感情(彼方ver)

***


――――約3週間前。

ミシミシと軋んだ音を立てながら木の板の上を早足で歩く。

久しぶりに嗅ぐ古い木の香りと、相変わらずその場にいるだけでゾッとして冷や汗がでてくるほど張り詰めた空気が漂っている屋敷内。

多少は懐かしく感じてる心があってもいいはずなのに、反対に胸を占めているのは今すぐにでも気を失ってしまいそうな程の恐怖と嫌悪感。そして、何故か込み上げてくる寂寥感は自分でも不思議だった。

歩く足が震えている。

ぐっとそれを振り払うように、拳を握って歩みを進める。

もう二度と来たくないと思っていた場所だった。

できれば足を踏み入れることなんかしたくなかった。
…けれど。

それでも、俺には今、どうしてもやらないといけないことがあって。

「…(やはり、)」

(…ここにもいない、か…)

冷めた瞳でさりげなく隙間の空いている部屋の中に視線を移動させる。

求めている人物の姿は見つからなかった。

…予想通りとはいえ、状況はかなり悪い。

むしろ、予想があたってしまったことの方が一番悪い。

焦りに額に涙が滲む。

我ながら蒼の振りをして、本家の屋敷内に潜入するという方法は多少無茶かと思っていたけど案外ばれていないようだった。

できるなら、こんな風に蒼を装わずに”佐藤彼方”本人として屋敷内に潜入できれば一番良い。

…しかし、俺はそもそも屋敷内に入ることを許可されていないので、足を踏み入れたことがばれた瞬間、”父”の部下たちに追い出されてしまうだろう。


蒼と顔が瓜二つらしい俺は、幼いころから何度も蒼の振りをさせられていた。だから、蒼に”何か起こったとき”の為にいつでも代わりになる準備はできている。


…そうなるように教育されてきたから、それについてはなんの不満もなかった。
蒼の代わりにされることで、真冬くんがいうような”悲しい”気持ちになんかならない。寂しいとも思わない。

その逆だった。

むしろ、真冬くんになら蒼の代わりにしてほしいとさえ思った。
あんなに誰かに求めてもらえるなら、俺も蒼になりたいと思った。
友達にも、恋人にも、…親にだって、…俺は俺が欲しいと思う感情を向けられたことはなかった。

俺が欲しい感情は、全部蒼が持ってて。
俺が望んでいる感情は、全部蒼が誰かに与えられる。向けられる。

同じ顔だけど、俺は蒼の”代わり”ができるけど、…でも、中身までは真似することができないから。
必死に、仕草も、声も、表情も、全部真似しても、それは所詮”蒼”本人じゃない。
俺がどれほど焦がれても、蒼にはなれない。

空っぽの人形がいくら努力しても、中身はいつまでたっても空白のままなんだろう。

だからこそ、ずっと欲しいと思っていたものを、蒼が真冬くんから向けられていることが胸が焦がれるほど羨ましかった。

…真冬くんの蒼への感情が、友達や、恋人へ向けるものとは異なるモノだから…俺が一番欲しかったものだから、尚更羨望した。

(…でも、)

「……」

今、胸を占めているのは、そのような熱い感情ではなく罪悪感。
どうしようもないほどの罪の意識に苛まれている。
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