「俺さ」
ベンチで隣に座っている角名くんは前を向きながら言った。何かを思い出すように遠くを見つめており、その横顔はどこか物憂いげで、一枚の写真に収めたくなるようなアンニュイな雰囲気が漂う。そんな顔をしてこれから何を語るのだろうか。少し緊張してしまう。
角名くんはこちらを向くこともなく、宙を見つめたまま続けた。
「ミョウジさんに告白された時、正直ミョウジさんのこと好きじゃなかったんだよね」
「え?」
私は角名くんの横顔を見上げたまま、箸でつまんでいた卵焼きを落としてしまう。卵焼きはぽてっと元いた場所に収まった。

“明日一緒に昼飯食おうよ”
角名くんにそう言われた翌日、月曜日。私が告白をしてちょうど1週間がたった日のことだ。
私たちは中庭のベンチで肩を並べ座っていた。もう長袖のシャツを着る季節ではあったけど、中庭の緑はまだ青々と生い茂っており、天高く広がる秋空が心地いい。
それにも関わらず、ここに私たちしかいないのは、高校生ともなると、わざわざ中庭に出てお昼ご飯を食べようとするメルヘンな者などいないからだろう。付き合いたての恥じらい多い私たちにとっては、人目を気にすることなく過ごせる絶好の穴場だった。
なんて言ってみたけど、角名くんは全然恥じらっている様子はない。いつも通り、飄々としていた。ここにしよう、と提案してくれたのも、ただ静かだから、とかそんな理由なんだと思う。恥じらっているのもドギマギしているのもきっと私だけなのだ。
「なんでそんな端っこに座ってんの?」
ベンチの真ん中に座る角名くんは余裕しかなかった。
ベンチのひじ掛けに引っ付いていた私は気持ちばかり角名くんの方に寄る。するとちょうど1人分くらい空いていた私たちの間に角名くんがぎゅっと詰めて座り、私たちの肘と肘がぶつかり合う。
慌てて角名くんを見上げれば、角名くんは意地悪く笑っていた。
こうやって隣り合えるのは嬉しいけど、なんだか悔しい。肘と肘がワイシャツ越しにぶつかっただけで、キスやハグよりもずっとずっと内緒の触れ合いをしてしまったような気になり、ドキドキしてしまう。角名くんはきっとそんな私の気持ちも心臓の音までも見透かし、意地悪な笑顔を浮かべているのだ。
私も角名くんを驚かせてみたいし、慌てさせてみたい。でもどんなに意気込んだところで、私から角名くんに何かできる筈もないので、角名くんの悪戯には諦めて、ここに来た当初の目的であるお弁当を膝の上で広げた。隣でも角名くんが焼きそばパンの袋を開けた。
「いつもパンなの?」
毎日メッセージをやりとりしているとはいえ、こうして直接言葉を交わすのは初めてに近い。緊張のあまり声が震えてしまった。
角名くんは袋から焼きそばパンを引き出しながら答える。
「いつもは食堂で食ってる。今日はミョウジさんと一緒に食うから朝コンビニで買ってきた」
「そうだったんだ……」
朝は朝練もあって忙しいだろうに。角名くん見るからに朝弱そうだし。ぎりぎりまで布団の中にいて、朝ご飯は流石に食べるんだろうけど、朝ご飯を食べた後もほっと息をつく間もなく体育館へ向かっていそう。そんな時間のない中でも、私と一緒にご飯を食べるために、わざわざコンビニに寄ってくれたんだ。些細なことかもしれないけど、ずっと片思いしていただけあって、この前見たドラマの女優さんみたいに、熱くなっていく頬に両手を当ててしまいそうだ。
角名くんは袋から半分だけ顔を出した焼きそばパンに齧り付く。少し膨らんだ頬がもぐもぐ動いているのを眺め、私は卵焼きを箸で挟んだ。角名くんが衝撃発言をしたのは、その黄色い卵焼きを少し持ち上げた時のことだった。
それは、俺さ、という何気ない言葉から始まった。
「ミョウジさんから告白された時、正直ミョウジさんのこと好きじゃなかったんだよね」
箸から滑り落ちた卵焼きが、元の位置に収まる。さっきのいい雰囲気はどこへ行ったのやら。
今それ言っちゃうんだ。
秋風に吹かれ、すっと気持ちが冷えていくのを感じながら、角名くんを見上げる。角名くんはどこ吹く風というように、前を向いたままもぐもぐしていた。飲み込むと、また焼きそばパンを齧る。その一口で随分と焼きそばパンが短くなり、男の子の一口って大きいんだなぁ、なんて呑気に思うしかなかった。
角名くんはこちらを一瞥すらしてくれない。何もない宙を見つめ、そうしているだけであまりにもサマになっているものだから、実は角名くんの見つめる先には何かあるのではないかと衝撃発言をされるついさっきまでは少し期待していた。でもそこには何もないのだろう。前を向いているのも、ただ他に見る場所がなく、たまたま人間の目が前についており、首をひねるのも面倒だから前を向いているのだ。
角名くんは何もない前を見つめたまま続けた。
「好きじゃないっていうと嫌いみたいに聞こえるけどさ。そういう意味じゃなくて。俺ら今まで特に話したりしてなかったじゃん。だから、呼び出された時なんで俺なんだろって」
「そうだよね……」
「でも今彼女いないから別にいっかって思って付き合うことにしたんだけど」
「そうだったんだ……」
やっぱり告白を受け入れてくれたのは、角名くんの気まぐれだったらしい。薄々分かってはいたけど、知りたくなかったなぁ。
小さくため息をつき、一度落としてしまった卵焼きを箸で挟んで拾い上げる。
「でも今はちゃんとミョウジさんのこと好きだよ」
「え?」
口に入れる前にまた卵焼きを落としてしまった。今度はピーマンの炒め物の上に着地した。
角名くんはこちらを見下ろすと、水色の水彩絵の具を溶かしたような空を背景に穏やかに微笑んだ。
「そういうとこが」
「え? 何が?」
「卵焼き落としてばかり。多分ミョウジさんのそういうとこ見てて好きになったんだと思う」
「あ、えと、これは……」
顔からしゅうっと湯気が出ている気がする。
好きと言ってもらえて嬉しい。でも、卵焼きを落としている姿が好きってどういうことなのだろうか。分からなさすぎて、でもやっぱり嬉しすぎもして、ピーマンの上に鎮座している卵焼きしか見れなくなってしまう。
「ミョウジさんって面白いよね」
「何が?」
自分でも情けないくらいに、涙声になってしまう。垂れ下がった前髪の下から角名くんを盗み見ると、角名くんはストローを刺した野菜ジュースをじゅっと吸い、焼きそばパンの最後の一口を無造作に口に放り込んだ。流れるような自然とした動作で、きっと普段もこんな風に食事をしているのだろう。角名くんが食事をしている姿をそれほど見たことはなかったけど、今の姿がいたっていつも通りであることはなんとなく分かった。
角名くんばかりがいつも通りでなんだかずるい。だけど、こうして角名くんが私の隣でもリラックスして食事をしてくれていることがこの空間に心地のいい風を呼んでくれているのもまた確かだった。
角名くんはしばらく咀嚼し、飲み込むと、やはり前を向いたまま懐かしむように目尻を緩め、語り出す。
「初めてメッセージ送った時さ。何してるの? って聞いたらすぐに既読がついたでしょ。だから、返信返ってくるかなって思ったんだけど、全然返してくれなかったじゃん」
そういえばそんなこともあったなぁと思っていれば、角名くんは、別にそれはいいんだけどさ、と付け加え、また野菜ジュースのストローを口に含む。直線的な喉仏が一度上下すると角名くんはまた話し始める。
「それで今忙しかったのかなって思ってたんだけど、随分、後になって、何もしてないって返ってくるからさ。明らかに何かしてたでしょって笑ったよ」
角名くんは当時のことを思い出したように笑い、喉をくっくっと鳴らした。
「あ、えと……あの時は本当に何もしてなくて……」
「どういうこと?」
「ううん、なんでもない」
真相を話すことはできなかった。
あの時の自分は随分間抜けだったと今になって思う。角名くんのアイコンを見てニタニタしていたことはさて置き、角名くんからメッセージが来た時、本を読んでいた、とか、音楽を聴いていた、とか、嘘をつけばよかったのだ。それなのに、これから本を読もう、音楽を聞こうなどと思い、目を回した挙句、何もしてないなんて不自然極まりないメッセージを送ってしまった。
そんなお間抜けエピソードが角名くんの気をひいてくれていたとは。結果オーライなんだけど、あまり素直に喜べない。
先ほどから角名くんの視線が私を観察しているようだったけど、それには答えなかった。今度こそちゃんと食べようと思い、気合を入れて卵焼きを拾う。
「やっぱりミョウジさんのそういうところ、可愛い」
またしても不意打ちを喰らい、言わずもがな、拾った筈の卵焼きはピーマンの上だ。
「え? そういうところって? 何が?」
「何一人で百面相してたの?」
角名くんは可笑しそうに笑う。
「別に百面相なんてしてないよ」
「ミョウジさんは嘘が下手だよね。あとまた卵焼き落としちゃったね。ミョウジさんは箸じゃなくてフォークの方がいいんじゃない?」
愉快そうにそう言って、角名くんは隣に置いていたコンビニのビニール袋からサンドイッチを拾い上げた。そして、封の赤いテープを引っ張りながらついでのように言う。
「今度デートしようよ」
「デート!?」
「何? 何か問題でもあるの?」
赤いテープをつまんだまま不可解そうに私を見る。
「いえ、ないです……」
デートとは二人で出かけるって意味でいいのだろうか。どうして、角名くんはそんな凄いことをさらっと言えちゃうんだろう。私は卵焼きを拾うだけで精一杯なのに。
今度こそ慎重に口まで持っていき、待ちに待った味を噛み締める。少し醤油辛いのは、ピーマンの炒め物の味が移っちゃったせいだろう。
「でも、角名くん部活は? バレー部ってあまり休みないって聞いたけど」
「今週末3連休でしょ。その間ずっと練習試合なんだけどさ。そのおかげか連休明けの火曜はオフなんだよね。自主練するやつもいるけど、俺は身体休めた方がパフォーマンス上がるから」
「へぇ、そうなんだ」
強豪校だから、オフの日でも関係なくみんな自主練に勤しむものだと思っていた。きっと、人それぞれなのだろう。たしかに角名くんはがむしゃらにやるっていうよりは効率重視な気がする。
そう勝手に考察しながら、ピーマンの炒め物を口に入れる。
「そういうわけで火曜は部活ないから学校終わったら遊びに行こうよ」
「うん、いいよ」
憧れの制服デートだ。しかも角名くんとだ。
醤油で味付けされたピーマンがいつもより美味しく感じた。
「フォークでも買いに行こ」
「なんでフォーク?」
「ミョウジさんが上手に卵焼きを食べられるように」
悪戯っぽく口の端を上げた角名くんは、いつのまにか最後の一切れになったサンドイッチを口の中に放り込む。
つい私もムキになってしまった。
「普段はちゃんと食べれてるよ!」
その証拠を見せようとばかりに、もう一つ入っていた卵焼きを箸で挟んでみせる。しかし、それを見てキョトンとした角名くんが苦笑して、あまり俺を困らせないでよと私の額を指で小突いたために、卵焼きはまたお弁当の中で小さくバウンドした。