番外編
※侑と治の幼少期を捏造。
※治が侑に対してちょっと暴力的。
子どもの頃、家で治と取っ組み合いの喧嘩になった時は、いつの間にかお互い狐に戻っており、狐姿で絡まり合いながら部屋中をコロコロ、コロコロ転げ回っていた。するとどこからともなく現れた、鬼婆のような顔をした母親に二人して首根っこを掴まれ、人間に戻るのを待ってから家を追い出されたのだった。
「いつも家で喧嘩すなって言うとるやろ! あと狐に戻んな!」
ぽい、と玄関の扉から投げ捨てられる。それが春や夏だとそのまま二人で座って、おかん今日も絶好調やったなぁ、せやなぁ、と喧嘩も忘れて喋り出すのだが、秋や冬だと、寒いな、と顔を見合わせて同時に白煙を上げるのだった。狐姿で熱を分け与えるように寄り添いあい、やはり喧嘩を忘れて、おかん今日も絶好調やったなぁ、せやなぁ、と喋り出した。やがて、玄関から物音が聞こえてくるので、再び、同時に白煙を上げた。玄関の扉が開かれると、顔を出した母親にあんたら今狐になっとったやろ、と聞かれるのだが、二人して首を横に振って、なってへんよ、と嘘をついた。すると、呆れたように額に手を当てた母親に深いため息をつかれ、もうええわ、と言われ、ようやく家に入れてもらうのだった。
なんで、俺らは狐になるんやろ。
たまに、考えることもあった。しかし、三歩くらい歩けばその疑問はすぐに霧散した。考えたところでなってしまうことには変わりないし、狐になってしまっても特に困らないからだ。
侑はよく狐姿で街を歩いており、その姿を街の人たちに目撃されていた。しかし、侑のような堂々としたご先祖様がかつていたからか、それとも、いるのかどうかも分からない狐の神様とやらがこの街に遊びにくるという言い伝えがあるからか、この街の風景に狐は馴染んでいるようで、狐姿の侑を見た人たちは、あ、狐や! と指を指してくるだけで、特に追っかけ回してきたり、追い払おうとしてきたりすることもなく、大抵の場合は、犬猫を見た時のように、狐姿の侑の横を素通りするのだった。
だから、どうして、狐になるのか、といった、つまらないことを考えるのは時間の無駄でしかなかった。そんなことを考えるくらいなら、もっと楽しいことを考えていたいし、していたい。細かいところは多少違うかもしれないが、治も同じ様子だった。
それはいつの頃だったか。確か、近所の公園を囲む桜が満開の頃だった。
「もうすぐ年長さんになるんかぁ」
「侑はなれるかどうか怪しいやろ」
「はぁ? なんでやねん。お前がなれるんやったら俺もなれるやろ」
「侑、知らんのか? 年長さんになるためには試験受けなあかんのやで。進級試験ってやつや。昔一回だけ行ったプールの教室でもそんなんあったやろ。年長さんになるためにはその試験に合格せなあかんのやで」
「え、そうやったん? 俺、その試験受けてへんわ。先生、忘れとったんかなぁ」
「侑だけ留年やな」
などと話しながら、公園で治とバレーボールで対人パスをしていた時だった。ヒラヒラと舞い散る桜が鼻をかすめ、ぶぇっくしょーんと唾や鼻水を飛ばすと同時に狐に戻ってしまった。ボールをキャッチした治は汚いな、と眉を顰めたが、すぐに、あ、と言って眉を離した。治の視線は侑の後ろに注がれていた。侑も振り返ると、公園の出入り口にある自転車侵入禁止の柵に少女が両手をついてこちらを見ていた。同じ年くらいに見えるその少女は侑が狐に戻る姿を見てしまったのだろう。驚いた様子で目を丸めている。
見られてもうた、と思ったが、焦ることはなかった。それよりも悪戯心がくすぐられた。女の子を驚かすのは楽しいのだ。特に可愛い女の子を。
今が絶好のチャンスだった。
侑は牙を剥く。みぃーたーなぁーと唸ろうとしたのだが、それは阻まれた。
「可愛い!」
女の子が丸めていた目にキラキラの輝きを灯したからだ。女の子はこちらに向かって駆けてくる。物おじする様子もなく、狐になった侑を抱き上げた。
「可愛い……」
女の子にいきなりぎゅっと抱きしめられて、びっくりしたけど、こうして抱きしめられるのも悪くないと思った。温泉に入った時のように胸の辺りがポカポカと幸せになったのだ。うっとりとした心地で女の子の胸に体を預ける。女の子は暫く侑に頬擦りをしていたが、顔を上げると治の方を向いた。
「あなたのわんちゃん?」
なんでやねん、と侑が突っ込んだ。
「わんちゃんとちゃうわ。どう見ても狐やろ」
言い終えるが早いか、頭に軽い衝撃が走り、首が前に折れる。
「喋んな、ボケ」
治に頭をハタかれたらしかった。怖い顔で見下ろされる。治は何をそんなにも怒っているのだろうか。痛いなぁ、と言えば、また、キッと睨まれる。
「あなた喋れるの?」
「喋れるで!」
「だから、喋んな!」
女の子はクスクスと笑い出す。治は呆けた顔をして尋ねた。
「狐が喋っとんのに、驚かんのか?」
「驚かないよ。テレビでよく喋ってる動物見るから」
そうかぁ? と侑と治は同時に首を傾げる。すると、また、ぷっと笑った女の子は説明しだした。
朝のテレビでね。女の子が戦うんだけど、それでね。熊みたいな動物が喋るの。あなたみたいな大きさの子だよ。
あぁ、と双子は漏らす。日曜の朝にいつも並んで見ている戦隊モノの番組が始まる前にそういうアニメがあった。そのアニメでは、戦う少女の傍で熊のような生き物がふよふよと浮いており、その熊は人の言葉で会話をするのだ。侑を眩しい瞳で見てくる彼女は侑をその熊のような生き物だと思っているのだろう。侑は肉球のついた前足で女の子の頬をむにむにと押した。
「アホやな。それアニメやで。嘘話や、うそばな――」
「お前はもう黙っとけ」
また、治にハタかれる。
「なんやねん、うっさいなぁ」
「うっさいのはお前や。せっかく、えぇ感じで誤魔化せそうやったのに。あと人の夢をぶち壊すな」
「別にええやん。親切でそれは嘘話やでって教えたったんやから」
「誰がそれを望んどんねん。余計なお世話やろ」
「お前のが余計なお世話やろ」
「はぁ?」
「はぁあ?」
バチバチと火花を散らして、このまま喧嘩になるのだろうか、と思ったのだが、二人の間で女の子がおかしそうにするので、なんだか照れ臭くなってしまう。耳の先を赤らめた治も同じだったようで、がんの飛ばしあいは息を合わせたように鎮火した。
「二人は仲良いんだね」
良くないわ! と二人で声を合わせると、また笑われる。誰がこいつと仲良いねん、と思ったけど、自分を抱きしめてくれた女の子が楽しそうに笑ってくれたので良かったなぁ、とも思った。
なんで、俺らは狐になるんやろ。すぐに考えるのをやめるくせに、そんなことを、ふと考えてしまう時が確かにある。もしかしたら、狐になるなと母親に怒られたり、あ、狐や! と指を指されたりする度に、棘ができていて、それはとても小さいのだけど、確かに先は尖っていて、まるで、喉に刺さったいつまでも取れない小骨のように、小さなそれが心の奥底にチクッとささっていたのかもしれない。
でも、こうして、可愛いと言って狐になった自分を抱きしめてくれる子がいるなら、狐になる人生もえぇかなぁ、と思うのだった。
「自分名前は?」
「ナマエ!」
「俺は侑や」
「俺は治や!」
この後、三人でバレーボールを使って遊んだ。狐姿で尻尾や背中を使ってボールをリフティングするとナマエが手を叩いて喜んでくれたので、何回も見せてやった。そうこうしているうちにすぐに、夕暮れ時になった。四時半になると子どもは家に帰らなければならない。そうスピーカーから地域放送が流れるのだ。
「ほなまたな」
「うん、またね!」
そうやって手を振り合ったけど、ナマエと名乗った女の子と、再び、会うことはなかった。
季節は巡り、あの日の公園の記憶も、あの日の女の子の記憶もなくなった頃。同じように彼女も不思議な夢のような記憶を忘れた頃。その女子生徒は校舎の陰で驚いたような顔をして抱えていたゴミ袋を落とした。きっと、狐に戻った侑を見てしまったのだろう。チャンスや! と思った。そういえば、昔もそんなことを思って悪戯しようとしたことがあった気がする。しかし、いつのことだったか、とか、その時どういった悪戯をしようとしていたのか、などは思い出せなかった。日頃から、ボケるタイミングや突っ込むタイミングを見計らってはチャンスや! と思っているので、似たような記憶からたった一つを掬い出すことは難しいのだ。それに、そんなことを思い出している場合ではなかった。なんたって可愛い女の子にちょっかいを出せるチャンスが目の前にあるのだから。ちょっと驚かせたろ、と思い、牙を剥いて、唸りながら振り返った。
「みぃーたーなぁー」
自分では主演男優賞をもらえるほどの渾身の出来だと思ったのだが、キョトンとした彼女はぷっと吹き出した。侑の方がキョトンとしてしまう。どうやら、彼女は北の知り合いだったようで、北が狐になることも知っているようだった。だから、狐になった侑を見ても驚かなかったのだろう。なんや、つまらんな、と思っていたら、女子生徒は北のことを話した後、しまった、というような顔をした。また新たな悪戯を思いつく。ナマエと名乗った彼女はちょっとおにぶさんらしく簡単に抱っこしてもらえた。大切なものを抱えるように抱きしめられる。ナマエの胸に体を預けると心がポカポカと温かくなった。こういう風に、自分を抱きしめてくれる子がそばにおったら毎日が幸せなんやろなぁ。そんなことを思った。
狐姿であってもその正体は大きな体をした男子高生だと気づいた彼女は、もう、抱っこをしてくれないと言う。彼女の顔を真っ赤にして拗ねている様子がやっぱり可愛くて、また会いたい、という思いが、もう忘れたいつかのように、ほなまたな、と手を振らせた。もしかしたら、あの日に棘が抜けた場所にこっそり種が植えられていて、今日それが発芽したのかもしれなかった。
それは、学校を囲む桜が満開の季節のことだ。