※妊娠ネタ※

 五色くんに別れを告げてから、一ヶ月が経った。体調も収まってきたので、そろそろ新生活に向けて、諸々と動き出さなければならない。引っ越しもしなきゃなぁ、とつい後回しにしていたことに苦笑してしまった。
 この一ヶ月間、五色くんからは一度も連絡が来ることはなかった。私が送った、もう来なくていいよ、のメッセージが私たちのトークルームでの最後のやり取りとなったのだ。もちろん五色くんが部屋に来ることもなかった。空虚感に対して、これでいいんだ、と言い聞かせながらも、やり残したことがあることに目を瞑っていた。引っ越しの件もそうだ。だから、扉の鍵は開けられてしまったのだろう。五色くんから回収しなければならなかった鍵をまだ五色くんに託したままだったのだ。それは、夜の食事を終えた時のことだった。
 懐かしく響いた、鍵の開く音に胸がドキッとしてしまう。
 五色くんが来てくれた。五色くんが来てしまった。
 相反する感情がねじり棒を紡ぎ、胸を締め付けてきた。玄関へ走れば、何事もなかったかのように、お邪魔します、と笑う五色くんが閉めた扉を背に立っていた。
「なんで……」
「毎日来るって言っておきながら久しぶりになっちゃいました。一ヶ月間、合宿に参加してたんです。代表選手が集まるっていう。こないだURL 送ったでしょ。ちゃんと見てくれました? それで、今朝、合宿が終わったんで荷物だけ家に置いて来ちゃいました」
「そうじゃなくて……」
「ここに来る前に連絡入れなかったのはごめんなさい。でも連絡してもどうせナマエさんはダメって返すでしょ」
 下を向いてスニーカーを脱ぎながら言った五色くんは、体調はどうですか? と顔を上げる。私が何も言えないでいると、スニーカーを脱ぎ終えた五色くんは、俺にできることがあればなんでもしますよ、と言いながら私を追い越してリビングへと向かっていった。慌てて、離れていく背中のジャージを掴む。不思議そうな顔で振り返った五色くんは、私と目が合うとニコリと笑った。
「どうしたんですか?」
「どうしたは五色くんだよ。なんでここに来たの?」
 五色くんは笑顔を保ったままだったけど、悲しげに眉尻を下げた。
「なんで俺が来ないと思ったんですか? 約束したでしょ。最後に触らせてって」
「そう、だけど……もう、五色くんに私は必要ないでしょ」
 私がそう言うと、五色くんの顔からフッと笑顔が消えた。五色くんは俯く。なにだよそれ、と聞こえてきたかと思えば、五色くんの空気が変わった気がした。五色くんが再び顔をあげると、体がすくんでしまう。初めて五色くんをこの部屋に招いた時のように、目の前には男の人の瞳があった。
「俺をいらないって言ったのはナマエさんの方だろ」
 低い声を出されて、五色くんのジャージを掴んでいた手が震えてしまう。ジャージからパッと手を離して体の後ろに震える手を隠してしまおうとすると、五色くんに手を掴まれてしまった。
「離して……」
「なんで?」
 じっと見つめられて、目を逸らす。私の手を掴む力が強まった気がした。少し、痛い。
「いいから、離して」
 廊下のフローリングに向かって言えば、今度は震える声が、なんで、と言った。
 なんで、の問いには答えられなかった。手を離してもらうためには、なんでの問いに対して五色くんを傷つける嘘を言わなければならないからだ。やっと会えた好きな人を好き好んで傷つけるものなどいないだろう。
 このまま何も言わなければどうなってしまうのだろうか。無言の空間のまま時が止まってくれるのだろうか。それもいい気がする。五色くんと手を繋いだまま時が止まってくれた方が、五色くんに酷いことを言うよりも幸せな気がするから。
 でも、そんな馬鹿げたことは起こらなかった。フローリングをぼんやりと眺めていると、五色くんは、なんでだよ、と沈黙を破った。
 五色くんは泣いているのだろうか。声を震わせたまま捲し立てた。
「そんなに俺が嫌なの? 嫌いになったの? 俺はもうナマエさんに触っちゃダメなの?」
「そうじゃなくて……」
 違う。そうだ、と言えば良かったのだ。そうすれば、全てを終わらせることができたのに。
「じゃあなんで? まだ体調悪いの? ならちゃんと我慢しますから!」
 そういう話をしている訳じゃないの。五色くんに触られたくないの。五色くんが嫌いになったの。だから、さっさと離して。
 言わなくちゃいけない言葉はちゃんと頭に浮かんだのに、口からは出てくれなかった。
「何か言ってくださいよ! 俺ちゃんと言うこと聞きますから! 嫌なら触りませんから! だからっ……だんまりはやめてください……」
 私の手を掴む力が弱まる。今なら簡単に五色くんの手を振り解けるのに、手を大きな手に包まれたままでいてしまった。
「俺のこと、ちゃんと見てよ……」
 あまりに弱々しい声が聞こえてきたので、五色くんの方を向くと、俯く五色くんはやっぱり泣いていた。まるで祈るように掴んだ私の手を額に当てている。
 好きな人の辛そうな姿を見ると、胸が張り裂けそうで、必死に押さえていたものが蓋を開けてしまった。
「私子どもができたの!」
 え、とだけ漏らした五色くんは顔をあげた。呆けた顔で私を見ている。
 五色くんはなんて言うのだろうか。
 怖くて、五色くんから顔を背けた。
「だから私……子どもができたの……」
「え……待って、ナマエさん……え……なに……子ども?」
 五色くんはあっさりと私の手を離して、自分の髪の毛を無造作に掴んだ。
「ごめん、俺、何も考えられない……」
 五色くんは本当に何も考えられないと言った様子で、頬に流していた涙はそのままに、どこか宙をぼんやりと眺めている。虚な声で、え、とか、待って、とかを繰り返して、随分とショックを受けているようだった。
 こんな反応をされるくらいなら、やっぱり五色くんに子どものことを話さなければ良かった。喜んでくれるとは思っていなかったけど、拒絶されるとも思っていなかったのだ。
 胸の中に黒い絵の具がぽちゃん、と落ちてじんわりと冷たく蝕んでいく。
 五色くんに何を言ってあげればいいのだろうか。心配しないで。別に責任取ってもらおうとは思っていないから。それでいいだろうか。そう思っていたら、五色くんは、怯えたように言った。
「それ……誰の子ども?」
「はぁ!?」
 思いもしなかった言葉に語気を荒げてしまった。
「失礼にも程があるでしょ!」
「いや、だって、え……? ナマエさんはその人と結婚しちゃうの?」
「はぁ!? 何言ってんの!」
「だって、え……?」
 五色くんはまだ、首を傾げている。私が五色くん以外の誰かと関係を持っていると思っているのだろうか。なんでこんなことを言われなければならないのだ。私まで髪の毛をクシャクシャにしてしまう。
「子どもは五色くんとの子どもだよ!」
「え? あ、そっか……俺が生でしたから……でもナマエさんピル飲んでるって……」
「ピル飲んでるって言った時、五色くんが泣いたからやめたの!」
「え、なんで? ま、いっか……そっか、ごめん……ごめんね、ナマエさん……」
 五色くんはようやく髪の毛から手を離して項垂れた。
 やっと誤解が解けたのかと思い、いいよ、と言おうとしたら五色くんは下を向いたまま力なく言った。
「ナマエさんには他に好きな人がいるのに……」
「はぁ!?」
 また頭に血が昇ってしまう。
「なにそれ! 誰のこと!?」
「そんなの知りませんよ……ナマエさんが言ったことでしょ……」
「そんなこと一言も言ってないよ!」
 弾かれたように顔を上げた五色くんは私に合わせるように、言ってましたよ! と声を張り上げた。
「いつ私がそんなこと言ったの!」
「ピル飲んでるって話してくれた時!」
「言ってないよ!」
「言ってましたよ!」
「言ってない!」
「言った!」
 互いに息を荒げて向かい合う。言った言わないは埒があかないことを知っている。
「じゃあ、私が他に好きな人がいるって言ったとして、私にその人に会う時間なんてあると思ってるの? 毎日仕事で忙しい中、毎日のように五色くんと会ってるのに、いつ、その別にいるっていう好きな人と会うの」
「職場、とか……?」
「はぁ!? 人の職場を浮気現場みたいに言わないで!」
「ごめんなさい……」
 肩を丸めた五色くんは急にしおらしくなった。そんな風にしてくれるなら、いいよ、と言おうとすれば、五色くんは何かを思い出したかのような顔をする。そして、ぷぅっと頬を膨らませると、不満げに私を見た。
「でも、ナマエさん、俺のこといつまで経っても苗字呼びじゃないですか」
 確かにそうだ。でもそれがどうしたと言うのだ。確かに名前で呼んで、と言われたことはあったけど、心の中で、工くん、と呼んでみた瞬間に恥ずかしくなって呼べなかったのだ。でも、それだけだ。それに、今そのことは何も関係ない。五色くんがなんで今その話を持ち出してきたのかさっぱり分からなかった。
 苗字呼びの何がいけないの、と問えば、五色くんはびっくりしたような顔をして、大きな声を出した。
「いけないですよ! 普通!」
「五色くんの普通なんて知らないよ!」
「それはナマエさんの普通がおかしいからでしょ! 他の男がつけたキスマークを何食わぬ顔してつけて歩いてるくらいですからね!」
「それは……一回だけじゃん。それ以降、やったことないじゃん……」
 そのことを言われてしまうと、何も言えない。でも、五色くんがあまりにもはっきりと、信用できません! というので、カチンときてしまった。
「そんなに信じられないって言うならGPSでもなんでも使って私のこと二十四時間監視してればいいじゃん!」
「流石にそんなことできませんよ!」
 まぁ、常識的に考えてそうだよね、と思っているとまた五色くんは喧嘩を売ってきた。
「知りたくないことは知らないままでいたいですから」
「はぁ!?」
 五色くんは私を信じようとする気が全くないのだ。自分のやってきたことを考えれば当然かもしれない。でも、信じてもらおうとする努力を受け入れてくれてもいいじゃないか。五色くんに手を差し出す。
「スマホ出して!」
「なんでですか!」
「私のGPS見れるようにする!」
「嫌ですよ!」
 幽霊を怖がる子どものような顔をした五色くんは、私の差し出した手に触れてはいけないとでも思っているのか、両手で静止のポーズをしながら背中を仰反らせてまで、私の手から逃れようとする。普通そこまでするだろうか。
「じゃあ、私のスマホを見て!」
「なんでですか!」
「他の男の人と連絡していないのを見たら、安心するでしょ……」
 確か、スマホはダイニングテーブルの上に置きっぱなしだ。取りに行こうとすれば、ボソリと呟かれた。
「ナマエさんスマホ二台持ってたりして」
「はぁ!?」
「だって前二台持ってましたもん! 俺知ってるんですからね!」
「あれは社用スマホだよ!」
「しゃよーすまほ……? なんですかそれ! 難しい言葉使えば俺を騙せると思って適当なこと言ってるでしょ!」
「言ってないよ!」
 五色くんに信じてもらおうと努力をすれば、全てムゲにされる。どうすれば私は信じてもらえるのだろうか。きっと、何をしても信用を取り戻すことは出来ないのだろう。
 悔しさに、唇を噛めば、目の縁にじわりと熱が広がり、熱は簡単にこぼれ落ちた。
「もういいよ! 二度とこの部屋に来ないで!」
 五色くんの背中を押して、玄関へと押す。もう五色くんの顔なんて見たくなかった。どっか行って欲しかった。二度と私に関わらないで欲しかった。私たちはどこまで行っても平行線なのだ。そんな寂しい関係なんてこっちから願い下げだった。
「え、ちょっ、待って! 待って! ナマエさん! 落ち着いて! 落ち着いてください!」
「五色くんが変なことばっかり言うから落ち着けないんでしょ!」
 叫べば咳き込んでしまい、五色くんの背中を掴んだまま、体を丸めた。涙が床にポタポタ落ちていくのを眺めていると、もう顔を上げる気になれなかった。振り返った五色くんは屈んで私の顔を覗き込んでくる。
「泣かないで。ナマエさん……ごめん、沢山酷いこと言って……」
 五色くんは謝ってくれたけど、謝る必要がないことを本当は知っていた。全ては自業自得なのだ。
「いいよ……沢山酷いことをしてきたのは私だから……」
 でも、五色くん以外に好きな人がいるなんていう誤解は解きたかったのだ。
 五色くんは私の顔を両手で包み込むと、静かに言った。
「ちゃんと責任とります」
「別にいいよ」
 五色くんに責任を取って欲しいわけではないのだ。世界に羽ばたく彼を勘違いにも似た恋に縛りたくない。そんな大層な理由ではない。もっともっと子どもっぽい理由で、責任をとって欲しいわけではないのだ。
「ナマエさん一人で子どもを育てるのは無理でしょ」
「無理じゃないよ」
「そうですね……一人でいる方が気楽、みたいな生き方ばっかりしてきたナマエさんなら大丈夫かもしれないですね」
「そうだよ、私なら大丈夫だよ」
 子どもには寂しい思いをさせてしまうかもしれない。苦労をかけさせてしまうこともあるだろう。それでも、五色くんのせいで一度は本物を夢見てしまったから、本物がある家庭を作りたいというエゴが勝ってしまったのだ。
 五色くんの胸を押す。これからは、一人で立てるように強くあらればならない。自分のためにも子どものためにも。もう、一人ではないのだから。
「今までありがとう」
 そう言って、五色くんから離れた瞬間だった。五色くんから離れたと思ったのに、五色くんの腕の中にいた。
「え、何? 五色くん?」
 背中に回された腕に息が詰まるほどに強く抱きしめられた。
「五色くん?」
「ナマエさんは一人で大丈夫でも、俺は一人で大丈夫じゃない。そばにいさせて。ナマエさんと、お腹の中の子どものそばに」
 温かなものが体を流れていったけど、それは渦を巻いて胸の中をめちゃくちゃにかき混ぜた。五色くんの胸に置いた手でジャージを掴むとまた、ぼろぼろ涙がこぼれる。しゃっくりを上げながら五色くんの胸を押した。
「でも五色くん、私のこと信用してないってっ……」
「ごめん、ナマエさん、泣かないで。これからはちゃんとナマエさんと向き合うから」
「私本当に他に好きな人なんていないの! 五色くんだけなの!」
「分かりましたから」
「分かってないよ!」
「分かりましたよ」
「絶対分かってないよ!」
 叫べば、背中と頭に手を回され、五色くんの胸に体を沈めさせられた。いつも五色くんは私の抵抗なんて物ともしないのだ。
「ナマエさんも俺のこと、信用してください」
 力強い腕に守られながら、意思に溢れた言葉が紡がれると、ようやく胸のざわめきが収まっていくような気がした。五色くんの胸から静かな鼓動が聞こえてくる。それは眠りに入る時のような穏やかさを連れてきた。
 信じて欲しければ信じなければならないのだろう。
 勇気を出して、うん、と言えば、より一層私を包む力は強まった気がした。
 私は五色くんに、責任を取ってもらいたいわけではなかった。それは、世界に羽ばたく彼を勘違いにも似た恋に縛りたくないという大層な理由からではない。もっともっと子どもっぽい理由からだっだ。ただ、私は、心の底から必要とされ、愛されたかっただけなのだ。
 夢を叶えた五色くんがそばにいたい、と言ってくれた言葉を受け入れようと思う。
「子どもの遺伝子はちゃんと検査してもらうから」
「そんなことしなくていいですよ」
 抱きしめられながら明るい声でそう言われて、五色くんの胸に顔を埋めていた私はつられて笑ってしまう。すると、また寂しそうに呟かれてしまった。
「知りたくないことは知らないままでいたいですから」
 やっぱり私のことを信じてないんじゃん! って思いながら五色くんの胸から顔をあげたら、冗談ですよ、と笑われた。
「言っていい冗談と悪い冗談があるんだからね!」
 五色くんは楽しそうに笑っているけど、細められた目の端には宝石のようにキラキラと輝く膨らみがあった。手で拭ってあげようとすれば、その手を取られ、キスで唇を塞がれる。受け入れたキスは、歯と歯が当たるような雑なものだったけど、今まで重ねてきた触れ合いの何よりも優しく私を包み込んでくれた。息が苦しくなるほどキスを貪られ、ようやく解放されれば、好きです、と言う五色くんにまた、体を締め付けられた。
「私も、好き……」
 丸まる背中に初めて、想いを返すことができたのだった。

 子どもが産まれてくるまでの日々はあっという間だった。とりあえずは、二人で住める部屋に引っ越したけど、工くんはチームのイベントもあれば、日本代表選手としての練習や交流戦もありてんてこまい。私は私で職場での引き継ぎで手一杯。流石に、互いの家に挨拶に行き、入籍の手続きはしたけど、挙式どころでは無かった。
「落ち着いたら絶対に結婚式やりますからね!」
 婚姻届を提出し、役所を後ろにして立った時のことだ。工くんは片手でガッツポーズをしながら、決意に満ちた眼差しで言った。
 めんどくさいし、別にいいんだけどなぁ、と思いながらも、挙式は互いの家と家の挨拶のようなものだから、と昔職場の先輩が言っていたことを思い出し、やらないわけにもいかないか、とは思っている。それに、隣で、ナマエさんのウエディング姿、と感慨深そうに呟いているのを聞いてしまうと、そういう幸せを噛み締めてもいいのかなぁ、とガラにもなく思ってしまうのだった。

 それは、紅葉の美しい季節のことだった。元気過ぎる産声と共に家族が増えた。
 生まれてきた子どもの赤い顔は皺くちゃで、我が子ながらこれじゃあ誰の子か分からないじゃん、と思ってしまった。出産が終わった頃に練習から駆けつけてくれた工くんは、病室に入るなり、ベッドで横になる私を泣きながら心配してくれた。そして、私の隣で眠っている子どもを見ると、我が子のように子どもを抱き上げてくれた。でも、内心、本当に俺の子か? と思っているんじゃなかろうかという疑惑が私の中にあった。
「やっぱり子どもの遺伝子調べてもらうね」
「だからそんなことしなくていいですってば」
 子どもを抱き抱えた工くんは困った顔をしながら笑ってくれたけど、絶対子どもの遺伝子は調べてやる、と意気込んでいた。
 しかし、日に日にはっきりとしていく我が子の顔立ちを見て、その決意は消失した。
「これでも遺伝子調べてもらう?」
「だからそんなことしなくてもいいって言ってるじゃないですか」
 暖房の効いた温かなお部屋で私と工くんは木製の柵で守られた小さなベッドを覗き込む。ベッドの中には工くんそっくりの凛々しい眉毛に力強い瞳をした男の子がいた。愛らしい彼は、私たちに向かって何かを探すように両手を伸ばしている。私が人差し指を前に差し出せば、紅葉のような手は私の指をぎゅっと掴んでくれた。
「工くん瓜二つだよね」
「俺の遺伝子って強いんでしょうね」
 フフンと鼻を鳴らした工くんと顔を見合わせると、どちらからと言うこともなく吹き出してしまった。相変わらず私の世界はゆっくりと時が流れているようだ。
「この子、前髪もぱっつんになっちゃうのかなぁ」
「それ嫌そうに言わないでくださいよ」
「そうだったら可愛いなぁと思って言っただけだよ」
 工くんを見上げると、愛おしそうに細められた瞳と目が合う。また、目尻には白い輝きが灯っていた。拭ってあげようと手を伸ばすと、その手をきつく掴まれ、真っ直ぐに見つめられる。
「ナマエさん、好きです」
「私も、工くんが大好きだよ」
 当たり前のように言えるようになったその言葉をいつまでも、あなたに送りたい。