鐘の音
鐘の音がうるさかった。
雪が舞っていた。
見下ろす景色は灰色で生き物の気配はない。
街路樹や街のあちこちに飾り付けられたイルミネーションが輝くことなく、むしろ枷のように重く黒々としていた。
「なあ、あの鐘はなんで鳴ってるん?」
「電力ではない動力で定期的に鳴るんだろうな」
「どこやろな、この辺りに教会なんてあったっけ?」
「さあ、でもこれだけ静かなんだ、遠くの音も聞こえるだろ」
「・・・そやね」
なんとなく質問したことを後悔しながら京は外を見る、基本的に人から何かを教わることは嫌いだった。
知識が増えることは嫌いではない、教わる時に一瞬でも下手に出ることが嫌いだ。
鐘の音はビルの隙間で反響して響き渡る。
街に出ることの少ない京だったが、今までどれだけ世界が煩かったのか改めて知る。
広い車道に車は走っていない、止まったまま煤けた車はあり、赤も青も指示することのない信号機が妙に巨大にそびえ立ち並んでいた。
歩道にも誰もいない、誰もいない街に雪は降る。
京は背を向けて身を乗り出し空を眺めた。
「なにをしてるんだ?」
危ないだろうという響きを込めて奥から声がかかる。
「雪が降っている時に空を眺めるとな、だんだん自分が空に昇っているように思えて、空に引っ張られる・・・って怪談を思い出してな」
「・・・それは俺も聞いたことがある」
「なるほど、昇っていくみたいだと思ってな」
奥から顔を出したキリトが小さく溜め息をついた。
「遊んでるなら手伝ってくれないか?」
「嫌や、お前がやってることに意味があるとは思えん」
もう何度目かになったやり取りを繰り返し、いつもならここで終わるところだがキリトは今日に限って続けるつもりらしく作業に戻る気配がない。
「こういう光景を見ていて、なにか思うところはないか?」
「はっ」と京は笑って身を起こす。
「まるでお前の描いた『世界の終わり』そのものやな」
「ああ、もちろん比喩的意味合いもあるけれど、俺なりの美学だ」
「美学か・・・」
「せっかくだ、相応しい光景にしようと思ってな」
「隣にいてくれる人なんておらんのに?」
意地悪く笑う京に意地悪く笑い返してキリトは頷く。
「そうだな一人と一人だ」
「お前のイメージ的にはどんな人?」
「さあ、誰でもいいんだけどな、ビジュアル的には可憐な女性か」
「ふ・・・自分のツラ見て言えや」
「いいんだよ、イメージだから」
キリトはそう笑って作業に戻ろうとして思いついたように言う。
「手伝わなくていいからなにか歌ってくれないか?」
「俺が歌う理由はもうない」
京はそう返して窓の外へ手を伸ばす、掌に落ちた雪は溶けて消えた。
「此処には苦痛がない、此処には悲痛がない、此処には懊悩がない、此処には絶望がない、終わった場所や、歌う理由はもうない。此処はもう安らかや・・・終わったんや」
「・・・そうだな、オマエはそうなんだろう」
京は微かに笑って窓の外を見たまま言う。
「でもどうしても俺様の歌声を聞きたいと言うのなら一曲だけ歌わなくもない」
「今の台詞の一人称を『俺様ちゃん』にしてワンモアプリーズ」
「どうしても俺様ちゃんの歌声を聞きたいと言うのなら一曲だけ歌わなくもない・・・って何を言わせんじゃ!」
「歌ってくれ」
「いいからお前は死ね」
京はそう言い捨てて外を見た、雪は先程よりも強い。
― ブレ始めた 視界ガラスの空 風の色
ああ、確かにこれならばぴったりだ。
― 一夜明けた暗い朝に窓を額に見立て
音のない世界で歌声だけが響く、もう誰にも届かない歌。
― パレードの亡骸 静けさが今日も俺を
歌い終わると部屋に拍手が響いた、京は複雑な気持ちながらそれを受け止めて頷きその場に座り込む。
「なあ、それって治せるん?」
「ここら一帯は自家発電だからな、ここさえ繋げばどうにかなるだろう」
「・・・ふぅん」
ここら一帯とは、今いる公園のことだろう、京は知らなかったがこの広い公園は自家発電でまかなわれていたらしい。
「オマエからすれば意味のないことだろうが、俺にとっては大事なんだよ」
「・・・美学か?」
「美学だよ」
「びじゅある系やね」
「ああ、ヴィジュアル系だ」
会話はさほど続かず、京はキリトの作業をぼんやりと眺める、視線をやれば空は黒く、雪がどんどん強くなっているのが分かった。
「・・・世界の終わり、か」
ある歌うたいがいた。
彼は世の絶望を見抜く目を持っていた、誰よりも早く世に潜む闇に気づくことができた。
故に彼の視界は絶望で埋まった、光は絶望の序章でしかなく、全ては終わりに向かうことを知っていた。
そして誰の心にもある『絶望』のために鎮魂歌を捧げ続けた。
ある歌うたいがいた。
彼は鳶の目を持つ鏡映しの相方を持ち、自分は鯨の目を持って世間を観察し続けた。
地上を睥睨する鳶の目が不条理を抉り苦悩し、自己のために羽根を広げることを認めた上で、彼は海の中で愛を探し求めた、それによって心は癒されると信じていた。
何度裏切られても信じ続け、彼は愛のために歌った。
ある歌うたいがいた。
彼は人間であろうとした、醜さよりも美しさを求め、愛や夢を探し求め、見つけたそれを大切に飲み込んだ。
繊細さと傲慢さを併せ持つ、人間らしい彼は、人間として歌った。
ある歌うたいがいた。
彼は気高く正しくあろうとした。
ありとあらゆるところに崇高なる美を求め続けた。
自分が気高くあるだけでなく、人間が、全ての生命が美しく崇高で強いものだと訴えた。
そうして人間を、生命を賛美するために歌った。
ある歌うたいがいた。
彼はありきたりな愛や恋が全てだと思っていた。
ありきたりな愛や恋で、孤独は救われると思っていた、苦悩は報われると思っていた。
だから彼は愛や恋を歌い続けた、それが幼き日に自分が手にし得なかったものだと知り尚、歌った。
ある歌うたいがいた。
彼は音楽が好きで、カッコいい音が好きだった。
カッコいい音にカッコいい詩をのせて歌うのが好きだった。
彼は自分の持つ苦悩を詩ではなく音に昇華し、そして歌うことが全部の不器用な人間だった。
音と詩をひっくるめて誰かの心に刺さるよう、歌った。
ある歌うたいがいた。
彼は世間に対して怒っていた、言いたいことが山ほどあった。詩では飽き足らず言葉にしてもぶつけた。
それでもなお足りないので行動で示した。
平和も愛も時には敵視し、自分が自分であり続けるために彼は行動した。
その主張のぶつかり合いこそが人間である証だと、歌った。
「おい、起きろ」
肩の衝撃が蹴りであることを察知し、目を開けて睨みつけるとキリトは涼しげな顔で外を指差した。
「できた」
「・・・あ?」
苛立ったまま身を起こし、そんなメンタルだから不意を突かれた形になる。
いつの間にか夜の帳が下りた公園が瞬いている。
意匠を凝らしたイルミネーションが灯り、光に満ちていた。
黒い枷でしかなかったイルミネーションが今、木々を闇に舞わせている。
「・・・あぁ」
京はそもそも、いやキリトだってイルミネーションを綺麗だと思う様な人間ではなかったはずだが、長らく見ていなかった人工の明かりは息を飲むほど美しかった。
地面には白く雪が積もり、光を反射して輝き、公園全体が浮かび上がるように輝いていた。
「なかなか・・・綺麗じゃないか?」
「・・・そやね」
「オマエは・・・隣に誰がいて欲しかった?」
「生憎、お前みたいなロマンティストじゃないからな、そんな相手はいない」
「じゃあ、別にいいか。一人と一人でも」
「・・・ええんちゃう?知らん顔でもないわけやし」
そっけなく言って外を見る京の頭をキリトが小突いた。
「なにすんねん!!」
「メリークリスマス」
「はぁ!?」
「クリスマスなんだよ。間に合ってよかった」
「クリスマスって・・・今日が?」
「正しくはイヴだがな、デジタル時計で確かめた」
「ふぅん」
クリスマスにイルミネーション、なんとも日本らしいクリスマスとなったわけだ。
もちろん京もキリトも偶然通ったのを除けばクリスマスにイルミネーションを見たことなんてなかったが。
「メリークリスマス」
「うっさい」
「メリークリスマス」
「全然メリーじゃないし、どうでもええし」
「クリスマスに男二人でイルミネーション、つまらないな」
「なら言うな」
それでも一仕事終えて得意げに顎を上げているキリトの頭を京が掴んで下を向かせる。
「・・・っ、なんだよ?」
「あれ!」
京は眼下の歩道を指差した。
イルミネーションに照らし出された積もった雪の上に足痕が刻まれている。
いや、刻まれて行く。
見えない人間がそこにいるかのように、ざくざくと足痕が浮かぶのがイルミネーションの明かりではっきりと見て取れた。
「・・・どういうこと?」
京は首を傾げる。
ただ、雪が積もったこのタイミングでイルミネーションが灯されたからこの足痕に気づけたことだけは分かった。
だとするならば奇跡的な偶然だ。
雪の積もりぐあいからいって朝には溶けていただろうし、日の高いうちは積もらなかったのだから。
「一つ確かなのは・・・まだ終わってないってことかな」
「世界が終わってないって言うんか?」
「ああ、そして俺達が歌う理由もな。行くぞ」
「うっさい、仕切るな!」
二人は先を争うように走り出した。
世界が終わっていないことを、歌う理由がまだあることを確かめるために。
二人、いや一人と一人残ったのは、異形の神と異教の教祖。
それだけで充分に希望があることを、当人たちはきっと知らない。
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