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この前の空き教室に向かっているのを見て、息が出来なくなりそうになる。

(ま、まさか…――っ)


「いやだ…っ、やだ…っ」と身体全体で抵抗してみても、彼はこっちに目を向けもしない。


ガラリとドアを開けて、教室の中に入れられる。
体勢を崩して尻もちをつけば、手首を掴んで押し倒されて息を呑んだ。


このままじゃ、だめだ。
蒼と二人になりたくない。

何をしてもこの場から離れないと、逃げないとだめだと心が警鐘を鳴らす。

出口を目で探した瞬間、


「……逃げるの…?」

「…っだ、だって、」


小さく震える声。
まるで逃げようとする俺を責めるような言葉に、顔を上げる。

…と、彼の整った無表情の顔に、僅かに悲痛が滲む。


「ぁ、あお…っ、…――っ、」


有無を言わさず重ねられた唇に、目を見開いた。

(…な、んで、)

目の前で瞼を閉じる綺麗な顔に、状況が把握できない。


「…っ、や…ッ」


侵入してこようとする舌に驚いて、反射的に思い切り噛んでしまった。
がり、と嫌な感触がして、あ、と思った時には蒼は口を片手で覆って身体を起こしていた。

苦痛の表情を浮かべる蒼に、一瞬謝罪の言葉が口から出そうになったけど、その隙に下から逃れる。

少し身体を遠ざけた。ここで、前みたいに流されるわけにはいかない。
緊張に唾を飲みこんで、汗ばんだ拳を握る。


「……あおい」


名を呼べば、反応する身体。


「また…、俺が嫌いだから、無理矢理俺を犯すの…?」

「………」


彼は俺と目を合わせようとしない。
それが肯定を示しているようで、ぎゅう、と締め付けられるように締め付けられているみたいに胸が痛くなった。苦しい。痛い。


「…何で、こんなことするんだよ…」


唇を袖で拭いながら、声を出す。
震える唇を動かして、必死に声を出して問う。

なんで、なんで、なんで。
そればっかりが、頭の中を駆け巡って。
キッと睨み付けた。
眼球が熱い。


「…ッ、だって、蒼は俺のことが嫌いって言っただろ…!!」

「…っ、」

「最初から嫌いだったって!だったら…っ」


喉が震えて、言葉にならない。

……だったら、俺ももう蒼に関わらないから、こういうことしないでほしい。

言葉を止めて俯く。

今、何か話せばすぐに涙が零れてしまいそうだ。


「…わかってるから。俺が悪かったんだって」


約束を破ってしまった。

最初の引き金はきっとあれだったから。

ふ、と笑って自嘲気味に笑う。
わかってる。


「全部俺が悪いから、蒼が俺にあんなことしたのだって全部俺が悪いってわかってるから」


蒼を目の前にすると、自分でも驚くほど感情が波打つのが分かる。
できるだけ一生懸命笑顔を作っているのに、顔が強張ってしまう。

彼が驚いたように、その喉を小さく上下させたのが見えた。
声が震える。

こうして話すのも、これが最後になるかもしれない。

この際だから言いたいことは全部言ってしまおうと、息を吸った。
蒼から視線を逸らして、ぼそりと呟く。


「…この前、蒼が怒った原因が、俺が…俊介のことを、その…好きだって言ったことも含まれてたら、だけど。それは…、嘘、だから。それとその時に好きって言わないっていう約束破ったことも……ごめん」


……勿論、俊介のことは友達としては好きだ。

一緒にいて楽しいし、笑うことができるから。
沢山、助けてもらったから。

蒼が、俺の言葉にどんな表情を浮かべているかなんて知らない。

見えないからこそ、次から次に言葉を並べ立てていくことができる。

蒼にとってはもうどうでもいいことかもしれない。
でも、とりあえず言っておきたかった。


「それに、…俊介とは、…つきあって、ない」


蒼がなんで勘違いをしたのかわからないけど、一応事実じゃないから否定しておかないといけないと、思った。
付き合ってるなんて、どうして思ったんだろう。


「……うそ、だ…」


信じられないというような言葉に、顔を上げると彼の顔から血の気が引いていた。


「…蒼?」


予想外の反応に目を瞬く。

戸惑う。
彼は俺の呼びかけなんて聞こえてないような顔でよろめいて俺から少し遠ざかった。

その尋常ではない様子に、…無意識に手が伸びる。
昔の癖で蒼に触れようとすると、彼はびくりと震えて俺の手をはねつけた。バシンと乾いた音がする。


「え…?」

「あ、…っ」


振り払われた手に驚いて声を上げると、彼はしまったという表情を浮かべて、唇を噛んだ。
それでも動揺は収まらないらしく、その手が震えているのが見えた。


「…だって、うそだ。…アレがそう言ったから、あんなことして、俺は、じゃあなんで、」


何かを呟き続ける声は小さく過ぎて、聞きとれない。
片手で軽く顔を覆った蒼が、ふいにこっちを見る。


「…アイツに、……好きだって、付き合ってって言ってない…の…?」

「へ?言って、ない…よ?」


友達として好きだってことなら、前に一緒にご飯食べてる時に言ったけど。
首を傾げると、彼は蒼白な顔のまま、否定するように首を横に振る。

今にも倒れそうに思えるほど、彼の身体は震えていて


「だって、」

「………」


流石に近寄れるほど、警戒心を解いてないわけではないから支えることなんてできないけど、その表情は酷く危うい。


「だって、俊介ってやつが、まーくんに好きだって言われたって、俺と真冬は付き合うんだって言って。この前も、まーくんが俺と一緒に帰れないって電話をしてきた日だって、あいつは…っ」


最後らへんは最早泣き叫ぶように声を上げる蒼に、「ちょ…っ、ちょっと待って」と制止の声を上げた。

だめだ。蒼が何を言ってるのかわからない。

思考が追いつかない。

彼は俺の方にゆらりと顔を向ける。


「あいつが、俺に言ったんだ」

「…な、んて」


表情から、それが俺にとって多分良いことではないことが予測されて、問う声が震える。
彼は、酷く暗い瞳でその言葉を呟いた。


「”真冬は、俺のことをそういう意味で好きなんだって言ってくれた。だから、付き合ってって言うつもりだ”って」


―――――――


何を言ってるのか、わからない。

どうして、俊介がそんなことを。

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