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もし他の人が間違えておれを閉じ込めてしまったのなら、この人は何も悪くないし、それに気づいてここに来てくれたんだから謝る必要はないのに。それに、良い人そうだから、…そんな顔してほしくない。
それより、と床につけた血の滲んだ手をぎゅと握る。
「…あ、…あの、くーくん、が」
「くーくん?」
「あ、えと」
相手が不思議そうな顔をして、
しまった、と…すぐに言葉足らずに気づく。
くーくんって勝手におれがつけたあだ名だった。
ぐるぐると思考を巡らせて記憶を探る。
…聞こうとしたことって何だっけ。
あ、そうだ、今どこにいるのかってことと、あと、
(……そういえば、くーくんの名前って、…)
聞いたことがある気がするのに、何かが抜け落ちている気がした。
二の次を踏めないでいると、クスリ、と笑う声。
「必ず帰ってきてくださいますから。安心してください」
「…ほんと、ですか…?」
不安を隠せずに零した言葉に、「ええ」と迷いなく頷く。
「とりあえず、帰っていらした時に貴方がそのような状態では心配なさるでしょうから…お身体を綺麗にしてからお部屋に戻りましょう」という彼女の言葉に、あ、と下を見て自分の状態を思い出した。
…くーくんに汚い子だって思われたくない。
こくんと頷き、その場所から出してもらうことができた。
…その後、
お風呂場に連れていってもらう前に、ここがくーくんのお家だってことも、あの女の人もここに一緒に住んでるんだって話を聞いた。
お風呂にも入って、着替えもして、あと、怪我の手当てをしてくれるって言ってくれたけど、そこまでしてもらうわけにはいかなくて、自分で包帯を使って身体に巻いてみた。
…そして今、くーくんと一緒にいた部屋の隅で膝を抱えて縮こまっている。
ここにいた時は二人だったけど、今は自分以外に誰もいなくて…なんだか…さっきよりもずっと部屋が広い気がして、…凄く寂しい。
さっき外を見た時はもう真っ暗だった。
あの女の人によると、おれがあの場所に閉じ込められていたのは、ほんの4時間ぐらい…らしい。
もっと凄い、長く感じてた。
けど、それでも、もうあれからそれだけたったってことで、
…なのに、まだ、いない。
「もどってくる…」
ぎゅ、と膝を抱えた腕に力を入れて、そこに顔を埋めた。
不安が、消えない。
ひとりは、やだ。
…嫌だ。
「…もどってくるって言った、から…」
どうしても言葉尻が涙声になってしまう。
そうして何度も呟いていないと安心できない。
だって、お母さんは帰ってこなかった。
何日も、何日も、すぐに帰ってくるっていった後、しばらく帰って来なかった。
「嘘じゃない。嘘じゃ、ない…うそじゃ…」
ぐす、とまた泣き始めた自分がばかみたいで、弱虫で、どうしようもない。
こんなことじゃ、またくーくんが帰って来た時に笑われてしまう。…泣くもんか、とぐじぐじと袖で拭って顔をあげた。
…と、濡れたその服に視線が向く。
「…浴衣…」
両腕を広げて、浴衣の袖を広げてみる。
…淡い黒色で、凄く綺麗だなって思う、けど何かが足りない。
…なんだろう。
む、と眉を寄せる。
浴衣を着ているくーくんの姿はもっとなんていうか…色っぽかった。
「…うん。凄く綺麗だった」
へへ、と思い出して浮かぶ笑顔。その拍子にぼろっと涙が零れる。「…もう、だめだってば」ともう一回ぐじぐじ。
えっと今何考えてたっけ。
(…そうだ。くーくんのことだった。)
浴衣も綺麗だったし、しかもめちゃくちゃ格好良かった。流石くーくん。大好き。
…なんて、自分でもちょっと頭がおかしそうな思考回路でうへへとひとりで笑って、浴衣に目を落とす。
あの時はくーくんに夢中で他に気が回ってなかったけど、おれの着てたやつってくーくんが着せてくれたのかな。
さっきお風呂に入った後、袖の大きい浴衣を自分一人ではうまく着ることができなくて、今ではほとんど帯が緩んではだけてしまっている。
…そして、正直に白状すると全然上手に巻けなくて、どうしても解けてしまう包帯も面倒で結局途中放棄した。
「……」
…風呂場での、記憶。
包帯を巻いていない自分の身体に目を落として、すぐに逸らした。
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