三人の狐の友達とは、相変わらず。北は頼もしいクラスメート、侑は会うたびにからかってくる後輩、角名は気まぐれにお喋りをしてくれる後輩。
その日、ナマエが体操服を忘れたのは、転校生という緊張から解放されたせいもあるだろうし、ゴールデンウィーク明け特有の休みが抜けきってない感のせいもあるだろう。四限目の体育直前まで体操服を忘れたことに気づかず、体育を見学していた。
「じゃあ、体育館出たとこのベンチで待ってるね」
体育が終わり、ナマエは着替えに更衣室に向かう友人二人に手を振って体育館を出る。向かう先は、体育館を出てすぐ横に曲がって見える自動販売機の奥に設置されたベンチ。ここからベンチは自動販売機に隠れて見えないが、まだ授業中だ。もうすぐチャイムが鳴るとはいえこの時間に誰も座ってはいないだろう。お腹すいたなぁとお腹をさすりながら進む。自動販売機を越えると、色褪せた水色のベンチが見えてきた。案の定、誰もいなかったが、可愛らしい先客がいた。
稲穂のような黄金の猫。いや、この尖った大きな耳と先が白いふさふさの尻尾には見覚えがある。狐だ。
ベンチの上で丸まっているその狐はナマエの後輩。宮侑だった。
「宮くん! また狐に戻っちゃったの?」
声をかけると、狐は眉尻を下げながらぼうっとこちらに視線をやる。
「なんやこの感じ久しぶりやな」
「久しぶり?」
侑にしては落ち着いた声色。というよりも機嫌が悪いことを思わせるような気怠げな声。声かけて悪かったかなとナマエが心配していると、ぽんと音が鳴る。同時に狐がいたところから白煙が上がり、煙が薄れると、人の姿をした侑が現れた。と、思いきや。
「あれ? 宮くん? 髪の色、が……?」
その髪は煌めく灰のような銀色だった。相変わらず眉尻は下がったまま。会うたびに太陽のような眩しい笑顔を向けてきた侑だったので、やはり機嫌が悪いのだろうかとナマエは心配になる。
「自分が言ってるんは侑の方や。俺はそいつの双子。治な」
「え?」
「フリーズしよる。こういうん久しぶりや。おもろいな」
治は眉尻を下げたまま口に緩やかな弧を描く。
「せやから俺と侑は双子やねん」
双子。その単語がナマエの頭を巡り、フリーズしたままだった脳がようやく動き出す。脳細胞に刻まれた辞書が教えてくれた。侑とは別人物だよと。あぁ! と声に出す。
「だからそっくりだけど、全然違うんだ!」
「いや、それどっちやねん」
まぁ言いたいことは分かるけどな、と治は眉尻を下げたまま可笑しそうに笑った。
「隣座ってもいい?」
「ええよ」
治がベンチの端により、反対側の端にナマエが座る。少し座る場所を移動しただけで疲れましたと言いたげにふぅと息を漏らす治を見てナマエは思い出した。
『気抜いたら、狐に戻ってまうねん』
侑の言葉。つまりは、人の姿でいることは気を張っているということだ。会った時、治は狐姿だった。もしかしたら、体調が悪くて狐姿でいたのかもしれない。
「宮くんは、あ、えと……」
これでは、治か侑が判別がつかない。そう思い、口ごもっていると、こういう反応には慣れているのだろうか。隣から治でええよ、と言われる。
気を取り直して。
「治くんは狐に戻らなくて大丈夫なの?」
「女の子の前で狐姿は失礼やろ」
「なんで?」
「服着てへんし」
カッと熱くなった顔をナマエは両手で覆う。
「やめて! 今までそんな目で見てこなかったから!」
「おもろいな」
治の方からぷっと笑う声がした。
「ほなお言葉に甘えて狐に戻らせてもらうわ」
治がいうなり、再びぽんと音が鳴る。顔をあげると、腹減るとどうもダメやねんなぁ、と言ってベンチの上で猫のように丸まる黄金の狐がいた。
なんだ、お腹が空いてただけなんだ、とナマエは胸を撫で下ろす。侑はくしゃみで狐に戻り、治はお腹が減って狐に戻る。そう考えると可愛い双子だなぁと思う。
彼らは、狐になっても双子らしくぬいぐるみのように愛らしい見た目はそっくりだ。しかし、性格は少し違うように見受けらる。双子は一緒に育つと互いを意識して、性格は変わってくると聞いたことがあるが、彼らもそうなのだろう。
「治くんは紳士なんだね」
ついぽろりとこぼしてしまう。
狐姿の侑は抱っこを要求してきた。別に嫌ではなかったし、侑も少しからかってやろうという悪戯心からで下心は無いように思えたが、大人しく隣で座る治は紳士そのもののように見える。
治は不思議そうに首を傾げ、眉をハの字にして困ったような笑みを浮かべた。
「紳士もなにも座っとるだけやねんけど。自分、侑に何されてん」
「何かされたってわけじゃないよ」
慌てて両手を振る。でも、治くんは穏やかだなと思って、と付け加えると、治は眉をハの字にしたまま。けれど、片方の広角だけを上げ、歯を見せて笑った。
「俺かて狐の皮を被った狼やで」
この顔には見覚えがある。侑が何か悪戯をしようとしているときの顔だ。思わず吹き出す。
「可愛い。そういうとこ宮くん、あ、侑くんね、侑くんに似てる」
「どっちも褒め言葉とちゃうで」
治が不貞腐れたように眉を寄せるので、そんな顔をされるほど気に障ることを言ってしまったのかと慌てて、ごめんねと謝る。すると、先程のようにニヤリと笑われた。
「冗談や冗談。自分反応良すぎやろ。侑にからかわれてそうやな」
ぐうの音も出ない代わりに、ナマエの唇は尖っていく。再び可笑しそうに、おもろいなと笑われた。その時。背後から突然声がかかる。
「お待たせー、ナマエちゃん」
びくりと肩をあげたナマエが、声を辿ると、制服に着替えたナマエの友人二人がこちらに向かって歩いてきていた。
どうしよう!
だって、隣には狐が丸まっているのだ。
角名によると、狐の彼らは狐であることを隠している。もし、狐が校内で見つかったとなれば大騒ぎになるのではないか。そうなれば狐達の彼らはこの学校で生活し辛くなるのではないか。
友人二人に狐治を見られるわけにはいかない。
今はまだ、友人達には治の姿は見えていないのだろう。友人達と治の間に、自動販売機とナマエが盾となって入っているからだ。しかし何の躊躇もなく歩みを進める友人達が狐に気づくのは時間の問題だ。
なんとか、治に人に戻ってもらいたいが、治が人に戻ろうとすれば、白煙があがる。そんな不自然な煙を友人達が、見逃すだろうか。きっと驚いた友人達にナマエと治は質問攻めに合うに違いない。白煙のいい言い訳なんて思いつかない。
こちらに向かってくる友人達を止めなければ。それしか手はない。狐姿の治はきっと、何もできない。ナマエが、止めなければ。
ナマエは近づいてくる彼女達に向かって静止するよう両手の平を向ける。しかし、突然訪れた危機に、喉が強張り、声が出ない。体も強ばり、動けない。どうしよう、どうしようと鼓動をバクバク感じている最中にも友人達は距離を詰めてくる。ごめん! 治くん、皆。守ってあげられないっ、とナマエが諦めかけたその時。友人の一人が声をあげた。
「あ、治くん!」
え、治くんが狐って知ってるの!?
ナマエは反射的に治に視線を戻す。黄金の狐がいた場所には、人の姿をした治が素知らぬ顔で座っていた。
なんだ、いつの間に人に戻ってたんだ。
治が無事に人に戻れていたことに安心したナマエだったが同時に少し恨めしく思った。人に戻ったのなら、戻ったと一言教えてくれればあんなに焦ったりしなかったのに、と。
きっと、治は、背中を向けたナマエが必死に友人を止めようとしていたなどとは知るよしもなかったのだろう。と、思われたのだが、治は突然ぷっと吹き出した。
「慌てすぎやろ。やっぱおもろいな」
わざとだ! 焦ってるって分かってたのにわざと教えてくれなかったんだ!
治に対して言葉は出ないが、ぐうの音だけが喉からなる。
「ナマエちゃん治くんと知り合いやったん?」
「ううん、今友達になったとこ」
尖らせてしまった唇を慌てて引っ込め、立ち上がる。友人が治に向かって「治くんさぼりやろ、あかんでー」と言うのを隣で聞きながら。
本当、”あかんで”だよと心の中で呟きながら、友人二人と教室に向かおうとすると。
「またな、おもろいナマエちゃん」
治は、相変わらず太めの眉を下げたまま、片方の口角だけを上げ歯を見せて笑った。きっとその言葉の後には、また笑かしてな、という言葉が付いている。
「私は面白くなんてないです」
またからかって、とナマエが頬を膨らませると、再びぷっと笑われたのはいうまでもない。