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何してるんだ。と眉を寄せると、それと同時ぐらいにもう一度問いかけられる。
「じゃあ、彼が傍にいない時…何をしているか、聞いた?」
「…?…聞いてない、けど…」
「……」
「澪?どうし…、」
「…ああ、そうなんだ。知らない、んだ」
さっきよりも少し上擦るように高くなった声音。
その変化を不思議に感じて、…もしかして、と期待と不安を滲ませながら、障子に手をかける。
身を乗り出すようにして声を出した。
「澪、は…知ってるの?」
「どう、かしら。たとえ知っていたとしても…真冬には教えてあげたくないかも」
「…な、なんで?おれ、何か澪に…悪いことした?」
自分でも気づかないうちに機嫌を損ねるようなことをしてしまったのかもしれない、と心配になった。
けど、
「そうね。したかもしれないし、していないかもしれない」
クスリ、と答えを濁してそんな風に笑う彼女に、「…あ、う…」と眉を垂れさせてへこむと、「冗談よ」と返される言葉に、ちょっとだけ、むすっと眉が寄る。
「む、揶揄ってる?」
「ふふ、ごめんね。真冬ってなんだか小さい子どもみたいだから、つい弄びたくなっちゃう」
「…っ、れ、澪のばか。意地悪」
くーくんも澪も、おれをからかって遊んで何が楽しいんだ。
「また今度、教えてあげるわ」と結局わからずじまいでお預けにされてしまったせいで、不服なまま、「うん、」と小さく頷いた。
「あ、そうだ。貴方がくーくんって呼んでるなら、私もそう呼んじゃおうかな」
「…っ、え、」
ドクン、
嫌な音を立てて心臓が跳ねた。
突然の言葉と、彼女の楽しそうな声に、俯いていた顔をあげる。
言い返そうとした瞬間、何か焦ったように早口な声。
「時間になっちゃった。そろそろ帰るね。それと、…私が話しかけたってことは、くーくんには内緒にしてね」
「あの、ちょ、」
「また会いにくるわ」
待って、と呼び止める間もなく、影は足音とともに消えてしまった。
反射的に追いかけようと、障子に手をかけて、…でも、開かない。
ガタガタ、と扉の揺れる音だけが鳴った。
"くーくん"
耳に残る、彼女の声。
よくわからない焦燥感に、また、浴衣の胸辺りをぎゅうと握った。
…くるしい。
(…くーくん、って、呼ぶの、)
「…だめ、って」
言いたかった、のに。
だって、あれはおれがくーくんにつけた、…おれだけが呼んでいい、名前なんだ。
複雑な思いに、瞳を揺らす。
…だけど、
「……」
もう立ち去ってしまった彼女を呼び戻す手立てもなかった。
(…なんだろ…、胸のあたりが…もやもやする…。…くるしい)
嫌な感情を抱えたまま、ぶんぶん首を横に振る。
「あーもう、やだ。やめる。かんがえるのやめる!」
…とりあえず、この気分を紛らわせようと大きなガラスのある方に目を向けた。
立ち上がって、ぺたぺたと裸足でそこに近づいていく。
冷たいガラスの触れて、外を見た。
…一本の桜の木。
確かこっち側は外に繋がってないって言ってたし、出ても、いい、かな…?
うん。いいだろ、と自己完結して鍵を開けた。
ガラガラとおっきいガラスを開けて、春の匂いを嗅いだ。
生暖かい風が吹いて、「わ、」前髪が目に入りそうになる。
「………」
その桜に目を奪われるようにして足を踏み出す、と、
段差があることに気づかずに「ふぎゃ!」お約束のように転んでしまった。
べちゃっ。
…受け身を取らなかったせいで顔から落ちた。
ぺっぺっと口に入った砂も拭う。
ついでに「…っいてて、」と擦りむけた肘にめり込んだ砂を払って、地べたに座り込んだまま見上げた。
「……さくら、」
はらはら、と上から桜の花びらが舞い落ちてくる。
…くーくんとずっと一緒に見たいと思ってた、さくら。
会った時が…………えっと…多分冬で、だから見れなかったんだ。
…桜のお布団とか、寝るのに気持ちよさそうだな。くーくんと一緒にここでお昼寝したいな…とぼんやり妄想しながら見つめる。
と、
「あ、そうだ!」
くーくん、喜んでくれるかも。
靴なんか用意してあるはずもなく、裸足でぱたぱたとそこまで走る。
石と砂が足裏に食い込んだ。
今度こそ良いことを思いついた!とひらめきで、そこに走り寄り、そのおっきい木に手をかける。
んしょ、よいしょ、と久しぶりに木に手をかけて、登ろうとした。
「…っわ、」
(…、ぅ、痛…っ)
木にかけた足が登ってる間に長い着物の裾に滑って、…途中で木から落ちた。
幸い、あまり高くないところからだったから、打撃は軽くて済む。
…あー、おれ、凄い情けない。
でも、諦めない!もう一回、と諦めずに木に手をかけた。
「…は…っ、たいりょく、ない…っ」
久しぶりっていうのと熱と体力ないのとで、登るのに大分時間がかかって結構息切れする。
別にそんなに動いてないのに、げほげほと咳き込む。
それに怪我に加えて、痩せた?こともあって、身体中がまだ痛くて、息をするのが辛い。
指先の皮膚が木で擦り剥けた。
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