24

(――…ドクン)


心臓が大きく鼓動を刻む。

好き。
好き。
好きだと。

蒼のことがこの世で一番好きなんだと、どうして今までこの気持ちを思い出せなかったのか不思議なくらい、記憶のなかのおれの感情が押し寄せてくる。

その気持ちが怖くて、今更そんなの知りたくなくて、堪えられなくなって思わず瞳を伏せる。
まるで自分が自分じゃなくなっていくような、そんな感覚が怖い。



「…はは…いたい…」


身体がぶるりと震える。

頭の傷に雨が染みてずっと激痛が走っている。
ぬるりと口の中に鉄の味のものが入ってくる。
おいしくない。

よくこんな状況でも生きてるな、と自分でも思う。
意外にしぶといんだ、俺…。

雨が降っているせいか、暗くて、寒くて、視界に何も映らない。

もう、何も見えない。真っ暗だ。見えるもの全部、闇がずっと続いている。
自分で感じられるのは、酷い耳鳴りと、風の音と、小さなザーザーという雨の音だけだった。



「…はは…っ、は、ぐっ、」



乾いた笑いが零れて、その度に雨やら血やらよくわからないものを飲みこんで噎せる。



「…。…なんで……おれ…、は…っ」



喉の奥がどうしようもなく震えてぼろぼろと涙が零れる。


何をしてるんだろう。

おれよりも今、蒼の方が酷い目にあっているかもしれないのに。
おれは今、こんなところで何をしてるんだろう。
あのとき、約束したのに。

…おれは、今までずっと守ってこなかった。
ぎゅっと地面の泥でどろどろになって震える拳を握りしめる。



「…あおい…、あおいを、たすけ…なきゃ…」



逃げてしまった。
彼を…あんなところに置いて、逃げてしまった。
こわくて、それだけのためににげてしまった。



「…くーくんは、おれがまもってあげなきゃ…」



だって、やくそくした。
やくそくしたんだから。

あのわるいひとから、あのおとうさんから、…おかあさんから、

  ぜんぶから、
 
    おれ    が、くーくん  を、

                 くーくんが、      おれ  を



ふらふらと視界が揺れる。

地面を踏みしめる音がする。
足の裏に何かが食い込んでくる。
ガンガンと頭を殴られているような気がする。


「…くーくん…」


震える。
声が、喉の奥が熱く震える。
血の味、痛み、冷たい、刺さる。

まだ、あのわるいひとたちにつかまってるのかもしれない。
やっつけないと、わるいことをするひとたちは、やっつけないと。
くーくんが、おれの傍にいないと、


「…くーくん…くーくん……」


迷子の子どものように何度も名前を呼んで、重い身体を引きずって歩く。

元来た道がどこかなんてわからない。

…でも、じっとしてなんかいられなかった。
どこ、どこにいるのかと見えない視界の中ひたすら足を引きずるようにして歩く。


「…くーくん…っ、くーくん…ッ、」


呼んでも答えない声に、瞼に涙が溢れた。
おれはいま、本当にひとりなのだと思い知らされているようでたまらなく寂しい。

怖い。
いやだ。
こわい。

彼のいない世界なんかいやだ。

歯の隙間から声が洩れる。感情が堰を切って漏れ出す。
手探りでどこかもわからない闇に手を伸ばす。


「どこ、…くーく…っ、」

「まーくん」


世界から、その声以外の音が消えた。

静かな声。
聞き覚えのある、懐かしい声に涙が零れる。
凛としてて、でも冷たくなくて、優しい綺麗な声。


宙で彷徨っていたおれの手に触れて、優しく握られる。
繋いだ手に引き寄せられてその身体に倒れ込んだ。
ふわりと抱きしめられる。


「…っ、」

「…まーくん、俺はここにいるよ」


頭を撫でられて、押し付けられる胸元から響いてくる彼の心音。
ドクンと鼓動が高鳴る。
信じられないような思いで、彼の名を呼ぶ。


「…くー、くん…?」

「うん」


顔を上げて見つめれば、彼はこくんと頷いて


「おかえり、まーくん」


そう言って、今にも泣きだしそうな表情で微笑んだ。

――――――――

(…ああ、)

(…――くーくんだ)
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