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(なに、…だれ…っ)

恐怖が身体を駆け上ってくる。


”まーくんは、いらない子だった”


「…――ッ?!」


それに混じって一瞬誰かの声が聞こえた。
その言葉に、身体が跳ねる。

(…あお、い…?)

懐かしい声を求めるのはやめたはずなのに。

諦めたはずなのに。

もう好きじゃないはずなのに。

俺は捨てられたんだってわかってるのに。


「…ぁ…」


…どうあっても、…心の奥底ではずっと求めていた声に、嬉しくて、会いたくて、涙が零れた。

でも、その声は俺の期待する言葉とは別の言葉を俺に放ってくる。


”まーくんはいらない子だった。だから捨てられたんだ”


「…っ」


なんで、なんでそんなこと言うんだ。


(違う…っ、違う…っ)

声を出してその言葉を否定したくても、声帯が壊れたかのように口から出ない。

今、俺は知らない男に肉棒を後孔に突き入れられて、泣いて叫んでるはずなのに。
痛くて泣きながら、それでも一方的な快楽を満たすだけのセックスをしてるはずなのに。

…真っ暗だったはずの視界が、変わる。

今いる場所が別の場所のように感じる。

目の前にいるのは、知らない男じゃなくて、…蒼だった。
俺は今みたいに、首を絞められていて。
蒼を、見上げている。

苦しいとか、痛いとか、そんな感情はなくて。

ただ、彼が浮かべるその表情から目が離せなかった。


(…また、その表情…)


俺の首を絞めてるのは蒼なのに、その顔はこっちが思わず手を差し伸べたくなってしまうほど…悲しそうで、泣きそうだった。

まるでこうして俺の首を絞めていること自体が、…蒼自身を苦しめているかのように。

でも、…涙をどこかに置き忘れてしまったかのように、彼はよくそんな辛そうな顔をするくせに涙を流すことは絶対にない。


……思い出した。


いつか見たはずの光景。
でも、ずっと忘れてた記憶。

俺は今みたいに、首と足首と手首を、鎖で繋がれていた。


監禁されてから…初めて、蒼に玩具を挿れられたまま放置されて…その後の、ずっと思い出せなかった数日間の記憶。


その光景が今ある現実のように、鮮明に蘇ってくる。


「…まーくん」


声が聞こえる。
現実ではない、過去の言葉。

寂しさと、不安を押し殺したような声。

薬をたくさん飲まされて、何度も犯されて、何度も気絶した後。


「…ぁ゛…っ、な…に…っ」

「……」


ベッドの上で、目が覚めたら俺は蒼に首を絞められていた。
そして、さっき脳裏に聞こえた呪詛のような言葉をその薄く整った唇が動き、形を作る。


”まーくんはいらない子だった。だから、捨てられたんだ”


その言葉と同時に、蒼と重なって違う人が見えた。

その人は、もっと細い腕で、全然力なんかないように見えるのに、強く俺の首を掴む。

全身に恐怖と震えが走る。


「…ぁ、やだ…っおか……さ…っ」

「…悪い子は捨てられるんだよ」

「ごめ…な…さ…っ、ごめんなさ…っ…ぃ」


聞こえてきた声に、ビクリと身体が大きく震えて、条件反射のように涙を零しながら何度も謝る。


ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

首を絞められるのに、大した理由なんかいいらない。
ただ、相手が俺の首を絞めたいから締めるんだ。
その好意、理由なんか存在するわけなくて。

……俺に出来ることは、ただただ謝って許してもらうことだけだった。

でも、いつもより首を絞める力に力が込められていないように感じて閉じた瞼をそっと持ち上げる。


久しぶりに目隠しを外された視界は、ぼやけた世界を映した。


「まーくん」

「…っご、ごめんなさ…ッ、ごめんなさ…っ」

「……まーくん、俺をちゃんと見て」


その落ち着いた声に、ようやくいつも俺の首を絞めている人の声と違うことにようやく気づいた。
首にかかった手は離れない。

ぼやけた視界は、徐々にはっきりと目の前にいる人間の姿を映す。
俺の首を絞める、蒼の顔が見えた。


「…え…あお…い…?」


でも、彼の表情と反対に、首を絞める指の強さはさっき感じた指の力にはまったく及ばない。
多少は苦しかったけど、意識を失いそうにはならなかった。

やっぱり、蒼は本気であの時俺を殺そうとはしてなかったんだと今更気づく。


「思い出した?」

「なに…っ、を…ッ」

「まーくんが、こうやって母親に何度も殺されかけたこと。まーくんと俺が昔出会ったこと。まーくんと俺が離れ離れになったこと。…まーくんが、俺にしてくれた約束のこと」

「…ッ、しら、な…っ、しらない…っ」

「…うん。それでもいいよ。…嫌なことなんか、全部忘れた方が良いに決まってるんだから」


寂しそうに笑って顔に影を落とす蒼は、目を伏せた。
それは喜んでいるような、悲しんでいるような、色々な感情が混ざり合った表情だった。


「もう、玩具に遊ばれたまま暗闇にひとりで取り残されたくない?」

「……っ、!!いやだ…っ、もう、ひとりになりたく…っさみしい…ッ、さみしい…ぁ…う…っ」


また取り残されるのかという恐怖でぼろぼろと泣いて縋る俺を見て少し悲しそうに微笑んだ蒼は、首から手を離した。
首に感じていた痛みが、ぬくもりが、消えていく。
かわりにその瞳は優しく俺を慈しむように見つめていた。


「悲しい?辛い?苦しい?俺を求めてくれるなら、俺がずっとまーくんの傍にいるから。ひとりになんかしない」

「…もう、ひとりに、ならない…?」

「うん。守ってあげる。怖いものはもうないよ。全部排除したから。これからもずっと、まーくんが望んだ世界を、絶対に誰にも壊させない」


俺を抱きしめる体温があたかかった。

その声が、言葉が、体温が、意識が、今全部自分に向けられているのだとわかる。

嬉しかった。

昨日も、蒼に抱かれたけど、いつもみたいに激しくなくて、優しくて、すごく大事にしてくれて、…嬉しかった。
でも、その存在を実感したくて、俺は今ひとりじゃないって実感したくて、自分から蒼に縋った。
もっと、もっと、って求めた。

あんなに嫌だと思ってたはずの行為が、全然嫌に感じなかった。


……ひとりじゃないってことで、すごく安心できたからかな。
今までは蒼から向けられる感情に、戸惑ってばかりだったはずなのに。

そんなことを、俺と一緒にいてくれるだなんて、そんな嬉しいことを、心底愛しいと思っているような表情で見つめながら言われると、本当に俺のことを想ってくれているのだと思えて…恐怖よりも幸せな気分で胸がいっぱいになった。


そう言ってくれるなら、もうずっとここにいてもいい。

……ずっとここにいたい。


そう思えるほど、魅力的な言葉。

俺を包み込むその身体に、腕を回して抱きしめ返す。
一瞬蒼が緊張したように小さく震えて、すぐに俺を抱きしめる腕の力を抜いて少し離れた。
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