聖夜の楽園
聖夜の楽園
色とりどりのガラスがはめ込まれた天窓から光が降り注いでいた。
かつては教会だった場所だが今はなにもない、煤けた十字架だけが残っている。
その前で色を持った光に照らされながら一人の青年が祈りをささげていた。
薔薇色の髪と雪より白い肌に色ガラスの光を浴びて、身じろぎもせずに長い睫毛を下している。
あぁ・・・
と彼は心の中で溜息をつく。
歩き回ることには飽いて疲れてしまった、どこまで行っても灰色の景色が広がるばかり。
灯ることのない信号機と、動かない車、ひび割れたショーウィンドウ、朽ち始めたクリスマス飾りは終わった街を地上に繋ぎとめる鎖でしかなかった。
どんなに歩き回っても、どれだけ呼んでも、誰も見つからなかった。
そうして彼は世界が終ってしまったのだと思った。
彼の尊敬するあの人が時折口にしていた『終末』の中に自分はいるのだと。
あの人は、子供に言い聞かせるようによく言っていた。
日々を懸命に生きる人は皆、最後には『楽園』にいけるのだと。
そこには幸せしかないのだと、もう誰も傷つけなくていいし、傷つかなくていい、小さな命を奪う必要もない、ただただ幸いの中で生きてゆけるのだと。
もっと若い頃はそんな話はお節介じみていると跳ね除けただろうが、尊敬してやまないあの人の口から語られると本当のように思えた。
ちゃんと生きていれば最後には幸せになれる。
思えばそれは誰もが焦がれる結末ではなかったか。
努力が報われないこともある、真摯な思いが伝わらないこともある、そんな世界でそれが全て叶うのならば、それは確かに『楽園』に他ならなかった。
全ての罪は許されて消え、幸せになれるのだと。
ならば、今のこの光景は?
受け止めてはいたが、彼はその『楽園』を概念的なものだと解釈していた。
人の心の在り方が完成されれば、そこに『楽園』があり、神様やらが導いてくれるものではないと。
それがいけなかったのだろうか?
こうして一人『終末』の光景に閉じ込められているのは、自分の生き方に、考え方になにか問題があったのではないかと。
あの人はよく彼を褒めてくれた、ずっと年下な彼を頑張っていると純粋だと優しく褒めてくれた。
あの人は『楽園』に行くつもりだったし、彼のこともまた『楽園』に行くに違いないと言っていた。
そう思うと胸が苦しくなるのだ。
自分が『楽園』に行けなかったことよりも、あの人の期待を裏切ってしまったことが重く、辛い。
『楽園』に行くに足る人間だと認めてもらえたのに、それを裏切ってしまったことが悲しかった。
世界の終りよりもなによりも、あんなにも自分を認めてくれた人への裏切りが辛い。
皆はきっと『楽園』にいけたのだろう。
彼は天窓を見上げて思う。
いつの間にか雪が降り出していた。
凍えるような寒さも不思議と気にならず、彼はまた祈りを再開する。
しかし何を祈っているかも分からなくなっていた。
『楽園』には悲しみがないのだから、自分がいないことで皆が悲しむことはないはずだ。
それがほっとするような、辛いようなぐしゃぐしゃな気持ちになる。
この世界に誰もいなくて、『楽園』へ行った人たちからも思い出されないとしたら自分はもう、存在しないのと同じだろう。
それは死よりも重たい消滅だった。
ふ、と白い息が舞う。
・・・寂しいな。
声の出し方を忘れるほどの孤独だった。
これが『終末』だというのなら、何故自分はこんな半端な形で残されているのか。
どうしてちゃんと終わらせてくれないのか。
それともこれこそが『楽園』に行く資格のない者が落とされると言う『火の湖』であり『永久の滅び』なのだろうかと。
これが結果だというのなら、『楽園』へ連れて行ってくれと祈ることも彼にはできなかった。
だから跪き手を組みながら、自分のなにがいけなかったのか考えた。
自分の至らないところは幾らでも浮かぶが、はたしてそれのどれが原因なのか分からない。
あの人は認めてくれていたのだ、頑張り屋で優しくて強い子だとことあるごとに褒めてくれ、あのあたたかい瞳にさらさて面映ゆい気持ちになった。
自分の性格や性質を誇るようなことはできなかったが、ああして認められると、自分でも自分を認めてあげられるような気がした。
だから頑張り屋だと言われればもっと頑張ったし、優しいと言われれば周囲に気配りするように努めたし、強いと言われれば強くあれるように振る舞った。
それが、いけなかったとしたら?
そう考えると恐ろしかった。
自分は間違ったのだ。
天窓に雪が降り積もり、教会の鐘が鳴り響いた。
ホワイトクリスマスだ・・・
久しぶりに外に出てみようと、そう思った。
ざく、と雪を踏む。
真っ暗な中で街は相変わらず死んだままだ。
あれほど嫌いだった人混みも今は懐かしかった。
溢れんばかりの光の中で幸せそうに歩く人の群れ。
雪明りで街がほんのりと灯される。
「・・・・・・」
吐きだした息は白い、そうしてふと背後に光を感じた気がして振り返る。
遠くのほうでイルミネーションが瞬いていた。
どうして?と思いながらその方向へ足を踏み出す。
誰かいるのだろうか?
誰かがこの光を灯したのだろうが?
いつしか早足になり、そうしてとうとう最後には走り出した。
肺に溜まる冷たい空気に呼吸を塞がれながら走って、走って、そうして公園に辿り着いた。
色とりどりの光が瞬く無人の公演で立ち尽くす、誰が、誰かが・・・
必死になってあちこち見渡していると、雪の上に足跡が刻まれるのが見えた。
自分のものとは違う足跡がざくざくとこちらへ向かってくる。
不思議と恐怖感はなかった、ただ・・・ようやく、と思った。
足跡を知っていた、微かに感じる気配も知っていた、だから迷いなく足跡だけが刻まれるなにもない空間へ手を伸ばした。
伸ばした手はあたたかく受け止められた。
そうして、ひどく驚いた顔のあの人と目が合う。
「・・・会えたんだ」
「ええ、会えましたね」
「探してたよ、ずっと・・・」
とうに『楽園』に行ってしまったと思っていたので探しはしなかった、だから会えたことが不思議でたまらなかった。
『楽園』から迎えに来てくれたのだろうかとそんな風に思った。
しかしもう思いも何もかも胸いっぱいでなにも言葉にならなかった。
「ともかく、会えてよかった」
しっかりと手を握る。
以前ならそんなこと照れくさくてできなかっただろうが、もし放せば全てが幻になってしまう気がして強く握り返す。
「これは『終末』じゃないんですか?」
「分からない・・・」
「浅葱さんは『楽園』にいるとばかり思っていました」
「嫌だな」と浅葱は笑う。
「ツネが行ってないのに、どうして行けるの」
「・・・・・・」
「たとえ行けても、ツネがいなかったら探しに戻ってくるに決まってるじゃない」
ああ、こういう人だったと恒人は微笑む。
「誰が灯りをつけたんでしょうね?」
「・・・誰かがいるんだろうね、いや・・・ずっといたのか。俺達はお互いが見えなかっただけで、こうして触れ合えば見えるんだ」
「じゃあ、皆も・・・?」
「うん、また会えるよ。こんなに光が灯ったんだ、皆が此処に来る、そうすれば会えるよ」
力強く断言され恒人は頷いた。
そうして目の前に広がる、光に満ちた雪景色に幾つもの足跡が刻まれ始める。
「行こうか?」
浅葱に手を引かれ、恒人は頷いて歩き出す。
なにも終わっていなかったのだ、そしてこうして導いてくれる手があるのなら『楽園』にだって辿り着けるだろうと。
- 36 -
*前次#
ページ: