1
手を濡らす液体が、…酷く気持ち悪い。
水とはまった違う…人のぬくもりを感じるあたたかい液体。
…でも、それでもまだ叫ばないでいられるのはその”何か”を実際に目にしたわけじゃないからだ。
目隠しのおかげで、現実感はない。
それなのに、わけもわからずに心の奥底からわき上がってくる恐怖は、寒気は、とまらなかった。
「…な、なに…っ、…え、や…っ離れ…ッ」
「…っ、まさか、君がそんなものもってたなんて…っ…よそうが…、いッは…ッ」
べちゃっとした塊の熱いモノが、またぼたぼたと音を立てて胸の上に零れてきた。
直後、身体の上に何かが倒れ込んでくる。
一瞬何が起こったのかとパニックになったけどすぐにその温度に、肌にそれが人だと分かった。
俺よりもでかい、男の身体。
…とてつもなく、重い。
浅く荒い呼吸とドクドクと激しく鼓動する男の心臓の音が肌越しに伝わってくる。
地面とその男に挟まれて、うまく呼吸が出来ない。
「…っ、ぁ…、なん、で…」
肚の中に入っている男の性器がさっきよりもでかくなって、何故か怖いほどビクビクと痙攣している。
…それは、快感によるものとはまた別の原因でそうなっているように思えた。
肩の辺りを掴んで、必死に押す。
上から退けようにも、非力な俺の力ではびくともしなかった。
…倒れてきた男の身体から、俺の身体に次々に伝わってくる洪水のような液体。
胸の辺りから広がる熱の違和感に、顔が歪む。
なに、これは、なに。
「…ぁ………あ…」
見えない手に、身体に、何かがべっとりついている。
俺の肉体を濡らす液体の量は、さらに増えていた。
離れない。消えない。気持ち悪い。
…それだけじゃない。
…右手に…
(…俺、…今…何かを…持ってる…?)
そんなわけない、そんなわけないと心の中で否定しながら、それでも背筋が凍るような思いに駆られて、手の中にあるモノを強く握りしめてみる。
…嫌というほど、覚えのある感触。
(……っ)
血の気が引く。
…もう、何が起こったのか、確かめずにはいられなかった。
震える手で、視界を遮っている目隠しをずらす。
「……」
久しぶりに開けた視界に、目が慣れるまでに少し時間がかかった。
この前一瞬だけ見た、コンクリートで出来た部屋。
あの時は動揺していて、はっきりとは見えてなくて、じっと見たのは今回が初めてだ。
だけど、俺の視線を釘付けにしたのは…その部屋ではなかった。
…ぼやけた視界でも…わかってしまう。
「…――――っ、」
目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。
初めに目に入ってきたのは、肩だった。
ぐったりと重く覆いかぶさってくる男の一部。
…でも、俺が驚いたのは”それ”にじゃない。
「――っ、なんで…こんなに…っ」
……目隠しを外した手についている大量の…血。
手のひらから手首、腕まですべて真っ赤だった。
鮮やかな真っ赤な血の色。
手を天井の方に持ち上げて信じられないような思いでぼうっと見つめていれば、ぼたぼたと手から自分の顔に血が落ちてくる。
唇に垂れてきた液体が、重力によって口内を伝って喉に入り込んできた。
…――その瞬間。
「…ッ、」
頭をシェイクされように視界が歪んだ。
胃が痙攣して嘔吐する。
激しい嘔吐感による…眩暈。
反射的に身体を楽な姿勢にしたくて下を向こうとしても、男の身体を押しのけることはやっぱりできなくて、せめてもの思いで横を向く。
「…う…ぇ…っ…」
吐いたせいで、眼球が熱くなって涙が零れる。
最近まともな食事を口に入れてないから、胃に毎日水代わりに入れていた精液が胃酸に混じって口から零れ出てきた。
ボトボトと床に広がる…口から出てきた精液に…また吐き気が込みあがってくる。
…もう一度、堪え切れずに吐いた。
でも結局、口から出るものは、こみ上げてくるものは、…ご飯じゃなくて…誰かの精液しかない。
吐いたせいで弱り切っていた腹筋の筋肉を使ったせいで前より痩せた腹部が、筋肉がキリキリと痛む。
…本当に、見えないというのは恐ろしい。
いや、幸福だったというべきかもしれない。
誰かの精液を飲むという行為も…見えなかったからあんなに自分から進んで出来ていたけど…実際に胃から出てきたその色は、形は…おぞましかった。
[back][TOP]栞を挟む