新しいスタート




些細な幸せの続きです。




小春が大学を卒業した。私もそれに合わせて教職を辞した。退任式の後、夜蛾校長、五条さん、夏油さん、家入さん、伊地知君には寂しくなると言われたが、私はこれからの生活が楽しみだ。5人から退職祝いにと受け取った箱。中身はまだ見ていないため、何が入っているのか分からない。小春と住む部屋に帰宅して、愛しい妻の歓迎に頬を緩めた。

「ただいま、小春。」
「おかえりなさい、建人さん。その箱は何ですか?」
「退職祝いだそうです。まだ中を見ていないので、一緒に見てみましょう。」
「私も見ていいんですかね?」
「問題ないでしょう。」

スーツを脱げば当たり前のようにそれを受け取ってハンガーに掛けてくれる小春に、このやり取りも今日が最後になるかもしれないと少しばかり寂しさを覚えた。部屋着に着替えてソファに座ると、小春と一緒に箱を開けてみる。

「わ…、」
「…嘘でしょう、」

中に入っていたのは現金。その上に載せられていた小さなメッセージカードには『パン屋の足しにしてくれ。頑張れよ。夜蛾正道』の文字。メッセージカードは5枚入っていた。

『小春ちゃんに会いに行くねー♡GTGより』
『勿論うちの学校にデリバリーしてくれるんだよね?夏油傑』
『小春さんと幸せにな。パン屋頑張れよ。硝子』
『七海さん、今までお疲れ様でした。小春さんとパン屋さん頑張ってください。買いに行きます。伊地知』

五条さんはともかく…皆の温かいメッセージに思わず鼻の奥がツンとした。小春も嬉しそうにメッセージカードを読んでいる。現金は帯が5本…500万も入っていた。

「こんなに…、」
「店を建てたら一番に招待しないといけませんね。」
「そうですね!学校にパンを売りに行くのもいいですね!」
「夜蛾校長に相談すれば許可してもらえそうです。それまでに私も美味しいパンを焼けるように励みます。」
「建人さんなら大丈夫ですよ!」
「…私も小春との将来の為にコツコツと貯蓄をしてきました。頂いたお金と合わせれば一軒家を建てるのも問題ないでしょう。お店と自宅が一緒になっていた方が色々と楽でしょうし、新居を建てるのはどうです。」
「いいですね!それなら移動の手間もかかりませんし!」
「では、後日不動産屋に相談しましょう。」
「はい!」

退職祝いをくれた5人にはお礼のLIMEを送って、その日は互いの卒業と退職を祝って外食をした。翌日、早速私と小春は不動産屋へ。学校の近くに見つけた土地を購入し、相談に相談を重ねて1階を店舗、2階と3階を住居にした一軒家を建てる事にした。家が建つまでの半年間、私と小春はひたすらパンを焼き続けた。小春が前世でも販売していたパンやパンプキンパイは勿論のこと、子供向けの菓子パンや、クッキー、ラスクなどのお菓子なども小春に教わりながら私も練習。流石に2人で毎日食べきれないほどのパンを焼くわけにもいかない為、1日に焼けるパンの種類は少なかったが、前世でもパンを焼いていた事もあり、それ程難しい事はなかった。店ができてすぐにオープンできるように材料の仕入れ先なども2人で探し、他にも必要なトレイやトングなども購入。店の準備は着々と進んでいく。オープン1か月前になると、近所に配る用のビラを小春と共に手書きでデザインした。パンの写真も添えて、地図も書いて。小春は終始楽しそうで、私もそんな小春の笑顔に自然と頬が緩んだ。残り半月ほどになると、私と小春は試作品のパンを手に学校へ。顔見知りの事務員に挨拶をして許可証を貰い、小春と共に校長室へ向かった。

「お久し振りです、夜蛾校長。」
「失礼します、お久し振りです!」
「2人とも久し振りだな、どうした。」
「退職祝いのお礼に試作品ですがパンを持って来ました。それと、少しご相談を。」

夜蛾校長に、学校でのパンの販売についてを相談した。夜蛾校長は快く了承してくださった。必要な手続きは後日、正式に店がオープンしてから交わすことになり、小春も嬉しそうだ。その後昼休みに職員室へお邪魔し、宣伝とお礼にパンを配った。

「小春ちゃん久し振りじゃーん!元気そうだね!」
「や、小春ちゃん。」
「お久し振りです、五条さん、夏油さん。」
「寂しいなぁ、もう五条先生♡って呼んでくれないの?」
「私も他人行儀な呼び方は寂しいね。」
「お2人とも私がいることをお忘れなく。」
「七海ー!」
「久しいねぇ!」
「お久し振りです七海さん、小春さん。」
「伊地知さん、お久し振りです!」
「今日はどうしたんだ。」
「硝子さん!お久し振りです!」
「久し振りだね、小春さん。」
「今日はご挨拶に。退職祝いはありがたく店の必要経費に使わせていただきました。お礼と言ってはなんですが、試作品です。よろしければどうぞ。」
「お、美味そうじゃん!僕前世でもよく買いに行ったんだよねぇ、懐かしいなぁ。」
「私は初めて食べるんだけど、オススメはどれだい?」
「やっぱりカスクートですかね?あ、あとパンプキンパイも!」
「じゃあそれを貰おうかな。いくら?」
「あ、いえ、今日はお礼に持って来たのでお金は、」
「いいからいいから!僕もクリームパンとパンプキンパイ頂戴!あ、あとシュガーラスク!美味しかったんだよねぇ!」
「私もサンドイッチとクロワッサンを頂けますか?」
「あ、クロワッサン私も食べたい。」
「メロンパンも捨てがたい。迷うねぇ。」

パンはあっという間になくなった。お代は結構と断ったが押し付けられるように握らされたお札に私も小春も苦笑い。他の職員達もパンを買ってくれた。

「店はいつオープンするんだ?」
「来月からです。ビラを作りましたのでどうぞ。」
「へぇ、結構近いじゃん。」
「ええ。」
「あー、あそこなんか家建ててるって思ったら七海んちだったんだ。」
「お昼はお世話になろうかな。」
「それが、夜蛾校長に許可を貰って、ここでパンを売ることになりました!」
「マジ?じゃあまた毎日小春ちゃんに会える?」
「いえ、ここでの販売は私が。あなた達が小春にちょっかいを出すのは目に見えていますので。」
「「ちぇー。」」
「うふふ、どうぞご贔屓に。」
「小春ちゃんの頼みならね!」
「買わないわけにはいかないね。」
「小春さん、卒業以降体調は?」
「大学の実習で毎日パンを焼いたので、昔よりは体力がつきました!」
「そ、良かった。あまり無理して倒れるなよ。」
「はい!」
「オープンが待ち遠しいですね。私もぜひ買わせていただきます。」
「ありがとうございます、伊地知君。」
「あ、悠仁達に自慢しよーっと。折角だから七海と小春ちゃんの写真も撮らせてよ。」
「いいね、私も記念に撮らせてくれるかい?家族たちにも宣伝しておくよ。」
「夏油さんご結婚されたんですか?」
「いや、前世で家族だった人達にね。」
「ミゲルまた日本いるの?」
「ああ、いるよ。悟には会いたくないみたいだけど。」
「またかよ。」
「それで、店の名前は?」
「『ベーカリー ナナミン』です!」
「前世と同じ名前にしました。雄人が考えた名前ですので。」
「いいじゃん。」
「いいねぇ、商売繁盛間違いなし!」

五条さんと夏油さんに写真を撮られて、あっと言う間に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。私と小春はそこでお暇。家も完成し、引っ越しを終え、遂にその日が来た。夜中の内に小春とふたりでパンを焼き上げ、店内に並べられた焼き立てのパンの匂いを大きく吸い込む。

「いよいよ今日からですね、小春。」
「はい、頑張りましょうね、建人さん!」
「ええ、ではオープンの時間です。」

小春と共に店のドアを開け、店の幟旗を立てた。『ベーカリー ナナミン』と書かれた幟旗が風に揺れてはためいていた。



 


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