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…それに、泣いてることに気づいてないなんてもってのほかだろう。


「泣いてないよ。だから泣き止んでほしいんだけど…」


このままだと心臓がもたない。


「…っ、ぅうううう…っ、くーくんのばかぁ…っ、!!」

「…っ、何、」


怒ったような声と同時に身体が離れたと思ったら、目の前に影ができた。
額に何か微妙に硬いものがすごい勢いでぶつかってくる。


「…ッ、!」

「…っ、ぅうう…」


身体が後ろによろめく。
すごい衝撃とジーンと響く振動に頭が痛む。


(…めちゃくちゃ痛い…)


額をぶつけられた。

そのことに気づいた時には、俺と同じように額をおさえてふらふらと身体を離していた。
ボロボロと涙を流しながらおれのほおに両手でぺちんと触れる。


「…っ、」

「さっきからずっとすごいつらそうなのに、すごくいたそうなのに…っ、ぅ…っ、ひ…っ、ないてないみたい、に…っ、お、は、おはなししてる、から…っ」


その手が俺の頬をぐいぐい擦るように動くから、痛い、と眉を寄せて引きはがそうとした時、不意に自分の頬に触れて気づく。


(…濡れてる…?)


それが自分の流した涙だと理解するまでに時間がかかった。


「なんで、俺…泣いて…」


気づいてなかった。
そう言葉にする自分の声も微かに驚きとは別の意味で震えている気がする。

(ちゃんと、感情のコントロールはできるはずなのに…なんで、)


「おでこいたくてなにいってるかわかんなくなってきたぁ…ひっく…っ、ぅぅ…っ、」

「…っ、ばか…」


自分からぶつかってきたくせにそんなことを言って、赤くなった額をおさえながらまたぼろぼろと泣きだす様子がなんだか酷く可笑しくて、笑おうとした瞬間に喉が大きく震えるのを感じた。


「っ、」


やばい。
このままだと本気で泣く。


やめろ。
泣くな。
人前で泣くなんてみっともない。
情けない。

散々今まで言って聞かせられた言葉が耳に響く。


(嗚呼もう、とまらない…)

意識すればするほど涙が後から後から流れてくる。

泣くな。泣くなおれのばか。


「…っ、…」

「だいじょうぶ…っ、だいじょうぶだよ…」

「っ、なに、いってんだ…っおれは、べつに…」


何が大丈夫なのかまったくわからない。

何にもわかってないくせに。
俺のことなんて何も知らないくせに。
無性に胸が熱くなって泣きそうになってしまう俺をぎゅううっと抱きしめて、だいじょうぶだいじょうぶと涙声でひらすらそんなことを言う。


(…なんで、こんな会ったばっかのやつに…っ)


誰かに触れるのも久しぶりで。
誰かの体温を感じることも久しぶりで。

もう、その感覚をわすれてしまっていた。


嗚呼、俺はこうされたかったんだと。
…ずっと誰かに抱きしめてもらいたかったんだと気づいた。


「…っ、、…――ッ、ぅ…」


噛んだ唇の隙間から酷い嗚咽が零れる。

もう、声を堪えることなんてできなかった。


自分でもなんで泣いてるのかわからなかった。
…でも、多分自分の今までのことと、誰かを刺したってことだけで泣いたわけじゃないんだと思う。


あんな人でも一応父親だから。
親を刺してしまったから。
そんな人を刺して。


…こうやって悲しむ心が自分にあったんだと、初めて知った。

何故か俺につられて俺を慰めていたはずのヤツのほうがむしろ大きな声でわんわん泣いて、結局俺もよくわからない真っ暗な路地でソイツに抱きしめられながら初めて声を漏らして泣いた。

――――――――

誰かの体温を最後に感じたのはいつだったか、もう覚えてない。
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