現実
今でも、リアルに思い出せる。
あの時の感触を。
…あの時の、感情を。
お母さんがくーくんの悪口を言って、その口から延々と吐き続けられる毒が嫌で、どうしても許せなくて…おれは無我夢中で手に持っていたそれを強く握って拳を振り上げた。
握った感触は、鉄のように硬くて鋭くて長細いもの。
その凶器を、何のためらいもなく振り下ろした。
…なんのために、なんてよくわかってなかったと思う。
怖いなんて感情もなかった。
自分が今から何をしようとしているのかなんて考えてなかった。
…ただ、…ただ零れ出そうな程たくさん自分の中に湧き上がってきた感情に従っただけだった。
ぶちっ。
何かを突き破ったような衝撃が手に響いてくる。
肌を通り越した…肉の…重い感触。
「…え?」
おかあさんはあっけにとられたようなかおで、こっちをみていた。
そして、”何か”が刺さっている自分の胸の辺りを見る。
段々赤く染まっていく服。
…自分で殺せと言っておきながら、本当におれがさすとおもってなかったのかもしれない。
「…ぐ…っ…は…っぁ…まふ、ゆ…っ」
「……あ、おれ…」
その反応を見て、…やっと呆然と、今自分が何をしたのかを今更徐々に理解してくる。
ずっとその場所に刺したままなのが、そこから伝わってくる鼓動が、体温が…段々怖くなってきてすぐにその”物”を引き抜く。
「…ぐ、かはぁ…っ」
「…ぁ……」
そんな奇怪な声と同時に、何かビチャッと水が滴るような音。
手にもその飛沫が、お湯のようなものが降りかかってくる。
ぐふっと何かを吐くような音の直後、顔にどろっとした温かいモノが飛んできた。
温かくて、べどべとしてて、鉄のような匂い。
首を絞める指の力が緩まった。
ほっと息を吐いて、苦痛に歪むその顔を見つめる。
「…おか…おかあさん…」
涙を流しながら、熱く震える声を零す。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
どれだけ謝ったって、後悔したって、泣いて叫んだって…もう遅いし…許されない。
おれは――。
その頬に手を伸ばそうとして。
…でも、耳に届いてきた予想もしない声によって身体が硬直した。
呻くような、驚きを含んだ声。
「ぁ…ああ…なん、で……そんな、もの…」
それは、おかあさんよりもずっと低くて…掠れていた。
…おんなのひとのものじゃない、おとなのおとこのひとのこえ。
だれの、こえ…?
「…おかあ、さん…?」
何かがおかしい…と不思議に思って声をかけてから、…気づく。
自分の声も、違う。
小さな子どものものじゃない。
伸ばしたはずの手が、見えない。
…それに視界が、さっきまでと違う。
部屋の中にいたはずなのに、おかあさんと一緒にいたはずなのに…いつの間にか視界が真っ暗になっていた。
…でも、それは辺りが真っ暗とかそういうわけじゃなくて…目に、…何かが覆いかぶさっているせいで…。
布…?
「…”おかあさん”って、…」
「…え…?」
「なに、いってるの…きみ…」
さっきまでは何も匂いなんかしなかったのに…鼻をおかしくするほど臭い匂いが辺りを充満していた。
汚物の、汗の、精液の、…色んなものがまじりあった匂い…。
でも、それをもう不快にさえ感じていない自分。
(……)
そうだった。おかあさんはもう…いなくて、…くーくんも、ここにはいなくて…。
それを思い出した瞬間、心臓を引き裂くような鋭い痛みを感じて…苦しい。
幾つも思い出してしまう記憶のせいで、夢と現実がごちゃまぜになって…もうどっちが本当なのかわからなくなってくる。
…そしてやっと今、改めて自分が現実にどこにいるのかを思い出した。
「――ッ!!」
実感した瞬間、身体中に激痛が走る。
…また、意識…失ってたのかな…。
…感じる。
…自分が床の上に寝ていて、その限界まで開いた脚の間に男がいて、…そして…奥まで挿入されている性器のリアルな形と肚の中にある途方もない量の精液…それに裂けた自分の皮膚から流れる血の存在…全部という全部を…嫌なほど感じた。
床に水たまりみたいに広がって、尻を濡らしているそれも、全部…精液……。
「…が…ッ」
「…っ、ぁ…え…」
ごふっと何かを吐き出すような音の直後、顔に熱いものが大量にぶつかってくる。
どこかで…嗅いだことのある匂い。
”それ”がぼたぼたと顔を伝って流れていく。
…でも、脳はその匂いの元が何なのか…受け入れようとしない。
(…なんだ、……この、……どろっとしたもの…)
一瞬硬直して震えて、でも口に入り込んできたその液体に反射的に嘔吐感が込み上げてきた。
口を覆ってそれをこらえて、緩慢な動作で唇を擦る。
渇いた唇の皮は、驚くほど簡単に血を滲ませた。
そんなことをしている間にも、目の上あたりにぶつかってきたものがどろりと垂れてくる。
苦い。まずい。……古びた…鉄の味。
(…これ…)
…血…?
吐くような音がして、自分に降りかかってきたということは…これは男のもので…
ヒク、と喉の奥が震えて、反射的に逃げるように腰が引けた。
でも、後ろが地面のせいで少しも離れられない。
「…っ、や…、やだ…っ、なに…」
「やだってそっちがやっといて…なんなの…なんかの…ぷれい…?」
「…ひ…ッ…ぁ…」
腰を軽く揺すった男の動作のせいで後孔の中のモノが擦れて声が漏れる。
何を言われているのか、理解できない。
[back][TOP]栞を挟む