これからは




また3人での続き




「アルバイトを雇う、ですか?」

私の提案に、小春は雄人の口元を拭きながらそう言った。雄人が生まれて1年が経った。雄人は前世同様手の掛からない子だった。最近では、学校にパンを販売した後、小春と交互に店番と雄人の世話をしている。雄人は掴まり立ちから時折ひとり歩きができるようになり、日々の成長を実感している。言葉もまだ舌足らずではあるが、「ママ」「パパ」と発することも増えた。店の方は昼のピークを過ぎれば売り切れる品も増え、追加でパンを焼いた方がいいのでは、その為にアルバイトを雇って店番を頼んだ方がいいのでは、と小春に提案したのだ。

「確かに…雄人が生まれてからは、お昼で殆ど売り切れちゃいますよね…。」
「はい。朝の製造は間に合っていますが、閉店まで店を開けておくには追加で製造を考えた方がいいでしょう。最近では売り切れで残念そうに帰るお客さんも多いようですし。」
「そうですね…。じゃあ、アルバイト雇ってみましょうか。えっと、こういうのって何か手続きとか必要なんですかね…?」
「前世では人を雇ったりは、」
「雄人のお嫁さんが一緒にお店を手伝ってくれていたので、3人で切り盛りしてました。その後は孫もできたので、私と雄人の2人で何とか。調子がいい時は彼女も手伝ってくれた感じです。」
「なるほど…。では少し調べておいたので、その説明を。」
「はい、」

個人事業主がアルバイトを雇う際の注意点などは、既に調べておいた。私はそれを小春に説明し、次の定休日に手続きをしようと話した。勿論、アルバイトを雇うということは、その者を信頼しなくてはならない。本音を言えば、私と小春の知り合いである事が好ましい。

「でも流石に、難しそうですね…。悠仁君と恵君は、今はプロのサッカー選手ですし、野薔薇ちゃんもモデルとして頑張ってますし…。」
「禪院さんは姉妹でファッションデザイナーの道に進んだと聞きました。それから狗巻君とパンダ君はYon Tuberというものをやっているそうです。」
「えっ、そうなんですか?!」
「乙骨君は、折本さんと花屋を経営していると、五条さんが。」
「皆幸せそうですね!そうだ、脹相さんも弟さん達と一緒にスポーツバー?を切り盛りしているらしいです!悠仁君達の応援が出来るからって!」
「それは大変だ。…ひとつ思ったのですが、狗巻君とパンダ君に連絡して、店の宣伝をしてもらうというのも手かと思います。」
「なるほど…!それならたくさん応募がありそうです!」
「ですが、私達と狗巻君達の関りを知らない彼らのファンからすれば、狗巻君とパンダ君に接触したいが為に応募する、ということもあり得ます。」

それで狗巻君とパンダ君に接触できないと分かって、仕事を放棄されては困る。できればパンが好きでパン屋で働いてみたいと思っている者を雇いたい。

「灰原さんはどうですかね?」
「…灰原…。彼はパンより米が好きですから、どうでしょう。」
「あ、そっか…。」
「ですが、灰原…。彼なら最も信頼できる。」

灰原は自転車で日本一周の旅をしているらしい。時折食べ物の写真や観光地の写真が送られてきている。元気にやっているのだろう。しかし、今どこにいるかは不明だ。彼にこの話をして、引き受けてくれるかもわからない。

「…一度相談してみます。それで灰原が良しと言えば、彼を雇いましょう。」
「はい!灰原さんなら雄人も可愛がってくれますし、雄人も懐くと思います!」
「そうですね。では、私は先に下に下りています。」
「はーい、片付けたら私も下りますね!」

灰原…灰原か、そうだな、彼なら…。1階にある厨房に下りて早速今日のパンの製造に取り掛かった。




「もしもし、灰原。」
『七海!どうしたの?』
「実は折り入って相談がある。」
『いいよ、ちょっと待ってね!おばちゃんご馳走様ー!』
『はいよー、気を付けてなー!』
『ありがとう!』

店の営業時間が終わり、小春がレジを締めている間、私は厨房で灰原に電話した。少しの雑音の後、灰原の声。どこかで食事をしていたのだろう。

『ごめん、お待たせ!』
「食事中だったか、すまない。」
『丁度食べ終わったから大丈夫だよ。それよりどうしたの、七海?』
「…灰原、今はどこにいるんだ。」
『今は関西まで来たよ!食べ物美味しくて最高!』
「フッ、そうか。」
『それで?』
「…君が旅をしていることを承知で話をする。」
『うん?』
「実は、」

私は灰原にすべて正直に話をした。お店の経営も安定し、閉店時間までに商品が売り切れる日が続いている事。売り切れと知って残念そうに帰るお客さんが多い事。たくさんの人にうちのパンを食べて欲しい事。その為に閉店時間までにパンの補充をしたいが、小春は雄人の世話もあるため無理をさせたくない事。その為アルバイトで従業員を雇いたいという事。灰原は時折相槌を打ちながら聞いていた。話し終えてすぐに灰原は、

『僕でいいならやるよ!』
「…だが、君の日本一周の旅を『そんなの生きてればまたいつでもできる!』…灰原、」
『あ、でも、帰るのにちょっと時間掛かっちゃうから、暫く待たせちゃうかもしれない。旅費を稼ぐために現地で日雇いの仕事してるんだけど、丁度明日はそれで大阪に行くから。』
「ああ、こちらも必要な手続きなどを済ませなければならない。できるだけ早く準備は整えるつもりだが、灰原は焦らず待っていて欲しい。」
『分かった!小春さんと雄人にもよろしくね!』
「…灰原、すまない。ありがとう。」
『僕と七海の仲なんだから、なんでも頼ってよ!』
「…ああ。」

灰原との通話を終えると、私は目頭を押さえて深く息を吐いた。…いい友人を持った。

「灰原さんどうでした?」
「今は関西にいるそうです。アルバイトの件も引き受けてくれるそうなので、手早く手続きを済ませましょう。」
「わぁ、よかったです!雄人やったね、灰原さんが来てくれるって!」
「やああ〜!」
「厨房の片付けは済みました。夕飯にしましょうか。」
「はい!」

レジ金の入った金庫を手に住居である2階へ上がる。小春と共にテレビに釘付けな雄人の背中を見ながら、微笑ましく夕食を作った。




次の定休日、必要な説明を受けて手続きなどは済ませた。後は灰原が東京に戻って来てから、彼を雇用したと証明する手続きが必要だ。灰原は東京に戻ってきた。久し振りに会った彼はかなり日焼けしていたが、屈託のない笑みは変わらなかった。履歴書を受け取り、形式上の面接をした後、こちらからお願いしていたこともあり即採用。仕事内容や時給の話、それから、

「えっ、夕飯までいただいていいの!?」
「はい、是非!雄人も灰原さんに懐いてますし、私達も灰原さんに少しでも恩返しができたらと思っているので!」

これは小春の提案だった。勿論私も快く了承した。

「私からも、迷惑でなければ食べて行って欲しい。」
「迷惑なんてそんなことないよ!むしろ僕いっぱい食べちゃうから、七海家の食費が心配だよ!?」
「そこまでうちは貧乏じゃない。」
「ふふっ、」

翌日から灰原は『ベイカリー ナナミン』で働き始めた。開店準備は変わらず私と小春で済ませ、オープンの少し前に灰原が出勤。小春が仕事を教えながら、私は学校に配達する分のパンを準備。それから午後の追加で焼くパン生地を捏ねておき、配達。その間灰原は1時間程休憩を取ってもらう。2階のリビングで好きに過ごしてもらい、灰原の休憩が終われば小春は雄人を連れて2階へ。雄人の食事を済ませ、私は店に戻る。休憩がてら雄人の面倒を見て、その間に小春は午後の分のパンを軽量、形成をする。私の休憩が終わると小春と共にパンの仕上げをして焼き、焼けた物から店頭に並べるための包装。その間灰原が雄人の面倒を見ながら、店番をしてくれている。灰原も雄人を可愛がってくれている上に、雄人も灰原によく懐いている。彼に頼んで正解だと思った。午後の追加のパンを店頭に並べ終えると、私は厨房の片付け。小春は雄人を連れて2階へ行き、軽い家事と夕飯の支度をする。灰原がいてくれるだけで私も小春も負担は減った。何より雄人の面倒を見てくれるのが一番助かっている。

「灰原、時間なのでclauseに。」
「はーい!」
「レジ金の締め方も教えます。」

灰原は覚えも良かった。店のドアに掛かった札をclauseにし、のぼり旗を店の中に仕舞うと、パンを並べていたトレイを回収した。灰原に閉店作業を教えながら、初日はどうだったか聞いてみた。

「すごいね!お客さんいっぱい来るからびっくりした!」
「そうか。」
「今まで小春さんと2人で大変だったよね!もう少し早く声掛けてくれたらよかったのに!」
「いや、経営が安定したからこそできた。灰原に頼んでよかった。改めて、受けてくれてありがとう。」
「どういたしまして!それより夕飯までご馳走になって本当にいいの?お昼だってお店のパン貰ってるのに!」
「パンの味を把握しておかなければ、どんなパンなのか聞かれた時の返答に困るだろ。」
「なるほど!」

閉店作業を終えてレジ金の入った金庫を手に、灰原と2階へ上がる。小春は夕飯をテーブルに並べていた。

「建人さん、灰原さん、お疲れ様でした!」
「小春もお疲れ様でした。灰原も。」
「お疲れ様!うわぁ、小春さんの料理美味しそう!七海は幸せ者だなぁ、このこの!」
「やめろ灰原。」
「ふふっ、2人とも手を洗って来てください。」

灰原と共に洗面所に向かい、顔と手を洗ってうがいもした。私と小春、雄人と灰原の4人で夕飯を囲み、灰原の日本一周の土産話を聞く。楽しかった。夕飯を食べ終えて灰原を見送り、小春と共に片付けをして雄人をお風呂に入れる。いつもより早くベッドに入る事が出来た。雄人を寝かしつけて小春を抱き締めて眠る。私は改めて、小春に出会えたこと、灰原と再会できたこと、雄人が再び生まれてきてくれた喜びを嚙み締めた。前世では叶わなかった事を、現世では必ず。友人と過ごす時間も、愛する妻と過ごす時間も、愛しい我が子と過ごす時間も、これからはたくさんあるのだから。



 


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