
あっけなく引退の日は訪れた。
勝負の世界で絶対がないことを知っていた筈なのに、王者と呼ばれたあの白鳥沢が負けるなどとは思っていなかったのだ。呆けた気持ちで、引退の日を終えた。しかし、その余韻に浸ったまま日々を送るわけにはいかなかった。推薦組のみんなと違い私には受験勉強があるのだ。無理やり気持ちを切り替え、勉強ばかりの日々を過ごした。そのおかげか、彼氏を失った喪失感や五色くんへの思いを無事に忘れることができた。そうして、共通テストを受け、二次試験を受けとして、なんとか第一志望の大学へ合格したのだった。
学園の木々は淡いピンクに彩られていた。空は清々しいほどに晴れ渡り、別れを惜しみながらも新しいスタートを切る門出の日としては十分すぎるほど気持ちのいい日だった。
私は五色くんと向かい合って立っていた。二人で話がしたいの、と卒業式が終わった後にこっそり呼びつけたのだ。五色くんは、不思議そうに小首を傾げたけど、いいですよ! と快い返事を返してくれた。
本当は五色くんに思いを伝えるつもりはなかった。
でも、けじめをつけないまま、新しい道を歩けるとは思えなかったのだ。それに、彼氏から言われた言葉も心の中で引っかかっていた。
幸せになれよ。
幸せにはなれないのだけど、これから幸せになるためにはこれからの行為は必要な儀式だった。
淡いピンクがヒラヒラと落ちていく中、五色くんは私を真っ直ぐに見つめてくれていた。まだ何も言っていないのに、私は目の縁が熱くなってしまう。目を擦ると、大丈夫ですか? と心配そうな声がかかったので、大丈夫だよ、と微笑んだ。そして、息を大きく吸って口を開いた。
「好きだよ」
五色くんは顔をクシャッとした。とても辛そうに見えた。夏に、一度だけ私の腕を掴んでくれた大きな手は固く拳を握っている。
五色くんは、ぱっと私から顔を背けた。
「ごめんなさい」
「いいよ」
そういう顔をしてくれただけで。
「分かってたことだから」
「でも、俺も本当はっ――」
再びこちらを向いてくれた五色くんの唇に、気づけば人差し指を当てていた。
やはり、カッコいい先輩でありたかったのだろう。
「ダメだよ。彼女を大切にしてあげて」
五色くんはまた、顔を歪め、すみません、と言って肩を落とした。
「いいよ」
そう言っておきながらも、私は夢を見ていた。
だって、私たちは両思いだったことを確認できたのだから。今回はきっとタイミングが悪かっただけ。でも両思いだったのだから、再び、また会えて、その時にお互い心に決めた人がいなかったら、その時は、と、まるで、少女漫画のような、ロマンとときめきに溢れた馬鹿みたいな夢を、私は、愚かにも見ていた。
六年もの間、一途に。
定時に仕事を上がった私は会社を出てすぐに、スマホを取り出した。いつもの習慣だった。仕事をしている間に誰かから何かきていないか、通知をチェックするのだ。大抵の場合は誰からも何もきておらず、時刻だけがポツンと表示されている画面を見て、すぐにスマホを鞄にしまってしまうのだけど、その日は違った。
時刻の下にある緑の通知を見て、ぎくりと体が強張る。
“工、結婚したんだって!”
それは、天童くんからのメッセージだった。