聖夜の終わり
雪が降り続く世界は静かだった。痛いほどの静寂に白が舞う。
空は暗く、重たい雲が覆っている。
太陽なんてなくなってしまったかのように。
あるいは世界そのものがなくなってしまったかのように。
聖夜の終わり
「雪が降ってるなら寒いはずや、今朝の予報ではなんて言ってたかな?」
−今朝の予報?
−今朝の予報?
見た記憶がない、ならば今朝はテレビをつけなかったのか、いや、正確には昼前のニュースを見てから出かけるのが習慣だったのに、今日に限っては見なかったのだろう。
「昨日は晴れてたっけなぁ・・・」
−昨日?
−昨日?
覚えていない、晴れていたような気もするし、雨が降っていた気もする。
「あかん、また笑われるわ・・・もうボケたんかって・・・」
−笑われる?
―誰に?
−誰に?
目にかかる前髪をかきあげて自らの手を見た、節くれ立った、馴染んだ間違いようもない自分の手、しかし前髪はこんなに長かっただろうか?
ところで・・・自分は誰だ?
「俺は誰だ、か・・・ドラマみたいなことって起こるもんやな、此処はどこ?私はだれ?みたいな。関西弁喋っとるってことは関西人なんかなぁ・・・」
足は自然と一定の方向へ向かっている、まるで目的地が決まっているかのように歩いている。何処に向かっているかなんて分からないのに。
「早くいかないと、みんな待ってる・・・」
−待っている?
−みんな?
それでも歩みはとまらない、歩きにくい道をひたすら歩く。
改めて周囲を見渡せば瓦礫の山だった。見知った景色は何処にもない、いや、自分が誰かすら分からないこの状況で《見知った景色》などというものが存在すればだが。
幸いブーツを履いていたので瓦礫を踏んでも痛みはなかったがその代わり気を抜いたら転んでしまいそうだった。
粉々に砕け散ったかつて建物だった物達、かろうじて形を保っているものもあるがどれも見当違いな場所に大穴が空いていたり、途中で折れて鉄骨が見えていたりした。
瓦礫の上にはイルミネーションの残骸が落ちていた、所々破損しておらず、そしてどこから電気が通っているのか静かに瞬いてた。
やけに暗いせいでそれは奇異ながら綺麗な光景だった。
空には雪、地上には人工の星。
「まぁ皮肉言いそうやけどな・・・」
−誰が?
−誰が言うの?
重要なことを思い出せないことにも慣れてしまった、廃墟と化した街を、肩に積もる雪を払いながらひたすら歩く。
約束の場所へ。
ふと視線を上げると赤い鉄骨の塔が遠くで霞んで見えた。やはり電気が通っているのかチカチカと輝いていた。
「・・・東京タワー?此処は東京なんか」
目の前の光景に初めて違和感を覚える。
いつから東京は廃墟になったのだ?
そして何故さっきから誰とも会わないのだ?
なんの音もしない、雪が降っているだけ、地面でイルミネーションが瞬いているだけ、自分一人だけ。
名前も分からない自分がいるだけ。
割れたショーウィンドウの破片を拾ってのぞき込み自分の姿を映してみた。
黒髪の、髭を生やした目つきの鋭い男。
自分はこんな風だったのか、違和感もないけれど感慨もない。
点在する壊れきっていないビルに視界を奪われるが、ほぼ360度のパノラマが広がっている、廃墟のパノラマ。
「あれってもしかして富士山とちゃうん?」
視界に映ったのはおそらく富士の山だ、若干自分の知っているものとは形が崩れていたけれど。
「って言っても富士山なんて数えるほどしか見てないけど・・・あかん早くいかんと、俺が遅れたら示しがつかんやろ」
−示しがつかない?
−何故?
雪はだんだん酷くなり視界が遮られるほどだった。大きな雪の塊はしんしんと降り積もっていく、廃墟になった街を覆い隠すように、静かに。
「記録的大雪って明日のニュースで・・・ないか・・・」
そもそもテレビ自体が、いやテレビ局自体がなくなっているだろう。ならばそんな状況で自分は何処へ行こうとしているのか。
そこへ行けば誰かと会えるというのか。
「会えるんか?」
「独り言多いなぁ。もうボケたんか?」
そんな声が聞こえた。柔らかいのに棘があって、艶があって深いのに少し舌っ足らずな声、酷く胸に響く声。
「着く前に会えるなんて奇遇やな、薫君」
−カオルクン?
−カオルクン?
ふり返ると小柄な男が立っていた。
猫を思わせる顔立ち、アシンメトリーの金髪、ジャージ姿なのに妙に洒落ている。そして漆黒より黒い瞳がこちらを見上げて自分の姿を映していた。
「・・・誰?」
「はっ!やっぱもうボケたんやん、まぁこの状況じゃあしゃあないか」
不遜なもの言いに不思議と腹は立たない、むしろそれが当たり前で慣れ親しんでいて、楽しむ余裕すらあるような感覚。
「俺は・・・《カオルクン》なんか?」
「薫君は薫君やろ。あ《薫》の部分だけが名前やで、《君》の部分まで名前とか愉快な勘違いせんといてな、犬レベルやで、それ」
そう言って男は笑った。八重歯を見せる無邪気な笑みで自分を、いや薫を見上げてくる。
「あの・・・そっちは?」
「は?」
「そっちの、名前・・・」
「さぁ、なんやろな。それより早く行かないと、夜になってまうで」
薫を追い越して軽やかに男は歩いていく。不思議と確信できた、目的地は同じで、約束した相手の一人なのだと。
−相手の一人?
−相手の一人?
「もう堕威君あたりは着いてるんちゃうかな〜敏弥は微妙やね・・・心夜は絶対来てるな」
男が口にする名前に懐かしさを感じた、いや懐かしさ以上のものだ、自分の手を手と呼ぶぐらい当たり前の感覚。ならばどうして自分は目の前の男の名前を思い出せないのだろう。
かけがえのない大切なもののはずなのに。
かけがえのない大切なもののはずなのに。
「ごめんな」
「なにが?」
男は怪訝そうに顔を歪める。
「・・・名前、思い出せなくて」
「は?そんな記号なんて別にどうでもええやろ、ああ、でもそっちも忘れてるんか、でも手にしたらちゃーんと思いだす」
そう言って男は自らの唇と喉にそっと手を添えて笑った。
「俺の楽器は此処にあるから、俺は全部覚えてたんとちゃうかな?あそこにいけば薫君のもあるから、持ったら思いだす」
「楽器?」
「そう、楽器。薫君の・・・いや、俺達の言葉で、俺達の心で、俺達の武器で、俺達の全部」
「俺達はそこになにしに行くんや?」
またはぐらかされるかと思ったが男は真剣な顔になって答えた。
「世界の終わりに鳴る音を・・・奏でに行くんや」
雪が舞う、イルミネーションが瞬く、鉛色の空、静かな世界、誰もいない街。
これでもまだ世界は終わってないというのか。
そしてこれから終わるのか。
「すっごい間抜け面やな・・・」
男は呆れた顔で薫を見てため息をついた。
「しゃあないな、じゃあリハーサルや」
男は目を閉じて、宙に手を添えると静かに歌い出した。
視界を覆う雪を突き抜けて、歌声が響き渡る。
どこまでも透明で、それでいて美しさより刃を、儚さより強さを持ったその声。
天空へと上っていく歌声は、この地に沈殿し続けた罪を運んでいく。
なにもかもを浄化していく。
涙がこぼれた。
確かに世界の終わりに相応しい歌声だった。
そして全てを思いだした。
「・・・京君」
「ん?うわ〜!歌声聞いて思いだすとかなんか理不尽ちゅーか・・・別にええんやけど」
少し拗ねた顔の京の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「じゃあ行こうか、待たせたら悪いしな」
「そやな、約束の場所や、ちゃーんと世界を終わらせよう」
二人並んで早足に歩き出す。
遠くに半壊しながらも特徴的な形をした建物が見えた。その建物の象徴たる屋根のてっぺんの飾りがかろうじて残っているのが可笑しくて薫も京も笑った。
「そーいや薫君、今日はクリスマス・イヴなんやで?忘れとったやろ」
「そうなん!?ほなホワイトクリスマスやな・・・んで、さすがにこんな日ともなればツチノコ並に貴重な京君のアレは聞けるんか?」
「は〜?なんのことやろねぇ・・・」
「ええやん、此処で言ったら最大級の皮肉やで」
「そんな人を皮肉好きみたいに・・・まぁええわ・・・」
京は駆けだして、薫から10メートルほど距離をとってから、不敵な笑みで叫んだ。
「薫君!メリークリスマス!!」
「メリークリスマス!京君!!」
そうして二人で笑い転げた。
雪が降っていた、少しも冷たくないからきっと雪ではないのだろうけれど、雪が降っていた。イルミネーションも地面という妙な場所ながら瞬いていた。
街は静かだった。
聖夜に相応しい静けさだ。
あるいは世界の終わりに相応しい静けさだ。
「薫君!ゴールまで競争なっ!」
そう言って走り出した京の背中を慌てて追う。
「ちょ!ずるいやろ〜待てやコラ!」
笑いながら誰もいない街を駆け抜ける、半壊した建物の前に人影が見えた。
嬉しそうに手を振る敏弥と快活な笑顔を浮かべる堕威と呆れた顔をした心夜。
「・・・なにしとったん」
「二人とも早く〜!」
「転けたらあかんで〜!」
手を繋いで駆け抜けてくる二人にそんな声をかけながら。
さあ、世界の終わりを奏でよう。
全てが消え去っても空気に刻み込まれ、この星が消失するまで永久に巡る音楽を奏でよう。
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