20
自分の安易な思考を悔やんで、浴槽の方を見るのも怖そうに反対側の俺の方を向いて服の裾を掴んでぎゅっとしがみついてくる震えている身体抱きしめた。落ち着かせるように髪を撫でる。
どうにかして温めようと冷えた身体を擦った。
…そうしていると、傍から嫌でも感じる信じられないものを見るような女の視線が鬱陶しい。
(…コイツがいなければ、真冬がこんな目に遭うこともなかった)
そう思うだけで苛々して気分が悪くなる。
「出ていけ」
「…っ、何様よ。ここをどこだと思ってるの?!ふざけるのもいい加減に」
「早く出ていかないと、殺す」
「…は?そんなことできるわけ………ひっ!」
真冬を片方の腕で抱きしめながら、もう一方の手でナイフを握って突き付けた。
冗談で言ってるわけじゃない。容赦なんかしない。確実に殺す。
どうせもう既に一人殺してるんだから、今更一人増えたところで特に困ることなんかない。
俺の顔を見た瞬間
本気だとわかったんだろう。女の顔が恐怖に染まった。
「…く…ーく…」
「……わかった。殺さない。…でも、」
少し動くだけで辛そうに息を吐いて、だめだというようにふるふると首を横に振って途切れ途切れに俺を呼ぶ真冬に、仕方なくカッターを握る指の力を少し緩める。
「もし今すぐ出ていかなかったり、俺のことを誰かに話したりしたら、今見たこと全部警察に言うから」
「…ッ、」
冷たく吐き捨てれば、悔しそうに歪められる顔。
(…絶対に許さない)
けど、
「っ、ま…っ…て…お…かあ…さん…っ、」
弱々しく手を伸ばした真冬が、よろよろとふらつきながら踵を返して走り去ろうとした女に縋りつく。
その顔は蒼白で、立っているだけで今にも倒れ込んでしまいそうなのに必死に母親に手を伸ばして
(…なんで、)
戸惑いながら、信じられない思いでその様子を眺める。
冷えて紫色になっている唇を震わせながら、今にも泣きそうな顔で縋っていた。
「…ねぇ、どうしたら…よろこんでくれる?」
「…っ、」
「…おかあさんは、おれが…どうすればわらってくれ、ますか…?」
「…何を、言って、」
服をきゅっと掴んで母親を見上げる真冬が、「…ぁ、そうだ…おはな…」なんて思い出したように言う。
えへへ、とぎこちなく笑って、近くに投げ捨てられていた花を拾って差し出す。
そんな真冬に、ぐ、と唇を噛んだ母親の姿。
パンッ、
「…っ、そういうところが気持ち悪いのよ…!!いつもいつもいつもへらへらして、異常だわ…!」
「…ッ、おか、あさ…」
その一瞬後、鈍く乾いた音と放たれる罵声。
小さな手を叩かれて、握られていた花束が花束が離れた場所に飛んでいく。
それでも縋りつこうとする真冬に、女がキッと眉を怒らせて手を振り上げる。
(…――ッ、)
無防備に避けようともしないで母親を見上げる真冬を抱きしめて庇えば、重い音と同時に頬に衝撃が加えられる。
爪がかすったのか、ひりひりする感覚とは別に一部分に切れたような痛みが走った。
「…っ、やめろ」
「…な、なによ!こいつが悪いのよ!!!私は悪くないわ…!!」
そんな捨て台詞を吐いて、女は怯えたように数歩後ろに下がる。
すぐに踵を返して、走って出ていった。
「…っ、ふ…ぇ…ッ、」
「…真冬」
床に顔を押しつけて声を必死に抑えながら嗚咽を漏らす姿を見ていられなくて、その身体を抱き寄せる。
びちゃびちゃに濡れて、でもそんな自分のことなんか気にしないで、きっと他の、あの女のことを思って泣きじゃくっているのだろう真冬の頭を自分の身体に押し付けて息を吐く。
ただでさえ暖房もなくて、さっき浴びた冷水で冷え切ったガチガチと震えている身体を少しでも温めたくて、これ以上ないくらいその身体を自分に押し付けて抱きしめた。
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