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じーっと見つめながら、ぽつりと言葉を零す。


「……くーくん…?」

「…うん」

「ほんとの、ほんとに…、くーくん…?」

「…何、この確認の仕方」


みょーんとその頬を指でつまんで引っ張ってみた。それから、髪を撫でたり、ほっぺに触ったり、色々触ったり。
ちょっと不満そうな、複雑そうな顔をしながら、でもおれのしたいようにさせてくれている姿に…嗚呼、くーくんだってやっと実感してくる。


「へ、へ…っ、…おかえり、なさい」

「…っ、」


(…会いたかった。凄く、会いたかった)

ぽろぽろと意識する間もなく涙が頬を伝って落ちる。
それを見て、くーくんが辛そうに顔を歪めた。
「あ、ちがう。ちがうよ。これはただ、嫌な夢、…見たからで」慌てて袖で瞼を拭う。
…と、頭に回された手に抱き寄せられた。


「…っ、ほんと、まーくんは俺がいないとだめだな」

「…う、う゛ぅ…っ、」


吐息まじりに、だけど少し上擦った声が耳元で聞こえる。
頭を撫でる手の感触。
その感触が嬉しくて、どうしようもないくらい幸せで、みっともないくらいに出る涙と鼻水で息ができなくなりそうになった。


「ごめん」

「…っ、そう、だよ…っ、くーくんがいないと、おれ、だめ、って言っだ、のに…っ、」


(…どうして、こんなに頭の中がくーくんのことでいっぱいなんだろう)

胸に顔を埋めると、浴衣の胸元が少しはだけているのが見えた。
…その首元にある…幾つもの…小さな跡。

それは怪我、とかじゃなくて、よく、お父さんがつけてきてたやつ、に似てて、

………どうして、どうして、どうして、

ぎゅうう、と胸が締め付けられた。痛い。苦しい。…さっきとは違う意味で、涙が溢れてくる。


「ね、くーくん」

(…今まで、何してたの?)

震える唇は、その続きの音を形成できない。
涙でいっぱいになった瞳を隠すように、顔を彼の胸に埋める。
でも、これを聞いてしまったら、それこそ生きていけなくなるような気がして、

…きゅ、と唇を結んで、首を振った。
だけど、どうしても、安心したくて、不安になりたくなくて、


「あの、あのね、」

「何?」

「…おれのこと、」

すき?って聞こうとした言葉が、喉の奥に詰まる。
…もしこれで、望んでない返事が返ってきたら、どうするんだ。

むぅ、と唇を噛んで、俯く。


「……なんでも、ない」


と弱々しく首をふるふる振った。聞きたいのに聞けないことで、更に重石がのしかかってきたような気がする。

…すると、少しの沈黙の後、上目遣いになるような視線で覗き込んできたくーくんに


「わ、び、びっくりした」


びくっと驚いて身体が跳ねた。こんな状況なのに、少しはだけている浴衣から彼の胸元が覗けて見えてその妖艶さにどきまぎとする。

なのに、そんなおれに対して、彼は大人っぽく端整な顔とは対照的に子どものようにどこか可愛らしく首を傾げた。


「もしかして、まーくん、さ」

「……」

「俺がずっとどこにいたか気になってる?」

「…っ、」


(…何故、ばれてしまった)

図星を突かれ、聞こえてきた台詞に反応してバッと顔を上げる。

…と、何故かどこか楽しんでいるような表情で弧を描く唇。
その瞳が、意地悪そうに、少しだけ冷たさを含んで細められる。


「女のとこ」

「っ、…え?」

「まーくんを一人にしてる間、他の女とずっと一緒にいたんだよ」


素っ頓狂な声が、零れる。

ズクン、と胸が震えて、ちぎれそうになる。


(…女の人と、ずっと、一緒だった…?)


おれを、ここに残して、くーくんは、他のひと、と…?

心臓を激しく刺されて、それでも死ねない拷問のような痛みが消えてくれない。

想像したくないのに、頭の中で勝手に二人の姿を作り上げて、思い浮かべてしまう。


「…ぁ、ぅ…」


いたい。いたい。いたい。何か言おうとして、言葉にならない。
ぐちゃぐちゃな感情のまま、こっちに静かに向けられているくーくんの瞳を見つめ返して、揺れる。


うそ…?、ほんと…?


でも、どうしても、くーくんが嘘をついているように見えなくて、くーくんがこんな嘘をついて何か、いいことがあるようにも思えなくて、

だけど、おれと彼は、何の関係でもなくて、ただ、あの時からずっと一緒にいるってだけだから、もし、…彼が本当に女の人と何をしていたとしても、…首に、そんな跡をつけてくるような、何かをしていたんだとしても、怒る権利もなくて、悲しむ権利だって、ない


ない、はず、なのに…、



「ほんと、に…?」


こんな気持ちになるくらいなら、聞きたくなかった。知らないままで、教えないでほしかったのに。
喉の奥が、熱い。溢れる。溺れる。
ぎゅうううと異常なほどに息苦しくなる胸を、服の上から静まる様にと手で握りしめた。けど、全然おさまんない。


「…っ、ほん、と゛に…おんな、のひと、といっしょ、だった、の…?」


(…おれのこと、もう、いらなくなった…?)


とめようと思っても、我慢しようと思っても、できなかった。

ぼろぼろと再び収まったと思っていた涙が頬を伝ってとめどなく流れる。

ひぐ、えぐ、としゃくりあげて涙で溺れそうになりながらぼやけて見えない視界の中、


「ぐーぐ、…っ、や、だ、やだぁ…っ、ふ、ぇ…ひっく、…ぐーぐん、…っ、は゛、おれの、だもん…っ、」


独占欲を隠しもせずに口に出しながら、助けを求めるように、彼がいるだろう場所に、手を伸ばす。


…と、


「…っ、嗚呼、嬉しいな。…それに、凄く可愛い」

「こ、こんなに、ひとが…っ、」


泣いて苦しんでるって言うのに。なんだよ、それ。くーくんのばか。

その手に、指と指を…手を繋ぐように絡められ、優しく抱き寄せられる。
そして、前髪をふわりとあげられて、何か柔らかい感触がおでこに触れた。

「ひゃ、」

それから、ぺろっと頬を舐められた。そして涙を舌で舐めとろうとしてくるくーくんに、


「お゛、おふろ、はいっでない、がら、ぎだな、いよ…っ、」


と鼻水まで出てきて嗚咽交じりにそこを隠して離れようとすると「汚くない」と意味がわからないけど拗ねたような声が反論してくる。


嘘じゃなくて、ほんとに汚いのに。汗でべとべとしてるし、数日間お風呂入ってないし絶対に触らせちゃいけないくらいに汚れてる。

抵抗のために持ち上げた手首を掴まれて、


「…っ、ひ、ぁ」


また唇が頬を伝って、首筋におりていく。…ふ、と吐息が首にかかってゾクゾクと変な感触がして軽く身震いした。


「本当…可愛すぎてどうにかなりそう」

「……か、可愛いって」


困ったように微笑んだ彼に、ぶわ、と頬が熱くなる。
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