くるり




建人さんが私の手を引く。タクシーに乗り込むと建人さんが知らない住所を告げ、これから私の家に招待します、と言った。家、と小さく返せば、はい、と返ってきた。家、もう一度聞けばまた、はい、と。

「さて、何から始めましょうか。」

そう言って優しく微笑む顔に見惚れてしまう。タクシーが動き出すと私の鼓動がさらに速くなった。握られた手は、彼の親指が私の手の甲をするすると撫でている。…手汗を掻くほど体が熱くて、恥ずかしい。

「小春は一人暮らしですか?」
「え、あ…はい。会社から二駅ほどの所にちょっと古いですけど、安いところがあってそこに。」
「…では、いずれ私の部屋に移ってください。その方が無駄な出費をせずに済むでしょう。」
「え?」
「心配せずとも、私の部屋はそこそこ広めです。あなたに部屋を分け与える位の広さはあります。」
「そ…それって…、」
「一緒に住みましょう、夫婦になったのですから。」
「ふ、…ふーふ…」

積極的すぎる建人さんの言葉に、私は緊張から何度も心臓が口から出そうになった。二時間程で辿り着き、彼がカードで支払いを済ませた。私が払おうとしても、彼は頑なにそれを拒む。二時間もタクシー乗ったのに、だ。昨日、私の実家まで乗った分と、神社からお寺に向かうまでの分、そして今支払った分で確実に諭吉さんが三、四人は飛んでいる。そしてタクシーを降りた先にはタワーマンション。しかも結構高級そうな。私はぽかんとそれを見上げてしまい、行きますよ、と手を引かれながら中に入った。す、凄い…建人さんってお金持ちなの…?私の表情を読み取ったのか、オートロックを解除しながら彼は言う。

「私は元からお金持ちだった訳ではありません。金融業ですから、金の事だけを考えて仕事をしていました。故にこれです。」
「…すみません…次元が違い過ぎて言ってる意味が良く分かりません…。」
「あなたは何も気にする必要がないということです。」
「…せめてタクシー代の半分くらいは払わせて欲しかったです。」
「お気になさらずに。私がしたくてしているまで。」
「…今度なにかお返しさせてください。」
「礼は…、そうですね、期待しています。」

なんだここ、エレベーターですら広い。会社か?ここは会社なのか?と頭が混乱する。

「言っておきますけど、ここよりももっといい所に住んでいる人を、私は知っています。」
「え!?これよりすごい所があるんですか!?」
「あります。私はお邪魔したことありませんが。」
「…こ、怖っ…。」
「怖がることはない。小春もいずれここに住むのですから。」

チン、とエレベーターが到着を告げる。手を引かれながら降りた広い廊下。一つしかないドアの前に立ち、建人さんが鍵を開けた。ドアが開くと自動で廊下の電気がつき部屋までの道程を照らす。そのハイテクさに私が感心していると、彼は私を部屋の中に引き連れた。

「どうぞ、入ってください。」
「あ、お、お邪魔します…。」

おずおずと中に入り靴を脱ぐとスリッパを差し出され、それに履き替えた。通されたリビングはシンプルモダンなインテリアが並んでおり、まるでホテルのような雰囲気。部屋の中に視線を巡らせていると、建人さんが私をソファーへ導いた。

「コーヒーと紅茶、お好みは。」
「あ…紅茶でお願いします。」

そう言うと、建人さんはキッチンへ。ふと、横長なテレビ台の端に立てられた写真立てに目が止まる。着ている物は学生服だろうか?暗い色の服を身に纏った若かりし建人さんらしき人と、似たような服を着た優しそうな青年の姿が。建人さんの顔は少し柔らかく笑っていて、隣の青年は建人さんの肩に腕を回して満面の笑みでピースしていた。…もしかしてこの人が…?建人さんが言っていた言葉を思い出す。

『大事な友人です。』

「お待たせしました。」
「あ、はい!ありがとうございます。」

トレイに乗せた紅茶の入ったマグカップをテーブルに置きながら、建人さんが私をちらりと見た。写真を見ていたことに気付いたのだろう。

「その写真は、私が高校生の頃の写真です。隣に写っているのは友人。もう亡くなっていますが。」
「…やっぱり、この方が今朝言っていた方ですか。」
「ええ。…少し、私の昔話をしましょう。」

私は静かに頷いた。漂う紅茶の香りが私の鼻腔を擽った。



 


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