5

ガチャリと鍵のかかる音。

サアッと一気に全身から血の気が引いた。


「しばらくそこにいればわかるだろう。お前も、”そいつら”みたいになりたくなかったら、自力でなんとかしてみろ」

「…待…っ、」

「ゴミども、そこにいる子どもを自由にしていい。許す」

「…っ、まってください…!」


急いでドアの方に手を伸ばしてノブを触ろうとして気づく。

(…――ドアノブが、ない)

つまり、絶対にこっちからは何をどうしても出ることができないというわけで…
すぐ後ろでもぞもぞと動くいくつかわからない数の、近づいてくる音に背筋が凍る。
ドンドンと音を立てて扉をたたいた。
…そしてすぐに自分が今叩いているドアの表面に幾つもの引っかいた爪痕のようなものがあることに気づいた。

無表情なんて保っていられるわけもなかった。
こんな、わけもわからない”モノ”たちと一緒にいるなんて、嫌だ。



「やめろ…っ、だれか…ッ、だれか…っ、!」


空しく声が響く。

わかってる。
誰も助けになんかこない。

あの人の命令には誰も逆らうことなんかできないんだから。
俺を助けに来る人なんかいない。

だから、泣いたってどうにもならない。

そんなこと、わかっている。


でも。


「…っ、触るな」


何をされたのか最早唸り声の言葉しか発さないヤツらが身体に触れてくる。

べたべたと何日間風呂に入ってないのか濡れた手で触られて反射的に吐きそうになった。
それに、良く見たら全員そこにいる男も女も裸に等しい格好で。
自分よりもだいぶ歳が上の人間に見えるけど、そんな風貌も品格もなかった。


「…っ、う、」


見たくない。見たくない。こんなやつらと、もう一瞬でも同じ空間にいたくない。
臭い。汚い。気持ち悪い。醜い。気色悪い。


(…誰か…)


身体を弄られる。
口を手で塞がれる。
汚い手で触られる。
肌を這うぬめりを帯びたモノ。
濡れた何かが手に触れる。
必死に手で振り払っても、小学生の力ではどうやっても大人に勝てるはずもない。


誰でもいい。誰でもいいから。
お願いだから。
誰か、



「…っ、ひ…」


下腹部に触れられた瞬間、全身に鳥肌がたった。
服の上から性器をなぞられて嘔吐感が込み上げる。


「やめろ…っ!」


(…っ、冗談じゃない)

渾身の力で相手を蹴り上げて、力が緩んだ瞬間その下から抜け出した。

それでも腕を掴んでかぶさってこようとする何人もの身体。
持っていたナイフを両手で握って構えた。


「…来るな。俺に近づいて来たら殺す。…っ、絶対に殺すから」


ナイフで人を殺した経験なんかない。
だから正直いえば実際にそれでも向かってきたら殺すどころか、刺せるかもわからなかった。


「……」


…誰も近くにこない。
ナイフを構えた俺に、小さく唸り声みたいな声を上げて離れていく。

よかった。
ほっと安堵する。
限界まで強張っていた身体から力を少しだけ抜いた。

(…身体の震えがとまらない)


「…っ、」


ガタガタと震える手に無性に腹が立った。

床に座ろうにもわけのわからない液体が部屋中に広がっていて座る気にならなくて、ずっと立ったまま瞳だけで他の”モノ”を睨み付けていた。

少し離れた場所でまだ痛みに泣いている男が視界の端に映る。
それを見ないふりをして、ジッと暗闇で静かに震えに堪えていた。

…それからあの人が来たのは何時間後だったか分からない。
でも…ずっとこっちを見ている目と、部屋の隅で用を足したり、自分の性器を擦って慰めている”モノ”達とずっと同じ空間にいて正気でいられるわけもなかった。

落ちぶれたらこうなる。
自分はこうならないように努力しないといけない。

多分あの人はこう思わせたかったんだろう。

…でも。

俺が考えたのはもっと別のことだった。



「無事だったのか。…この場合どちらが正しいんだろうな?喜ばしいと褒めてやればいいものか、残念だと泣いたらいいのか。まぁ、こいつらにどうにかされる様だったら、これから使い物にならない。…それで、どうだ。ちゃんと底辺を学んだか?」


そんな声とともにドアが開けられて、新鮮な空気が入ってきた。
もう既に震えは止まっていた。
…その言葉に、こくんと小さく頷く。


「…花音。お前の働きかけは無駄だったようだな。これならお前の息子はあと何時間でもここで生き残れたんじゃないか」

「…蒼…っ、」

「……」


久しぶりに聞く声に耳を疑うような思いで顔を上げる。
俺の姿を見てホッと表情を緩める母親に何の感情もわかない。
…どうして今更ここにいるんだろうと、そんなことしか思い浮かばなかった。


「さあ、なら学んだことを実行して見せろ」


俺の目の前でやれ、と示すように笑って近づいてくる。


「どれにするんだ?」

「…これ」


その動きを無表情のまま視界の端で追って、すぐ傍にいた細い男を見下ろした。
見下ろすといっても、小学生の自分の背丈からすれば座っているその人とそんなに目線が離れているわけじゃない。
少し屈んで目線をあわせた。

怯えた顔をする男に、頬を緩めてその頭を撫でる。
ずっと前から何度も練習させられた相手の警戒を解く方法。
それを実践してみせると”あの人”が機嫌よく笑うのが見える。


「大丈夫。怖くしないから」

「…っ、はい…」


頬を染めて期待の眼差しで見る”ソレ”に、微笑む。
学校でよく女子相手にもやってることだ。大したことじゃない。
屈んでいた背を伸ばして、少し後ろを振り返って見上げる。


「父さん」

「ん?なんだ」

「あの動く機械が欲しい。よく父さんが使ってる、バイブ…?ってやつ」

「ああ、それなら…」

「……」


ザクリ。
皮膚を貫通する感覚。
生々しい、柄をもった掌に伝わってくる感触。


「ッ、ぁ……?」


手に力を入れてぐぐ、と押し込めば、さらにそのぐぐもった声は大きくなった。

…一瞬視線を逸らした”その人”の腰辺りを目がけて押し込んだナイフをさらに強く突き刺して皮膚の中を抉る。


「…っ、お前…、何やって…」


「…ッ、」


言葉を返す余裕なんかない。
ナイフを掴んだ微かに震える手を離す。

驚いて止まっている母親の傍を通りすぎて、部屋から出た。

木の板の上をひたすら走る。
捕まえろと言う声と後ろから追いかけてくる数えきれないぐらいの足音。

それすら恐怖に背中をおさえれるようにして全部振り切って走った。

もし捕まったらタダでは済まされない。
殺されるかもしれない。
…死ぬ。足を止めたら、死ぬ。

走って逃げている間ずっとそんな考えが脳を埋め尽くしていた。

どうやってここまで来たのか、どこであいつらを振り切れたのか覚えてない。
気がついた時には、辺りは真っ暗になっていて


――――それで、


逃げて逃げて逃げて、
体力の限界と身体の異常なほどの熱さのせいで倒れて、


こうして今…ゴミの山の中にいる。
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