3


あの後、いつものようにまーくんを抱きしめながらベッドに横になった。
普段と同じように、その体温を感じて、髪に触れて、瞼を閉じる。

腕の中に抱いた身体の、心中を察しようともせず、その後に起こることなんて全く予想もしなくて。


まーくんにあんなことをしておきながら、『記憶』に触れるような真似をしておきながら、


……俺は、完全に油断していた。


「…ぁ、」


胸の中に抱いた身体から、そんな音が零れたのが聞こえた。
でもそれはあまりにも小さい声で、でもさっきまで静かに眠っていたから今目が覚めたのかもしれないって思ったのはそんな程度のことで。

声をかけようとした

次の瞬間、


「ぁ、ぁ゛ああ―――――…ッ、!!!」

「っ、」



鼓膜を破りそうな程の、劈くような絶叫。
言葉にならない声をあげて俺の身体を全力で突き飛ばしてくる。


「…っ、何?まーく」

「や…ッ!!ぁ、ぅ…」

「危な…ッ、」


押して離れた反動で、まーくんの身体がベッドから転げ落ちそうになるのが見えた。
そうならないように腕を伸ばして「やめ…ッ、はなしてはなして…っ、!!」でも暴れた腕に振りほどかれる。


「…や、はなし…っ、」

「…ッ、」


そのせいで、まーくんだけがベッドから落ちそうになって、最終的にその身体を庇うような格好で二人とも転げ落ちた。
抱きかかえながら落ちて背中を打ったせいで、二人分の体重と床が打ち付けた部分に痛みを与えてくる。

でも、そんなことはどうでもいい。
衝撃に少し顔を歪めて、すぐに身体を起こす。


「…っ、まーくん、どうかした?何か嫌な夢でも見た?」

「ぁ、あ、あ…」


声をかけて、その肩に触れて気づいた。
…肌が冷たい。それに酷く怯えたように震えている。


わなわなと震えて、その見開いた目から、透明な涙がぼろぼろと零れ落ちるのが見えた。
その頬を伝うものに、胸が痛んで顔を歪む。


…違う。

今までとは全く違う。
これは、まーくんが以前記憶を取り戻しかけていた時に起こっていた反応によく似ていて、でも、それとも違かった。もっと…酷い、ような。


(…薬が、完全に切れた…?)


それしか思いつかない。
そのせいで、色々思い出して、さっきまでまだ落ち着いていた精神が崩れてしまったのかもしれない。

…もしかして、俺が思い出させるような行動をした、…から、

抱き締めている俺から逃れようとして、あらぬ方向に手を伸ばして、


「ぁ…あ、ぁ、あ…ッ、ど、して…ッ、やめて…っ、なんでなんでなんでなんで、」

「…っ、傷つく、から…っ、」

「なんでいな、…の…っ、!なんで…ッ、」


頭を庇うように両手でおさえて皮膚を掻き毟る。
全部を全部壊そうとするような行動に、手を掴んでやめさせれば、ガクガクと痙攣に近い動きで何かを振り払うようにぶんぶん首がちぎれそうな速さでを振った。


「…っ、ちょ、っ、!!」


すぐ傍にある壁に頭を打ち付けようとして、それを見て一瞬で血の気が引く。

すぐに手を間に挟んで妨げた。
手に加わる打撃。すぐ後に無我夢中で俺を振り払おうとしたまーくんの指の爪に軽く顔を引っかかれて鋭い小さな痛みに顔を歪める。


しばらくそうしていると諦めたのか涙を零して、頭を抱えながらぶるぶると身体を震えさせた。
その顔が真っ青になる。


「たすけ…ッ、たすけてたすけてたすけてたすけて…ッ、だれか…っ、」

「…落ち着いて…ッ、、大丈夫だから」

「ぁ゛ぁあああ…ッ、嫌だ嫌だ嫌だ…ッ、」


3歳児の子どものように泣き叫んで、喚いて、暴れて、絶叫を発する。
聞いただけで、まーくんの心の痛みが伝わってくるような声に、胸が苦しくなった。

自分を傷つけようとあらゆる手を使って暴れる身体に腕を回して強く抱く。

それでも、胸を叩かれ、背中を叩かれ、声が枯れそうな程大きな声で叫んで、まーくんは一向にやめようとしない。


「っ、大丈夫、大丈夫だから…ッ!」

「…ぅ…ッ、は…ッ、ァ゛…」


(…しまった)


何が起こったか理解して、息が詰まりそうになる。

何十分かそうしていれば、寝る前に風呂に入ったばかりなのに、暴れて叫ぶまーくんは全身汗で熱くなっていて、止めようとする俺まで汗を流していた。


こうなるかもしれないことはわかっていたのに。
わかっていたはずだったのに。


最近全くなっていなかったからもう大丈夫かもしれない。なんて油断していた。

必死に抱きしめて声をかけても、ぶつぶつと俺のことなんかまるで見えていないように、気づいていないように目に映さずに何かを呟き続ける。
瞳から零れた涙が頬を伝って唇から口の中に入っても、…それさえきっとわかってない。


「おれ、おもいださなくちゃ、ちがうわすれないと…っ、でも、おもいだして、おれが…ッ、」

「まーくん…っ、思い出さなくていい。思い出さなくていいから…ッ、」


唇の色まで真っ青に変えて、放っておけば指や爪、壁で自身の身体中を傷つけようとする。

俺が悪い。
…許してください。
まーくんに思い出してほしいなんて望んだ俺が悪かったんだ。


だから、


一生懸命腕の中に閉じ込めて、泣き叫んで暴れようとするまーくんの頭を撫でる。


「大丈夫…ッ、大丈夫だから。ごめん…ッ、」

「だめ、だめなんだって…っ、せんせ、に、…びょういんでおとこのこ、が、?しろくて、ゆか、あか、ろ、おぼえてないからって、だれがおこって、おもいだせっ、ていわれて、…やれ、って、く、て」


相変わらず支離滅裂で涙声と嗚咽混じりな言葉を、どうにか理解しようとするけど、よくわからない。
多分俺がいなかったときに起こったことで、知らないといけないことなのに、…傍にいなかったからか、まるでその散らばった単語からまーくんが何を言いたいのか全くわからない。

…悔しさに唇を噛んで、「大丈夫だよ」と何度も髪を撫でる。


「…っ、ぅ…ぇ、…ッ、せんせい…っ、たすけてたすけて…っ、ちが…っ、いって、おれ、が」

「……ぇ、」


(…”先生”…?)


聞き覚えのない単語に、耳を疑った。


「まーくん、それ…」


誰、と聞こうとして、少し動きが静かになったまーくんに問おうとした時、

「…した、…こと…、?」ぽつりとその言葉を呟いた直後、震えていた身体がぴたりと凍り付いたように止まる。

やっと落ち着いたのかと思った。


瞬間、


「                  」


「…っ!!」


まーくんの口から、聞き取れないレベルの言葉と声の絶叫。
鼓膜を壊しそうな程の悲鳴に思わず目を見開く。
戸惑っている間に、何かを探して手を適当に伸ばした手が、傍においていた薬を全部開けて手の平から零れそうなほどの量を一気に飲みこもうとする。

血の気が引いた、なんてやわな言葉では表現できない程、そんな光景を見て頭が狂いそうになる。
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