55

はーっと息を吐く気配。


「…ほんと、…疲れた…」

「…そう、なの?」

「うん。疲れたし、頑張ったから、まーくんに癒してもらって元気補充しないと…」


…って、言いながらくんくん匂いを嗅ぐんじゃない。
やっぱり、変態くさいぞ。くーくん。

身体を横に倒した状態で畳を見つめながら、どうやって元気づけようとぐぬぬと考えた。
…だけど、大したことは思いつかなくて、結局子どもみたいにぎゅうううと後ろから抱きしめてくるくーくんの頭をよしよしと撫でてあげることだけだった。
そんなおれの手に、びく、と何故か怖がるように彼が一瞬震える。


「……なんで離すの」

「だ、だって、」

「まーくんなら、いいから。…やって」

「っ、」


嫌がれたのかと思って、手を退けようとすると何故か非難まじりの声で文句を言われ、「なんか、今日のくーくん本当にちっちゃい子みたい」と苦笑まじりにもう一度頭をなでなでしてあげる。でも、体勢的に結構きつくて、撫で方がぎこちない。



「まーくん」

「なに?」

「もしも、の話だけど」


…少しだけ真剣になる口調。「うん」撫でる手を止めて、耳を澄ませた。
ぎゅ、と腰に回った腕に、少しだけ力がこもる。


「………」

「くーくん?」

「…やっぱり、いい」


言いかけたくせに、どうしてか勝手に拗ねたような口調で会話を中止させられてしまう。

…なのに額をぐりぐり首筋に押し付けてくるし、全然良くなさそうな雰囲気がだだもれだ。そんな止め方されると余計に気になるじゃないか。


「何言いかけたの?」

「……」

「…くーくん?」


ぽんぽんと腕を軽く叩く。
少し拘束が緩んだ瞬間に、ぐるりとくーくんの方に身体を向け直した。
やっぱりなんだかいつもと違う表情をしている彼に、首を傾げる。



「何か、あった?」

「……」


じっと見上げて、そう問いかけるおれから、ふいと逸らされる視線。


「…まーくん、は、」

「………?」


またそこで言葉を止めてしまうくーくんの瞳は、危うげに揺らいでいて、こっちまで不安になってきた。
何、言われるんだろ。こ、怖いな。
そうして、ちょっと待っていると、その形の整った唇が、小さく動く。


「……もし、俺が他の人にもこういうことしてたら、…どう思う?」

「…こういう、こと…?」


突然の言葉に、その意味を把握しきれない。
見上げていると、彼がじっと見つめてきて、そのあまりにも綺麗な黒い瞳に吸い込まそうな感覚になった。
「だから、」と続けられる言葉と、頭に回された腕。

胸元にそっと抱き寄せられる。


「こうやって抱きしめたり、…」

「…っ、」


と、思ったら、今度は首筋に唇を這わせられる。


「わ、ぎゃ、な、なにして…っ、」

「……」


一瞬遅れて、その行為の意味を理解して、ぎゃああと熱くなる頬に慌てて腕でその身体を離そうした。(でも引き戻されたけど)、焦るおれに、彼はふ、と緩い笑みを零す。


「こういうこと…まーくんだけじゃなくて、他の人間にしたらってこと」

「…っ、」


「どう?」と抱きしめられたまま、すぐ耳元で問いかけてくる声。
まるでおれの反応を揶揄って試しているような声音に、更に頬がカッと熱くなる。


「そ、そんなの、」

(…嫌に、決まってる、のに…)


俯いて、言いかけた唇を閉じる。

…でも、なんかここで嫌だっていうとくーくんの思うツボなような気がする。
結局、さっき置いていかれたのもあって、思ったことと違う言葉を吐いた。


「…わかん、ない…」


答えを濁すと同時に、彼の服を握る。
そうすると、「…そっか」と少し寂しそうな声が聞こえる。


(…だって、)


言えるわけ、ないじゃん。
言えるわけないだろ。

こんなに、知らない人の匂いくっつけてきて、…しかも、おれのことを置いてって、その誰か知らない人に会いにいって、…そんなくーくんなんか、知らない。


「……」


だったら離れればいい。
くーくんなんか知らないって言って、ここを出ていけばいい。
…それなのに、おれの指は強く彼の服を握りしめたまま離そうとしなかった。


(…おたんこなす、)


せめてもの抵抗で心の中でだけ文句を言ってやった。
そうするとちょっとだけいい気分になったので機嫌が良くなる。


「……また怪我増やした」

「もう全然痛くないよ」


彼の服を掴んだ指を見て、心配そうな表情をする彼に、ぱっとそれを後ろに隠す。
「あー、もう」ともうこれで何度目だろう。ため息まじりの呆れたような声を零される。


「ちょっと俺がいなくなった隙に、……」

「…え、…っ、」


(……!!!!)


手首を掴んで引き寄せられた…それを、

……指先の赤く滲んだ場所を、ぺろ、と舌で舐められた。


「…!!!!っ、ちょ、」

「……まーくんは、俺の…なんじゃないの?」


おれの動揺に構わず、その場所に注がれる視線。
指先に、ぬるりとした感触が這う。
その舌先が、少し動いた。


「…っ、そ、そう、だけど…っ、す、すぐそういうことするくせ、よく、な…っ、ん、」


しかも、今その話関係ないし。


「まーくんの…ばか、」


どこか厭らしく舌を這わせられて、びく、びく、と身体が跳ねる。
全然怪我じゃないところまで舐められて、手を引こうとしても、離してくれない。

それに、転んだせいで汚れてるから、きたないのに。
…でもそんなことまるで気にならないらしい。

彼の伏せられていた瞳が、不意にこっちを向く。


「本当…こんなんじゃ、心配過ぎて一瞬でも離れられなくなる…」

「…っ、」


――ドクン、


跳ねた鼓動。

同時に、急いで股間をおさえた。
落ち着け。おれ、最近おかしい。もっとおちつけ。

バクバクと鳴る鼓動と、何故か勝手に反応した下の部分に、…かぁぁと全身がもえるように熱くなった。

あわあわとその部分をなんとか隠そうとしていると、耳に届く声。


「…まーくん?」

「…っ、」

「どうかした?」


変にビクッとしてしまったせいで、声が少し真剣になる。
心配そうにのぞき込まれた。


「…が、がう」


慌てて口ごもって、とりあえずぼそぼそと意味の成り立ってない獣の唸り声もどきで生存反応を返しながら、思いきり顔を背けた。
そんな対応に、むっと不機嫌そうになる顔が見えたけど、でも今はそれどころじゃない。


(…なんで、こんな…)


…どうなってるんだ、おれの身体。最近変な夢も見るし、本当、やばい。絶対へんたいだ、おれ。

言ったら確実に変態だと思われる。軽蔑される。…ぐ、ぐぬぬ、どうする。どうしたらいい。
…だけど、答えないなら答えないで、なんか感じが悪い気もする。

(心配、してくれてるんだろう、し…)

結局、じーっと言葉もなく注がれる熱い視線に観念して、少しだけ唇を開いた。


「…なんか、」

「…?うん」


優しく、おれの髪を撫でながら聞いてくる声音に少しだけ安堵する。
ぼそっと思いを形にしてみた。

って、「ぎゃ、」


「何、!何してんの!」

「いや、なんか可愛いなって思ったから」


脈絡なく額に唇を触れさせてきた彼に、余計に収まるものも収まらなくなってきて、熱を帯びる頬にぎゅっと瞼を一瞬閉じ、くーくんからずざざと距離をとる。

威嚇するようにがるると見上げていると、やはりまた腕を掴んで引き寄せられてから「それで?」と頭の上で先を促す声。…くそ、悔しい。いつも通り、何事もなかったかのように続けようとするんじゃない、と文句を言いたくなる。

「だから、その」一回タイミングを逃したせいで、言いづらいな!ともう言うのやめようかと思いながらもやけくそになって言葉を吐いた。…こんなこと、言っても変じゃないかな。おかしいって思われないかな。不安で、彼の顔を見上げることができない。


「くーくんといると、…最近、ずっとむずむず、する…っていうか、」

「むずむず?」

「う、うん」

「……」

「な、なんていうか、あれで…!前はこんなことなかったのに…なんか、よくわかんないんだけど、あれで、むずむずっていうか、ぬがががって感じで、」


……ほとんど意味のある言葉を発してない。ぬがががってなんだ。自分で自分にツッコむ。

ひたすら俯いたまま、とりあえず目の前にある黒色の浴衣の襟元を首を締める勢いでぎゅうううと握りしめる。そこに顔を押しつけて、返事を待った。…しゃべりながら、同時にふわりとやっぱり彼のじゃない香りがして、…泣きそうになってきた。ばか、ばーか。…………ばか。



「…どこが?」

「へ?」

「変な感じのする場所って、どの辺り?」

「ど、どこって、」


浴衣に皺が寄るほど握りしめていた指を解かれる。
その指の間に、入り込んできた指に、きゅ、と恋人つなぎをされた。
「…ぁ、」おれより少し大きな手に、綺麗な指に、さっきまで羞恥心をぶつけていた場所をそうされて、形にならない衝動が行き場を失う。


ふらふらと彷徨う視線で、熱い頬を抱えながら顔を上げる。

…と、

眩しそうに瞳を細めて、柔らかく微笑んでいる彼の表情。



「…っ、…っ、」

「…まーくん、教えて」


耳元で囁かれる、微かに掠れた彼の甘い声音。
どうしようもないくらい、心臓が速く脈を打つ。

言ったら、変態扱いされる。
…なんて、さっき考えてたことが吹き飛んでしまう。


そのくらい、本当に催眠の魔法でも使ってるんじゃないかと思うような彼の声に思考も全部奪われた。



「、股、の間、の…」

「…どこ?」


もう一度、酷く優しい声音で追及してくる。

…ここまでいったらわかれ!わかれよ!

微かに残った理性が文句を言った。
主に顔から熱くなってぶるぶると震える全身は、留まるところを知らない。
これ以上何かを話したら、恥ずかしくて死んでしまう。
もう限界、限界なのに。

発汗なんてやかんから吹きこぼれるお湯くらいで出てるし、呼吸なんてまともにできない程身体が熱くて、息が苦しくなってきた。


…なのに、彼の思い通りに、彼の望むように、


唇が、動いて、しまう。


「…、ち、ちんちん、が…」

「……」



バフン。
顔から、火が出た気がした。
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