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 今年も早いことに、年に一度しか訪れないという夏が終わろうとしていた。
 五色は気がつけば、はぁ、とため息を漏らしており、地面に転がっている蝉の死骸を見ては、はぁ。赤く色づき始めた葉を見上げては、はぁ。その先にある澄んだ青空に目が眩んでは、はぁ。
 まだ一日は始まったばかりなのに、寮を出て学校に来るまでの短い間に、もう何度ため息をついたか分からない。
 見るもの全てに哀愁を感じた。世界はどうしてこんなにも美しく残酷なのだろう。なんて、酔いしれた顔してポエムまで刻んでしまいそうになる。
「はぁ……」
「大丈夫?」
 下駄箱のところでそう聞かれ、大丈夫、と答え、脱いだローファーを拾ったが、え? と思い、俯いていた顔を上げた。五色に大丈夫? と聞いてきた人物はナマエだったのだ。
「あ、えと、あの……」
「何?」
 ナマエは不思議そうに首を傾げている。
 振ったのに、どうして普通に話しかけてくれたのだろうか。
 そう思ったが、あからさまにそんなことを聞くことも憚られ、口籠もっていると、こちらの聞きたかったことを感じ取ってくれたのか、ナマエは心配そうに、迷惑だったかな? と聞いてくる。何がとは言われていないが、五色もなんとなくナマエの言いたかったことを理解した。
「いや、迷惑ってわけじゃ……」
 ナマエは安心したように表情を緩めた。
「よかった。じゃあ、二学期もよろしくね」
 おう、とだけ返せば、先にスリッパに履き替えていたナマエは教室へ向かった。
 ナマエも同じ気持ちなのだろうか、とふと思う。
 あれは、地面がぐらぐら揺れ、しまいには天と地が逆さになってしまったようなそんな衝撃だった。
 まさか、好きな人に好きな人がいるとは。
 夏祭りの夜に、彼氏を見上げ、頬を淡く染めたあの人の横顔が忘れられない。
 きっと、五色もこの恋を終わらせなければならないのだろう。でも、五色くん、と言って笑ってくれるあの人を見ると、例え、この人と結ばれることはなくとも、こうして名前を呼んでもらえるだけで幸せだなぁ、と思ってしまうのだ。
 この先も、自分はずっとこの恋を秘めて生きていくのだろう。もちろん好きな人が自分を好きではないという事実は、胸に癒えない傷をつけていたけど、あの人を忘れられるなんて到底思えなかった。
 ナマエも同じ気持ちなのだろうか。ふと思ったが、流石にそれは思い上がりだろう。
 告白をしてもらってから、夏休みに入り、ずっと顔すら合わせていなかったのだ。もしかしたら、向こうは夏休みの間に吹っ切れ、今はもう五色のことを何とも思っていないのかもしれない。だから、先ほど、普通に話しかけてくれたのだろう。
 少し、安心した。五色は叶わぬ恋を引きずり胸に大きな鉛を抱えている。ナマエもこんなおもりを抱えているのかと思うと、辛かった。忘れ去られてしまったことは寂しいが、ナマエが前を向いて歩いているなら、それに越したことはないだろう。
 五色はあの人への恋心を抱えたままだが、それで俯いてばかりいてはあの人にも悪い。少しはナマエを見習い、せめて、ちゃんと前を向いて歩こうと思った。

 白いカーテンが揺れ、気持ちのいい秋の風が入ってくる。窓の外では、黄色く染まったイチョウが枝から離れ、ヒラヒラ舞いながら落ちていった。
 五色は頬杖をつき、冷めた目で黒板を眺める。
 黒板には、たこ焼き屋や縁日などいくつか案が並んでいたが、多数決が行われ、最終的には多く票を集めたメイド喫茶とお化け屋敷だけが残っていた。ざっくりと言えば、女子のメイド姿が見たい男子対死んでもメイド服なんて着たくない女子という構図だ。
「別にいいじゃねぇかよ。減るもんでもないし」
「何それ、変態! 目つきが最低!」
 クラスメートのやりとりが酷く幼稚に見えてしかたがない。
 もし好きな人がメイド服を着てくれるのなら、五色もドキドキしながら事の成り行きを見守っていただろうが、正直クラスの女子がメイド服を着ようが着るまいが、どうでもよかった。
 そうした裏切り者がちらほらいたため、単純に男女の数だけで案を決められず、こうして均衡を保ったままでいる。しかし、誰かが、メイド喫茶をやるなら男子もメイド服を着るんだからね、と言い出したがために、一気にお化け屋敷が優勢となり、結局、文化祭でのクラスの出し物はお化け屋敷となった。
 出し物が決まれば、綺麗に消された黒板には役割が挙げられていく。展示物作成係、経路の段ボール組み立て係、衣装係、看板やポスター係。
 図工や裁縫が特別得意だというわけではない五色は、経路の段ボール組み立て係で挙手をした。

「ごめんね……」
 隣で歩いていたナマエが項垂れる。いや、いいと言って五色は両手に持っていた、ずっしりと重たい袋を持ち直した。
 段ボールなど、どこのクラスでも使いそうなものは学校が準備してくれるのだが、衣装で使う生地や景品などはクラスで割り当てられた予算の中で、誰かが買い出しに行かなければならなかった。
 生地がなければ何もできない衣装係が買い出しに行くということになったのだが、彼女たちが教室を出て行く時に、彼女らの一人がなぜか段ボールを組み立てていた五色に声をかけてきたのだ。その声をかけてきた女子に、同じく衣装係らしいナマエが慌てた様子でやめてよ、と言いながら駆け寄っていたが、女子はまるで何も見えていない、聞こえていないというようにナマエには見向きもせず、五色に尋ねてきた。
「生地の買い出しなんだけど、ナマエと行ってくれる?」
「別にいいけど、なんで?」
「生地って重たいじゃん。だから男子に手伝ってもらいたいの。私たちは景品買いに行くからさ。五色はナマエを手伝ってあげて。ね?」
 彼女が両手を合わせそう言うと、彼女の後ろで段ボールを組み立てていた男子たちが援護射撃のように声を上げる。
「行ってやれよ、五色」
「ここは人数足りてるしな」
「俺たちのことは気にせず、ゆっくりして来いよ」
 何をゆっくりしてくるのかよく分からなかったが、同じ係の男子にまでそんなことを言われ、断る理由もなかったため、ナマエと買い出しに行くこととなった。
「本当にごめんね……」
 教室を出てからずっとナマエは気まずそうにしており、隣で歩いていて、五色も少し居心地が悪かった。
「もう、謝るなよ。買い出しについて行くくらいなんでもないだろ」
「あ、うん……そうなんだけど……五色くんが買い出しに行くよう声をかけられたのは私のせいだから……」
 ナマエがぎこちなく笑い、五色は首を傾げる。
 ナマエのせいとはどういうことだろうか。
 ナマエは地面に転がっている小さな石ころを蹴飛ばすと、続けた。
「多分みんなに私が五色くんを好きだってバレてるんだと思う。でも、みんな私が振られたことまでは知らないから……買い出しを口実に五色くんと二人っきりになるようにしてくれたんだと思う……」
 五色の中でさまざまな疑問が浮かぶ。
 ミョウジさん、俺のことまだ好きだったの?
 しかも、なんでクラスのやつらは、そのこと知ってんの? 俺は告白された時も、その時までミョウジさんの気持ちに全然気づいてなかったのに。
 もしかして、何も知らないでいるの俺だけ?
「ごめんね……」
「いや、いい」
 何に対して謝られたのか分からなかったが、そう言う他なかった。
 ずっと、浮かない顔をしていたナマエだったが、手芸屋についてからは忙しなかった。買い出しリストを片手に、細い通路を駆け回り、生地や平ゴム、さらには何に使うのだろうかフリフリのレースなんかもカゴに入れていく。何をそんなに急いでいるのか、まるで慌ててどんぐりを集める冬眠前のリスのようで、ナマエの小さな手に掴まれているものも、ナマエの手のひらサイズのどんぐりに見えてくる。そのどんぐりをナマエが必死な様子で頬に詰めているところまで想像してしまい、ついぷっと吹き出してしまった。どんぐりの形で歪に膨らんだその頬をつついてやりたくなる。
「何?」
 赤いリボンロールを掴んでいたナマエがくるりと振り返り、不思議そうにするので、慌てて咳払いをした。
「いや、なんでもない。それより、カゴ持つよ」
「そんなに重たくないから大丈夫だよ」
「でも、そのために俺が来たんだし」
 ナマエは少し悩む素振りを見せたが、じゃあお願い、とカゴを手渡した。そんなに重たくないと言うわりに、取っ手のプラスチックが指に食い込む。
「大丈夫?」
「おう」
「ありがとう」
 微笑んだナマエはまた買い出しリストを見ては、キョロキョロし、棚に手を伸ばす。黒い糸、白い糸、赤い糸がカゴに投げ込まれていく。そして、自分よりも背の高い棚に背伸びをし、紫の糸へ手を伸ばしていたのだが、届かなそうにしていたので、後ろから取ってやった。
「ありがとう」
 五色を見上げたナマエが、いつかのように黄色い花が綻ぶように笑った。
 会計をしているナマエを置いて、ずっしりと重たい買い物袋を両手に持ち、手芸屋を出る。
 遅れて店を出てきたナマエは、ふぅ、と一仕事終えたようにため息をつくと、五色に手を伸ばした。
「私も持つよ」
「いや、大丈夫。軽いし」
 嘘だ。重いってほどではないが、決して軽くはない。
「でも、半分くらいは……」
「いや、本当に大丈夫だから」
「ごめんね……」
 ナマエが項垂れる。
「いや、いい。そのために俺が来たんだし」
 五色は荷物をぐっと持ち直した。そして、帰ろうと歩み出せば、ナマエが隣に並ぶ。
「ついてきてくれてありがとう。荷物も持ってもらえて買い出し、楽ちんだった」
 無邪気に笑われ、いや、と言った言葉は少し素気なくなった。
 帰りの道では、お互い気ままに話した。文化祭でバレー部は何をやるのか、といった旬な話題から、古典は先生の話し方のせいで眠くなる、というような日常のことなど、大した内容ではなかったが、気がつけば声を弾ませていた。
 ナマエとこんなに話をしたのは初めてだ。行きしなにずっと謝られていたことからナマエは大人しい子なのだと思っていたが、話してみれば、よく笑うし、よくしゃべる。案外楽しい。
「ちゃんと全部買ったよね」
 校門が前に見えてきた頃、ナマエは買い出しリストをスカートのポケットから取り出し、念の為というように上から順に確認していった。
「うん、大丈夫そう」
 ナマエはほっとするが、五色は、あっ、と思い出す。
「スーパー寄るの忘れてた」
「スーパー? なんで?」
「教室出る時に頼まれたんだよ。こんにゃく買って来いって」
「こんにゃく? なんで?」
 さぁ、と五色も首を傾げたが、このまま校門をくぐるわけにはいかなかった。
「俺スーパー行ってくる」
「私も行くよ」
「いや、俺が頼まれて忘れてたんだから。俺一人で行ってくる」
「いいよ。一緒に行こうよ」
 そう言ってくれるのはありがたかったが、自分の失敗で、ナマエに迷惑をかけたくなかった。
 ナマエを先に帰らせるためになんと言えばいいか考えていると、ナマエは口角を上げながらも、残念そうにまつ毛を落とした。
「そうだよね。五色くん一人の方が早く帰ってこれるよね。代わりに荷物持つよ」
 手に持っていた荷物を奪われそうになり、慌ててナマエの手から逃れる。
「いや、ミョウジさんには迷惑かけられないから」
「大丈夫だよ」
 ナマエは可笑しそうに笑った。
「これくらい迷惑じゃないよ。それに、せっかく二人でいるんだから、協力しようよ。こんな荷物を持ってスーパーに行くのも大変でしょ」
 ほら、と言うようにナマエが手を差し出してくる。
 たしかに、両手の荷物に振り回されながら、スーパーへ走るのもなかなか骨が折れそうだった。
「重いけど大丈夫か?」
「大丈夫だよ。手芸屋で一回持ってたし」
 五色がおずおずと荷物を差し出せば、半ば強引にナマエが奪った。
「じゃあ、いってらっしゃい」
 その言葉が優しく背中を押してくれ、おう、と言って踏み出した足は軽かった。