***


チュンチュンと鳥の鳴く声が聞こえる。
カーテンの隙間から差し込む日差しが、眩しくて目にいたい。

起きて、ぼーっと天井を見上げた。


「…あお、い……?」


寝起きのせいで掠れた声が口から漏れる。
寝ぼけ眼で、最早無意識に隣に手を伸ばした。

目を開けて、隣を見る。
ただ、白い布団だけが視界に映る。


「――ッ、」


誰も、いない。

急激に血の気が引き、心臓がばくばくと動き出す。
一気に全身の血流がおかしくなったような錯覚。

周りを見回せば、アパートの一室。
あの屋敷じゃない。


(そうだった。俺、確か今――)


考えるよりも先に身体が動いていた。
身体を起こして、扉の方に走る。

ガラリと開けた。

そこに立っている人物を目で捕らえた。


「…っ、かなたさん…!!」

「わっ、おはよう。真冬くん、どうしたの?怖い夢でも見た?」


走り寄ってぎゅっと抱き付くと、一瞬驚いたように声を上げた彼方さんがよしよしと頭を撫でてくれる。

まだ、心臓の鼓動が速い。
ほっと息を吐く。

(よかった…誰もいないかと思った…)

彼方さんも、どっかに行っちゃったのかと思った。

もう、誰かに置いて行かれたくない。
眠ったせいで、蒼と別れたのも、彼方さんと会ったのも、全部夢だったような気がして。

いや、全部夢だったらまだいい。
蒼に別れを告げられた後、彼方さんに会ったことが夢だったらと思ったら。

また、ひとりになってしまったのかと思ったら、恐怖で心臓が止まるかと思った。


「ご、ごめんなさい…」


また迷惑をかけてしまったと、ぱっと離れる。

もうこれ以上できるだけ彼方さんに甘えないようにしないと。


「……、いい匂い…」


落ち着くと、とても食欲がそそられるよう匂いがすることに気づいた。

よく見ると彼方さんはエプロンを着けていて、料理中だった。
フライパンで何かを焼いている。


「卵焼き?」

「うん、正解。丁度おろし大根も前に作ったから、だし巻き卵に添えて朝ごはんの一部にします」

「おおー」


ぱちぱちと手をたたく。
なんか、ちゃんとした朝ごはんだ。すごい

蒼といる時は、なんていうか…殆ど口移しとか…、俺の意識がおかしくなってたりとか、鎖に繋がれてた時とか…そういう時ばっかりだった、から…。

多分ちゃんとしたご飯を作ってくれてた気がするけど、あの状況でおいしいとかまずいとかわからなくなってたから、ご飯じゃなくて、何か違うものを食べていたような気がしてた。

そこにあったものは、ご飯だったはずなのに。

……でも

だからこそ、蒼とも、こんなふうに、普通の日常を一緒に送りたかったな。

(今、蒼は何をしてるんだろう…)

やるせない思いを抱えて、唇を噛み締めた。


「……(……う、)」


……目の前に並んでいる、…夢にまでみそうな家庭的な食事。

…なのに、正直言うと今は全然食欲がわかない。

蒼が傍にいないと思うと、不安で、心細くて、空腹感はあっても何かを口に入れるような気分じゃなかった。

でも、せっかく作ってくれたのに、食べないのは悪いよな…。

少しだけ箸で掴んで、朝ご飯を喉に入れる。


「味、どうかな?」

「すごくおいしいです。ありがとうございます」


……おいしいんだろう、と思う。

気持ちのせいか、味を感じにくい気がする。

テーブルの上に広がる光景。

だし巻き卵以外にウインナーとか味噌汁とか、昔から夢に見てた理想の朝ごはんで嬉しい。

ちゃんとしてるんだな。彼方さん、すごい。

手料理もうまいんだ。

絶対に俺の舌がおかしいだけで、たぶん味はするんだろう。

………まったく空腹感がなくて、これ以上食べられる気がしない。


「そっか。よかった」


ほっとしたように笑って、やっぱり小さい子にするような感じでよしよしと頭を撫でられた。

(なんでみんなこうやって頭撫でる人が多いんだろう…)

蒼もそうだし、彼方さんもそうだし。
……癖なのかな。


「…真冬くん、もし食べる気分にならないなら、無理して食べなくてもいいからね」

「…、すみません…でも、すごくおいしくて、」

「うん。そう言ってくれるだけで嬉しいから、無理して食べる方が身体に悪いよ」


笑ってそう言ってくれる彼方さんに、心底申し訳なくて、謝ることしかできない。

………これ以上食べたら吐いてしまいそうだった。

まだご飯途中にも関わらず、箸を置く音。


「…彼方さん?」

「それで、昨日の話なんだけど…、決めた?」


何を、とは聞かなくてもすぐにわかった。

…………蒼に、会いにいくかどうか。

会える確率は低いけど、それでも俺が会いに行きたいかどうかってことだろう。


「…俺は、」


じっと黙り込んでいると、静寂を破るようにぽつりと言葉が聞こえた。

顔を上げる。

躊躇いがちな台詞。


「俺は、真冬くんは会いに行かない方がいいと思う」

「……、」


なんとなく、そう言われる気はしてたので、さほど驚かなかった。

…でも、唯一俺を連れて行ってくれそうな人に、蒼の身近な人に、ここまではっきりと言われると正直悲しくなるというか…辛くなる。


「昨日も言ったとおりだけど、多分蒼も色々考えた末に真冬くんを遠ざけようとしたんだと思うし…、もし会いに行ったとして、本当に偶然でも蒼に会えてしまった場合、何があるかわからないんだ」

「……」


昨日、考えた。

今は蒼に会いたいって思ってるけど、会いたいと心の中で思うのと、実際に会うのとはわけがちがうんだろう。

少し、怖い。


「…蒼は真冬くんを本当に大切に思ってたみたいだから、多分普通に考えて思いつくほど些細な理由で簡単に離れるわけない。…ということは、それくらい真冬くんが蒼の近くにいると、蒼より、…むしろ真冬くんの方が危険な目に遭うって蒼が考えたからだと思う」


彼方さんの言葉に、小さく頷く。

それは、俺だって思ってた。

自惚れすぎかもしれない。

でも、あんなに俺を閉じ込めようとしてた蒼が、そんな小さな理由でそう簡単に離れていくわけないって、思う。

(いや、俺が…そう思いたいんだ)
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