決意




お昼休み、行きつけのパン屋に行った。…いつも通りカスクートを買いに。

「大丈夫ですか?ちゃんと寝れてます?」

パン屋の女性店員が言った。…言われてみればと思い返す。小春の一件、そして昨晩の情事。それ以前に会社では時間外労働の日々だった。彼女の肩には以前と変わらず蠅頭が憑いている。

「…貴女こそ、疲れが溜まっているように見えますが。」
「あ、分かっちゃいました?最近なんか肩が重いというか、眠りも浅いし。」

そう言われて小春の事を思い出す。呪いの恐怖に怯え、泣いていた彼女を救った。ただ、気になった、という理由で始まったこの関係も、あっという間に互いを想い合うようになった。助けたいと思ったから、助けた。愛したいと思ったから、彼女を愛した。

「私の仕事はお金持ちの人からお金を預かって、その人をよりお金持ちにする。大体そんな感じです。正直、私がいなくても誰も困りません。パン屋がないと、パンを食べたい人が困りますよね。でも何故か、そういう人間のサイクルから外れた、私の様な仕事の方が金払いが良かったりする。冷静に考えるとおかしな話ですよね。」
「自、自慢…!!」
「違います。一歩前へ出てもらえますか?」
「?」

近付いた彼女に憑いた蠅頭を祓う。

「肩、どうですか?」
「え、はい、アレ!?軽い!!」
「違和感が残るようでしたら病院へ、失礼します。」

もうこの店に来ることはないだろう。最後のカスクートを手に、店を出る。追いかけて来た店員の女性が大きな声で私に感謝を告げた。「ありがとう」“生き甲斐”などというものとは無縁の人間だと思っていた。けれど、これからは…。救える命を救い、感謝されることを生き甲斐に、そして、愛する人を護るために…。

「もしもし七海です、お話があります。…ええ、明日にでも高専に伺い…何笑ってるんですか?」

通話を終えると、会社に戻った。受付に小春の姿はない。スマホを見ると、事務手続きをしてきます、とメッセージが来ていた。屋上にいます。そう返事を送る。屋上に上がり、ベンチに座る。先日のイタリアンの店を再び予約し、最後のカスクートを食べ始めた。食べ終わる頃、屋上のドアが重々しく開いた。

「建人さん!」
「…手続きは終わりましたか。」
「はい、バッチリです!お昼、何食べたんですか?」
「行きつけのパン屋でカスクートを。今日であそこに通うのは最後です。」
「…そうですか。じゃあ、明日からは私が通いますね!食べたくなったらいつでも言ってください!私が買ってきます!」
「…はい。」

私の隣に小春が座る。結ばれた髪が風に揺れシャンプーの香りがした。

「先程、五条さんに連絡を取りました。明日は高専に。」
「…はい。私も覚悟を決めますね!出張とかもあるんですか?」
「任務の内容によっては、地方へ赴くことも海外へ赴くこともあります。」
「お土産、期待してます!」

そう言って私に微笑む小春の笑顔を眩しく感じた。

「寂しい思いをさせることもあります。それでも、待っていてくれますか。」
「はい。だって建人さんが言ったでしょ?必ず私の元に帰るって。」
「そうですね。」
「あ、でも、浮気したーなんてことがあったら、勿論怒りますからね?ないと信じてますけど。」
「それはあり得ません。」
「ふふ、よかった。」

風が吹く。

「建人さん、私今日はすっごく浮かれちゃって、何度も先輩にほっぺたつつかれちゃいました。」
「私も、仕事中に何度も小春の事が浮かびました。」
「わ、嬉しい!」
「こういうことを、幸せというのでしょう。」
「…そうですね。私たち、とっても幸せってことですね?」
「そうですね。」

幸せそうに微笑む小春に、そっとキスをした。



 


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