僕のお父さん




ぼくのおとうさんメイクアップ!の続き




「ただいまー!」

雄人の元気な声が、2階の玄関から厨房まで響いた。とたとたと2階を駆けまわる足音に向けて「おかえりー!」と返すと、雄人が嬉しそうな顔で階段の上から厨房を見下ろす。建人さんも一緒に2階を見上げ、優しい声で雄人を出迎えた。

「ママ、パパ!見てこれ!」
「ん〜?なぁに?」
「危ないですから、ゆっくり降りてきてください。怪我をしますよ。」
「はぁい!」

1年生のひなこは雄人よりも先に帰宅し、子供部屋で宿題をしている。雄人が帰ってきたことで、ひなこも子供部屋を出てきたのか、雄人を呼ぶひなこの声も聞こえた。雄人が階段を下りてきて、私たちの顔を見ると再び笑顔で「ただいま!」と言ってくれた。

「おかえり、雄人。そんなにはしゃいでどうしたの?」
「これ見て!僕の作文!」
「作文?」

雄人の手には原稿用紙が数枚重ねて握られていた。そして反対の手には、なにやら丸められた紙が握られている。雄人から紙を受け取ると、輪ゴムの巻かれたそれを広げてみた。そこには『作文コンテスト 最優秀賞 七海 雄人』と書かれている。

「作文コンテスト…?」
「最優秀賞、七海雄人って…、」

建人さんと顔を見合わせ、雄人に視線を向けると、雄人は嬉しそうに笑っていた。再び顔を見合わせた私と建人さんは、今度は雄人をめいっぱい抱きしめる。

「雄人凄い…!最優秀賞だって…!」
「えへへ!」
「よく頑張りましたね、雄人。素晴らしいです。お祝いをしなくては、」
「なになに?どうしたの?」

灰原さんが厨房を覗きこんだので、雄人は灰原さんに向けて作文コンテストの賞状を広げた。灰原さんも「雄人凄い!」と感動して、私達の元に駆け寄ると、雄人の頭をわしゃわしゃと撫で回しくれた。ひなこが階段を下りてきて、雄人がひなこを抱き上げた。

「どんな作文を書いたの?ママも見ていい?」
「うん!パパのことを書いた!」
「え?七海のこと?」
「私のことを…、」

建人さんが原稿用紙を受け取って広げる。一行目には『僕のお父さん』と書かれていた。

「あ…、」
「ママ、」

雄人が私を見上げて、泣きそうな顔で小さく頷く。やっぱり、この子にも前世の記憶が…。前世で小学1年生の頃、雄人が書いた作文も…『ぼくのおとうさん』というタイトルだった。思い出して込み上げた涙をグッと堪えて、私も原稿用紙を覗き込む。

「折角ですから、雄人に読んでもらいたい。いいですか?」
「うんっ!」

建人さんは私達を見てなにかを悟ったのか、原稿用紙を閉じて雄人に返すと、厨房を出てお店の方に行ってしまった。カランコロンとドアベルを鳴らして外に出た建人さん。様子を見ていると、お店の外に出していた看板を手に店内に戻ってきた。

「今日はもう閉店しましょう。追加のパンを焼く前でしたから、残りは私達でいただきましょうか。」
「そうですね、そうしましょう。」
「了解!」

灰原さんが張り切って外に出ていく。OPENの札をCLAUSEにし、のぼりを片付けてくれた。私も厨房の片付けと掃除にとりかかり、雄人は先に宿題を終わらせるためにひなこを連れて子供部屋に上がった。1時間もせずに閉店作業が済んで、私達は2階にあるリビングへ。雄人は宿題が終わったのか、ひなこと一緒に教育番組を見ていた。

「お待たせしました、雄人。」
「おかえり!」
「おかえりー!」
「飲み物を淹れますね?」
「ありがとう、小春。」

子供たちにはジュースを淹れ、大人には紅茶を淹れると、皆でリビングのソファに腰掛ける。雄人だけがテレビの前に原稿用紙を持って立つと、建人さんがテレビを消してくれた。

「はぁ、なんか緊張する!」
「うふふっ、」
「雄人頑張れ!」
「お兄ちゃんがんばってぇ!」
「雄人、ゆっくりでいいですよ。」
「うん、……フーッ、」
「建人さんの真似?」
「へへへっ!」

雄人が笑い、皆でつられて笑顔になった。雄人は覚悟を決めたのか、緊張に震えた声で「読むね」と言ったので、私達は拍手で雄人を見守ることにした。

「……僕のお父さん、6年3組七海雄人。…僕のお父さんは、パン屋さんをしています。お店の名前は『ベーカリーナナミン』です。ナナミンという名前は、僕のお父さんが昔よくお世話をしていたお兄さんがつけたあだ名です。そのお兄さんは、僕のお父さんと、僕と、お母さんとも知り合いで、ずっと昔から僕を弟みたいに可愛がってくれた悠仁兄ちゃんです。悠仁兄ちゃんは今、プロのサッカー選手をしていますが、昔はお父さんと同じ呪術師という仕事をしていました。」
「雄人…、」
「…呪術師というのは、悪いオバケを倒す仕事です。僕のお父さんは、その悪いオバケを倒すためにいつも戦ってくれていました。僕はそんなお父さんが格好良くて、大好きでした…ッ。お父さんは、いつもお母さんを大事にしています。僕もお母さんが大好きなので、お父さんみたいに大事にしました。…昔の僕は…、ぼくはぁ、」

涙を堪えながら作文を読む雄人に、私の目からもぽろぽろと涙が溢れた。建人さんは黙って雄人の言葉を待っているけど、その手が微かに震えているが見えて、私はますます涙が止まらなくなった。灰原さんも小さく鼻を啜っていて、ひなこは泣いている私達に首を傾げている。

「…ぐすっ、ぼくはっ、お父さんと過ごせた時間が…、短くて、写真とお母さんや知り合いの話でしか、お父さんを知りませんでした…。でも今は…ッ、家に帰ると…お父さんがいて…、お母さんもいて…ッ、妹のひなこもいます…ッ。『ベーカリーナナミン』で働いてくれている、お父さんのお友達の雄兄ちゃんもいます。…僕は…今も昔も変わらず…お父さんみたいな…強くて、格好いい大人になって、お母さんを幸せにしたいです。そして、お母さんだけじゃなくて、お父さんも、妹のひなこも、雄兄ちゃんも、悠仁兄ちゃんも、みんな幸せにしたいです…ッ。僕の夢はぁ…お父さんと『ベーカリーナナミン』で…パンを焼くことです…ッ。僕のお父さんは…ッ、今も昔も…ッ、強くて格好いい、僕の大好きなお父さんです。お父さん、いつもありがとう。これからも、ぼくの…おとうさんでいてね…ッ、」
「雄人…ッ、」
「ゔぅッ、おどうさんっ、」

作文を読み終えた雄人を、建人さんが抱き締めた。建人さんの腕の中でわんわんと泣く雄人に、私も涙を手で拭いながら雄人に拍手を送る。灰原さんも涙と鼻水を垂らしながら拍手をしてくれて、ひなこだけはきょとんとした顔をしていたけど、泣いている私達にティッシュを配ってくれた。

「ありがとうひなこ。パパとお兄ちゃんにもティッシュあげて?」
「お兄ちゃん、ティッシュ!」
「ぐすっ、ありがど、ひな…ッ、」
「パパぁ?」
「ありがとうございます、」

ひなこからティッシュを受け取った雄人が、ズビーッと鼻水を噛んだ。建人さんも最後まで涙を堪えて聞いていたけど、雄人を抱き締めながら泣いたらしい。私や灰原さんには顔を見せないようにティッシュで涙を拭くと、雄人の頭を優しく撫でていた。

「素敵な作文をありがとうございます、雄人。とても素晴らしい作文でした。お祝いに皆でご飯を食べに行きましょう。」
「うんっ!」
「ごはん行くの?どこ行くの?ひなも行く!」
「ええ、皆で行きましょう。勿論、灰原も。」
「ありがとう七海!雄人、僕のことも書いてくれてありがとう!」
「うん!」
「雄人、」
「ママ…、」

ソファから立ち上がって両手を広げると、雄人が私の胸に飛び込んだ。ぎゅうっと抱き締めながら「また私達を選んでくれてありがとう」と言うと、雄人は私の背中に腕を回して、涙声で「うん」と頷いた。雄人の涙で服が濡れるのも気にせずに抱き合う私達に、建人さんも雄人を挟むように私ごと抱き締めてくれた。

「お兄ちゃんズルい〜!ひなもぎゅうする!」
「ひなこもおいで、」

ひなこが私と雄人の横から抱きつくと、雄人は灰原さんも招いた。灰原さんはぐちゃぐちゃになった顔をティッシュで拭き取ると、建人さんの後ろから私達に腕を回した。皆で涙を浮かべながら、ぎゅうぎゅうと抱き合って、おしくらまんじゅうみたいだねって笑う。幸せな時間だった。

「ごめん七海、鼻水ついた…、」
「灰原…、」

その後、私達は灰原さんも交えた5人で、雄人の作文コンテストのお祝いに焼き肉を食べに行った。帰りの運転は私がするからと、建人さんにはお酒を勧める。

「灰原さんもたまにはどうですか?」
「でも、自転車が、」
「灰原、今夜はうちに泊っていくといい。」
「えっ、良いの?」
「それなら、帰りにドゥンキ・ホーテに寄って、替えのお洋服と下着を買いましょうか。」
「雄兄ちゃん泊まるの?!」
「おとまりするの?」
「じゃあ、お言葉に甘えて泊まらせてもらおうかな!」
「ヤッター!」

灰原さんもお酒を飲むことになって、私は早速注文をしようとテーブルのベルを押す。元気な店員さんの声が聞こえて、黒い三角巾を頭に結び付けた若い男性の店員さんが、サロンのポケットからハンディを取り出しながらテーブルにやってきた。

「お伺いしま…えッ…、七海さん…?」
「猪野君…、」
「建人さん、お知り合いですか?」
「誰ぇ?」

その店員さんは建人さんの顔を見て固まると、唇を噛み締めて頭上の三角巾をくしゃりと掴んだ。もしかして、建人さんの呪術師時代のお知り合い…?

「なぁなみさぁあんッ!」
「やはり、猪野君でしたか…。」
「俺ぇっ、俺え…ッ!」

突然泣き出した店員さんに、建人さんは懐かしそうに目を細めて笑うと、彼の肩を優しく叩いた。




「さっきは取り乱してすみませんでした…!俺、昔七海さんに憧れてて、いっぱいお世話になりました、猪野琢真っていいます!」
「初めまして、七海小春です。」
「彼女は今も昔も私の妻です。そういえば、猪野君に小春を会わせるのは初めてですね。」
「あなたが噂の、七海さんの奥さん…!昔からお噂はかねがねっす…!」
「えっと、どんな噂でしょう…?」
「七海さんがべた惚れしてるって、五条さんに…!」
「…猪野君、」
「えっ!?五条さんがそう言ってたんですけど、」

猪野さんは、前世で建人さんに憧れていた呪術師だった方で、今は焼肉屋さんの店長さんをしているらしい。グルメだった建人さんなら、いつか自分の店にも来てくれるはず、と…。そして『ベーカリーナナミン』のことも知っていたけど、建人さんに見合う男になるまで、自分からお店に行くのを禁じていたらしい。

「こちらは息子の雄人で、こちらは娘のひなこです。」
「七海雄人です!今も昔も七海雄人で息子です!」
「えっ、じゃあ…、」
「ひなこです!」
「ひなこは、私達の初めての娘なんです。」

私がそう言うと、猪野さんはポンッと納得したように両手を打ち合わせた。

「彼は灰原雄です。今も昔も、私の同期で、友人です。」
「初めまして!僕は君のこと、七海から聞いてます!頼りにしてたって!」
「七海さぁん…ッ!」
「猪野君、鼻水…。」

猪野さんはズビッと鼻水を啜ると、「注文をお伺いします!」と元気な声を響かせた。

「折角ですから、猪野君のオススメをいただきましょうか。」
「えっ、いいんですか!?」
「私もオススメが気になります。」
「任せてくださいっ!」
「じゃあ、飲み物だけ注文しましょうか。雄人はコーラ?」
「うん!」
「ひなこはオレンジよね?」
「オレンジぃ!」
「私はウーロン茶で…、建人さんは?」
「マッコリですよね?!」
「…フッ、」

食い入るようにそう言った猪野さんに、建人さんは柔らかく口元を緩めて頷く。灰原さんも一緒にマッコリを飲むらしい。猪野さんは注文を取り終えると、厨房に戻っていった。厨房のほうから「頑張るぞー!」と張り切る猪野さんの声がして、私達は思わず吹き出して、建人さんは目元を手で覆いながら口元を緩ませていた。

「お待たせしました!特上盛り合わせSPECIALZです!」

ドンッとテーブルに置かれた大皿には、特上と書かれた札が載った綺麗なサシの入ったお肉たち。いかにもお値段の張りそうなお肉の盛り合わせに、私も子供たちも目をぱちくりとさせていた。

「猪野君…、素晴らしく上質なお肉を使っているようですね。」
「はい!七海さんの口に絶対合うハズです!なんせ俺、七海さんが連れてってくれた焼肉屋さんで、毎回肉焼いてましたから!」
「じゃあ、七海が鍛えた目ってことだ?」
「そういうことっすね!七海さんにはほんとお世話になりました…!これは俺の気持ちです!好きなだけ食べて飲んでください!お代はいらねぇっす!」
「えっ!?そんな、流石にお金は払いますよ…?」
「いやいや、受け取れないです。またこうして七海さんと会うこともできて嬉しいんで。」
「猪野君、そんなことを言っていいんですか?」
「勿論、俺がこの店の店長なんで!」
「灰原、」
「うん!食いつくそう、七海!」
「えっ?」
「フーッ、胃袋の本気を出す日が来たようですね…。」
「えっ、えッ!?七海さん!?」
「猪野君、覚悟してください。」

そう言ってトングを握った建人さんに、猪野さんはガクブルと震えはじめた。私と子供たちはそれを見てくすくすと笑ってしまった。勿論、建人さんが本気でお店のお肉を食べつくすなんてことをするわけがないから、灰原さんと2人で猪野さんを揶揄っているだけだけど。助けを求める目を私に向けた猪野さんに、私もつい悪ノリしてしまった。

「私達も遠慮なくいただきますね…!」
「なぁなみさぁあん!」

泣きだした猪野さんに、建人さんは楽しそうにフッと笑っていて、私達も一緒になって笑った。猪野さんのお店のお肉はとても柔らかくて美味しくて、お腹がいっぱいになるまで美味しいお肉を堪能した。勿論、お金は建人さんがちゃんと払ったし、私もお礼とともにまた来ますと伝え、猪野さんにも是非と『ベーカリーナナミン』の名刺を渡した。建人さんは猪野さんとまた会えたことが嬉しかったのか、それとも珍しく酔っ払ってしまったのか、よく笑ってとても楽しそうだった。



 

 


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