ドウタヌキ?


見下ろす詩人


冷たい北風がびょうびょうと吹き荒れています、ビルの谷間は風が酷いんです。
頬がぴりぴり痛むけれど僕は早足で進みます。
待たせてはいけない人を待たせているのです。行き交う人々の足音がざりざりとノイズのように三半規管を蝕みます。
ちかちかと光るイルミネーションを見上げる人は誰もいません。僕も見上げません。
ショーウィンドウと街灯の明かりが滲んでとても明るいけれど、明るい顔をした人は一人もいません、僕もきっとそういった集団の一部なのでしょう。
真正面から吹く風に自然と顔は険しくなって、僕の足はどんどん速くなります。
あの人が待っているのです。



見下ろす詩人



待ち合わせ場所に指定されたモニュメントの台に京さんは座っていました。ふわふわの金髪が風に揺れています。歳より幼く見える顔はコートのフードに埋めてあって、下を向いています。
まるでロダンのLe Penseurです、詩人という点ではまったくその通りなのでそのものなのかもしれません。
何を見ているのだろうかと考えてすぐに馬鹿馬鹿しくなりました。Le Penseurが見ているのは灼熱の地獄以外にありません。
ならば此処は地獄の門です、行き交う人々はみな罪人で亡者なのです。
「すみません、遅くなりました」
僕の言葉に京さんは少しだけ頷いて、ひどく憂いをおびた面もちで呟きました。
「トマス・モアが書いた意味でのユートピア、知ってるか?」
なんの前置きもない言葉でしたが僕は気にせずに答えます。
「無可有郷ですね、一般知識としてならまぁ知っていますけれど・・・」
京さんは下を向いたまま微笑したようでした。
「徹底的な管理社会、全てが管理され、みなが同じ事をする、互いに監視し合い、脱落した者は排除する、しかし皆はそんなものは非人道的だと言う」
僕は預言者の声でも聴くように神妙に頷きます。
「ええ、僕もそんな社会はごめんですね」
「けれど、全ての人間から個性がなくなれば、感情まで管理されてそれを疑問に思わないのであれば、そこには戦争もなければ犯罪もないんやで、見た目にはとっても綺麗」
京さんは一息ついてから続けます。
「なぁ思わへん?本当に平和とやらを望むのであればそれは人間の感情を引き替えにすべきや、本当に不条理な死をこの世からなくしたいのであればそうするべきやろ。でもその感情とやらに愛だの恋だの優しさだの美しいものもある、心は自由でいたいと唱えてそれをしない・・・車と似てるな、毎年何人も死んでいるのに誰も車をやめようとは言い出さない」
僕は黙って頷きました、もしかすると京さんは相手が僕だと認識しないで話しているのかもしれませんが、京さんの言葉が聞けるならかまいません。
「人は欲張りやなぁ、なんでも手に入れたがる、便利な生活も自由も平和も欲しいという、そのために数多の屍を踏みつけてもかまわない、人はとっても欲張り・・・」
やはりLe Penseurだったようです、眼下には地獄の門があるのです。
僕たちの足元にはいつだって地獄があるんです、それに気づかない人が多いだけです。
びょうびょうと風が吹き荒れます、それに紛れて僕は言います。
「ええ、でも僕はそんな世界が愛おしくてたまりません」
京さんは顔を上げると、八重歯を見せて笑います。
「俺もやで。ま、時々やけどな」
京さんはぴょこんと飛び降りて俺を見上げました。
「まこは相変わらず骨やなぁ、ちゃんと食うてるんか?」
「大丈夫です、忙しくてちょっと痩せましたが・・・」
「忙しいのはええことやな。そんな後輩のために今日は俺がたらふく食わせてやる」
「ありがとうございます」
足早に歩き出した京さんを僕は追いかけます。亡者の群れの中で一際輝く背中を追いかけます。
僕には区別がつかない人々にもきっとそんな背中があるのでしょう。
地獄の門よ、もう少しだけ待ってもらえないでしょうか。
目指すべき背中があり、共に歩む仲間があり、支えてくれる幾多の手がある、僕はそこに幸せを見いだしているのです。
希望を持っているのです。
僕が隣に並ぶと京さんは可笑しそうに笑いました。
「すぐ追いつかれてまうなぁ」と笑いました。
僕も笑い返します。
地獄の門に背を向けて僕たちは歩きます。
どうせいつかは行く場所です、だから好きなだけ歩くのです、たくさん歌うのです、いっぱい伝えるのです。
短すぎる一生の中で、何かを刻むために。



Per me si va ne la citta dolente,
(我を過ぐれば憂ひの都あり)
per me si va ne l'etterno dolore,
(我を過ぐれば永遠の苦患あり)
per me si va tra la perduta gente.
(我を過ぐれば滅亡の民あり)
Giustizia mosse il mio alto fattore;
(義は尊きわが造り主を動かし)
fecemi la divina podestate,
(聖なる威力、比類なき智慧)
la somma sapienza e 'l primo amore.
(第一の愛我を造れり)
Dinanzi a me non fuor cose create
(永遠の物のほか物として我よりさきに)
se non etterne, e io etterno duro.
(造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ)
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate'
(汝等こゝに入るもの一切の希望を棄てよ)



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