ただいまとおかえり




『七海小春さんのお宅でお間違いないでしょうか。私、呪術高専の伊地知潔高と申します。』
「…伊地知さん…?」
『…その、七海さんの、』

建人さんが帰って来た。伊地知さんは私に土下座までしていた。慌ててそれを止めて、彼の遺骨を受け取った。建人さんの呪具と、ズボンのポケットに入っていた腕時計、ネクタイピン、ブレスレットで、遺体を建人さんと判断したらしい。

「本当に…、なんとお詫びしたら…っ、」
「伊地知さん、本当に大丈夫ですから…。私も、覚悟…してましたから、だから、ご自分を責めないでください。建人さんもそんなこと望んでないです。」
「…今後、何か困ったことがあればいつでも高専に連絡をください。可能な限りの援助を致しますので。」
「…いえ、そこまで、」
「それと、こちら七海さんの、」
「…遺書…、」
「…それでは、これで…、」
「…伊地知さん、建人さんが…、主人がお世話になりました。」
「こちらこそ…、お世話になりました。」

伊地知さんが帰ると、私は玄関先で崩れるように座り込んだ。建人さんが、帰って来てくれた。

「…お帰りなさい、建人さん。」

遺骨の入った桐箱を抱きしめて、昼寝をしている雄人を起こさないように声を押し殺して泣いた。震える手で遺書を広げる。涙で滲む文字を必死に目で追った。

『小春へ
この手紙が小春の元に届いていた時、私はきっとこの世にいないでしょう。思えば、あなたとの出会いは衝撃的でした。呪術師というマラソンゲームから逃げて、社会人として働いた4年間。私は常に金の事ばかり考えていた。金を取り扱う仕事柄、その事ばかり考えてきた。金、金、金。人間とは面倒な生き物だ。金で売り買いしなければ欲しいものなど手に入らない。無償で手に入れた物にも、その原点を辿れば金が掛かっている。金が経済を国を世界を回している。呪いも他人も金さえあれば無縁でいられる。金さえあれば…。そんな思考の中に突如現れたのが小春の存在だった。小春と出会ってから、私の人生はあっという間だった。小春の呪いを解呪するために出会って物の数日で結婚。そうそうない展開でしょう。勿論、私も驚きました。小春に出会ってから、月日が過ぎるのを早く感じるようになった。花のような笑顔、鈴のような声、愛らしい仕草、私を見つめる柔らかな瞳。どれも好きだった。いや、今でも変わらず愛している。どんなに高級なレストランで食べる料理よりも、小春の作る愛情たっぷりの手料理が何よりも美味しい。私を見送る姿も、出迎える笑顔も、触れた時に見せる恥じらう顔も、全てが愛おしい。小春と雄人を置いて逝くことだけが心残りです。ですが、私は待っています。必ず小春の元に帰ることを、そしていつか小春が私の元に来ることを。雄人が立派な大人になるまで、雄人の事をお願いします。小春1人に任せてしまうこと、許してください。勿論、小春は皺くちゃなおばあちゃんになるまで、こっちに来てはいけませんよ。小春、いつまでも愛しています。小春の元に帰れることを願って、最期のただいまを。

追伸、素敵な人を見つけたら、どうぞ私のことは気にせずに、あなたの幸せを優先してください。小春の幸せが、私の幸せですから。

七海建人』

「ぅぁっ…、ああっ…、ばか…っ、建人さんのばかぁっ!」

素敵な人なんて、あなた以外にいるわけないじゃない…、

「おかえりなさい…、帰って来てくれて、ありがとう…っ、愛してる…、」

どのくらい泣いていたのか覚えてない。気付くと雄人が私を抱きしめていた。建人さんに似た金色のサラサラな髪が私の頬に触れる。雄人を抱きしめて涙を拭った。私が、しっかりしないと、

「雄人、ママが、ずっと一緒にいるからね、」
「…ママ、もう泣かない?パパも帰って来る?」
「…うん、いつか必ず帰って来るよ。パパは、っ、遠いところに、お仕事なんだから、だから、絶対帰って来るからね、」

もう一度雄人を抱きしめると、またインターホンが鳴った。

「…はい、七海です。」
『…小春さん…、俺、』
「…悠仁君…?」
『…その…、ナナミンの事で、』

涙を拭って、悠仁君を部屋にあげた。もう一人男の人が一緒だった。脹相さんというらしい。

「…ごめん、俺、どんな顔して小春さんに会えばって思ったんだけど、どうしても…これ、渡さなきゃって…っ、」

そう言って、悠仁君はポケットから何かを取り出した。涙を堪えながら私の手にそれを握らせると、悠仁君は、

「小春さん、ごめんなさい…、俺っ…俺ぇ、ナナミンの事、守れなかった…っ!!」

悠仁君が私に握らせたのは、建人さんの指輪だった。悠仁君の目の前で、建人さんは亡くなったらしい。指輪が落ちる音がしたから、と必死に探してくれたそうだ。私は指輪を握りしめて、わんわんと泣き出した悠仁君を抱きしめた。

「ありがとう、探してくれて、ありがとうっ、」
「俺ぇっ、約束したのに…っ!」
「いいの、もう、いいの悠仁君っ。自分を責めないで、私も建人さんも、そんなこと望んでないから、」
「ごめん…っ、ナナミン、小春さん、雄人…、ごめんっ、」

悠仁君が落ち着くまで、その幼い背中を優しく撫でた。泣き疲れてソファで眠る悠仁君に、毛布を掛ける。

「…悠仁が世話を掛けたな。」
「…えっと、脹相さん、ですよね。何か飲まれますか?」
「いや、必要ない。」
「どうぞ、泊って行ってください。大したものは出せませんが、」

悠仁君が眠っている間に食事を用意した。悠仁君が起きると、私と雄人、悠仁君と脹相さんで食事をした。と言っても、脹相さんは食事が必要ない人らしいから、殆ど悠仁君が食べてくれた。

「…俺、行かなきゃ、」
「うん…。」
「小春さんと雄人は、今度こそ守るから、」
「…ありがとう、悠仁君。」
「…小春さん、俺、ナナミンの分までちゃんと苦しむよ。」
「…悠仁君、これ、」

悠仁君に小さなバックを持たせた。中にはお弁当と、おにぎりを何個か入れておいた。

「…小春さん、」
「悠仁君、絶対に負けないで。それと、あなたが幸せを掴む未来をあきらめないで。」
「…ありがとう、」

建人さんの指輪は少し焦げ付いていた。私はそれを自分の人差し指に嵌めてキスをした。血と焦げ付いた味がして、私は一人静かに涙を流した。



 


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