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声の方に振り向くと、障子ごしに人影が見えた。
さっきの声からすると、…おんなの、ひと…?
”他の人と話したら――”
瞬間、
くーくんとの約束を思い出して、あ、と口を自分の手でおさえた。
(…やくそく)
…や、でも、大丈夫だった。やくそく、は、くーくん以外の前で泣かない、傷つけられない、?あとなんだっけ、…とりあえず…だから、しゃべるのはだいじょうぶ。やくそく、やぶってない。
安心して、膝をついた状態のまま、そこに近づいていく。
「こ、こんにちは…っ」
くーくん以外の人としゃべるの久しぶりだ、とドキドキしながら言葉を返す。
向こうからは見えていないけど、なんとなくぺこりとお辞儀をしてしまう。
そうすると、「お久しぶりです」と返ってくる高い鈴のような声。
できるだけ近くに行こうと、扉に恐る恐る手をかけた。
「…だれ、ですか…?」
「この前お会いした者ですが、覚えていらっしゃいますか?」
「…お、覚えてます。えっと、…」
ついさっき考えていた人物なだけに、思い出すのに時間はかからなかった。
黒い髪の、優しそうな雰囲気の、
…おれを、助けにきてくれた人。
「私のことは、澪とお呼びください」
「…れい、さん…?」
「ふふ、はい。澪って呼び捨てでいいですよ」
「え、あ」
笑いを交えている声に、よ、よびすて…!と衝撃を受ける。
まさかそんな風に言ってくれると思わなかっただけに、さっきよりも心拍数が上がった。
「お、おれのことも、真冬って呼んでください。そ、それと、敬語もなしで、…」
おねがいします、とたどたどしく言葉を返す。
敬語を使われるのは、慣れない。
…むしろ、もっと乱暴な言葉でいいのに。
お母さんと同じ女の人にこうして優しい声音で話しかけられると、…なんか、凄く変な感じがする。
変な意味でドキドキしてしまう。
障子越しに見える影が頷いた。
「今日は、真冬と仲良くなろうと思ってここに来たの」
「…なかよく?」
「うん。」
驚いて、聞きなれない言葉に首を傾げる。
と、「…嫌?」と少し悲しそうな声がして、違う、おれが変な反応をしたせいで勘違いさせてしまった、と「嫌じゃないよ」とぶんぶん首を振った。
「…友達に、なってくれる?」
「う、うん…!もちろん…!」
窺うような声に、こくこくと勢いよく頷いた。
「良かった」と安堵に息を吐く彼女に、へへ、と照れくささを交えて笑う。
(ともだち…)
くーくん以外の、はじめてのともだち。
嬉しい。
…学校では、おれが汚くて、だめな子だったからこんな風に話しかけてくれる人なんていなかった。
だから、凄く凄く嬉しい。
「…ね、ここ、開けてくれない?」
「あ、えと、くーくんに、閉められちゃったから…だから…開けられなくて、」
一応、もう一度開かないか確認する為に扉を引いてみる。
…がたがたと音がするだけで、やっぱり開かない。
(…もし開いてたら一緒に遊びに行けたのにな)
しょぼんと頭を垂れて、早くくーくん帰って来てくれないかな、とため息を吐いた。
「…あな…は、…………」
「…澪、さん…?何か言った?」
ぽつりと呟かれる声があまりにも小さくて聞こえない。
呼び捨てにって言われたけど…やっぱりいきなりは無理で、とりあえずさん付けになった。
首を傾げて問いかけると、ううん。何でもないと返ってくる。
「それと、私のことは澪でいいって言ったのに」
「…あ、ご、ごめ、ん。慣れてなくて、」
「…友達なら呼びすてが普通なのよ?」
「う、うん!次から頑張り、ます」
そっか。呼び捨てが普通なのか。うむ。知らなかった。
…どうしても初対面に近い人と話すと、口調がたどたどしくなってしまう。
あああ、なんでこんなに緊張しちゃうんだろう。
ずーんと沈んでいく自分が情けなくて到達点の見えない穴の中に落ち込んだ。
うう…と地面に向かって絶望していると、「…そういえば、」と思いついたように零される声。
「…真冬はその”くーくん”が今、どこにいるか知ってる?」
「わかんない…最近、よく何も言わずに置いていかれる、から…」
俯いて、膝の上においた手を拳に変えてぎゅっと握る。
言葉にすると、もっと落ち込んだ。
…そうだ。まだ、いない。
(…くーくんのばか。早く、帰ってこい)
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