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「……」
「………」
…訪れる、気まずい沈黙。
彼の顔が、見れない。きっとおれは見なくてはいけないのに、どうしても見れない。すごくすごく反応が気になるのに、どうしても、…顔を上げられない。
時間がたつと段々冷静になってきて、今自分の発した言葉の酷さを実感してくる。
(ち、ちんちん、とか…っ、)
何、言ってるんだおれ。なに、なにして、
しかもこのタイミングでこんな雰囲気で、なんて…、
「…っ、っ、」
うぎゃあああと蕁麻疹が全身にわきでたくらいにむず痒くて暴れたくなるような羞恥心に、顔だけをとりあえず彼の胸元に押し付けてぐりぐり摩擦した。
熱い、熱い、熱い。
繋いだ手が汗ばんで、ぬめりを帯びてきている気がする。
そろそろ気持ち悪いって思われるレベルだと思う。
「……まーく、」「ぎゅわあぁぁぁああ…!!!」
くーくんの声が聞こえた、と思った瞬間、我慢できずに喉の奥からできる限りの大声を出して身を捩った。指の関節がおかしくなりそうな勢いで繋いでいた手を振りほどいて、思いきり突き放す。
顔なんか見れなくて、その勢いのままブルドーザーのような回転で「っ゛」痛い。
鈍痛、と同時に部屋の端まで転がって腕と頭を壁に打ち付けたのに気づいた。
浴衣が乱れるのも構わずに暴れ倒す。
「ちょ…っ、ま」「ぁぎゃぁああああ…!!ぐわあああああ…!!!」
完全に、狂人と呼ばれるレベルだった。
…でもくーくんに何かを発させてはいけない気がした。遮る。なんとかせねば、と奇声を出し続けた。
(…ちんちん、って、本当に、おれはなんてことを…っ、)
「なし!なし!!今のナシ…!!!」
こんな言葉滅多に言わないし、そもそもこんな風にこういうこと言ったのお母さんとお風呂に入ったとき以来だしでもあの時はそんなに気にならなかったしどっちかっていうと怖くてそれどころじゃなかったっていうのもあって、だから今更気にしてどうするんだって思うけど、でもなんでかどうしてもくーくんにいうのはすごくすごくはずかしくて、
頭を両腕で抱えるようにして、ひたすら堪えている
と、
「…っ、はは…っ、」
堰を切ったような笑い声が聞こえてきた。
あまりにも聞きなれないそれに、びっくりして顔を上げる。
視界に入って来た光景に、心臓がひっくりかえりそうになった。
…な、
「なに、笑って…」
「だって、はは、まーくん…っ、」
「ごめん。笑うつもりなかったのに、」と少し離れた場所で身体を中途半端に起こして俯いている。
口元を手で覆って必死に声を押し殺そうとしてるのは伝わってくるけど、ぶるぶるとその肩が震えているから笑っているのが丸わかりだ。
…まさか笑われると思ってなかったから、呆然とする。
「…そ、そんなに笑わなくても…」
「…は…っ、は、や、ば…っ、と、まん、な…っ、」
「…――っ、」
珍しいくらいの笑顔に見惚れて、息を呑む。
…こんなに笑ってるくーくんを見たのは、もしかして初めてかもしれない。
いつも、何かを我慢してるような顔、してるから。
何がそんなに面白いのかもわからないけど、さっきまでの羞恥心も忘れて、…やっぱり笑顔が一番好きだな…なんてぼんやり考える。
「ちんちん、って、そんな顔で、ち、…っ、」
「……」
…そんなに、おかしかったのか。
流石に、むっとしてくる。
「………」
「…っ、ッ、」
「……………」
…そして、待機すること少し
「……」
「…っ、」
(…まだ、笑ってる)
少ししたら収まると思ってたのに、一向に止む気配がない。
意外に、くーくんは笑い上戸っていうやつなんだろうか。
…なんだか段々ばかにされてるような気がしてきた。
むぅと眉を寄せて、ぷいとそっぽを向く。
「く、くーくんのせいだからな!あんなことしてくるから」
あの日から、ずっと忘れられなかった。
寝ても、起きても、そのことが頭から離れなくて、…変な夢まで見てしまったぐらいだ。
…思い出して、下を向く。
だけど、くーくんはあの日からおれを置いていくようになって、一人になる時間が増えて、だから、…
正座をして、ぎゅっと太腿の浴衣を握る。
「…まだ、怒って、る…?」
あの時のくーくんは本当に怖かった。
もうあんな冷たい瞳は、向けられたくない。
…それくらい、あの時の出来事は心に堪えていた。
許してくれてないから、いつも置いていかれるんじゃないかな…って待ってる間ずっと考えてた。
…くーくんはいつも優しいから言わないけど、本当は今もおれのことをどこかに捨てたくてたまらないんじゃないかっていつも思う。
やっと笑いが収まったらしい彼の、呆れたようなため息が聞こえてくる。
「っ、ぁ、えと、」
やばい。まずい。また、また機嫌を損ねてしまった。
びく、と身を縮こまらせる。
「……もし、もし怒ってるなら、おれ…」
震える唇で続きを言おうとして、
「違うよ」と耳に届く優しい声音。
「…っ、わ、」
「…嗚呼、やっぱり、まーくんは最高だなって思っただけ」
いつの間にか傍まで来ていたらしい彼に、腕を掴んで抱き寄せられた。
顔を上げると、…なんだか辛そうで、苦しそうな色をしている彼の瞳とぶつかる。
「まーくん、」
「…っ、わ」
まーくん、まーくん、と何度もおれの名前を呼ぶ声。
今にも泣き出しそうな、何かを押し殺したような声音で縋るように抱きしめてくる。
「ど、どうしたの…?」
苦しい。
抱き潰されるように、頭に回された腕で息が詰まりそうな程の抱擁をされる。
ふがふがと呼吸ができない状態のままじたばたする。
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