緩やかに染み込む




小春の家に着いたのは20時を回った頃だった。事前に連絡していたこともあって、インターホンを押せばすぐに鈴のように弾んだ声が私を迎える。玄関が開く。たったの半日、されど待ち焦がれた愛しい女性の姿に私の心臓は柄にもなく弾むのだ。

「おかえりなさい、建人さん。」

花が綻ぶように笑ったその顔が堪らなく愛らしく、私の頬も自然と緩む。部屋の中から漂う、食欲をそそられる香りに大きく息を吸い込んだ。

「ただいま、小春。…いい匂いがしますね。」
「もうすぐできますよ!…あ、一度言ってみたかったんですけど、ご飯にしますか?お風呂にしますか?それとも…、ふふっ!」

自分で言いだして照れる姿。勿論、私の中で選択肢は一つしかない。

「…小春にします。」

玄関先という事も気にせずに小春を腕の中に閉じ込めた。細い腕が私の背中に回る。今までこれほど愛おしいと思った相手はいない。出来る事ならずっと、この腕に閉じ込めておきたい。私を見上げて頬を染めた小春。その唇に、壊れ物のように優しく口付けると、二人して笑い合った。

「ご飯、食べましょう?」
「ええ。」

私の手を引く小さな背中を追って、部屋に入る。ジュウジュウと肉の焼ける匂いが強くなり、私の腹の虫も彼女の手料理を食べたいと騒ぎ立てている。手荷物をベッドの傍に置き、上着を脱いでネクタイを外す。小春がそれを受け取ってハンガーに掛けた。先日ホテルに泊まった時といい、彼女はとても気の利く女性だ。

「もうできますから、手を洗って、うがいもね?」
「分かっています。」

手際よく料理を盛り付ける姿を盗み見ながら、洗面所に向かう。腕時計を外してポケットに入れフーと深く息を吐く。ああ、悪くない。いや、それどころか…すごくいい。鏡に映った自分が別人に見える程口元が緩やかに上がっている。水を出して顔を洗い、彼女に言われた通り手も洗ってうがいもした。タオルで顔を拭きながら、きっと彼女はいい母親になるだろう、そう思うと再び頬が緩んだ。

「いただきます。」
「はい、どうぞ。いただきます。」

ハートのハンバーグがお皿の殆どを占領している。思わず笑ってしまう程だ。ナイフで切れ込みを入れればそこから肉汁があふれ出した。ソースと絡ませるようにフォークで口に運ぶ。柔らかな肉の旨さが口いっぱいに広がった。私にも、このハンバーグがかなり手間をかけて作られたことが分かる。

「…どうですか?」
「…とても、美味しいです。料理がお上手ですね。」
「よかった!小さい頃からおばあちゃんに教わっていたので、料理は得意なんです!でも建人さんグルメだから、お口に合わなかったらどうしようって思いました…!よかったぁ…!…うん、おいひい!んふふ!」

目の前でコロコロと代わる小春の表情は見ていて飽きない。ゆっくりと食事を味わいながら、向かいに座る小春を見つめる。目が合うと嬉しそうに微笑む姿をしっかりと目に焼き付けた。食事を終えると一緒に洗い物をした。ゴム手袋を嵌めた小春が食器を洗い、私が泡を洗い流す。二人で並んだシンクは狭く、触れる肩が擽ったい。

「建人さんのおかげで洗い物が楽に終わりました。ありがとうございます。」
「こちらこそ、美味しい食事をありがとうございます。ごちそうさまでした。」
「いえいえ、お粗末様でした!」

エプロンを外し、ベッドに腰を掛けて微笑んだ小春の隣に並ぶ。そのままキスをすると、より一層ふやける表情が堪らなく可愛らしい。

「建人さん、好きです…。愛してます。」
「私もです、小春。あなたを愛しています。」
「ふふ、嬉しい。」

もう一度口付けると、あとはもう止まらなかった。頬に手を添え、触れた髪を耳に流す。親指が耳朶に触れ、そのまま首を支えるように手を回すと、ゆっくりとベッドに押し倒した。恥じらう顔も愛おしく飽きない。私を見上げる瞳が期待に揺れている。

「小春。」
「…はい…。」

囁くように名前を呼べば、小春はゆっくりと瞬きをした。瞳に映る私の顔が彼女を熱く見つめていた。ベッドの上に広がる髪の一房を拾って口付ける。するりと手から滑り落ちた髪が小春の頬を掠める。

「私は幸せ者です。」

そう言って微笑むと、小春の両手が私の頬を覆った。

「私も幸せですよ、建人さん。」



 


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