学校が夏休みに入ると、合宿や練習試合と部活に忙しく、日々の経過はあっという間だった。気がつけば、夏が終わろうとしていた。明日から学校で、今日は久しぶりにきた一日部活がオフの日だった。体を休めつつも、残っていた宿題を片付けたり、部活に忙殺されている間に散らかりつつあった部屋を片付けたりとしていたが、午後からはショッピングモールに来ていた。スポーツ用品店に用があったのだ。行こう、行こう、と思っていたのだが、なかなか時間がなく、今日まで先延ばしにしてしまっていた。
壁一面に吊るされたタオルを眺めながら、うーん、と唸る。女子にプレゼントするタオルはどういったものがいいだろうか。やはりピンクのような可愛い色がいいだろうか。しかし、それを持ってレジに行くのは、いかにも女子へのプレゼントって感じが出てしまって恥ずかしい。それなら、と五色が普段使っているようなタオルへ目を向ける。黒や紺などのタオルなら気にせずレジに持っていけそうだったが、男が使っていそうな可愛げのないタオルをプレゼントするのも気が引けた。タオルを送りたい相手――ナマエならどんなものでも喜んでくれそうだけど。
ナマエからタオルをもらい一つの季節が過ぎようとしていたが、未だに代わりのタオルをプレゼントできていなかったのだ。
タイルのようにカラフルにタオルが並ぶ壁を眺めながら、五色は首を捻る。
ナマエは普段どのようなタオルを使っていただろうか。思い出そうとしてみたが、ナマエの顔ばかりが浮かんで、その肩にかかっているはずのタオルが思い出せない。ピンクのような色だった気もするし、淡いブルーのような色だったような気もする。うーん、と再び唸る。
ナマエからもらったタオルは夏の空を切り取ったような青色だった。似たような色にしようか。いや、そうしたら、お揃いになってしまう。そのこと自体は別にいいのだが、周りに変な目で見られるかもしれない。ちょっと色が似ているだけで、お揃いなんて誰も思わないかもしれないが、万が一そう思われてしまったらと思うと、照れ臭くて、せっかくナマエからもらったタオルが使えなくなってしまう。それは、嫌だった。あれに五色は決意を込めたのだから。
また、うーん、と唸った。かれこれもうここに一時間は立っている気がする。いい加減決めなければ、日が暮れてしまう。変な汗がダラダラ流れてきて、えぇい、と半ばやけくそになりながら、目の前にあった淡いグリーンのタオルを手に取った。
実はここに来て、最初に目についたものがこれだった。綺麗な色だと思ったのだ。でもナマエが喜んでくれるかわからなかったし、他にもっとナマエに似合う色があるかもしれないと思ってずっと悩んでいた。今も悩ましいことには変わりないが、そろそろ悩むことに脳が疲れてきて、何も考えられなくなり、最初に感じた直感に頼らざるを得なかった。
淡いグリーンを頭の中でナマエの肩にかけてみる。うん、違和感はない。それにこの色なら、女子へのプレゼント感もあまりでないだろう。これにしよう。
ドキドキ、と心臓が派手に太鼓を鳴らしている中、レジで会計をした。プレゼント包装してくださいとはいえなかった。
スポーツ用品店の手提げ袋に入ったタオルを手に持って寮へと帰る。タオルを買いに来ただけなのに、凄まじい疲労感に襲われ、よろよろ歩いていると、五色くん、と背中から声がかかった。振り返れば、ナマエが手を振っていて、疲れていた筈なのに、背筋がしゃきんと伸びる。
「どうしたの? お買い物?」
ナマエの視線が五色が持っていた手提げ袋に向けられ、反射的にそれを背中に隠した。
「あ、いえ! これはっ!」
ナマエは、まさか、それが自分へのプレゼントだとは気づいていないだろうが、思春期の男子が慌てて隠したものに踏みいってはいけないことを心得ているのだろう。それ以上追及してくることはなく、微笑ましそうに笑って、五色の隣に並んだ。
「これから寮に帰るの?」
「はい!」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろ」
「はい!」
ナマエの関心が手提げ袋から逸れてくれたようで、ホッと一息つく。ナマエの反対側に手提げ袋を持ち替え、ナマエと並んで歩みを再開した。
隣で歩くナマエは中身が詰まった重たそうなトートバッグを肩から下げていた。
「ナマエさんはどちらに行かれてたんですか?」
「図書館。勉強してたの」
自分と同じで夏休みの宿題をしていたのかな、と思ったが、それにしては、漬物石が入っていそうなほどずっしりとしたバッグを眺めて、あっと思い出した。
「ナマエさん、受験生ですもんね」
「そうなの。寮だとつい怠けちゃうから、集中して勉強したい時は図書館に行ってるんだよね」
ナマエは両手をあげて、凝り固まった体を解放するように伸びをした。相当長い間、机と向き合っていたことが窺える。
五色は今こうして普通にナマエと並んで歩いているが、来年からはそういった日が来ることもないのだろう。五色とナマエとの間に秋風が吹いた気がした。
「志望の大学は決まってるんですか?」
聞いてから、しまった、と思った。受験の話題はデリケートなのだ。何も知らない後輩が気安く触れていいような話題ではない。五色はスポーツ推薦で高校に入学したが、一般入試で白鳥沢を目指していた友人が近くにいたので、受験生が抱える不安や葛藤についてはよく知っていたつもりだった。
しかし、ナマエは気にするそぶりもなく、決まってるよ、といい、志望大学まで教えてくれた。県内の大学だった。それを聞いて安心した。
なんだ。卒業しても、近くにいてくれるんだ。
「どうしたの? なんか嬉しそう」
「あ、いえっ! 別に、嬉しいなんてことは……」
ないとも言い切れない。けど、それを口にもできない。
代わりに、頑張ってください、と言えば、ありがとう、と笑顔が返ってきた。
もうすぐ、女子寮と男子寮への分かれ道だ。送ると言えばまた断られてしまうんだろうなぁ。がっかりしながら歩いていたら、甘く香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
香りの出どころはすぐにわかった。いつも部活が終わり日が暮れた頃にここを通る時はシャッターが閉まっているのだが、夕暮れ時の今はまだ開店しているようで、シャッターが閉まっている時には見えない暖簾がかかっていた。藍色のそれには筆で書いたような白文字が、たいやき、と並んでいる。
「ここにたいやき屋さんあったんだぁ」
「そうですね。今まで気づかなかったです」
だよねぇ、と相槌を打ったナマエは、お腹をさする。
「お腹すいたなぁ……」
「そうですね……」
先ほどまで空腹など感じていなかったのに、甘い香りが侵入してきた瞬間、ここあいてるよ、と胃が囁くのだ。
「でも、ご飯前だしね」
「そうですね……」
こんな中途半端な時間に食べると、夜ご飯が食べられなくなってしまう、ということは育ち盛りの五色にはないのだが、夕食前に間食することは憚られた。
首を垂れ、トボトボとたい焼き屋の前を歩いていく。目の前には分かれ道が迫っていた。ナマエが、じゃあまた明日、と言う。
ここでお別れか。なんだか寂しくなる。さっき会ったばかりなのに。送りますよって言っても、どうせナマエには断られるのだろう。すると、あっとひらめく。
「やっぱりたい焼き食べましょう!」
「えぇー……太っちゃうよー……」
「大丈夫です! ナマエさんは太っても魅力的です!」
「そんな無責任な……」
「やっぱりダメですか?」
自然と顎は下がるが、瞳はナマエの顔を覗き、上目になる。
ナマエはなぜか、うっ、と苦い顔をしたが、やがて、いいよ、と子どもを前にした大人のように頬を緩めた。
店の横で二人で立ち並び、お腹にでっぷりとあんこを抱えた贅沢なたい焼きを片手に持つ。五色が誘ったから、五色がナマエの分も支払うと言ったのだが、ダメだよ! と強く言われ、結局、自分の分は自分で出すということになった。
頭をかじれば、香ばしく焼けた生地の甘さが口に広がり、追ってしっかりとしたあんこの甘みが舌に溶ける。かと思えば、あんこが孕む熱気に、はふはふする。
「あちっ、あちっ」
五色の小さな悲鳴に、ナマエが可笑しそうに笑う。しかし、そのナマエも、頭をかじれば、はふはふした。
「熱いけど、美味しいね」
「そうですね」
やがて、はふはふせずに食べられるようになり、心地のいい熱が喉を通って腹に溜まっていく。
そろそろ鈴虫がなく季節。夕暮れ時のこの時間は半袖から出している腕が心もとなくなってくるが、腹の底から体がポカポカと温まっていった。隣を見ると、こちらに気づいたナマエが微笑み、なんだか心も温まっていく。
「ナマエさん、唇にあんこついちゃってますよ」
「え、うそ、ごめん」
食べた反対側からあんこがはみ出てしまうほどたい焼きはあんこを抱えていたから、お腹を食べている時にそれが口についてしまったのだろう。ナマエは慌てたように口を拭ったが、あんこのついた口の端とは反対側を拭っていた。
「こっちですよ」
五色はナマエの唇へと手を伸ばそうとしたが触れる前にナマエが、へ? と固まる。釣られて、五色も、へ? と固まれば、なぜか先ほどまで見ているようで全く見ていなかったナマエの艶やかな唇が目に入り、顔がみるみる熱くなっていく。固まっていたナマエも顔を赤らめていくから妙に緊張してしまい、こっち側です、と指を差して、それには触れず手を下ろした。
「ありがとう……」
ナマエは恥ずかしそうに俯いたが、無事にあんこを取れたようだった。
もしあのままナマエの唇に触れていたら、どうなっていたのだろう。とんでもないことを想像しているような気がしたが、少し惜しいことをしたような気分だった。
五色は手に持っていたたい焼きを、あと五口ぐらいは必要そうだったのに一口で食べた。そして、あんこの奥の方に籠っていた熱に、はふはふする。
「え、もう食べちゃったの?」
ナマエが慌てて残りを食べようとする。五色も慌てて、ゆっくり食べてていいですよ、と言おうとして、一気に口の中のものを飲み込んだ。すると、喉が詰まり、窒息しそうになった。大丈夫!? と背中をさすられる。
胸を叩きながら、なんとか喉に詰まっていたものを飲み切った。
「大丈夫です……」
なんか、俺、さっきからすごいカッコ悪い。
首を垂れていれば、ナマエは頬を膨らませて一生懸命たい焼きを頬張っており、リスみたいで可愛いなぁ、と思っている間に、たい焼きはナマエの手からなくなった。
「じゃあ、帰ろっか」
「そうですね」
わざわざ、たい焼きを食べようと提案してまでナマエとの時間を引き伸ばしたのに、結局あまり話せなかった。たい焼き屋を通過すれば、すぐに、分かれ道に差し掛かる。一応、送ります、と言ってみたが、やはり断られ、分かれ道でナマエと別れた。
物足りない気持ちで男子寮へ向かっていく。
そういえば、どうして、今手に持っているタオルをナマエに渡さなかったのだろうか。別にいつ渡しても同じなのだから、さっき隠さずに渡してしまえばよかった。まぁ、いいか。明日にでも渡せばいい。
そう思いながら、一番星が輝き始めた空へ向かってのんびり歩いた。