもするか?」
「それであの3人が戻ってくるならBPM臨界突破しますよ」
「俺もだ、新たな壁をぶち破れる自信がある」
足首千切れるほどバスドラ叩ける。
そんな会話をしながら床を踏み抜かないように踊り場の姿見の前へ。
また同じだった。
こことは違う風景が映り込んでいる。
晁直君が息を飲んで鏡面を覗き込み「あ」と小さく声を上げる。
恒人達が階段を上がってきた、そうして姿見の前で止まってなにか話している。
口は動くけれど会話は聞こえない。
「おい、葉月!」
晁直君が声をかけるけれど3人はそれに気づかず、ただ姿見の前で首を傾げたり、話し合ったりしていた。
りん、と晁直君が持っていた鈴が鳴る。
「おあ!」
鈴は勝手に晁直君の手を抜けて鏡に飛び込んだ。
水の中に沈んでゆくように鏡面をたゆたい、そうして、りんと音を立てて向こう側の床に転がる。
手前にいた恒人が驚いた顔でそれを拾い上げそうして3人がもっと驚いた顔でこちらを見た。
「大城さん!?」
「あ、晁直さ・・・」
駆け寄ろうとした明徳君が鏡面に阻まれて額を打って仰け反る。
「なにしてんのオマエ」
葉月君が呆れたように言って俺達を見る。
「えっと、本物ですよね?」
「本物だよ!」
答えたのは恒人で、疑った葉月君に不満そうだった。
「だってさ、この状況で・・・」
「本物だっての!」
「本物だよ」
俺も言う。
「なんなら証拠に葉月の秘密をここで暴露してもいい」
晁直君がそんなことを言い、葉月君が焦る。
「わ、分かりましたから、でもどういうことっすか?」
俺が手短に状況を説明すると、恒人も向こうの状況を説明してくれた。
「なんか危なそうだけど大丈夫?」
俺が言うと葉月君が子供のように口を尖らせる。
「大城さん、コイツにどーいう教育してるんですか!?」
「ツネちゃんが無謀なのは俺のせいじゃないもん」
責任感ありすぎるぐらいの子だからそこは心配してたけど、やっぱりやってたか。
「でもツネちゃん、無茶しちゃダメだよ。葉月君達に心配かけちゃダメ」
「はぁい」
気まずそうに恒人は頷いた。
うん、よろしい。
「今のところマジで危険ってのには会ってないです、ヒントは鏡ってことぐらいしか分からないし」
「都市伝説が実在してるような場所なんで、いつヤバいのに会うかも分からないんですよね」
と葉月君は不安げだ。
視線のやりかたで明徳君のことも恒人のことも気遣っているのが見て取れる。
「方法を浅葱君達が探してるから、それまでなんとか持ちこたえろよ」
「はい、この鈴を持っていれば会話は・・・鏡の前なら可能ってことですかね?」
そう言ったのは恒人だけれど、俺は首を傾げる。
「鏡なんて此処しかないぞ、トイレとかは全部外されてたし、向こうの階段もなかった、2階はまだ見回ってないけど」
「・・・こっちは鏡、あるべきところにはありますよ。ふむ、ヒントか」
考え込む恒人。
こうしてるとガラス越しに会話してるみたい、変な感じだ。
「大城さん、またなにかあったら此処で」
「え?こうしてたほうが安心じゃ・・・」
「また後で」
恒人が笑顔で言って、階段を駆け上がって行く、葉月君達がそれに続くと姿見は元の・・・ただの鏡に戻っていた。
どうやら向こうが映るのは恒人達が近くにいる時だけらしい。
「まったく・・・」
「まあ、向こうは向こうで手がかり探すんでしょう」
晁直君は肩を竦める。
「しょうがねぇな、若者たちはよ」
☆
一人恐ろしく冷静な奴がいるとつられて冷静になってしまうものだった。
俺達は階段を駆け上がり、必死で逃げていた。
でも逃げたってもうすぐ終点、校舎の端。
教室に逃げ込んでどうなるか分からない。
鏡から離れた理由は一つ、見てしまったから。
アレがやってくるのを見てしまったから。
悲鳴は出ない、なんでもいいから逃げる。
あの鏡から出られるわけでもない以上、どうにもならなくて、きっと恒人は俺達が危ない目に合うところを大城さん達に見せまいとしたのだろう。
それでいい、心配かけなくていい。
もしこれがどうにもならない事態ならなおのこと・・・見なかったのなら、気づかなかったのならよかった。
それでよかった。
恒人に共感できる、心配かけたくないのだ、胸を痛めてほしくないのだ、焦って無茶をしてほしくないのだ。
でももうすぐ終点だ、壁だ。
俺達は立ち止まり振り返る、しっかりとお互いを庇える距離で振り返る。
廊下の向こうから歩いてくるのは上半身だけの女の子。
下半身のない少女が腕で器用に歩いてくる。
俯き加減の顔は長い髪に隠れて見えない。
かくんかくんとヤジロベエのように揺れながらこちらへ向かってくる。
一般的にこう呼ばれるお化けだろう。
『テケテケ』。
見た目のインパクトが恐ろしすぎたため、子供向けのホラー映画では『妖怪』に改訂されたが、本来の噂はこれだ。
「テケテケの対処法、テケテケの対処法・・・」
明徳が必死に思い出そうとそう呟いている。
「そうだ、なにか呪文が・・・」
俺も必死で記憶を辿る。
「言っても無意味ってパターンが多かった気がするんだよ・・・」
「そうなんだけど、これって捕まったら」
「ま、真っ二つ・・・」
明徳の声が裏返る。
「痛そー」
恒人が予防注射の列に並んでいるようなトーンで呟いた。
なんだろ、テンパりかけたけどあまりのズレっぷりに落ち着いちゃったぞ。
「教室入ってみるか?もしかしたらドア開けられないかも」
高さがないからと思ったけれど明徳が泣きそうに言う。
「引き戸なんだから関係ないっすよ!」
「そうなんだけどよ!」
テケテケの速度は意外に遅い。
早いって聞いていた気がするけど、腕でがくがく揺れながらゆっくりやってくる。
「教室に入ってバリケード。ここにいるよりは時間を稼げる」
さらりと恒人が言うと同時に俺達は教室に駆け込んだ。
普段から機材の積み下ろししまくりなミュージシャンを舐めてもらっては困る。
あっという間にドアの前には机が積み上げられバリケードが築かれた。
言葉を交わす必要すらない、素晴らしき連携プレイ。
いざとなったらすぐに逃げられるよう、片方の扉はまとめてズラすだけで外に出られる仕様だ。
なんつーか、役に立たない技術なんてないんだよな。
テケテケの歩く、がたごとという音が微かに聞こえてくる。
そうして俺は改めてテケテケの怪談を思い出した。
「えっと、北海道で電車に轢かれた女の子がいて、上半身を切断されたんだけど寒さで出血が少なくて苦しんで死んだ。この話を聞いた人のところに3日以内にテケテケがやってきて下半身を切断される・・・でオッケー?」
「俺が知ってるのも同じです」
「俺もだいたい同じ」
同意ありがとう、違ったらまたややこしくなっていたからな。
「まあ、北海道の気温でそんなこと起こりえないんだけどよ」
俺が言うと恒人は首を傾げる。
「でもさ、即死もしないかもよ?ここって特に主要器官ないじゃん」
と恒人は自らの腰を持ってみせた。
改めて細い。
「オマエの腰を切断するのは容易そうだな・・・」
60ねぇだろ。
レディースSサイズのローライズジーンズの上、一撃で斬れそう。
「ショック死すると思います」
と明徳。
言われてみればそうだな。
「しかし電車に轢かれて切断って率も低いよ、線路に寝転がってないと」
「いや、なんか話が逸れてるぞ・・・テケテケの対処法だ」
「うーん『地獄へ帰れ』しか知らないな」
恒人は眉を寄せる。
「それが呪文ですか?」
明徳に言われ、恒人は自信なさげに頷く。
「呪文はね、でもそれを言って助かったパターンの話を知らないから」
「微妙なところだな・・・」
怪談、あるいはホラーならば「なにをやっても助かりません」って結末は大いにあり得る。
だいたい最近のホラーってそうじゃないか、追われて、散々手を尽くして、でも結局助からない。
教室の前をテケテケがうろついているのは分かるが心張り棒つきのバリケードが効いているらしくもう少し時間は稼げそうだ。
「万が一入ってきてバリケードよける暇がなくても窓から逃げればいいですからね」
明徳の言葉に俺と恒人は間抜けた声を上げる。
「え?」
不思議そうな明徳に俺も恒人もひきつった笑みを浮かべた。
なんで気づかなかったんだろう、教室だから廊下側にも窓がある。
でも「窓は開かない」というのが間違って刷り込まれていた。
教室の窓なら開くし、割れるんじゃないの?
そう思ったのと窓を割ってテケテケが飛び込んできたのは同時だった。
明徳よ、気づいてたなら教えてくれ、出れるんだったら入れるじゃないか、出入り口って言うだろ。
笑顔のままフリーズしている俺と恒人の間で明徳が叫ぶ。
「『地獄に帰れ!』」
ぴたり、とテケテケの動きが止まり、俺と恒人は明徳を庇うように前に出た。
もしかして呪文が間違っていたら狙われるかもしれない。
がくん、と首を傾げたかと思うとテケテケは跡形もなく消えた。
しばらく待ってもなにも起こらず俺達はその場に膝をついた。
「・・・助かったぁ」
呑気な声を上げる明徳の頭を愛を込めて引っ叩いたのは言うまでもない。
そうして身に染みて分かった、クールなのと物怖じしないのは別物だと。
「ったく、ろくでもねぇトリオで閉じ込められた」
そう悪態をついてしまったこと、勘弁してほしい。
俺達はしばしその部屋で休息をとることにした。
バリケードは取っ払い、その代り動きを阻む形に配置しなおす。
もちろん配置した俺達は最短で外に行けるルートを作り、それをしっかり覚えておいた。
これを発案したのは恒人で、本気でコイツは何かと戦った経験があるんじゃないかと不思議に思った。
「学校の怪談や都市伝説が出てくる場所と『神隠し』がどうも繋がらないんだけどなぁ」
そう言ったのは恒人だ。
「そりゃそうなんですけど、神隠しなんて初めてですし、こういうものなのかもしれませんよ」
明徳の答えに一応賛成。
実際そうなんだから考えてもしかたない気がするし。
「まあね・・・『神隠し』ったって便宜上そう呼んでるだけだし。でも大城さんの話によるとずっと昔から此処は神隠し多発地帯だったわけでしょう?はい、葉月さん」
続きを言えとばかりに振られる。
高慢ちきに顎を上げて高貴に微笑む、うざいなコイツ(褒め言葉)。
「大正時代にテケテケがいたか?って話になるわけだよな、下手すりゃ江戸時代かも。でもよー、俺ら専門家じゃねぇんだし考えたって分からないっての」
「音楽の専門家ではあるけどね」
「ミュージシャンと拝み屋の方向って別だろ?」
「××ってライブハウスで浅葱さんがEDENを歌ったら、住み着いてた地縛霊が成仏したからさ」
「マジっすか!?すごいっす!?ハンパないっす!じゃあ葉月さんも!」
「黙れ馬鹿ガキども!」
確かにいい年こいた男ばかりなのに幽霊だの祟りだのよく耳にする業界ではあるが、ファンの生霊に憑りつかれた知り合いはいても、テケテケに追いかけられたなんてのは聞いたことがない。
「いやでもー・・・リアルな話・・・」
明徳は少ししょげ、窺うように俺を見る。
「幽霊が歌で浄化されるのアリだと思うんっすよ。なら葉月さんにもできるかもしれないじゃないっすか。まあ曲のセレクトは俺らのからじゃ難しい気もしますけど」
「まあ、切羽詰まったら歌ってみるよ、EDENな」
明徳の言うとおり、俺らの曲は向かないがDの曲ならいけるかもしれない。
一つの方法として覚えておいてもいいだろう。
こんな状況だが、屈託のない年下メンバーとクールさと茶目っ気を持ち合わせた友人であることは変わらず、それになんだか安心してしまっていた。
「テケテケがあの対処法でいけたなら、他もなんとかなりますよね。あとなんかありましたっけ?」
呑気そうに言う明徳の頭をもう一発叩いて考える。
都市伝説の対処法ね。
「カシマさんってあったよな、たしかテケテケと被ってるやつ」
「カシマさんの『カ』は仮面の『カ』ってやつね」
「あ、俺も知ってます」
やっぱり改めて情報は揃えた方がよさそうだな。
「あと『さっちゃん』も被ってたよな、話すと夜に殺しに来るやつ」
それには恒人が首を傾げた。
「俺の知ってる『さっちゃん』はブランコに乗ってる時に童謡の『さっちゃん』を歌うと腕を斬られるってやつだったよ」
「俺が知ってるのもそっちですね」
明徳と違うと変な気分になるな、住んでるところが近いはずなのに。
「一度試したら腕に覚えのない切り傷があってさぁ、切断されなくてよかったよ、さすがにベース弾けないもん」
「問題にするところはそこか・・・?俺が知ってるのはバナナかバナナの絵を見せると逃げてくってやつだ」
「バナナも絵を描く道具もないねぇ」と恒人は苦笑する。
そうか、対処法を知ってるからって実行できない可能性もあるんだよな。
さっきみたいに特定の言葉を言えばいいのばかりでもないんだし。
「あとなんかあるか?」
ぴく、と恒人が顔を上げて廊下の方を見た。
「どうし・・・」言いかけた明徳も廊下の方を見て黙る。
「・・・なんだよ?」
「電話が鳴ってる」
恒人に言われ、俺は耳をすませる。
確かに遠くから電話の鳴る音がした、最近はすっかり見ない、黒電話の音。
俺達は顔を見合わせて肩を竦める。
「メリーさんですよね」
「メリーさんだよね」
「メリーさんだな」
誰が出るか、そもそもこんな状況で電話なんて出るか。
だいたい電話があるのって職員室だろうから入れないし。
「無視しよう、葉月の携帯にかかってくる可能性もあるけど、とりあえず無視」
さらりと怖いことを言って恒人は廊下の方から視線を外した。
「いや、とりあえず無視できないことを言うな。俺の電話にかかってきたらどうすれば・・・」
俺の携帯電話が着信を告げた。
もう最悪だ。
一応画面を確かめると4が並んだ実際にはあり得ない番号。
ぴ、と俺はなにも操作していないのに勝手に通話が繋がる。
『わたしメリーさん、いま昇降口にいるの』
「うわ、すげぇ!」
明徳がはしゃいだ声を上げた。
ある意味強いな、こいつ。
通話は勝手に切れた、どうすりゃいいんだよ。
救いを求めるように恒人を見ると思案気な顔で手招きされる。
どうしたのかと言えば三人で壁にくっついて座った、窓側の壁に。
目の前に置いた携帯電話は着信を告げては勝手に通話が繋がるのを繰り返している。
定番の話通り、メリーさんはどんどん近づいてきた。
『わたしメリーさん、いま教室の前にいるの』
廊下のすりガラスに人影はないけれど、ここで開けて確かめるほど阿呆でもないのでじっと待つ。
恒人の意図は分かってるけど、こんな間の抜けた方法で上手くいくんだろうか。
『わたしメリーさん、いまあなたの後ろ・・・』
ぶつ、と通話が途切れた。
ついでに何かが激突する音が窓の外からした。
「上手くいったんですかね?」
明徳が不安そうに俺を見る。
俺が答える前にまた着信、そうして勝手につながる通話。
『・・・おぼえてろよ』
恨みがましい声とともに電話は切れた。
メリーさんに恨まれてしまった。
「また踊り場に行ってみようか、向こうに進展あったかもしれないし」
今あった怪奇現象を綺麗に無視して恒人は笑う。
こいつも強いな・・・
廊下に出てしばらく歩き、ふと気配を感じて足を止める。
恒人と明徳が強張った顔を俺に向けていた。
まず振り返った恒人が身を竦めて固まる。
俺と明徳も振り返り、同じように固まった。
今まで誰もいなかったのに、背の高い女が立っていた。
赤いコートを着て、長い髪で、大きなマスクをした女。
手に持っているのは鉈だ。
鉈なんて初めて見た。
なるほど都市部に行くほど武器が小型化するならこんな田舎町では鉈になるのか。
もう慣れたはずなのに身体が震える。
女はマスクを取った。
めりめりとめりめりと皮膚が裂け、口が開いていく、めりめりと。
顔の上が反り返るほどに避けた口をさらし、口裂け女はつんざくような笑い声をあげた。
「わたし、キレイ?」
酷く歪んだ声が響く。
えっと、そうだ、べっこう飴!
いやポマード!ポマードって言わなきゃ!
凄まじい勢いで口裂け女が距離を詰めてくる、瞬間移動したような速さだ。
隣で明徳の悲鳴が聞こえ、振り上げた鉈が目の前にあって・・・しかしその状況がさっぱり分からず、俺は呆けてしまった。
口裂け女の大きく開いた口に、バスケットボールがすっぽりとはまり込んでいたのだ。
隣で未だ悲鳴を上げている明徳を横目で見た。
パニックを起こして投げたボールが、ナイスシュートだったってこと?
「が・・・・がっ!?」
口裂け女はどうにもならないらしい、すっぽりとはまり込んだボールに苦しんでいる。
鉈を落とし、手で必死でボールを取り出そうとするが無理。
「えっと・・・ポマード、ポマード、ポマード」
戸惑いがちに恒人が言うと、口裂け女は潰れた悲鳴を上げて消えた。
なんだろう、すごく悪いことをした気分だ。
「・・・行こうか」
「そうだね」
「そうですね」
持ち直した明徳と、苦笑している恒人が頷き、俺達は改めて踊り場に向かった。
こうも立て続けに出てこらると恐怖も殺がれる。
びっくり箱みたいな感じ。
まあ、鉈で斬りつけられたら死ぬからシャレになってないんだけれどもさ。
とにかく、と俺は両側の二人を見る。
クールな美貌を尖らせた友人と、子犬じみた顔が無邪気そうなメンバー。
この二人に掠り傷一つ負わせるわけにはいかない。
そもそもの発端は俺がボールを校舎に投げ込んでしまったことなのだから。
あれ自体がなにかの「お誘い」だったかもしれないけれど、俺の責任ってものがある。
どちらにせよ、一番年上の俺が責任を持たないと。
早く此処から出て、今夜のライブを無事に迎えたい。
☆
12時15分、浅葱君と玲央さんが校門の前にやってきた。
まずこちらの情報を伝えると二人して渋い顔をした。
「ここらに伝わる『草童』伝承はどれも同じ、遊んでいる子供の輪に見知らぬ子が混じり、それを気にせずに遊んでいると、その子を含めてもう一人が消える」
浅葱君は淡々と言って校舎を見上げた。
「それから・・・行方不明事件が起こりだしたのが5年前から、此処が廃校になったのは7年前でその後2年は伝承があるだけで行方不明者はでなかった」
「どういうことですか?」
晁直君の問いに浅葱君は首を振った。
「なにか条件があったんだろうね」
「俺からその情報に追加だ」
玲央さんが軽く手を上げて言う。
「近隣の住民に聞き込みをした、たしかに事件になっているのは5年以内だけれど、子供が消えることは学校が存続していたころからあったらしい、ただ事件にはならなかった」
「つまり・・・帰ってきてた?」
俺の問いかけに玲央さんが頷く。
「ああ、一時的に消えることはあったが、夜になれば戻ってくる程度のものだったらしい。行方不明になった側の子の証言によると『学校から出られなかった』ようだ」
「今の葉月達と同じ・・・」
晁直君はどこか脱力したように言った。
「つまり5年前、なにかきっかけがあったんだ。向こうとこちらが繋がらなくなるような何か・・・」
浅葱君は目を伏せて考え込む。
「そういえば・・・一つ変わったものを見た。子供が神隠しに逢った時、ここらでは鏡をつるすらしい」
「鏡・・・」
ヒントは鏡。
そういうことじゃなかったっけ?
「向こうとこちらを鏡で合わせられると入り口が繋がる、そういう伝承があ」
「それだっ!」
浅葱君の言葉を遮って俺は叫ぶ。
三人の驚いた視線が集まった。
「校舎の中の鏡だよ、ツネの側は鏡がいっぱいあるのに、こっち側は踊り場にしかない!ならこっち側もあるべき場所に鏡を置けばいいんじゃないのか!?」
浅葱君が唇を撫でて俺を見た。
「それは・・・いけるかもしれない」
そうだ、鏡で会話が可能なら鏡を増やせば繋がる!
単純かもしれないが、きっとそうだ。
「どちらにせよ、やれることはやったほうがいいからな」
玲央さんも同意してくれた。
「俺と玲央さんで鏡を集めてくる、大城君はこのことをツネ達に伝えて正確な鏡の位置を把握して欲しい、見落としているような場所もあるかもしれないから」
「了解!」
俺と晁直君は再び廃校へ向かった、踊り場にいてくれるといいんだけれどという思いで向かうと、それが通じたのかなんなのか、ツネちゃんは鏡の前にいた。
「無事か?」
俺の問いかけにツネちゃんは笑顔で頷く。
「はい、大丈夫ですよ」
「テケテケとかメリーさんとか口裂け女とか大変でしたよ!」
叫ぶ明徳君の腹に葉月君が肘鉄をかます。
「馬鹿野郎オマエ空気読めよ!」
「まあ、こちら側はあまり安全ではないんです、なんとか切り抜けてますけれどね」
苦笑した風な恒人に俺も苦笑を返す。
「じゃあ、鏡のある位置の確認・・・大城さん、筆記用具持ってます?」
「持ってるよ」
「明徳君、大城さんに伝えて地図作ってくれるかな?」
「はいっ!」
晴々した笑顔で明徳君が鏡に張り付かんばかりに寄ってくる。
驚くべきことに彼の頭の中では地図ができているらしく、俺は言われた通りに書き起こしていった。
それから明徳君が覚えている限りの鏡のある場所をチェックする。
「じゃあ、他の部屋を見てまわって報告しますね」
すっかり仕切られてしまって葉月君は少し困ったようにしていた。
彼は彼で責任感が強い。
まあ強くないとこんな職業やってらんないのだが。
「気をつけてな」
心配そうな晁直君に頷く三人。
階段を下りていくと鏡はただの鏡に変わる。
「なんか・・・歯痒いっすね」
晁直君がそう俯いた。
「ああ、なにもできないからな」
手出しできないのは確かに歯痒い、今、そう今この時に危ない目にあっているかもしれないのに。
「とにかく、この方法が正解だってことを信じよう」
「なんか・・・すみません」
「なにが?」
「廃校を見つけたのは明徳だし、ボールを投げ入れたのは葉月ですから」
「なに言ってんの、あの坂上ったらどっちにしろ見つけてたし、ボールは偶然・・・いや、バスケやろうって言ったの俺だろ?気にするなよ」
「・・・・・・・」
「心配なのはどっちもなんだし、今はこっちでできることやろうぜ。他に鏡がないかチェックしなきゃ」
「そうですね・・・」
外見のせいで勘違いされやすいが、晁直君はなかなか繊細にできているようだ。
まだ若いしなぁ。
俺達は改めて校舎内の探索を始めた。
☆
「じゃあ改めて一部屋づつ見て行こう、職員室以外な」
俺は廊下を進む、日が差し込んでそれを埃が反射してキラキラ光っている。
「そこが図工室です」
「鏡はありそうだよね」
手をかけて中に入る。
「図工室って・・・なんか怪談あったっけ?」
俺の言葉に恒人は首を振る。
「石膏の像が動くとか?でもらしきものもないし」
図工室はがらんとしていた。
作業用の大きな机が並んでいるばかりだ。
動きだしそうな石膏像もない。ただ、机の並びと幅を考えると何かから逃げるには不向きな場所だ。
「あそこに鏡が一つあるだけだね」
黒板の脇に小さな鏡がある、他は見当たらない。
三人で離れないようにあちこち見てまわったが他にはなさそうだ。
「じゃあ次の部屋・・・」
振り返って気づく、なにか・・・異様に背の高い女がいつのまにか室内にいた。
口が裂けている、しかし口裂け女とは違って「切り裂かれた」といった感じだ、皮膚が引きつってぱっくりと割れている、目も同じようにこめかみのあたりまで切り裂かれていた。
なんだ?
こんなの知らないぞ?
戸惑いで、未だこちらを向いている二人に警告を発するのが遅れた。
「・・・っ!?」
一瞬だ、一瞬で距離を詰められた。
次に女に視線をやった時には、片手づつに二人の頭を鷲掴みにしていた。
「・・・・・・な!?」
明徳が視線をやり、悲鳴を上げる。
窓を震わさんばかりの悲鳴だったが恒人が動かない。
気を失ったのかなんの反応もしない。
「オマエは・・・なんだ!?」
俺の問いに女が顔を上げる。
「私の顔は醜いかぁぁぁぁっ!?」
裂けた口の皮膚をひきつらせ、女が甲高い声で叫んだ。
知らない・・・。
こんな都市伝説もお化けも知らない。
でも・・・
女と目が合う。
なんとなくだが、話が通じそうな気がしたのだ。
女の目は、何故か俺に向けられる時に正気を取り戻しているようだったから。
「その二人を放してくれ、俺の友達なんだ」
明徳は悲鳴を上げるのをやめて窺うように女を見る。
恒人はやはりぴくりとも動かない。
「・・・鋳型」
女がそう呟く。
「この世界で形を保てないから鋳型に嵌る、私の鋳型はこういう時・・・」
微かに女が笑った気がした。
「殺さなくていいんだ・・・」
女はふっと掻き消えて、明徳と恒人がその場で受け身を取って転がる。
つーか意識あったならリアクションしやがれ!肝が冷えた!
「なんだったんですか、今の」
呆然としている明徳の傍による。
「怪我は?」
「あちこち打ちましたけど、大丈夫です」
恒人に視線を向けるとクールな顔のまま頷く。
「同じく、衣装で隠れる位置だから問題ない」
「言っておくがオマエの怪我に対する基準、オカシイからな」
下手に暴れると危険だと大人しくしていたところは冷静かもしれんが、オカシイっての。
「しかし、なんだったんだ・・・」
「ひきこさん、だね」
恒人は立ち上がり、ついでに明徳に手を貸して立たせて言う。
「だいたい分かったかも」
「ひきこさんはごく最近ネット上で生まれた都市伝説だよ。口裂け女みたいな知名度はないけれど、一部じゃそこそこ話題になった。ひきこさんに捕まると死ぬまで引きずり回される」
「じゃあ、なんで俺らは助かったんだ?」
「言いにくいんだけど」と恒人は俺を見る。
「退散する呪文を言ったわけでもないのに撃退できたなら理由は・・・いじめられっ子は襲わないから」
「・・・ああ、なるほど」
俺は確かに子供の頃一時期だかいじめられていた。
だから俺を見てやめたのか。
「鋳型と言ったね」
そこに深く突っ込みも慰めもしないあたりさすが友達というか、俺の気持ちを考えてくれているな。
「おそらくここは『異界』で『神隠しの領域』なんだ、そこで人間が長期間形を保つことはできない、だから自分に見合う『都市伝説』や『怪談』の形を取るんだ」
「えと、音楽室の女の子はもともとピアノ上手な子だったから、この空間では『音楽室のピアノの霊』ってことですか?」
「たぶんね、そうしてみんな『都市伝説』や『怪談』をなぞる。ピアノの子の場合は演奏をちゃんと聞かなかったら俺達を殺さなきゃいけなかったんだと思うよ」
そういえば、そんなようなことを言ってたな。
「じゃあさっきのひきこさんは?」
「神隠しにあった誰かがひきこさんに成りえる要素、いじめられてたとか、そういうことがあったんだろうね」
「此処にいる子達はむしろ・・・殺したくない?」
「たぶんね」
恒人は軽く頷く。
「とはいえ対応は今まで通りだよ、鏡のチェックを続けよう」
俺達は図書室に移動した、さすがに此処に鏡はないようだ、と思っていると明徳がいきなり言う。
「伏せてください!」
鋭い声と共に頭を押さえつけられ、三人で埃っぽい床に伏せることになった。
「なんだよっ!」
「あれ!」
「・・・あらら」
カウンターに二宮金次郎の像がいた。
「・・・・・・マジっすか」
言ってあっただろうがこの図書室は本がないのだ。
だから伏せたところで本棚の構造上丸見えなのだ。
やばいんじゃないか?
危害を加えてくるタイプのとそうでないのがあったと思うんだが、アレはどっちだ?
俺達の位置から見える、二宮金次郎の後姿。
薪の数を数えると呪われる・・・なんてのが俺の学校じゃ定番だったが。
本を投げつけてくるとか色々バリエーションがあった気がする。
不安げな俺に恒人は人差し指を立てて頷く、そうだな・・・とりあえず静かにしていよう。
まだこちらに気づいた気配はないし。
二宮金次郎はカウンターに本を置き、ず、ず、と音を立ててそのまま図書室を出て行った。
俺達は深く息を吐いて、伏せからお座りの態勢に変わる。
「あっぶなかったっすねぇ、しかし携帯あったら写メ撮ったのに」
明徳はそんなことを言っている。
「まあ、心霊写真というか妖怪写真撮り放題だよね」
恒人は笑顔で答えた。
コイツの対人関係におけるメンタル狂ってるよな。
変な奴に捕まったら奴隷扱いされそう。
「そういえば二宮さん、本を置いていったよね」
「知り合いみたいに言ってんじゃねぇよ」
しかし『動く二宮金次郎が置いていった本』というのは俺も気になるので恒人と一緒に立ち上がった。
明徳は捨て犬のような目で俺を見上げて慌てて立ち上がる。
カウンターに移動すると本が置かれていた、石ではない、紐で閉じられた本だ。
「・・・開くぞ」
一応そう予告してから表紙を開く。
持ち出し禁止の赤い判子が押されていた。
「この時点でもう怪談だね」
「ああ、持ち出し禁止の本を持ち出すと呪われるとかいうやつっすね」
「ならここで読めばいいだろ」
俺が言うと、恒人と明徳が同時に吹き出した。
「なんだよ!?」
「葉月って可愛い」
「可愛いですよね」
なんなんだこいつら!!
今、可愛いって言葉に包んで俺を馬鹿呼ばわりしただろ!?さすがにそれぐらい分かるぞ!
「んで?読んでいいんだよな」
尊大に言ってページを捲る、手がかりかもしれないのに放置できないし。
それは一言で言うならば遺書だった。
この地方に伝わる、草童。
大人たちから散々に注意され、私自身が大人になれば子供たちに伝えてきた物語だ。
口裂け女が流行した理由の一つに「子供を塾に通わせる金のない親が子供に塾を諦めさせるため」というものがある。
怪談は大なり小なり子供の教育に役立つものだ。
まだ小さな子が不用意に触れれば危険な物、ピアノやホルマリン漬けのカエルなどに怪談を添えて近寄らせないようにする。
過剰な怪談の流行は萎縮になってしまうため歓迎できないが、適度な流行は子供たちを危険から遠ざけるのに役立つ。
くみ取り式の便器は幼い子供にとっては危険だ、かといって幼児のように先生が付き添うわけにもいかない。
ならば子供同士固まって行ってくれれば何かあった時に対応が早いし、緊張していれば「うっかりの事故」を防げるのだ。
私にとって怪談とはそういうものだった。
二宮金次郎に怪談を添えるだけで、像に悪戯するものはいなくなるのだ。
まあ、一部のやんちゃ坊主共には逆に働いてしまうこともあるけれど、反省させる時に「呪われる」の一言は効く。
子供にとって怪談は身近なもので、実在するものなのだ。
草童もそんな怪談の一つなのだろう、遊びに夢中になって帰るのを忘れないように。
そう思っていた、こんなことになるまでは。
私は今、学校に閉じ込められている。
外に出ることはできない、どうやってもできない。
まるで時が止まったように、日が暮れることもない、音もしない校舎の中にいる。
これを読む人が知り合いでないことを想定するならば書き忘れていたが、私はこの学校の教師をしていた甲田一という者だ。
夏休み、この校舎を懐かしんでやってきた児童と一緒に中に入り、閉じ込められた。
辛いがその児童のことを書かなければならないだろう、雪村織江という児童。
彼女は廊下で赤マントに切り殺されてしまった。
何故か死体は消えた。
その後、音楽室のピアノの前で見つけた。
『ピアノを弾く幽霊』になって。
どうやら演奏を最後まで聞かねばならなかったらしく、ピアノに指を食いちぎられてしまい、まともに話もできなかった。
傷は止血したが、医者に見せなければ危険なレヴェルの怪我だろう。
しかしもういい、脱出は諦めている。
校舎に入る前、ちらりと木の陰に見知らぬ子供を見た気がする。
あれが草童だったとするのなら私達は神隠しに逢い、ここは神の領域なのだろう。
そうして神の領域で人間は人間ではいられない、止血しても流れ出ていく血と共に、自分が自分でなくなるのがよく分かる。
鏡を見ると私の年齢は後退し、首を一周するように蚯蚓腫れができている。
雪村織江はピアノが得意な生徒だった。
そして私は子供の頃サッカー少年だった。
きっと『自分の首でリフティングする霊』になってしまうのだ。
もしもこれが元の世界に戻らないとしたら、読んでいるのは私と同じく神の領域に取り込まれた人なのだろう。
子供であることを考慮して、全ての文字にふりがなを振っておいたけれど、意味が伝わらなかったら申し訳ない。
草童は春から秋までしか現れない、つまり座敷童というよりは河童であり、山童なのだ。
ただ、今は出口が開かない。
出口は現世から準備してもらわなければならない、鏡を揃えなければ出られない。
その方法がない以上、私はここで異界の学校にふさわしい存在に変質するのだ。
これを読んでいる人、もしも鏡を向こうで準備してもらえるのなら一つ、注意してほしい。
こちらの世界の中庭の祠には御神体がないのだ。
あそこに鏡を置かない限りおそらく完全にはならない。
一つ、赤マントの対処法を書いておこう、あれは廊下にしか出られないが、一度目をつけられるとしつこく追いかけてくる、だが
後半にいくと、血痕が紙に染み、そして中途半端なところで終わっていた。
しかしこれはずいぶんと有益な情報だ。
あのピアノ少女の名前から、此処を出る明確な方法まで分かったのだから。
「やまわらし?ってなんですか?やまどう?」
首を傾げている明徳に恒人が言う。
「ヤマワロだよ。河童と山童は同一視されていて、春の彼岸に里に下り、秋の彼岸に山に帰ると言われてるの」
こいつって妖怪マニアかなんか?
「そして山童は天狗でもある、なるほど神隠しが起こるわけだよ、神隠しの別名は天狗攫いだからね」
「じゃあこれはやっぱり神隠しなんだな」
頷く俺。
残りの鏡を探そうと図書室から出てから気づく。
「そういえば結局、赤マントの対処法は書かれてなかったな」
「・・・そうだね、っていうか」
恒人が前方を指さす。
「あれってたぶん赤マントだよね」
「うひゃああああ!!」
明徳が妙な悲鳴を上げた。
少し先の廊下に立つ、マントを羽織って仮面を被った男。
まあ・・・赤マントだよね、アレ。
次から次へと、お化け屋敷だってもっと余裕あるぞ。
「赤いマントと青いマント、どっちがいい?」
木造の廊下に何故か反響するように響く声。
「こ、これってどっち答えてもアウトでしたよね」
明徳が俺の袖を引く。
「ああ・・・別の色答えるとどうなるんだっけ?」
「連れ去られる」
恒人が簡潔に答えてくれた。
ありがとう。
気を抜いたつもりはない、でも一瞬で赤マントは俺達の目の前にいた。
背は見上げるように高い。
マントに覆われた身体は中身がないかのように、浮いているかのように現実味に欠けた。
「赤いマントと青いマント、どっちがいい?」
「ひっ・・・」
掠れた悲鳴を上げる明徳の手を引っ張り恒人と一緒に図書室に戻る。
廊下にしか出られない、でもしつこく追いかけてくる・・・どうすればいい?
「ど、どうしましょう」
恒人はまたあの遺書を開いていた、血が滲んで読めない部分に目を凝らしている。
「赤って言ったら切り殺されて、青って言ったら首を絞められるんだよな?対処法・・・なんかあったか?」
俺の問いに明徳は涙目で首を横に振る。
図書室は端にあって広い、廊下に続くのは扉だけですりガラスに赤マントの影が映っている。
「倉庫、この人、倉庫にいるって・・・倉庫に行けば会えるし、もしかすると対処法が聞けるかも」
本を見ていた恒人が言う。
「明徳君、倉庫の位置は?」
「近いほうの階段を下りてすぐです・・・」
「よし、じゃあ俺が赤マントを引き付ける、その隙に二人は倉庫へ向かって。遠い方の階段から下りて俺も合流するから」
「ふざけんな、何言ってんだよオマエ!」
俺が怒鳴ると恒人は真っ直ぐな視線を向けてきた。
ライブ中みたいな真剣な顔。
「危険なのは分かってるよ、でも俺はできないことをやるって言ったりしない」
「・・・・・・」
「俺なら振り切れる自信がある。場所を知ってるのは明徳君だし、葉月の足じゃ無理。俺ならなんとかできると思ってるからやる。だから葉月は絶対に対処法を見つけて」
「か・・・かっこいい・・・」
と呟く明徳を引っ叩いて頷く。
「分かった、それでいい」
図書室のドアを開けるなり、恒人は抱えていたスケボーに乗って飛び出した。
オマエはコナンか!ってぐらいのスピードを出して突っ切る恒人の後を赤マントが追いかけていく。
角を曲がって見えなくなったところで、俺と明徳は飛び出して階段を駆け下りた。
大城さん達がいるのは向こうの姿見だから、恒人が赤マントに追いかけられているところを目撃するはめになるかもしれないが・・・今はとにかく倉庫に向かわねば。
心配だが、大丈夫だろう、ヤバくなったら教室に逃げ込むと言う手段もあるわけだし、広いが迷うほどでもない。
俺と明徳は倉庫へ駆け込んだ。
そこにはちゃんと『自分の首でリフティングする霊』がいた。
ユニフォーム姿の少年だ。自分の首でリフティングしてるのはさすがに凄惨な光景ではあったが。
「甲田・・・一さん?」
俺が声をかけると淡々とリフティングしていた少年がスイッチが入ったように人間らしい表情でこちらを見る。
まあ、首と胴体が別なのでそれでも怖いんだが。
甲田一は自分の首を持って言う。
「僕の名前を知っているということは、僕のメモを読んだのか?」
「ああ、そうだ」
「学校から出られない?」
「そうなんだが、それより前に」
焦って舌が回らない俺の代わりに明徳が言う。
「友達が赤マントに追われてるんです!どうすればいいですか!?」
「そういうことか」
と首は目を細め、たぶん繋がっていたなら頷いていたであろう表情を浮かべた。
「焦らなくてもいい、色を答えない限り襲っては来ないし、退散させるのは今なら簡単だ。その友達はどこに?」
「こっちに向かってます!」
「なら、廊下に出よう」
意味も分からないまま、俺達は甲田一と廊下に出た。
ジャストタイミングで恒人が角を曲がって現れる、その背後ギリギリに赤マントがいて・・・しかしそれは完全に姿を見せる前に掻き消えた。
唖然とする俺達の前にスケボーで突っ切ってきた恒人が到着して後ろを振り返る。
「・・・消えた?」
「ああ、此処では二つ以上の怪談は同時に存在できないんだ」
「甲田一さん?」
「よろしく。名前を呼んでもらえると自我が戻るらしい」
「そうですか、助けていただいてありがとうございます」
「いや、久々に自分を自分と認識できて嬉しいよ、悪夢から覚めた気分だ」
抱えた首がにやりと微笑む。
それはやっぱり怖くはあったが・・・
「あれ?花子さんと人面魚は同時でしたよね?」
早々に甲田一の外見に慣れたのか明徳が言う。
「此処に存在する化け物には2タイプある、元が人間なものとそうでないものだ。人面犬や人面魚は元が人間じゃないから、同列に存在できる。僕も取り込まれただけで詳しく知っているわけではないけれど・・・存在している次元がズレているのかもな」
甲田一は笑って言う。
「これからは僕がつきそうよ。そうすれば他の怪談に遭遇することはない」
俺達はこっちの事情を全部話し、廊下を甲田一と共に歩いていた。
「動く人体模型や二宮金次郎も元は人間じゃないが、元が人間じゃないものは此処では危険度が低いんだ。鏡の件も上手くいっているようだし、君らは無事に帰れるかもな」
「あの、甲田さんが帰るのは無理なんですか?」
「無理だろう、此処で一旦死んでるんだからな」
恒人は酷く悲しそうな顔をして、甲田さんがそれを見て笑う。
「気にするな、生死の概念すらもう希薄だ。僕は『自分の首でリフティングする霊』でしかない。今は一時的に甲田一としての自我が戻っているだけのこと」
「あのぉ」と明徳が声を上げる。
「死ななければ取り込まれないってことは、他に生き残りがいる可能性はないんですかね?」
「ない。怪談に殺されなくても水すら補給できないんだから2日ももたない」
「あ・・・そりゃそうですね」
そりゃそうだ、いつなにに襲われるかもしれない極限状態で、出られるかも分からない不可思議状態で、なにも口にできないんだからな。
寒いぐらいだけれど充分喉は渇いたし。
「葉月さぁん」
情けない顔で見上げてくる明徳を睨み返すと情けない顔をされた。
「トイレ行きたいんですけど」
「はぁ!?さっき行っただろ」
「いや、大きいほう・・・」
「この状況で個室はいる勇気あんの!?」
「しょうがないじゃん、生理現象なんだし。それに甲田さんがいれば大丈夫なんでしょ」
恒人のフォローに甲田さんが抱えた首を自分で動かして頷いた。
・・・シュール。
「元が人間じゃないのの怪談は保証しないが、男子トイレは大丈夫だろう」
保証はないけれど大丈夫なようなので俺達はトイレに向かう。
明徳が個室に入ったのを見送って黙って待つ俺と恒人+甲田一。
しばらくして、明徳が青い顔で出てきた。
「なんか便器の中に丸い人がいて睨まれました・・・」
「ああ、いつもいるやつだ、気にするな」
甲田一はあっさりと言う。
心強いが、こっちの非常識空間になじんでるんだな。
踊り場の鏡の前で大城さん達に状況説明。
しかし不思議なことに、大城さん達には甲田一が見えないらしい。
さっきも恒人がスケボーで階段の手摺を滑り降りるところは見たが、赤マントは見えなかったようだ。
「いや、手摺を滑り降りたって・・・スケボーやってたけどちょっとできる程度って言ってなかったか?」
俺の突っ込みに恒人はしれっと答える。
「火事場の馬鹿力?」
ふざけんなと言おうとしたところで鏡の向こうで大城さんが笑顔。
「ツネちゃんのちょっとできるは、基本は一通りできるって意味だから」
「・・・うぜぇ」
マジうざいこいつ。
「とりあえず鏡のチェックはこれでOKだね、この場所に鏡を設置するよ」
大城さんは心なしほっとした顔だ、晁直さんもほっとした様子。
俺達は一旦、踊り場から離れた、あの場所は甲田一さんがいてくれるとはいえ、安全性が低い。
動く○○系のとかに遭遇しないとも限らないからな。
手近な一般教室に入って少し待つことにした。
「鏡のサイズは問わないんですよね?」
恒人に言われて、甲田一はまた首を動かして頷いた。
「ああ、鏡が同じ場所にあればいい、ただ・・・一つ忘れているぞ。中庭のお堂の鏡がない限り完璧じゃない。むしろあれが重要な鍵なんだ」
・・・・・・あれ?
それってどうしようもなくない?
どっかの鏡を移すわけにはいかないんだし。
「どれかの鏡を割って破片を置くのはありですか?」
明徳の質問に、甲田一は自分の首を横に振るように動かした。
だからシュールだっての。
「此処の鏡は割れない」
「じゃあどうすれば!?」
「知らんがな」
・・・どうすんの?
☆
浅葱君と玲央さんが戻ってきたので、俺達は地図にメモした場所に鏡を設置する作業を始めた。
勿論、学校に設置するような大きな鏡はないので、壁に掛けられるタイプの鏡を大量購入してきたわけだ。
俺と浅葱君、玲央さんと晁直君に分かれて設置、俺達は一階を晁直君達は二階。
地図を写メしたものを頼りに鏡を掛けて行く。
「問題は・・・お堂の鏡か」
浅葱君が苦々しく呟く。
「代用できるものを探すって言ってたし、俺らには見えなかったけど、甲田一さんがいるから大丈夫だとは思うけれど」
その代用できるものがなかったらどうなるんだろう、そこは不安だけれど。
「それで、草童はヤマワロ?」
「座敷童とは別物だったみたいだね。座敷童はいると家が栄える、出ていくと没落するというものなんだけど。なんでそれが混同したかといえば『学校に出現する子供の姿のモノ』だったからだと思う、岩手県の小学校で『子供にしか見えない子供のナニカ』が目撃されたんだ、低学年の子にしか見えなかったみたいだよ」
「うん?それって座敷童なの?学校が栄えたとか?」
「うーん、そもそも東北地方では『子供の姿のナニカ』がイコールで座敷童だったと思うんだよね。この草童は人を攫うと言うか消すわけだから違うなぁってのはあったんだよ。座敷童は悪戯はするけど人は攫わないからね。出て行った家が食中毒で全滅したなんて話はあるけれど」
トイレに鏡を掛け終わり、次の部屋に向かう。
あまり意味はないかもしれないが、喋っていないと不安に押しつぶされそうだ。
「家の守護者としての妖怪なり妖精ならなにも日本に限らない、ロシアのキキーモラも一部では少女の姿をしているし、家事を手伝ったり、家を守る妖精は世界中にいる」
「神隠しってのも世界中にあるの?」
「あるよ、もちろん神の概念が違うけれど。妖精の世界に踏み込んだとかそういう解釈になるね」
「だからって実際に起こるとはなぁ」
「こうも具体的だとね」
浅葱君は困ったように笑う。
「ただの行方不明じゃ、警察だって動いてくれないし」
「三人とも立派に成人男子だもんな」
「場所柄、遭難の可能性あり、三人まとめては異常と判断してもらえればともかくだけどね」
チェックの入った場所に鏡を掛け、床を踏み抜かないように気を付けて奥へ進む。
酷く蒸し暑くて、ヒグラシの声が煩かった。
早く恒人に会いたいなぁ、きっとしれっとした顔をして、でもその裏で溢れんばかりの感情を隠して、また俺の斜め前でベースを弾いてくれる。
今夜はライブだ、恒人のベースがなければ俺のドラムは始まらない。
「座敷童と混同されたのは名前の問題もあったと思うよ『くさわらし』だったから。これが『くさわろ』だっら山童を先に思い浮かべたもん」
「確かにな・・・んで、山童は天狗と同じなんだっけ?」
「同一じゃなくて、混じってる部分もあるってとこかな。山で起こる怪現象は主に天狗の仕業にされるから」
「怪現象?」
「木が割れる音なら『天狗倒し』、石が落ちてきたら『天狗礫』、人が消えたら『天狗攫い』一見して不可解なものを天狗の仕業としただけ。山童も似たような悪戯をするから」
鏡はだいぶかけ終わって、あとは三分の一か、地図をよく見ないとどの教室も空だから特別教室も区別がつかない。
音楽室に入ったががらんとしていて底が所々抜けていた。
うっかり踏み抜かないように気をつけて、恒人のほうでは鏡がかけてある位置に移動する。
明徳君の空間把握能力プラス記憶力が素晴らしく役に立っていた。
「砂かけ婆っているでしょう?あれって鬼太郎のビジュアルで固定しちゃってるけど、本来は竹林や林で頭上から砂が降ってくるってだけのことなんだよ」
「そうなの?ってっきりお婆さんが砂をぶっかけてくるのかと思ってた」
「『砂まき狸』っていうものいるけど、こっちで考えると簡単な理由なんだけどね」
なんかどんどん話がマニアックになってないか?
「どういうこと?」
「狸には砂浴びの習性があるし、木にも登る」
「ああ・・・なるほど」
木の上に狸がいて、そこから砂が落ちた・・・ってことね。
「神隠しもなんかそういう理由が?」
「まあ、行方不明だよ。大抵は山に入って消えるんだから。消えるのも子供か、精神的に不安定な人だもの。メンタルな病気に理解のない時代だったらそうなるんじゃない?」
「じゃあツネちゃん達は・・・神隠しされる理由でもあったのかな?」
俺と晁直君が助かったのはあの時に学校を出たからだけで、俺達もまとめて取り込まれる可能性もあったかもしれないけれど。
5人消えたらさすがに事件扱いかな。
「クリエイティヴな才能は紙一重・・・ってことかもね」
浅葱君は苦笑する。
「あるいは三人とも純粋で美しい子供のような心の持ち主だから・・・」
「先に言った理由の方でいいよ」
素で恥ずかしいことを言う浅葱君を止めた。
葉月君にその台詞向けてみろ、酸欠の金魚みたいに口パクパクさせて真っ赤になるぞ。
鏡を掛け終わったらあと残る問題は一つ、お堂の鏡をどうするか・・・だな。
☆
教室でぼんやり待っていた時に恒人が言う、ずっと考えていたことをようやく口にしたという顔だ。
「あの、甲田さん・・・」
「なんだ?」
抱えた首が喋るビジュアルに未だ慣れないんだけど。
「音楽室にいる女の子は甲田さんの教え子なんですよね」
「僕は倉庫から出られなかったが、変わってなければおそらく教え子である雪村織江だろうな」
「じゃあ、その子も名前を呼べば一旦は解放されるんじゃないですか?」
「理屈上はな」
恒人が言いたいことは分かった、あの雪村織江を一時でも解放したいのだろう。
その指摘を受ければ俺だってそうしてやりたい。
「しかし僕がいると雪村織江・・・ピアノの霊は出現できないぞ」
「離れていれば問題ないんですよね?」
「僕が此処から動かなければ、音楽室で出現することはあるはずだ・・・しかしエンカウントだからな」
甲田一は渋い顔をした、こうして見れば外見年齢とちぐはぐだ、本来はもっと歳で俺達より年上なのかもしれない。
「赤マントもエンカウントですか?甲田さんから離れたら遭遇するってことでもない?」
「ああ、エンカウントだ」
「じゃあ、俺だけちょっと音楽室見に行ってきますよ」
恒人が笑顔で立ち上がるので俺は背中を蹴り飛ばした。
「このド阿呆!!」
「なにすんだよ!!」
「蹴られた意味が分からないなら本物の馬鹿だぞオマエ」
きゅっと唇を噛んで恒人は俯く。
「助けられるなら助けたいけど・・・これはそうじゃないだろ・・・」
「でも・・・」
俺は深くため息をついた。
もう全力でウザイわ、このオトモダチ。
「甲田さん、明徳と此処にいてもらえますか?それなら安全なんですよね」
「葉月さん!?」
焦る明徳の額を指でつついて俺は笑う。
「ちょっと音楽室まで恒人と一緒に行ってくるだけだ、危なくなったらすぐ戻ってくるよ」
甲田一は苦笑したようだった。
「雪村織江・・・だ、名前を呼べばいいだろう。彼女は彼女でなにか知ってるかもしれないしな」
てけてけが、口裂け女が、花子さんが・・・みな元は人間なら戻してやりたいと思うのが人情だろう。
たとえそれが一時のものでも、自己満足と呼ばれても。
今の世の中は優しさを自己満足や自己憐憫という枠に押し込めたがるが俺はそうは思わない、他人のために純になにかをしたいと思う心は確かに存在するのだ。
やらない善よりやる偽善?自らの手を持って実行に移すならそれが紛れもない「善」なのだ。
そう思えるから、そう思えたから俺はこの阿呆と友達でいるし、俺もそんな気持ちを素直に出せるようになった。
なんとかしたい、悩んでる人を苦しんでる人を助けたい。
その心は誰に否定されるものでもない。
そんな思いが通じたとは言うまい、でも音楽室からピアノの音が聞こえた時、万歳をしたいような気持になった。
俺と恒人は音楽室の前に並んで演奏が終わるのを待つ、そうしてゆっくりと扉を開いた。
ピアノの前に座る少女に声をかける。
「雪村織江ちゃん」
雪村織江は驚いたように振り返り、それからわずかに濃くなった自分の身体を見て俺達のほうへ駆けてきた。
「なんで私の名前・・・」
「織江ちゃんを待ってる人がいるんだよ」
恒人に微笑まれ、雪村織江は呆然とした顔のまま頷いた。
甲田一と雪村織江、先生と生徒の再会を俺達は戸の外で待った。
二人で話したいこともあるでしょうと言ったのは明徳で、俺達はしばし、廊下に待機。
「お前らは・・・いい奴らだよ」
そんな俺の呟きに、恒人と明徳は照れたように笑う。
「葉月さんに褒められるとか、嵐が来そうですよ」
「だよねぇ、嵐になるよ」
「うっせぇよ」
甲田一と雪村織江が出てきて俺達に一礼する、異界に取り込まれ怪談と化した二人がどんな会話をしたのか、知らなくてもいいんだろう。
「雪村君が君たちに話があるそうだ」
甲田一に促され、雪村織江が言う。
「私のところには神様が偶に遊びに来てたの、中庭のお堂の神様」
「それが・・・草童?」
恒人の問いに雪村織江は頷く。
「神様はお兄さん達を外に出したいって、いつも間違いで人を自分の世界に取り込んでしまって、本当は皆を出したいって。お兄さん達は外の協力もあるから出られるって、それで・・・」
雪村織江は小首を傾げて俺を指さす。
「お兄さんは鏡を持っているからって言ってたよ」
ポケットをひっくり返して調べても、俺の持ち物はスマートフォンとべっこう飴だけだった。
悩んでいるうちに晁直さん達は鏡を掛け終わったらしく、どの鏡でも会話が可能になった。
向こう側は校舎がボロいらしく結局は最初の姿見の前に集まることになったが。
ガラスを隔てたような向こうの光景を見ながら俺達は会話を交わすが、お堂の鏡の代わりになるものが分からない。
「お堂に祭られてるのが草童なら鈴をくれたのも草童だろ、だったら葉月君が鏡を持っているっていうのも間違いじゃないと思うんだけど」
大城さんにそう言われたが分からないものは分からない。
でもあとはもうお堂に鏡を置けば完成なのだ、必死で頭を捻る俺に浅葱さんが言った。
「ねぇ、葉月君が使ってるスマホってどんなの?」
「これっすけど?」
差し出してみせると浅葱さんは手を叩いた。
「それだよ!」
「は?」
「鏡のアプリが入ってるはず!」
「・・・あ!!」
俺は自分のスマホを弄る、確かに鏡のアプリが入っていた。
スマホの画面が鏡になるというアプリだ。
「これなら・・・いける!!」
スマホの存在自体知らない甲田一と雪村織江は首を傾げていたけれど、俺達は姿見越しにハイタッチを交わし合った。
「さっそく行ってきます!!」
中庭にある小さなお堂、そっと扉を開けると台座だけが残っていた。
そこにアプリを起動させ、画面が鏡になったスマートフォンを置く。
これで上手くいくのだろうか、ドキドキしながら両側にいる恒人と明徳の手を握った。
甲田一と雪村織江もじっと見守っている。
ごう、と風が渦巻いて夏草の濃い香りがした。
風の強さに目を閉じたとほぼ同時に蝉時雨が降り注ぐ。
皮膚を焼くような日差しと蒸し暑さが蘇る。
俺はそっと目を開けた。
朽ち果てた中庭で俺達は手を繋いで立っていた。
「・・・帰って来られたのか?」
顔を見合わせていると校舎の扉が開いて玲央さん達が駆けてきた。
名前を何度も呼ばれ、めちゃくちゃに皆にハグされながらようやく実感が湧く。
俺達は帰ってきたのだ。
「おめでとう」
鏡の中から甲田一の声がする。
「雪村君が僕の名前を覚えていて、僕が雪村君の名前を覚えているから、君たちがいなくてもどうやら自我が保てるらしい」
しかしその声はボリュームを絞るように小さくなる。
「だから僕たちは此処に迷い込んで来る人たちの案内人になろうと思う・・・ありが」
鏡からの声はぷつりと途切れた、浅葱さんに抱きしめられたままの恒人が微かにうるんだ目で俺を見たので頷き返す。
闇の者となった人間が常世に帰ることは入り口が繋がっても不可能なのだろう。
それから俺達はこっそりと廃校を出て、ホテルの傍の定食屋に入った、おごりだと言う玲央さんに甘えて遅い昼食をがつがつ食べた。
すきっ腹にかつ丼を流し込んでなんだかすごく生きてるって充実感。
明徳もすごい勢いで食べていて、それを玲央さんが微笑ましそうに、晁直さんは苦笑しながら見守っていてくれる。
恒人は浅葱さんと大城さんに挟まれて過剰なほど世話を焼かれながら嬉しそうだった。
「なんか悠介さんだけ仲間外れみたいですけど、悠介さんにはどう説明するんですか?」
明徳がそんなとぼけたことを言った。
「仲間外れって小学生かよ。信じてもらえると思うならオマエが話せ、俺は御免だ」
「えー・・・でも・・・」
「俺から話すから、今はとりあえず食え」
男前な回答をする玲央さん。
お父さんと呼びたいぐらいだ。
恒人はざるうどんをちまちま食べながらあまり元気とは言い難い様子だ。
「ウチは英ちゃんと涙ちゃんにどう説明する?」
「ありのままに話せばいいでしょう。どうして呼ばなかったって怒られちゃうかもね」
両脇のお兄さん達はそんな会話を交わしながら恒人を気遣っている様子。
落ち込んだ末っ子を優しい目で見て浅葱さんは言う。
「ねぇツネ。草童は神様で、神様と人間の価値観は全く別物なんだよ」
「価値観が別物?」
「命に対しても、時間に対しても。日本の神様はそういう隣人なんだ。だからって何を諦めるわけでもない、俺は恒人達が戻って来てくれて満足だし、恒人達はできること全部やったと思うよ。今回のことは誰も悪くない、みんな頑張った」
幼い子供にするようによしよしと恒人の頭を撫でる浅葱さんに俺はくわえた箸を噛む。
ちょっと泣きそうになったからだ。
「此処は神隠し伝承のある土地で、ずっとずっと昔から時々人が消えていた。だからお堂に神様をお祀りして慰撫した。学校が建って、お堂は残したけれど何かの拍子に向こうとこっちが繋がりやすくなった。でも学校が機能していた頃は鏡って言う出口があったから行方不明になってもすぐに帰って来れた、廃校になって鏡が外されてから出口が塞がった。そんなところに偶々迷い込んだけれど、神様もかつて取り込まれた人たちもツネ達を帰すために力を貸してくれた。そうして今、皆無事に此処にいる。この結末で・・・最良なんだよ」
きゅっと唇を噛み、恒人もまた涙をこらえて頷く。
俺の隣でなんの遠慮もなく明徳が泣いていたので頭を叩いたら、俺は玲央さんに叩かれた。
イベントライブは大盛況のうちに幕を閉じた。
俺はなんだか感極まってしまってハグ祭りを決行し、よく知らない人からは引かれ、知り合いからは「壮大なデレ期突入!?」と呼ばれた。
そしてライブ後、恒人の部屋に遊びに行こうとしたら明徳がくっついてきた。
「仲間外れにしないでくださいよ」とか言って。
いや、女子中学生かよオマエ。
止める間もなく晁直さんも呼ばれて、恒人の部屋に行ったら大城さんもいた。
ちなみにパンツ一枚で。
なにがどうなればメンバーとはいえ他人の部屋でパンツ一枚なのか気にはなったが突っ込むのも面倒だったのでコンビニで買った酒類とツマミをテーブルに置く。
「シュークリームは?」
恒人がキラキラな目で見上げてきた。
「ねぇよ、ツマミにスイーツはねぇよ」
「えー・・・」
「チョコアイス買ってきてやったから」
「ありがと!」
嬉しそうに受け取って、財布を出すから慌てて止める。
「いいって、おごり」
「葉月マジ優しい」
アイス一つでそこまで言われりゃ過分なぐらいだ。
そうして図らずも、最初に巻き込まれた5人が揃う形になった。
そういえば明徳の腕時計はいつの間にか、たぶんあそこを出てすぐに直っていた。
そうして俺はスマートフォンを置きっぱなしにしてきたので名古屋に帰ったらショップに行かなくてはいけない。
まあ、あれと引き換えに助かったのだから文句はないが、いつも弄っていたものがないと妙に退屈になるものだった。
「ところで大城さん、なんで服着てないんですか?」
無邪気に突っ込む明徳、すげぇわオマエ。
「うん?バスローブ着てたけど動いたら脱げちゃった」
大城さん、なんの理由にもなってませんよ。
それぞれ適当な位置に腰かける、俺はベッドでのぺっと足をのばしている恒人の隣に軽く腰かける形。
ソファーには大城さんと晁直さん、明徳は迷ってうろうろして、恒人に言われてベッドの反対側に収まった。
「あの場所が完全に異空間化したのはチャイムが鳴ってからだと思うんですよね、大城さんは足跡を見ているわけですし。チャイムがなるまでは向こうとこっちが重なっていた状態で・・・チャイムと共に完全に切り離されたのかも」
チョコアイスを食みながら恒人が言う。
「結局・・・職員室に行ってたらどうなってたんだろうな?」
「それなんだけどさ」
俺の疑問に答えたのは晁直さんだ。
「玲央さんが調べたことの一つなんだけど、どうも学校が建つ前と建った後で草童を祀ったお堂の位置が違うらしいんだよ。最初は職員室のところにあったのを中庭に移したみたい」
「じゃあその時に・・・なにか手違いでもあったのかな」
と大城さん。
「それは分からないですけど、学校があった当初から草童は学校に出るって有名でしたからやっぱり関係があるんでしょうね」
結局、巻き込まれて、散々な目にあって、でも・・・結局あれがなんだったのか分からないままなんだよな。
草童は俺達の味方をしてくれたみたいなんだけどもさ。
俺は恒人に視線をやり、相変わらず落ち込んだままなのに気づく。
「なんなんだよオマエ、いつまでもうじうじと」
「あ・・・ごめん」
「葉月さん、言い方キツイですって」
明徳が反論するので容赦なく小突いた。
小突かれたところを恒人に撫でてもらったのでもう一回小突いた。
「なんなんっすか!」
「ごめんね、たださ・・・俺なりに調べてみて、ちょっと」
精彩を欠いた声に大城さんも晁直さんも心配そうな顔になる。
「甲田一さんと雪村織江さん、一緒に神隠しに逢ったでしょう?」
「ああ、そうだな」
「晁直さん、行方不明者の張り紙の中に二人のはありましたか?」
その問いかけに晁直さんは首を傾げる。
「いや・・・子供ばかりだったし、雪村織江ってのも見てないと思う」
「・・・やっぱり」
「なんだよ?」
苛立つ俺に恒人は悲しそうな瞳を向ける。
「大人の男と少女が同時に消えたら世間ではどういう扱いになると思ってる?」
「・・・あ」
気づかなかった、そうか・・・それでこいつはずっと悩んでたのか。
少女の行方不明事件が起こって、明らかにそれと関連のある形で大人の男が姿を消せば当然・・・疑われる、間違った方向に。
あの二人に関しては『神隠し』という扱いではないのだ。
「甲田さんの名誉回復って・・・できないのかな?」
調べて、酷い扱いを受けていることに行きあたってしまったんだろう。
とはいえ、神隠しを証明できない以上・・・それは難しいかもしれない。
「できないかな?じゃないよツネちゃん」
大城さんが爽やかに、でも力強く言う。
「やれることは全部やる、できることは全部やる、なにができるか探してみよう。それが俺達の夏の課題だよ。もちろん俺も、皆も協力する」
「ああ、精一杯の力は貸すよ」
晁直さんが拳をあげ、明徳も「俺もやります」と拳をあげる。
俺は精一杯面倒くさい顔で拳をあげ、みんなでハイタッチした。
しかし大城さん・・・今の台詞、パンツ一枚で言ったんじゃなきゃ惚れるぐらいカッコよかったのにな。
帰り際、Dのメンバーとリンチのメンバーで揃って廃校の祠にお参りした。
大量のお供え物を置いて、手を合わせる。
草童とへのお礼。
それから甲田一の名誉を回復する誓い。
難しいかもしれないが、それが俺達に与えられた夏の課題だ。
不可思議な世界を覗き、真実を見た俺達の役目なのだ。
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