幸せの味




花をひとつかみの続き




小春の記憶が戻ってから、高専関係者以外には内緒で再び小春と結婚を前提に付き合い始めた。小春とは毎日一緒にお昼を食べた。彼女が作ってくれるお弁当を、一緒に。勿論他の生徒や教師にバレないように。小春は元から優等生で成績もよく、実に模範的な生徒だった。今日は彼女が日直だ。昼休みに小春は、放課後教室で日誌を書きながら私を待っていると言っていた。HRを終えて職員室へ向かう。荷物を整理して必要な事はさっさと済ませると、鞄を手に職員室を出ようとした。

「七海ぃ〜、」

五条さんに呼び止められた私は小さく舌打ちをする。

「あれ?今舌打ちした?僕に舌打ちしたよね?」
「しましたが何か。」
「うわ、認めたよ。」
「今日は予定があるので失礼します。時間外労働はしません。」
「小春ちゃん?」

ニヤニヤと私の肩に腕を掛けるこの男を殴りたい。

「そう思うなら後日改めて。」
「さっき小春ちゃん呼び出されてたよ〜?」
「…嘘でしょう。」
「え〜、折角教えてあげたのにぃ、七海ったら僕を疑うの〜?」

両手をグーにして顎に添えた五条さん。私の眉間に皺が寄る。

「場所は。」
「どこだったかなぁ〜?」
「フー…、五条先生、さっさと答えてください。」
「図書室だよっ。」
「どうも。」
「お礼は小春ちゃんのお弁当ね!」

五条さんの最後の言葉を無視して私は図書室に早足で向かった。図書室に着くと小春を探し回った。一番隅の本棚の陰で、小春の姿を見つける。

「す…好きです、俺と付き合ってください!」

びきっ、と私の額に青筋が浮かんだ。小春はぱちぱちと瞬きをすると、

「ごめんなさい。」
「え…。」
「私、お付き合いしてる人がいるので。」

小春ははっきりとそう言って、相手の男子生徒に頭を下げた。…相手は誰だ。

「橘さん、探しました。学級日誌は書き終わりましたか?」
「あ、七海先生。」
「…失礼、取込み中でしたか。」

私は小春の元へ。男子生徒は五条先生のクラスの生徒だった。私の登場に彼は赤かった顔をサッと青くしてそそくさと逃げて行く。私は人の気配が近くにないことを確認すると、小春を腕の中に閉じ込めた。

「…小春、」
「ふふ、私には建人さんしか見えてませんから、」
「…知ってます。ですが、実際目にすると不快です。」
「ごめんなさい、今度からもっと早くお断りしますね?」
「…いっそのこと、相手がいる事を公表して欲しいくらいです。」
「ふふふ、指輪でも嵌めますか?」
「…いいですね。」
「もうっ、そこはダメですって言わなきゃですよ?七海先生?」
「小春だけにはアクセサリーを許可します。」
「やったー。」

ちゅっとキスをして、私は近くの本棚から一冊本を抜き取った。

「私はこれを借りに来ました。」
「私は呼び出されました。」
「…いつもの場所で。それと日誌は家で読みますから。」
「はぁい。」

私は本を手に貸し出し受付に向かう。司書の女性がにこやかに私に挨拶をした。

「どうも。これを借りたいのですが。」
「はい。2週間です。」
「あ、七海先生さようなら。」
「橘さん、さようなら。」

本に貼られたバーコードを読み取ると、本を受け取った。小春が私の後ろを会釈しながら通り過ぎた。本を鞄に仕舞い、職員玄関から外に出て車へ向かう。鞄を後部座席に乗せ、車に乗って学校を出た。いつもの場所とは学校の近くにあるパン屋だ。駐車場に車を止め、財布と鍵、携帯だけをポケットに入れて店内へ。入ってすぐに置いてあるトングとトレイを手に取ると、いつも通りカスクートをトレイに乗せた。これは明日の私の朝食だ。学校の日はいつも小春と一緒に帰り、私の家で共に夕飯をとって、小春の家へ送り届けている。小春の祖父母には既に紹介されている上に、交際も認められている。小春の祖父母は前世と同じあのお2人だった。私の事を覚えていたので、挨拶に伺った時はお2人とも驚いて涙を流して喜んでくれた。それ故に私と小春が共に過ごす時間を作ることも許可してもらえた。ありがたい。目についたカレーパンもトレイに乗せる。この店のカレーパンはゴロリと大きめの牛肉が入っていてかなり美味しい。そして何より肉はトロトロだ。その感触を思い出して思わず頬が緩む。入店を知らせるベルが鳴った。振り向けば小春が店内に入ってきたところだった。私を見つけた小春が愛らしい笑顔で私に駆け寄る。

「建人さん、お待たせしました。」
「いいえ、丁度パンを選んでいるところでした。」
「あ、明日の朝はカスクートとカレーパンですか?」
「ええ。あとひとつくらい食べたいところですが、迷っています。小春なら何を食べますか?」

私の問いに、小春は並べられたパンを見渡して唸っている。私はその様子を見て、先程よりも頬が緩んだ。ああ、とても愛おしい。小春がぐるりと店内を歩き回る。私はその後を追いながら、彼女の顔をじっと見つめていた。視線に気付いた小春と目が合うと、小春は少し恥じらいながらくすりと笑う。

「もう、そんなに見られたら穴が開いちゃいますよ?」
「それは困りますね。」
「ふふっ、決めました!」
「どれですか?」
「クロワッサンです!カスクートはちょっと固めで、カレーパンは少し重いですから、食感の軽いクロワッサン!どうですか?」
「いいですね。ではそれを。」

クロワッサンをトングでそっと掴んでトレイに乗せるとレジへ向かった。レジ横に置いてあったガーリックラスクもトレイに乗せる。会計を済ませると小春と共に店を出た。後部座席にパン屋の袋を乗せ、小春の鞄も受け取って一緒に乗せる。私は運転席に、小春は助手席に座るとシートベルトを締めた。勿論周りに十分気を配りながら。車を走らせて学校から少し離れた私のマンションへ向かう。前世での経験を生かして若い内からコツコツと貯蓄と投資をしてきた。前世程ではないが、それなりに金はある。これも小春と再会した時の事を考えて努力した結果だ。私の今住んでいるマンションはオートロック付きの普通のマンションだ。小春と共にエレベーターで私の部屋の階へ向かう。勿論しっかり手を繋いで。部屋に入るなり私は小春を腕の中に閉じ込める。小春も私の背にしっかりと腕を回した。

「ただいま、小春。」
「おかえりなさい、建人さん。ただいま、建人さん。」
「おかえり、小春。」

2人でくすくすと笑い合ってキスをする。これが今の私達の日課だ。小春と手を繋いでリビングへ行くと、荷物を整理する。ネクタイを緩めてスーツの上着を脱げば、昔のように小春がハンガーを手に私に微笑んだ。小春に上着とネクタイを渡してキスも落とす。パンは冷蔵庫に入れて、小春と共に洗面所へ向かうと昔のように手洗いうがいもした。2人でお揃いのエプロンを身に着けると一緒に冷蔵庫を覗き込み、今日の夕飯の献立を2人で考える。呪術師をしていた前世では滅多にできなかった普通の生活。今が、とても幸せだ。食材を取り出して小春と共に手分けして夕飯を作ると、テーブルへ料理を並べてまたキスをした。

「「いただきます。」」

隣同士、2人で手を合わせて微笑み合う。またキスをする。

「ふふ、建人さん愛しますよ。」
「私も小春を愛しています。」
「とっても幸せですね。」
「ええ、とっても。」

小春と共に過ごす時間を、私は再び噛み締める。呪術師に戻らず、もっと早くこの幸せを味わっていればよかっただろうに、前世の私は馬鹿だな。…いや、呪術師に戻った前世があったからこそ、今の私達はより色濃く幸せを感じているのだろう。

「美味しいですね!」
「ええ、美味しいです。」



 


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