そして、転校してきた翌週の金曜日。
その日、掃除当番だったナマエは、放課後ゴミ捨て場にゴミを運んでいた。ゴミ捨ては二度目のことだったので、場所はばっちり把握している。一人で大きなゴミ袋を抱え、校舎裏にあるゴミ捨て場へと向かっていた。しかし、校舎のこの角を曲がれば、ゴミ捨て場というところでぴたりと足を止める。ゴミ捨て場の前に、明らかに不良ですとでも言うようなキラキラに髪を染めた男子生徒がいたからだ。
こ、怖い……
ナマエは校舎に身を隠し、そっとゴミ捨て場を覗く。金髪の男子生徒はめんどくさそうに持っていたゴミ袋をゴミ捨て場に投げた。そして、手をぱんぱんと払って、ふぁーと大きな欠伸をする。その刹那。いつぞやに聞いたぽんと可愛らしい音がした。すると北の時と同様に金髪の男子生徒がいた場所から白い煙がたち、その煙が薄れると、麦畑を連想させるような美しい黄金の狐が姿を現した。
ナマエは思わず持っていたゴミ袋を落とす。物音に反応したかのように尖った耳をピクリと動かした黄金の狐はこちらへ振り返った。
「みぃーたーなぁー」
振り返った黄金の狐は唸るような声をあげ、目を凶悪に細め、鋭い牙を剥き出しにして、ナマエを睨みつける。それでも愛らしさを隠しきれないその姿にナマエは吹き出してしまった。
「なんや驚かんのか?」
黄金の狐は拍子抜けしたように表情を緩め、きょとんとした顔でこちらを見る。もしかしたらこの人はいい人なのかもしれない。ナマエは安堵のため息を漏らし、落としたゴミ袋を拾って、ゴミ捨て場に運び、ぽいっとそれを捨てながら、隣でこちらを見上げる黄金の狐に向かって言った。
「びっくりはしたけど、北くんが……」
と言いかけて、口を塞ぐ。北が狐と言うことを口にするのは不味いのではないかと。
しかし、北が狐だということは、黄金の狐も知るところだったようで、彼は「なんや、北さんの知り合いかー」と、残念そうに肩を落とした。
「というか、その反応。自分北さんに狐やってこと口止めされとんのか?」
「そういうわけでは……」
北からは特に何も言われてはいないが、あまり人に言っていいことではないような気がする。そう思ったナマエが口を塞いだままでいると、黄金の狐は不思議そうに首を捻り、そのまま考え事をするかのように上を向いたかと思うと、何か閃いたような顔をしてぱっちりとした瞳にキラキラの輝きを灯した。そして、先が白い黄金の尻尾を犬のようにパタパタと振り出し、こちらに向かってニヤニヤ笑い出す。
「北さんにゆうたろかなー」
「それはちょっと……」
北のことをぺらぺらと言い回っている女だと北に思われたくない。苦笑しながら返すと、黄金の狐は相変わらず尻尾をパタパタパタパタ振りながら、どうしよかなー、ゆうたろかなーとこちらの反応を楽しむかのように繰り返す。
この狐は何を企み、そんなにも楽しそうなのか。そして、これから自分は何を言われるのだろうか。
悪戯好きの少年を前にしているような気分になったナマエはごくりと生唾を飲む。
「ほな黙っといたるから、抱っこしてーな」
「抱っこ!?」
明るく発せられた予想外の言葉にナマエは全身から力が抜けた。見上げる黄金の狐の顔からはもうニヤニヤとした笑みは消えており、代わりに瞳をキラキラに輝かせた眩しいくらいの満面の笑みが浮かべられている。相変わらずふさふさの尻尾はパタパタと振られていた。
「なんや、あかんのか? こんな愛らしい狐さんやで」
「むしろいいの? 男の子なのに……」
北は男だから抱っこは嫌だと言っていた。きっと男の子は抱っこされるのが恥ずかしいのだろう。そう思っていたナマエなので聞き返してしまう。
「男の子やからやろ」
黄金の狐ははち切れんばかりに尻尾を振りながら言った。ナマエに彼の言葉の意味は分からなかったが、こんなに可愛くお願いされたら断る理由はない。それにちょっと触ってみたいと言う気持ちもあった。
「いいよ」
ナマエは狐の前足の下に手を入れその体を掬い、胸に大切に抱えて、近くのベンチに座った。
「やっぱ女の子の腕の中はええなー」
ナマエの腕の中で黄金の狐はまるで温泉にでも入っているかのような気持ちよさそうな声を出す。そして、再びふわわぁと大きな欠伸をし、こちらを見上げた。
「自分、名前なんていうん?」
「ミョウジナマエです」
「俺のことは知っとるやろ?」
堂々とその言葉を言い放つ彼は有名人なのだろうか。しかし転校してきたばかりのナマエはその名を聞き及んではいない。
「ごめん……知らない」
「嘘やん! ショックや……俺のこと知らん女子がおるなんて……ショック過ぎる」
黄金の狐がこの世の絶望を全て背負ってしまったかのような顔をして項垂れる。哀愁を染み出す丸まった背中にナマエは少し笑ってしまったが、こんなにも落ち込まれると、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね。私こないだ転校してきたから」
「そーなんや!」
顔をパッと明るくした黄金の狐は弾かれたようにこちらを見上げる。
「ほなちゃんと自己紹介せんとな。宮侑や。仲良うしたってなー」
言い終えた侑はナマエの胸に頬擦りをした。その愛らしい姿に、ナマエの手のひらサイズの侑の頭に手を伸ばすと、もっと撫でてと言わんばかりに頭を擦り付けてくる。なんだか一気に打ち解けられたような気がした。やっぱりこの狐はいい人というか、いい子だ。不良だと怯えてしまったが、人を見た目だけで判断してはいけない。このまま侑が狐にならなければきっと彼とは一度も関わることなく、高校生活を終えていただろう。でも、あれ? とナマエの頭に疑問がよぎる。
「宮くんはなんで狐の姿になったの?」
北は新月の晩は人に化けられないと言っていた。侑にもあの場で何か狐に戻らざるを得ない理由があったのだろうか。
「あぁ、なったというか、なってもうてん」
侑はけろりとした顔で続ける。
「気抜いたら狐に戻ってまうねん」
「え?」
「たまにくしゃみで戻ってまうときもあるしな」
「え? それ大丈夫なの?」
少し心配になる。そんな簡単に狐に戻って日常生活に支障をきたさないのだろうか。
しかし、ナマエの心配をよそに侑はきょとんとした顔で何が? と首を傾げる。
「その、人に見られたり、とか……」
「まぁ……別に見られても困らんしな」
「そういうものなの?」
「そういうもんやろ」
本当かなと、いささか疑問ではあったが本人がそういうならそうなのだろう。
では、初めに見せたあの『みぃーたーなぁー』はなんだったのだろうか。その時の侑の姿は愛らしい見た目ではあったが、どう料理してくれようとでも言うような怖い顔をしていた。
「なんで最初驚かそうとしたの?」
「そういうもんやろ」
再びけろりと言われる。
「そうなの?」
「むしろあれやらんで他になにやんねん」
段々侑の性格が分かってきた気がした。本当に不良なんてとんでもない。ただのいい子な面白いこと好きの男子高生だ。可愛いなぁと思い、再び頭を撫でてやると、侑は気持ちよさそうに目を細めた。
そして、ふと気になる。北も侑のようにぽんぽん狐に姿を変えるのだろうかと。北は狐姿を人に見られたことがないと言っていたが狐同士の仲間内ではひょっとしてと。
あの隙が全く見当たらない北がくしゃみで狐姿に戻ってしまうところを想像すると、可愛さのあまり顔がニヤけてしまう。
「北くんもよく戻ったりするの?」
「いや、北さんが戻ってはるとこなんて見たことないわ」
そうですよねと納得する。そこはやはり北であった。それと同時に少し、嬉しくなる。白銀の狐と並んで歩いたあの新月の夜。仲間内でも狐姿にはならない北は、狐姿を晒してまでナマエを気にかけてくれたのだ。迷惑をかけてしまったなと申し訳ない気持ちもあるが、そうまでしてくれた北の優しさが嬉しかった。
「あの人いつもかっちり人間やってはるからなー。むしろナマエちゃんよう北さんの狐姿見られたな」
言い終えた侑ははっとした顔をして固まる。そして、顔を真っ青にして足のつま先からピンと尖らせた耳の先まで身をブルリと震わせた。
「どうしたの?」
「も、もしかして、ナマエちゃん北さんの彼女さん?」
「いやいやいや、転校してきたばっかだし! ただのクラスメイト!」
「なんやよかったー……北さんの彼女さんに手出してしもたんかと思ったわ」
侑はふぅと長い息を吐き、硬らせた体から力を抜く。今ので寿命三年は縮んだでと呟いているが、そんなにも北が怖いのだろうか。確かに北に鋭い瞳を向けられたときはナマエも怯えてしまったが、寿命どうこういう程ではない。
「ほなまだチャンスはあるわけやな」
「何のチャンス?」
「こっちの話や」
侑はニヤニヤ笑いながらこちらを見上げた。それでもぬいぐるみ感を醸し出す侑の狐姿にナマエが頭を撫でてやると嬉しそうに笑ってくれた。
この光景はあまりにも非日常的だが、ナマエはすっかり受け入れていた。しかし、思えば転校して一週間足らずで二人の狐に会ってしまったのだ。こんなにホイホイと狐の子が目の前に現れてもいいのだろうか。ナマエは首を傾げる。もしかして、自分が思っているよりも狐の子ってたくさんいる?
「他にも、狐の子いるの?」
「おるで。なんや北さんしか知らんのか?」
「うん」
「ま、教えたらんけどな」
「そっか」
そりゃそうだよねとナマエは肩を落とす。侑は人に見られても困らないとは言ってたが、うっかり狐姿を見てしまったナマエに気を使っての発言だったのかもしれない。実際はそうでもないのだろう。狐が人に化けるということがフィクションの内で留まっているということは、彼らは狐だということを隠しているということなのだ。
「勘違いせんといてや、意地悪で教えたらんのとはちゃうねん」
「そうだよね」
分かっている。侑は気軽に話してくれてはいるが、さっき会ったばかりの人間にそう簡単に仲間を売るようなことはしないだろう。
「だから勘違いせんといてって」
侑の小さな肉球のついた手で腕をぽんぽん叩かれる。
「わざわざ可愛い女の子に他の男紹介したりせんやろ」
「え、そっち? それに可愛いなんて。そんな……」
突然の褒め言葉に顔が熱くなる。
「可愛いな。ほんでちょっとおにぶさんやな」
「おにぶ?」
「ええねん、ええねん、気にせんとって」
侑の性格が分かってきたと思ったが、彼の言葉はたまに理解できない。ナマエが首を傾げていると、侑に笑われた。
「そろそろ戻らんとな。部活あるし」
侑がぴょんとナマエの腕から飛び降りる。そして、先程聞いた可愛らしいぽんという音と同時に煙を立て、人間の姿に戻った。
侑の人間の姿を近くで見ると少し驚く。
「どないしてん」
「身長おっきいなって思って」
「せやろー」
嬉しそうに微笑む姿は狐の時と全く一緒だ。やっぱり同一人物なのだとナマエが納得していると、目の前で侑が両手を広げた。
「人間の姿のときは俺が抱っこしたるわ」
「え、やぁ、それは流石に……」
背の高い侑の腕に包まれている自分の姿を想像すると、顔が熱くなる。そして。
「私、今まで……」
今までこんな大きな男の子を腕に抱えていたのかと思うと、さらに顔が熱くなった。
『こんな身なりしてるけど、一応、男、やからな』
北の言葉を思い出す。男の子は女の子に抱っこされるのが恥ずかしいからそう言っていたのだと思っていた。
こういうことだったんだ!
「なんや、今更気づいたんかいな。やっぱ可愛いなぁ」
ナマエの考えていることを悟ったのか、侑がケラケラ笑う。何の恥じらいもなく抱っこしてあげると言ったり、無邪気な笑顔で『抱っこしてーな』とお願いしてきた侑は、男女間でハグすることを特に気にしないタイプなんだろうなとついさっきまで思っていたが、からかわれていたのだと気づいた。
この子、いい子だけどいい子じゃない!
「ほなまたな、おにぶなナマエちゃん」
「おにぶってそういうことだっだの!?」
「さぁ、どうやろな」
ナマエより遥かに背の高い侑はナマエの頭をぽんぽん撫で、やはりケラケラ笑い去っていった。
「もう、抱っこしないからね!」
侑の背中に投げかける。侑は振り返り、後ろ向きで歩きながら、両手を高く伸ばしひらひら振った。
「ええよええよー、今度はナマエちゃんからさせてくださいってお願いさしたるから」
そして、歯を見せて笑って再び前に向き直り、足を進めた。
お願いなんてする日はきません!