過去と今とその先と




彼女の紅茶と、自分のコーヒーを準備して戻ると、小春は私と灰原の映る写真を見ていた。私が呪術師を辞める切っ掛けと言ってもいい、灰原の死。正直私は、五条さんの言葉に揺れている。

『戻ってくる気、ない?』

呪術師はクソだ。それは身をもって実感した。私が戻ったとして、それは変わらない。労働もクソだ。金の事ばかり考えて、自分の事は後回し。紅茶の入ったマグを彼女の前に置きながら、私は彼女に自分の事を知って貰いたいと思った。

「その写真は、私が高校生の頃の写真です。隣に写っているのは友人。もう亡くなっていますが。」
「…やっぱり、この方が今朝言っていた方ですか。」
「ええ。…少し、私の昔話をしましょう。」

彼女は真剣な眼差しで私の話を聞いていた。呪霊の存在。それを祓う呪術師という存在。呪術を学ぶために通った高専。そしてそこで亡くした友人の話。他人の為に命を投げ出す覚悟を、時に仲間に強要しなければならないこと。私はそこから逃げたこと。小春に出会って、小春の為に命を懸けたいと思った事。五条さんの言葉に揺らいでいること。話し終えると沈黙が続いた。聞こえるのは時計の秒針の音だけ。ふと、彼女を見る。

「…何故、泣いているのです。」
「…ごめ、なさい…、私、全然知らなくて…っ、建人さんの覚悟とか、辛い過去とか…っ、それなのに自分の事ばっかりで…。ごめんなさい…っ。」

私の為にぽろぽろと涙を流す小春に、胸がチクリと痛んだ。やはり話すべきではなかっただろうか。

「私、建人さんの覚悟を無駄にしたくないです。…あなたが選んだ選択は、間違っていないと思います。」
「正直、私はあなたとの結婚を大事にしたい。あなたを幸せにしたいですし、あなたと幸せを共有したい。」
「…はい。」
「…ですが、あなたを救ってみて、感謝されて、人を救うのも悪くない…そう思いました。」
「はい。」
「…私はあなたを幸せにします。ですから、私の帰る場所になってください。私は呪術師として、多くの人を救います。そして必ず、小春の元に帰ると約束します。」

私の言葉に、小春はまた涙を流して頷いた。頬を伝うその滴を親指でそっと拭う。瞬きで揺れるまつげを伝って、また一つ涙が零れ落ちた。

「…建人さん、抱き締めていいですか…?」
「それは私のセリフです。小春、抱き締めても?」
「はい…、これでもかってくらい、力いっぱい抱き締めてください。」

言葉通り抱き締める。腕の中で鼻を啜る彼女の髪をそっと撫で、その額にキスをした。小さく笑って、また流れた涙をキスで拭う。私を見上げるその瞳を、愛おしいと思った。

「幸せにしてください、あなたの隣で。」
「勿論です。私の事も幸せにしてください。嫌というほど小春を幸せにします。」
「はい。覚悟しててくださいね?」
「それも私のセリフです。逃がしませんよ。」

再びきつく抱き締め合う。彼女の左手を取り、薬指に口付けを落とした。恥じらうように笑う顔は耳まで赤く染まっていた。

「今月中に退職手続きをします。小春は就職したばかりですが、専業主婦をお望みなら、好きなタイミングで辞めていい。こう見えて、そこそこ稼いでいますし、呪術師は階級によっては給料もそこそこ良いので、好きにしてください。」
「…私は…もう少し働きます。建人さんが望むなら、将来的には子供も欲しいですし、そうなったら専業主婦になりますね?」
「そうですか。子供は…もう少し待ってください。暫くは二人の時間を楽しみたい。」
「勿論です。私もそうですから。」

もう一度薬指にキスをする。頬を撫でると、熱の籠った瞳が私を見上げていた。頬を撫でていた手で彼女の顎を軽く持ち上げる。私を見つめていた目ががゆっくりと閉じた。触れるだけの口付け。柔らかい感触が物足りない。啄むように、何度も角度を変えて口付けをした。私の背中に回っていた小春の腕が、するりと首に巻き付くと、それを合図に彼女をソファにそっと押し倒した。

「今からあなたを抱きます。嫌なら嫌と言ってください。でないと止まらなくなる。」
「嫌だなんて思いません。だから止めないでください。」
「…優しくします。」

頬に、額に、瞼に、耳に、鼻先に、そして唇にキスを落とす。擽ったそうに微笑む瞳が私を捉えた。

「小春、愛していますよ。」
「はい、私も建人さんを愛しています。」

もう一度、貪るようにキスをした。



 


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