伸ばした手




翌日、私が目を覚ますと小春はもう家を出た後だった。しまった、寝過ごした。余程疲労と心労が溜まっていたのだろう。幸い今日は小春の一件もあり任務を外してもらっている。机の上に置手紙を見つけ、ベッドから立ち上がると手紙に目を通した。

建人さんへ
おはようございます!
よく眠っていたので起こさずに家を出ました。
昨日言われたとおり、スマホの位置情報を共有設定しておきました。
何かあったらすぐ連絡しますね!
朝ご飯を冷蔵庫に入れてます。
起きたら食べてくださいね!
簡単なものでごめんなさい。
でも、ちゃんと愛情たっぷりです!
建人さんが寂しくないように、仕事の合間にメッセージ送りますからね♡
では、いってきます!
寝顔も可愛い建人さん、愛してます♡
小春より

「寝顔も可愛いのはあなたでしょう…。」

手紙の内容に笑みが零れる。置手紙を大事に財布に仕舞うと、洗面所に向かう。顔を洗って髭を剃り歯を磨く。冷蔵庫に入っていた朝食のサラダとハムエッグを取り出し、テーブルに置かれていた短くなったバゲットを食べる量だけカットして軽くトースターで温めた。昨日小春が買ってくれたカスクートも軽く温めて食べた。時間が経って少し固くなってしまってはいるが、せっかく買ってくれたものを無下には出来ない。小春の部屋で食べる一人の朝食は、静かで落ち着かない。向かい合った彼女が笑っている姿を思い出しながら、一人黙々と朝食を食べた。食べ終えると食器を洗い、彼女の部屋を見渡す。少しずつ私の部屋に荷物を移していると聞いていたが、目立った家具などは変わりなくそこにある。次の小春の休日に合わせて休みを取ろう。そして一緒に荷造りをして、私の部屋に彼女の物を移して、そして彼女の帰る家が私の家になる。…とても楽しみだ。…その為にも彼女が狙われている理由を明らかにし、なんとしても護らなくてはならない。私は彼女の部屋に置いていた予備のワイシャツに袖を通し、身支度を整えると部屋を後にした。万が一夏油さんに彼女の個人情報が洩れているとしたら、会社の名前も住んでいるこの部屋の事も知られているはずだ。私との結婚も知られている可能性も高い。知られていれば小春が夏油と遭遇した際に少しは時間を稼ぐ話題となるだろう。会社に向かうため駅を目指す。注意深く周辺を警戒しながら移動するも、今の所それらしき姿は見当たらない。久し振りの会社だ。呪術師として復帰を決めた日に辞表を提出し、最低限の引継ぎをしてあとは有給消化に回した。半月近く振りのそこは、何も変わっていない。会社の前の喫茶店に入り、ホットコーヒーを頼んで窓際の席に座る。会社の入り口が見えるそこなら、万が一何かあればすぐに駆け付けることができる。小春にメッセージを送るべくスマホを手に取った。

『起きました。朝食をありがとう。』
『おはようございます!よく眠れましたか?』
『お陰様で。お昼は一緒にどうですか。』
『ぜひ!お昼休みが楽しみです!』
『会社の前のドゥトールにいます。何かあればすぐに連絡を。』
『はーい!』

ハートを飛ばしながら投げキッスをする猫のスタンプが送られてきたので、私もスタンプを返す。変な顔のキャラクターがラブだぜ!と言っているスタンプだ。コーヒーを飲みながら会社の入り口をじっと見つめる。昼休みの時間が近付くと、ドゥトールの中も人が増えてきたようだ。小春からの連絡を今か今かと待っている内に、席は殆ど埋まってしまった。

『お待たせしました、今からドゥトールに行きます!』
『お昼に食べたいものはありますか?』
『建人さんと一緒なら何でもおいしいので、何でもいいですよ!』

やり取りをしている内に小春が出てきたのが見えた。私もトレイに乗ったカップを返却口に置くと、店を出る。私の姿を見つけた小春が小走りで駆け寄ってくる姿が可愛らしくて笑みを浮かべる程、私は重傷だ。

「建人さん!」

私の名を呼ぶ愛しい声を聞きながら、歩み寄ったその時。強い呪力。そして、彼女の体を飲み込むように大きな蛇の口が地面から現れた。

「小春っ!!」

伸ばした手は届かない。小春の体がバクリと蛇に飲み込まれ、

「やあ、久しいね。」

ニッコリと憎らしい程な笑みを浮かべた夏油さんが立っていた。

「夏油さん…小春を返してください。」
「それは無理な相談だよ、七海。」
「どういうつもりですか。何故小春を狙うのです。」
「んー…欲しいから、かな。あ、勘違いしないでくれ、あくまで欲しいのは彼女の「返してください。」…人の話は最後まで聞こうよ。」
「私の妻を返してください。」
「…アハハハハハ!妻!そうか、七海は非術師さると結婚したのか。それはおめでとう、そして残念だけど、彼女には死んでもらうよ。私の為にね。」
「そうはさせません。彼女には私の為に生きて貰います。」

今日は休日。時間外労働。ネクタイを外す。

「あなたはここで殺します。」
「七海に出来るかな。」
「“闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え”」

帳を下ろす。小春を監視していた高専関係者も夏油さんの登場に高専へ連絡をしているだろう。私はネクタイを右手に巻き付け、背中に装備していたなまくら刀を握り締める。

「小春、すぐに助けます。あなたを死なせはしません。」



 


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