トオリモノ
『よう、少年。元気か?』
画面の向こうでソレは笑った。
トオリモノ
彼が最初にソレを見たのはある朝の事。いつもとなんら変わりない、家族そろって朝食をとっていたときのことだった。
ニュースの映像に突然ノイズのようなものが走って画面が切り替わった、すわテレビの故障かと思ったが両親は何事もないかのようにテレビを見ているし、音声に変化はない。しかし彼の目にははっきりと見えた。画面に映ったソレ。
一応人の形は成しているものの、異様の一言に尽きる、アシンメトリーの髪が顔の半分を隠し、見えているほうの瞳は爛々と輝く金色。見ようによっては少年っぽい、幼い顔立ちをしているが身に纏う雰囲気がそんな形容詞を粉砕してしまう。
−これは、この世のモノではないな。
彼はひどく冷静にそう思った。オカルティクな趣向の持ち主ではなかったがそうすんなりと思ってしまうようなナニカがソレにはあった。
−あんたはダレだ?
心の中でそう話かけると当然のように答えが返ってくる。
『へぇ、見えとるんか。けったいやなぁおまえ』
予想外と言えば予想外にソレはやわらかな関西弁で答えた。
『俺は《怪》やからな、名前も固有名詞もないで』
−カイ?
『妖怪の《怪》で怪異の《怪》な。人間の寄こした名前で良ければ教えてやるわ、俺は《トオリモノ》や』
−とおりもの?
『そや、《トオリマ》とも《トオリアクマ》とも呼ばれるとるけど、一番響きがええんは《トオリモノ》やろ?』
そう言って誇らしげに笑う。自ら《怪》を名乗るソレは妙に人間くさかった。
再び画面にノイズが走りテレビは元のニュース映像に変わった。
白昼夢にしては生々しいそれが、最初だった。
放課後、彼は入学して初めて図書室に入り《トオリモノ》について調べてみた。なにしろ初めて入ったのでどう調べれば良いか迷っているとクラスメイトの女子が手を貸してくれた。彼女は図書委員らしい。
手に入った情報はわずかなものだった「人間に憑依し、心を乱す妖怪で、災いを呼ぶ」ものであり「人が理由もなく人を殺すのはこれが原因と思われていた」ということだけだ。
−だから《トオリマ》ね、なるほど、語源でもあるわけだ・・・しかし取り憑かれると乱心するって、俺はなんともなかったけどな。
そんなことを思いながら学校を後にした。
多くの思春期の子供がそうであるように、彼は近頃、わけもなくイライラしたり、家族を疎ましく思うことが増えていた。家に帰ってから口を開くことはほとんどといっていいほどなかったが、彼の両親は「これが反抗期というものだろう」と相談し合い「変わらずに接する」ということを心がけていたので、家庭内に不和が起きているということは全くなかった、両親とも今時の若い親らしく子供に対して寛大であったので、彼もまた疎ましく思いこそすれ憎む事はなかった。
『よう、少年。また会ったな』
ラジオから《トオリモノ》の声が聞こえてきた時あまり驚きはなかった。
−また来たんだ?
『別に狙ってへんで。俺は適当にうろついとるだけや』
彼は自分が《トオリモノ》について調べた事を話した。
『今朝の今でか?自分、律儀つーか難儀やな。まぁ知識欲があるのはええことやと思うけど・・・俺の友達にもそーいうのおるわ』
《怪》に友達というのも不思議な話だが、同じ《怪》の友人だろうか。
−ところで、なんでテレビやラジオから出てくるんだよ?本来は道に出るモノじゃないのか?
『闇がなくなったからな、どこもかしこも明るくて、石と鉄の道ばっかでほんま住みにくいわ。その点ココはええわ、闇だらけや』
−電波が闇なのか?それともメディアが闇なのか?
『最近の言葉はようわからんけど、後者やな、めでぃあや。ただ少しばかりココの闇は濃度が濃いからやっぱり住みにくいけどな』
−濃度が濃い?
『なんて言うたらええんやろ、よく暗闇を《墨を流したような》って表現するやろ?昔の道やなんかの闇っていうんは例えるなら墨汁や・・・でもココの闇はコールタールやな』
−それは住みにくいだろうね・・・
『ふふ、少年はええやつやなぁ。《怪》なんかの話しを真面目に聞くなんて』
−別に、ヒマだったから、それだけ。
彼は時折、ふらりとテレビやラジオに現れる《トオリモノ》と話しをした。ほとんどが益体のない会話だったが、クラスメイトのバカ話よりははるかに面白いものだった。
ある夜のこと彼は母親と喧嘩になった、きっかけは洗濯物を出し忘れたとかほんとうにささいな事だったが、彼は生まれて初めてくちごたえをして喧嘩になった。
翌朝、休日の朝、昨日の事など忘れたように接してくる母親に無性に腹が立った彼は何気なく、悪心の欠片すらなく、母親の飲み物に家庭菜園用の農薬を入れた。
もがき苦しむ母親を見て、また怒られるのは面倒だと思った彼は母親の首を絞めた、あっけなく母親は死んだ。
今度は父親に怒られてしまうと思った彼はまだ眠っていた父親をガムテープで拘束してからゴルフクラブで殴った。無我夢中で殴っていると父親は死んだ。
全てから解放された感覚と全てを失った感覚が襲ってきた。
崩壊はあまりにもあっけなかった。
留置所の中でぼんやりしていると、奥の控え室でついていたテレビに《トオリモノ》の姿が映った。
『よう、少年。元気か?』
−アンタがやったのか?
『死滅って感じやなぁ、なんのことや?』
−アンタは人を狂わせる《怪》なんだろ?アンタが俺に両親を殺させたのか?
『オマエは勘違いしとるで』
急に《トオリモノ》の声から柔らかさが消え失せた。口調は変わっていないのにどこか厳かで萎縮してしまいそうになる声。
『俺は只の《現象》や、なんの力もない、だから《怪異》なんや。俺、いや《トオリモノ》について調べたとか言っとったけどな、あれは人間側から見た記述やろ?あいつらはな勝手に狂っただけや、勝手に壊れただけや、人間の心は人間にしか変えられへん』
ニヤリと《トオリモノ》は《怪》らしからぬ矯正器具のはめられた歯を見せて笑う。
『殺したんは少年、オマエや。殺したいと思ったんもオマエ自身の心や。そこにはなにも介入してない。外道に落ちたのはオマエの責任や、全部なにもかも一つ残らずオマエ自身の責任なんや』
彼は答えなかった。
『きっかけも原因もこれから色んな奴が好き勝手に分析してくれるだろうけどな、たぶんそのどこにも答えはないで、《オマエが両親を殺した》という揺るぎない事実があるだけや』
−俺はこれからどうなるのかな?
『おいおい、《怪》にそんなこと聞いてどうするつもりや?そんなもんはオマエが決めることやで・・・まぁオマエの人生は既にオマエのものじゃなくなってまったけどな』
そう言って《トオリモノ》は小首を傾げた。
−今回のことにアンタは全く関係ないということなのか?
『まったく・・・とは言えんわなぁ、少年、《トオリモノ》の記述は俺の知る限りは二つやけどそのどちらもが《怪しいモノを見た、心を落ち着けるとそれは消えた、しばらくして隣家で騒ぎが起こった、隣家の者が乱心した》こんな話やったろ?』
−・・・あぁ、そうだった。
『《心を落ち着けたから自分は無事だった》なんて物言いがちょっと高慢やと思わへん?まぁそいつは《これが世俗で言うところのトオリモノか》って納得したわけやど、もっと自然な考え方ができるやろ・・・《アレは凶兆だったのか》とそう思う方がすんなり通るやろ』
彼が答えないでいると《トオリモノ》は可笑しそうに笑った。
『もう一度言うで。人間の心はな、人間にしか変えられへんのや。俺は・・・俺達は只の《現象》なんやから』
−俺はこれから、どうすればいいんだ?
彼の問いに《トオリモノ》は笑みを消して真顔になった。
『自分のコトは自分で決める』
−自分で、決める?
『生きて苦しめ。じゃあな、少年』
画面にノイズが走り《トオリモノ》は消えた。
−生きるってなんだ?自分で決めるってどうやるんだ?
彼の問いかけに、もうなんの言葉も返ってはこなかった。
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