4

ぎゅうううっと息が詰まりそうなぐらい強く俺の身体を抱きしめてくる。
首元に後ろから強く押し付けられた顔のせいで、髪が肌をくすぐった。
シャンプーの甘い香りが漂ってくる。


(……)


回された両腕が、密着する身体が異常に震えているのを肌越しに感じて

流石にその異常な様子が心配になって声をかけようとした瞬間、その体温が離れた。


しぃーっと人差し指を唇にあてた真冬が顔を近づけて「ちょっとだけまってて…みつかったらおこられちゃうから、かくれてて」とこっそりと呟いてきて、断る理由もないから静かに小さく頷く。


…その声さえも若干震えていて、


血の気の引いた顔で明らかに無理してる顔をしながら、にへらっと笑った真冬に「ぜったいにかおださないでね」と念をおされて頭の上まで布団をかぶせられた。

…真っ暗で何も見えない。


ぺたぺたと床を走る音が遠ざかっていく。


バタンと閉まるドア。
真冬の明るい声が聞こえる。


「…ぁ…おとうさ、おかえりなさ…」

「――…ッ、触るな気持ち悪い!」

「…っ!」


すぐに怒鳴り声と同時に何かがぶつかる音。


(……)


何が起こったか予想して少し眉を顰める。

家が狭くて壁が薄いせいかその会話の内容まで筒抜けだった。


「…なんだその顔は。いつもいつも馬鹿みたいに情けない顔しやがって。誰のおかげで家があると思ってるんだ…!誰が金を稼いでやってると思ってるんだ。もっと敬え…!ったくどいつもこいつも俺を舐めやがって…」

「…ぁ…ごめんなさ…っ、ごめんなさい…ッ!」

「あー…苛々する…クソッどけ邪魔だ…っ」


酒でも飲んでいるのか泥酔しているようで男の声の呂律が回っていない。
ドン、ドンと何か大きな鈍い音が続く。

…家が揺れるような音に噛んだ唇を血が出るほど強く噛み締める。


何度も何度も謝る真冬の声がそんな大きな音の度に徐々に小さくなって、ついには聞き取れなくなった。



「ちょっとー可哀想りゃないれすかないらー…あーもうらちょうったら…」

「いいだろべつに、俺の勝手だ。どうせコイツはあの女に似て碌なもんじゃないんだから。出来損ないだ」

「…っ、ごめ、な」


女もいるらしく、男と同じく舌の回ってない甘えた声。

乱暴な声と同時に蹴られたのかもしれない。
変な所で真冬の声が途切れた。


バン、と扉が開いて部屋に一人の足音が入ってくる。
緊張して汗が流れた。
一気に酒と香水とタバコの匂いが空気と一緒に流れ込んでくる。

(…臭い)

あまりに色々混じっているその酷い匂いに眉を寄せた。


…それに。


やっぱり部屋に入ってきた。

布団の中に入ってたらどう考えても布団の膨らみで気づかれただろう。

押入れの下の隙間に入り込んで暗闇の中鼠のように息をひそめる。全身の神経を研ぎ澄ませた。
見つかったら俺も困るし、多分俺を家に入れた真冬はもっと大変なことになる。


……だから、絶対に見つかるわけにはいかない。


昨日の夜勝手にそこら辺からくすねたカッターを右手で握って息を吐いた。

少し離れた場所で何かを取りに来たのか男がガサガサと漁っている音。

廊下の方ではまた別のやりとりがされている。


「ボクらいじょうぶー?」

「…ぅ…げ…っ、だ、いじょうぶ、です…っ、あり、がとう、ございます…」

「きゃー可愛いー!前来た時も思ったけど礼儀正しくていい子じゃんー!課長だめれすよーこんな子けったりしちゃー」


痛みに呻く真冬の声に対してキャーキャーとやけに甲高い女の声。

…空いた扉の隙間からその光景が見える。


女が膝をついて壁にずりかかってげほげほと咳き込んでいる真冬に手を伸ばしていた。

べろんべろんに泥酔してる20代くらいの女の顔は酒で真っ赤だった。
「ねぇボクおいでーだっこしたげるー」なんて言って手を差し出す女に、真冬がへらっと緩く笑って自分から抱き付いていく。


(……、)


「だっこ…おねえさんにだっこされたい、です」

「わあああやっばいー!!ちょー可愛いんですけど。課長この子くださいよー!」

「いくらでもそんなんでいいならもってけ」

「やったー!この子もうわたしのものー!」

「え、えへ、おれもうれしい、です…」


ぎゅうって抱きしめられてその胸に押し潰されながらそんなことを呟く真冬。
やけに胸のところが開いた服をきているから、事実上真冬は押し潰されていた。


(…怖いくせに)


遠くから見てもわかるほどその顔が青ざめている。
多分その身体も震えてるんだろう。

この二人が来た瞬間も驚くほど血の気が引いてたけど、そんなの比にならないほど男の「もってけ」発言で今すぐにでも吐くんじゃないかって思うほど白に近いくらい蒼白な色になった。


でも、多分酔っている女にはそんなの判別できないだろう。


機嫌取りでもしたいのか笑顔ですり寄ってそんな舌足らずな声で甘えるようなそぶりを見える真冬を見ていると、カッターを握った手に無意識に力が入る。


(…嗚呼、)


…さっきから異常に真冬を抱きしめていまだにきゃーきゃー叫ぶ女が目につく。

そしてそんな女にへらへら笑ってされるがままになっている真冬にも


「………」


苛々、する。


歯をギリ、と噛み締めた。


…ムカつく。
どうしようもないほど身体の奥からわきあがってくる怒りに息がうまくできない。
それと一緒に胸を締め付けるモノのせいで苦しい。
眉が自然と寄って、心臓がバクバクする。


「…ねー、かちょーどうですかーこの子もいれて3P…なんちって」


そんな言葉にドクン、と胸が嫌な音を鳴らす。
同時に視界に映る真冬の顔も一気に色を失くしたのが見えた。


「ふざけんな。そんなガキがいたら萎えて使いもんになんねーよ」

「えーわたし結構この子のかおこのみだなー」

「…っ、ひ、ぁ」


(…ぁ、)


女の顔が真冬の首筋に近づいて、舌で舐めるのが見えた。


「…――ッ!!」


声が、出ない。

温度がなくなる。
世界から音が消えた。


「きゃーいいはんのうしてるー!やば、まじかわいー」

「お前何盛ってんだよそんなガキ相手によー」


部屋にいた足がおぼつかない足取りで遠ざかっていく。


「ざんねんー。もうちょっとおっきくなったらいっしょにしよーねー」なんてゲラゲラ笑っていう女の腕を「気持ち悪いこと言ってんじゃねーよ」と言いながら引いたその男が唇を奪う。


真冬がすぐ傍にいるにも関わらず、廊下でそのまま服を脱がして息を乱しながら行為に勤しんでいく二人。
茫然として動けない真冬の表情だけが目に焼き付いて、その後何かを小さな声で言われたらしく「…っ、ごめ、なさ…っすぐでて、っいきます…っ!」という泣きそうな声が聞こえた途端、バタンと扉が閉まってトタトタと走ってくる音がする。
prev next


[back][TOP]栞を挟む